学位論文要旨



No 119167
著者(漢字) 筒井,繁行
著者(英字)
著者(カナ) ツツイ,シゲユキ
標題(和) トラフグ Takifugu rubripes の体表粘液レクチン
標題(洋) Skin Mucus Lectin of Pufferfish, Takifugu rubripes
報告番号 119167
報告番号 甲19167
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2718号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,譲
 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 助教授 金子,豊二
 東京大学 助教授 良永,知義
 東北大学 教授 村本,光二
内容要旨 要旨を表示する

水産増養殖にとって最大の課題は病気の克服である。魚類においても、感染成立後の免疫応答に関しては多くの理解が得られるようになってきたが、病原体の体内への侵入を未然に防ぐ、外壁での防御機構についての知見は乏しい。細菌や寄生虫の生存や伝播に好都合な水中環境で生活する魚類にとって、皮膚は重大な感染経路であり、防御の場でもある。魚類の表皮は粘液で覆われているが、この粘液中には免疫グロブリンなどの様々な生体防御因子が含まれていることが知られている。レクチンもその一つである。

糖鎖と結合するタンパクであるレクチンは、細菌から植物、動物までのあらゆる生物界に分布している。これまでに体内に分布する一部の動物レクチンで防御因子としての機能が解明されている。一方、体表に分泌されるレクチンについては、今日までにいくつかの魚種の体表粘液から単離精製されているものの、その詳細な構造や機能は必ずしも明らかとなっていない。近年、マアナゴの体表粘液から2種類のガレクチンについてその構造が解明されたのに続き、ウナギがガレクチンに加えて構造の全く異なるC型レクチンを粘液中に併せ持つことが示された。レクチンが示す赤血球凝集活性は、トラフグの体表粘液にも見られる。トラフグはゲノムDNAデータベースが充実しているため、体表での防御機構を総合的に理解する上で格好の研究材料であるが、本研究はその一環として、トラフグ体表粘液レクチンに関する基礎的知見の蓄積、およびその機能の解明を目指したものである。

トラフグ体表粘液レクチンの単離精製とその性状解析

トラフグの体表粘液抽出物をイオン交換クロマトグラフィーに供し、ウサギ赤血球を凝集するレクチンの部分精製品を得た。次に10種類の糖を用いて、トラフグレクチンの特異糖を検索したところ、これまでに単離されている魚類体表粘液レクチンの多くがラクトース特異的であるのに対し、本レクチンの特異糖がマンノースであることが示された。そこで、マンノースをリガンドとするアフィニティークロマトグラフィーを用いることにより、体表粘液抽出物からレクチンを精製した。還元、非還元SDS-PAGE、MALDI-TOF mass、およびゲル濾過クロマトグラフィーの結果から、本レクチンは、約13kDaのサブユニットが非共有結合により二量体を形成しているものと推定された。また、本レクチンのウサギ赤血球凝集活性は、Ca2+イオン、およびEDTAの添加による影響を受けなかったことから、本レクチンがCa2+イオン非依存性であることが示された。本レクチンの特異糖がマンノースであり、Ca2+イオン非依存性およびSDS-PAGEの泳動パターンから、本レクチンがガレクチン、C型レクチンのいずれでもないことが示唆された。

トラフグ体表粘液レクチンの一次構造の決定とその発現組織解析

アフィニティークロマトグラフィーで精製したレクチンをリジルエンドペプチダーゼにより断片化し、逆相HPLCで分離後、プロテインシーケンサーに供し、2箇所の内部アミノ酸配列を得た。この配列を基に縮重プライマーを設計し、皮膚由来のcDNAを用いたRACE法によるクローニングを行い、116残基のアミノ酸をコードする、527bpからなるレクチンcDNAの塩基配列を決定した。ホモロジー検索の結果、本レクチンは、既知の動物レクチンとは一切相同性を示さず、マツユキソウ、ニンニクなどのユリ目植物のマンノース結合レクチンと類似する新規のレクチンであることが明らかとなった。ユリ目植物レクチンのマンノース結合部位は、3箇所のQ-X-D-X-N-X-V-X-Y配列であることが知られているが、トラフグ体表粘液レクチンのアミノ酸配列の中にも、このうちの2箇所が完全に保存されていた。これまでに構造決定されているウナギ目魚類体表粘液レクチン4種は、ガレクチンまたはC-タイプレクチンファミリーに属している。本研究の結果は、魚類がその体表粘液中に、赤血球凝集という共通の活性を持ちながらも、構造的には多様なレクチン分子を有している事を示唆している。

RT-PCR法およびノザンブロット法を用いて、筋肉、肝臓、心臓、腎臓、頭腎、脾臓、脳、生殖腺、鰓、口腔壁、食道、腸、および皮膚での本レクチン遺伝子の発現を調べたところ、RT-PCR法では鰓、口腔壁、食道、および皮膚でバンドが検出されたのに対し、ノザンブロット解析では、これらに加えて腸でもシグナルが認められた。そこで腸由来のcDNAおよび新たに作製したプライマーを用いてクローニングを行ったところ、アミノ酸レベルで91.4%の同一性を示す腸型アイソフォームのcDNAが得られた。さらにRT-PCR法の結果から、このアイソフォーム遺伝子が腸でのみ発現していることが明らかとなった。この腸型アイソフォームも皮膚型レクチンと同様にユリ目植物レクチンのマンノース結合部位の配列を2箇所保存していた。実際、腸抽出液をマンノースアフィニティーカラムに供したところ、ウサギ赤血球に対する凝集活性を持つレクチンが単離されたが、このレクチンは、後述の抗皮膚型レクチン抗体と反応したことから、腸型レクチンであると考えられた。これら一連の結果は、遺伝子重複により分岐した遺伝子は発現部位を異にしながら分岐前の機能を持つ、とするDDC理論に合致している。

トラフグ体表粘液レクチン産生細胞の同定

これまでウナギ目の2種において、表皮の棍棒状細胞でのレクチンの存在が報告されているが、トラフグは同細胞を持たない。そこでトラフグでのレクチンの分布、およびその産生細胞を明らかにするため、免疫染色およびin situ ハイブリダイゼーションを行った。ウサギにトラフグ体表粘液中から精製した皮膚型レクチンを注射し、皮膚型、腸型両レクチンに反応する抗体を得た。次に発現組織解析で陽性を示した皮膚、鰓、口腔壁、食道、および腸の組織切片を作製し、この抗体を用いて免疫染色を行ったところ、皮膚型レクチンは皮膚、鰓、口腔壁、および食道の上皮細胞に、腸型レクチンは腸の上皮細胞と粘液細胞に分布することが示された。一方、皮膚型、腸型両レクチンのmRNAを認識するプローブを用いたin situ ハイブリダイゼーションの結果、皮膚型、腸型両レクチンのmRNAはいずれの組織においても上皮細胞でのみ合成されることが明らかになった。以上のことから、皮膚型と腸型レクチンとでは分泌様式が異なる可能性が示された。

トラフグ体表粘液レクチンの糖鎖結合部位

遺伝子組み替え技術を用いて、2箇所のQ-X-D-X-N-X-V-X-Y配列(N末端側からsite 1 およびsite 2とする)にアミノ酸置換を起こした6種類の変異型、および野生型のHis-tag標識リコンビナントタンパク質を作製し、マンノース結合性を比較した。各リコンビナントタンパク質を大腸菌に発現させ、メタルアフィニティーカラムおよびイオン交換カラムを用いて精製した後、濃度を500 μg/mlに調整し、マンノースアフィニティークロマトグラフィーに供した結果、野生型およびsite 2変異型のリコンビナントタンパク質が同様にマンノースカラムに結合したのに対し、site 1変異型はいずれもマンノースカラムに結合しなかった。このことから、トラフグ体表粘液レクチンのsite 1がマンノースとの結合に必須であることが明らかとなり、site 2の機能については不明であるものの、本レクチンがユリ目植物レクチンと同じマンノース結合部位を持つことが示された。

トラフグ体表粘液レクチンの機能解析

本レクチンの生体防御因子としての機能を解明するため、本レクチンの、魚病細菌、寄生虫に対する結合性について検討した。5種類のグラム陰性菌、Aeromonas hydrophila FPC 866、Edwardsiella tarda FPC 499、Pseudomonas plecoglossicida FPC 337、Vibrio anguillarum FPC 675、およびグラム陽性菌Streptococcus difficile FPC 576のホルマリン死菌に対する本レクチンの凝集活性を調べたが、本レクチンはこれらの菌のいずれをも凝集しなかった。次に蛍光標識した本レクチンをトラフグの寄生虫であるHeterobothrium okamotoiに添加し、蛍光顕微鏡下で観察したところ、寄生虫の表面から明瞭な蛍光が検出され、本レクチンがこの寄生虫に結合することが示された。トラフグはH. okamotoiを排除できないものの、この結果は、本レクチンの寄生虫に対する作用を示唆した。

以上、本研究により、トラフグ体表粘液レクチンの性状が明らかとなり、構造が決定され、発現組織、分布細胞が同定された。さらに生化学的、生物学的な機能についても検討を行った。本レクチンは寄生虫に結合するばかりでなく、飼育環境水から単離されたある種の細菌に対して凝集活性を持つ(間野ら私信)。近年、哺乳類において、腸管や肺等の粘膜組織の表面で機能する、体内の免疫とは独立した粘膜免疫系に注目が集まっているが、トラフグで、外部環境との接点であり、且つ生体防御の場として重要である皮膚、消化管といった体の外側にレクチンの分布が確認されたことは、本レクチンが粘膜免疫系において何らかの役割を演じている可能性を示している。今後、本レクチンの詳細な機能解析を行い、増養殖の分野に応用されることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

水中生活者である魚類では,皮膚は多くの病原生物と接する場である.その皮膚の表面を覆っている体表粘液中には生体防御に関与するさまざまな因子が存在する.本論文は,この内,トラフグの体表粘液に存在するレクチン(特異的な糖に結合するタンパク質)について解析を進めた結果を記したものである.

まず第一章では,トラフグ体表粘液レクチンの単離精製とその性状解析について述べている.本レクチンの特異糖がマンノースであることから,マンノースをリガンドとしたアフィニティークロマトグラフィーにより,精製し,約13kDaのサブユニットが非共有結合により二量体を形成していること,これまで魚類体表で知られていたガレクチン,C型レクチンのいずれでもないことが示している.

第二章では,本レクチンの一次構造の決定とその発現組織解析を記述している.精製レクチンの酵素消化断片について得た内部アミノ酸配列を基に縮重プライマーを設計し,RACE法によりクローニングを行ない,このレクチン一次構造を決定している.ホモロジー検索の結果,本レクチンが,既知の動物レクチンとは一切相同性を示さず,マツユキソウ,ニンニクなどのユリ目植物のマンノース結合レクチンと類似する新規のレクチンであるという驚くべき結果を示している.その上,ユリ目植物レクチンにおける3箇所の糖結合部位の内,2箇所が完全に保存されていることも明らかにしている.そして,魚類がその体表粘液中に,赤血球凝集という共通の活性を持ちながらも,構造的には多様なレクチン分子を有しているという興味深い考察を加えている.

さらに,RT-PCR法では本レクチンが鰓,口腔壁,食道,皮膚で発現しているのに対し,ノザンブロット法では,これらに加えて腸でもシグナルが認められたことから,腸でのみ発現する腸型アイソフォームの存在を明らかにしている.この結果は,遺伝子重複により分岐した遺伝子は発現部位を異にしながら分岐前の機能を持つ,とするDDC理論に合致していると結論づけている.

第三章では,レクチンの産生細胞について述べている.皮膚型レクチンに対する抗体を用いた免疫染色の結果,皮膚型は皮膚,鰓,口腔壁,食道の上皮細胞に,腸型レクチンは腸の上皮細胞と粘液細胞に分布することが示す一方, in situ ハイブリダイゼーションでは,いずれの組織においても上皮細胞でのみ合成されることが明らかにしている.そして,皮膚型と腸型レクチンとでは分泌様式が異なるのではないかと結論づけている.

第四章では,レクチンの糖鎖結合部位に言及している.本レクチンは糖鎖結合部位として,2箇所のQ-X-D-X-N-X-V-X-Y配列(N末端側からsite 1 およびsite 2とする)を有しているが,遺伝子組み替え技術によりアミノ酸置換を起こした6種類の変異型,および野生型のHis-tag標識リコンビナントタンパク質を作製し,マンノース結合性を比較している.その結果,site 1変異型はいずれもマンノース結合能を失っているのに対し,野生型およびsite 2変異型は結合性を有していることから,ユリ目植物レクチンと同じマンノース結合部位を持つものの,site 2の機能については不明であるとしている.

最後に第五章では,レクチンの機能解析結果を記している.まず,本レクチンの,魚病細菌,検討しているが,5種類のグラム陰性菌,1種類のグラム陽性菌のいずれをも凝集しなかったという.蛍光標識した本レクチンをトラフグの寄生虫であるHeterobothrium okamotoiに添加し,蛍光顕微鏡下で観察したところ,寄生虫の表面から明瞭な蛍光が検出され,本レクチンがこの寄生虫に結合することを明らかにしている.トラフグはH. okamotoiを排除できないものの,本レクチンが寄生虫に対して何らかの作用を持っているのではないかと結論している.

体表粘液レクチンに関しては多くの魚類でその存在が知られており,重要な役割があるものと信じられているが,系統だった解析はまだ不十分である.本研究により新たな魚類レクチン分子の存在が明らかとなり,この分野の新たな,そして極めて大きな前進が見られた.特にユリとフグでの共通の分子という,分子進化上の大難問を残す重大な発見であり,学術上極めて意義深いものである.さらに,本研究がゲノム情報の充実したトラフグを材料としてなされていることから,生体防御上の機能解明のみならず,有用形質育種への展開も期待されるという意味においても極めて有意義なものといえる.よって,審査委員一同,博士(農学)の学位を授与するに値するものと認めた.

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