学位論文要旨



No 119166
著者(漢字) 千村,昌之
著者(英字)
著者(カナ) チムラ,マサユキ
標題(和) 宮古湾におけるニシンの初期生態に関する研究
標題(洋)
報告番号 119166
報告番号 甲19166
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2717号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡邊,良朗
 東京大学 教授 杉本,隆成
 東京大学 教授 青木,一郎
 東京大学 教授 塚本,勝巳
 東京大学 助教授 河村,知彦
内容要旨 要旨を表示する

日本では、かつて北海道・サハリン系ニシンと呼ばれる太平洋ニシン(Clupea pallasii)が、春に北海道の日本海とオホーツク海沿岸に産卵のため大群で来遊した。北海道・サハリン系ニシンでは、新規加入量の変動幅が2桁から3桁と非常に大きく、卓越年級群の発生により大きい資源量が維持された。大西洋ニシン(Clupea harengus)を含む多くの魚種について、仔稚魚期の生残率の変動が個体群への新規加入量に大きな影響を与えると考えられているが、北海道・サハリン系ニシンの新規加入量変動要因は明らかにされていない。現在、日本で漁獲されるニシンのほとんどは、北海道と本州北部太平洋側の沿岸域、または汽水性の湖沼や内湾で産卵し、産卵場周辺の水域で生活する地域的な個体群である。岩手県宮古湾にも本州北部から北海道噴火湾にかけての太平洋沿岸を索餌回遊し、毎年春に湾内に産卵のため来遊する地域的なニシン個体群が存在する。宮古湾では湾奥でニシン成熟親魚が漁獲される。また、人工生産されて湾内に放流された稚魚が体長9 cm前後になるまで湾奥を生息場としていることが知られている。したがって、湾奥の環境と仔稚魚の成長・生残の関係を調べることにより、新規加入量変動の要因が解明されると考えられる。

本研究は、宮古湾で産卵するニシンの初期生活史を明らかにし、仔稚魚発生量の変動要因を解明することを目的とした。湾奥でニシン仔稚魚を採集し、耳石日輪情報を解析することにより孵化日と産卵日、仔稚魚期の成長速度を推定した。湾奥の小型定置網で漁獲された排卵後および産卵後の雌親魚の日別漁獲尾数からも産卵時期を推定した。また、湾奥において動物プランクトン採集と表面水温の連続記録を行った。これらの結果から、1. 水温および餌密度と仔魚の初期生残率、成長速度との関係、2. 天然稚魚と放流稚魚の成長速度と湾奥の水温および餌密度との関係、3. 初期成長履歴と生残確率の関係をそれぞれ検討した。

天然仔稚魚発生量の変動

宮古湾奥において、2000年から2003年の4年間、小型定置網と船曳網によるニシン仔稚魚の採集を行った。2001年に623尾、2003年に990尾の天然仔稚魚が採集されたのに対して、2000年と2002年にはそれぞれ1尾しか採集されなかった。湾奥で漁獲された排卵後および産卵後の雌親魚の漁獲尾数は、2003年に2095尾と最も多く、2000年、2002年にそれぞれ561尾、332尾、2001年に233尾と最も少なかった。2001年と2003年に採集された天然仔稚魚の孵化日は、2003年には雌親魚の日別漁獲尾数から推定した産卵期(1月中旬〜4月中旬)の中の2旬に集中しており、2001年にも産卵期末に集中していた。これらのことから、宮古湾におけるニシン天然仔稚魚の発生量は、産卵量ではなく、孵化した仔魚の生残率が年や産卵期中の孵化時期によって大きく異なった結果であると考えられた。

2001年に採集された仔稚魚のほとんどは4月下旬から5月上旬に孵化した。孵化仔魚の摂餌開始期(体長<13 mm、およそ10日齢まで)にあたる2001年4月下旬の餌密度(13.2 mg L-1)は、積算水温と湾奥の表面水温を用いて産卵盛期から推定した2000年、2002年、2003年の摂餌開始期にあたる時期の餌密度(0.7〜6.3 mg L-1)よりも高かった。2001年に採集された仔魚の平均成長速度(0.46±0.05 mm d-1)は、2003年に採集された仔魚(0.31±0.01 mm d-1)よりも有意に速く、過去に報告されている他海域の太平洋ニシン仔魚の成長速度に比べても速かった。2001年4月下旬から5月上旬に孵化した仔魚は、摂餌開始期の高い餌密度によって急速に成長した結果、初期生残率が高かったと考えられる。一方、2003年には、摂餌開始期の餌密度が2000年、2002年と同じように低かったが、主に3月中旬から下旬に孵化した多数の仔稚魚が採集された。この時期に孵化した仔魚の生き残りが良かったことは、餌密度によって説明することはできなかった。

太平洋ニシン仔魚の摂餌開始期以降の主な死亡要因は被食であると考えられている。体長が大きい仔魚は小さい仔魚よりも捕食者からの逃避能力が高いため、仔魚期の成長速度が速い個体は、遅い個体よりも被食による死亡確率が低いと考えられる。宮古湾奥では、2月中旬から5月中旬に人工孵化放流されたサケ稚魚がニシン仔魚の捕食者である可能性が考えられる。3月中旬から下旬におけるサケ稚魚放流尾数は、2000年に1500万尾、2001年に1400万尾、2002年に300万尾、2003年に1300万尾であった。雌親魚の日別漁獲尾数から推定した3月中旬から下旬における孵化仔魚量は、2003年には2000年、2001年、2002年のそれぞれ3倍、90倍、6倍と多かった。2003年には、仔魚期(3月中旬〜5月下旬)の成長速度は2001年よりも低かったが、湾奥の水温が3月中旬〜下旬には2001年に次いで、4月上旬〜5月下旬には4年間で最も低く、サケ稚魚の摂餌が不活発であったため、多くの仔稚魚が生き残った可能性が考えられる。

天然稚魚および放流稚魚の成長と湾内環境

2001年6〜7月および2002年5月に採集された体長40〜90 mm放流稚魚の胃内容物のほとんどをかいあし類と十脚類幼生が占めており、これらは湾奥における稚魚の餌生物として重要であると考えられた。胃内容物中のかいあし類の前体部幅組成と十脚類幼生の全長組成を調べ、環境水中における組成と比較した結果、稚魚は、前体部幅150〜300 mmのかいあし類を選択的に多く利用し、十脚類幼生に対してはかいあし類ほどサイズの選択をしていなかったと考えられた。したがって、本研究では、前体部幅150〜300 mmのかいあし類と十脚類幼生の分布密度を稚魚が経験した餌密度とした。

2000年と2001年の4月、2000年から2002年の5月に放流された稚魚の放流後30日間における平均成長速度の年による違いと、稚魚が経験した水温および餌密度の関係を検討した。5月放流稚魚では、2002年放流群よりも0.3 ℃低い水温と数倍高い餌密度を経験した2001年放流群の成長速度(0.98±0.08 mm d-1)が2002年放流群(0.61±0.05 mm d-1)よりも有意に高かったことから、高い餌密度を経験した稚魚の方が速く成長すると考えられた。一方、4月放流稚魚では、2001年放流群は2000年放流群よりも1.5 ℃高い水温と数分の1と低い餌密度を経験した。この両者の間で成長速度に有意な違いがなかったことから、水温の違いが大きい場合には、餌密度の違いよりも水温の違いが稚魚の成長に大きく影響を与える可能性が考えられた。2001年と2003年に採集された天然稚魚の6月下旬から7月下旬における旬平均成長速度は、それぞれ0.87〜1.16 mm d-1、0.78〜1.21 mm d-1であった。両年ともに7月以降水温が上昇したが餌密度が大きく減少した。その結果、稚魚の成長速度が低下したが、過去に報告されている他海域の太平洋ニシンの稚魚期における成長速度(0.41〜0.76 mm d-1)よりも速かった。

仔稚魚の生残過程と産卵群加入個体の初期成長履歴

2001年4月下旬から5月中旬に孵化した仔魚(体長約25〜35 mm)と稚魚(体長55〜100 mm)について、および2003年3月中旬から下旬に孵化した仔魚(体長20〜30 mm)と稚魚(体長65〜110 mm)について、体成長速度と正の関係がある耳石日輪間隔の仔魚期(20〜60日齢)における頻度分布を比較した。両年ともに20〜40日齢時には仔魚と稚魚で頻度が高い耳石日輪間隔が一致していたが、2001年には50日齢時、2003年には60日齢時において、稚魚の日輪間隔のモードが仔魚のモードよりも大きかった。2003年における仔魚と稚魚の頻度分布のずれは、2001年に比べるとかなり小さかった。2001年には成長速度が速かった仔魚の方が遅かった仔魚よりも稚魚までの生残確率が高かったのに対して、2003年には成長速度による生残確率の違いが小さかったと考えられる。2003年の仔魚は、低水温を経験して成長が遅かったが、捕食者と考えられるサケ稚魚の摂餌活動が低水温により不活発で、仔魚群全体の被食による減耗が2001年より小さかった結果、成長が遅かった仔魚も生き残ることができた可能性が考えられた。

本研究の結果、宮古湾のニシン個体群では、仔稚魚の生残率の年および孵化時期による変動が著しく大きいために、年々の発生量が著しく変動し、また発生量が多い年でも、1産卵期中の限られた時期に孵化した群のみが生き残ることが分かった。仔稚魚が生き残る条件として、摂餌開始期の餌密度が高く、仔魚期に経験する水温が高い場合(2001年)、摂餌開始期の餌密度が低く初期生残率が低くても、その後の仔魚期の水温が低く捕食者の摂餌活動が抑制される場合(2003年)が考えられた。稚魚の成長と湾奥の水温・餌密度の関係を調べた結果、高い餌密度を経験した稚魚の方が速く成長するが、水温の違いが大きい場合(約1 ℃以上)には、餌密度よりも水温の違いが稚魚の成長に大きく影響を与えると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

我が国のニシン資源生態研究は、20世紀前半に北海道・サハリン系ニシン(Clupea pallasii)が大量に漁獲された年代に集められた漁獲情報をもとに行われたが、1950年代に資源が消滅して以降は、研究が途絶えていた。本研究は、宮古湾で再生産するニシンについて、産卵のために湾内に来遊する親魚と、湾奥の産卵場で生まれて体長約100 mmまで産卵場周辺で成育する仔稚魚の生態を明らかにし、ニシン資源の大きな資源変動の仕組みを検討したもので、5章からなる。

第1章の緒言では、北海道・サハリン系ニシンの生態と資源変動に関する知見を総括するとともに、北海道・サハリン系ニシン資源が消滅した後も漁獲対象になった地域性ニシンに関する知見をまとめた。また、魚類資源の変動機構に関する研究を概観して、仔稚魚期の成長と生残に関する研究の重要性を指摘し、本研究の目的を明確にした。

第2章では、宮古湾内で大量の仔魚が発生した年と仔魚がほとんど発生しなかった年と比較して、大量発生の要因を検討した。2000〜2003年の4年間のうち、2001、2003年には数百〜千尾の仔稚魚が採集されたのに対して、2000年と2002年にはそれぞれ1尾しか仔稚魚が採集されなかった。湾奥で漁獲された産卵親魚数が2001年に233尾と4年間で最も少なかったこと、仔稚魚の孵化日が1月中旬〜4月中旬の産卵期中の2旬に集中していたことから、宮古湾におけるニシン天然仔稚魚の発生量は、産卵量によってではなく、孵化した仔魚の年や時期による生残率の違いによって決定されることがわかった。

2001年に採集された仔稚魚の摂餌開始期(体長<13 mm)の餌密度(13.2 mg L-1)は他の年よりも高く、仔魚の平均成長速度(0.46±0.05 mm d-1)も2003年より有意に速かったことから、2001年4月下旬から5月上旬に孵化した仔魚は、摂餌開始期の高い餌密度によって急速に成長した結果、初期生残率が高かったと考えられる。一方、2003年では、摂餌開始期の餌密度が2000年、2002年と同様に低く、仔魚期の成長速度は2001年よりも低かったにもかかわらず、主に3月中旬から下旬に孵化した多数の仔稚魚が生き残った。2003年の水温が4年間で最も低く、湾奥に放流される数千万尾のサケ稚魚の摂餌が不活発であったため、多くの仔稚魚が被食を免れて生き残った可能性が考えられた。

第3章では、稚魚の成長と湾内環境の関係を、体長50〜60mmで湾内に放流された稚魚と天然稚魚とを用いて検討した。体長40〜90 mm稚魚の胃内容物のほとんどをかいあし類と十脚類幼生が占めていた。稚魚は、前体部幅150〜300 mmのかいあし類を選択的に利用していたが、十脚類幼生に対するサイズ選択性はなかった。放流後30日間における平均成長速度の年による違いと、稚魚が経験した水温および餌密度の関係を検討した結果、水温に差がなければ高い餌密度を経験した稚魚の方が速く成長すること、水温の差が大きい場合には、餌密度の違いよりも水温の違いが成長に強く影響することがわかった。

第4章では、湾奥における仔魚の生残過程を解析した。2001年4月下旬から5月中旬に孵化した仔魚と稚魚について、および2003年3月中旬から下旬に孵化した仔魚と稚魚について、仔魚期(20〜60日齢)における耳石日輪間隔の頻度分布を比較した。その結果、2001年には成長速度が速かった仔魚の方が遅かった仔魚よりも稚魚までの生残確率が高かったのに対して、2003年には成長速度による生残確率の違いが小さかったと考えられた。これは低水温によるサケ稚魚の捕食圧の低さを裏付けるものである。

第5章の総合考察では、宮古湾ニシンの初期生態と加入量変動機構について検討した。宮古湾ニシンでは、仔魚の生残率の年および孵化時期による変動が著しく大きいために年々の発生量が大きく変動し、発生量が多い年でも1産卵期中の限られた時期に孵化した群のみが生き残るという生態的特性を持つこと、仔稚魚が生き残る条件は摂餌開始期の餌密度が高く仔魚期に経験する水温が高いために成長速度が高い場合(2001年)と、仔魚期の成長速度が遅くても低水温によって捕食者の摂餌活動が抑制される場合(2003年)があることを明らかにした。

以上のように本論文は、宮古湾におけるニシンの卓越年級発生現象をとらえ、水温、餌生物密度、捕食圧の組み合わせによって年級群の水準が変動することを示した。本研究の結果は、魚類資源における卓越年級群発生の仕組みを解明する上で重要な知見を付け加えるものである。よって審査委員一同は本論文が学位(農学)に値するものと判断した。

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