学位論文要旨



No 119169
著者(漢字) 福島,英登
著者(英字)
著者(カナ) フクシマ,ヒデト
標題(和) 魚類ミオシンの加熱ゲル形成能に関するタンパク質工学的研究
標題(洋)
報告番号 119169
報告番号 甲19169
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2720号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 伏谷,伸宏
 東京大学 教授 阿部,宏喜
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 助教授 落合,芳博
内容要旨 要旨を表示する

水産練り製品は魚肉の加熱ゲル化特性を利用した食品であるが、魚肉の加熱ゲル化には筋肉の主要構成タンパク質であるミオシンが重要な働きをすることが知られている。ミオシンは分子量約200,000の2本の重鎖と分子量約20,000の4本の軽鎖からなる巨大タンパク質で、N末端側の球状の頭部サブフラグメント-1 (S1) はATPase活性およびアクチン結合能を、繊維状の尾部ロッドはフィラメント形成能を有する。このミオシンは加熱に伴い変性、集合し、網目構造を構築し、ゲルを形成する。広く練り製品の原料として用いられるスケトウダラは資源量が多く、冷凍すり身の開発により原料肉は長期保存が可能となった反面、潜在的な加熱ゲル形成能はやや弱い。一方、シログチは高い加熱ゲル形成能を有するものの、資源量は少なく、市場の需要を充分に満たすことができないのが実態である。

本研究はこのような背景の下、シログチおよびスケトウダラ普通筋を対象に、ミオシンおよびロッドの加熱ゲル化特性および熱力学的性状を調べた。次に、両魚種につき、ロッド中、C末端側約半分のL-メロミオシン(LMM)領域を遺伝子工学的手法で調製し、上述の性状を調べた。さらに、同様の方法でキメラ体および点変異体LMMを作製し、加熱ゲル化特性、熱力学的性状および重合化能を測定し、両魚種の加熱ゲル形成能の相違に関与する領域あるいはアミノ酸の特定を試みた。以下に得られた成果の概要を述べる。

シログチおよびスケトウダラ普通筋ミオシンおよびロッドの動的粘弾性および熱力学的性状

シログチ背側普通筋およびスケトウダラ冷凍すり身に0.5 M KCl溶液を加えて粗ミオシンを抽出した後、硫安分画を行い、ミオシンを精製した。さらに、精製ミオシンにα-キモトリプシンを重量比で1/130量添加し、10℃で30分反応させロッドを調製した。精製標品はSDS-PAGEに供して純度を確認し、動的粘弾性測定機を用いて温度分散分析を行い、5-80℃の昇温に伴う粘弾性変化を調べた。その結果、シログチ普通筋ミオシンの貯蔵弾性率 (G') は昇温に伴い、32-38℃の低温度域および47-54℃の高温度域で増大し、42-46℃の中温度域で減少した。一方、損失弾性率 (G'') は32-40℃および53-60℃で増大した。次に、スケトウダラ普通筋ミオシンのG'は29-46℃の幅広い温度域で徐々に増大し、G''は20-58℃の範囲で複数回増減を繰り返した。一方、ロッドのG'はシログチでは34-38℃、スケトウダラでは30-46℃で上昇し、ミオシンでみられた低温度域での上昇域に一致した。したがって、ミオシンの高温度域でのG'の上昇は頭部S1に由来することが示唆された。

示差走査熱量測定 (DSC) の結果、シログチ普通筋ミオシンは30-60℃、スケトウダラのそれは20-60℃の範囲で3つの主要な吸熱ピークを示した。なお、円二色性 (CD) 測定で求めた加熱によるαらせんのunfoldingはDSCの吸熱ピークをよく説明し、その温度・熱変性率曲線は、先に測定したG'の昇温に伴う変化と似た傾向を示した。したがって、ミオシンの加熱ゲル形成にはその加熱に伴うunfoldingが密接に関わっていることが明らかとなった。なお、周波数分散分析では、シログチ・ミオシン加熱ゲルのG'値は200 Pa、一方、スケトウダラのそれは100 Paと両魚種間で大きく異なった。この原因として、前述したミオシン分子のunfoldingの温度依存性の違いが関わることが考えられた。

シログチおよびスケトウダラL-メロミオシンの動的粘弾性および熱力学的性状

LMMはロッドのC末端側約66 kDaの領域で、ほぼ100 %のαらせん2本が互いに絡まりあった2重コイル構造を形成している。既知のデータによると、シログチおよびスケトウダラ普通筋ミオシンのLMM全長564残基中、51残基のアミノ酸置換がみられる。Lupas (1991) に従い、コンピュータソフトPROTANAS for Winを用いて2重コイル構造の形成確率を調べたところ、シログチLMMは全領域で高い値が示された。一方、スケトウダラLMMは482-487残基間で形成確率が著しく低く、シログチLMMより不安定な構造であると予想された。そこで両魚種ミオシンの加熱ゲル形成能の違いをLMMレベルで比較するため、まず、既報のシログチおよびスケトウダラ普通筋LMMをそれぞれコードするcDNAをpET-11aベクター (Novagene社製) に挿入して発現ベクターpETcroおよびpETpolを調製した。さらに、この大腸菌の発現系を用いてLMM標品を調製し、動的粘弾性および熱力学的性状の測定に供した。動的粘弾性の測定から、シログチLMMのG'およびG''は34℃付近に大きなピークを示した。一方、スケトウダラLMMのG'は明確なピークは示さず80℃まで徐々に上昇し、G''は明確な変化を示さなかった。

DSC分析の結果、シログチLMMのαらせんのunfoldingによる吸熱ピークは32.1℃でのみ観察された。一方、スケトウダラLMMの吸熱ピークは27.7、30.5、35.8および43.9℃と幅広い温度域でいくつか観察され、複雑な過程を経て構造が崩壊することが示された。以上の結果から、両魚種LMMの加熱に伴うunfolding反応過程の違いが、加熱ゲル形成能の差の一因と考えられた。

シログチおよびスケトウダラのキメラ体L-メロミオシンの動的粘弾性および熱力学的性状

加熱ゲル形成能および熱力学的性状の決定に重要な領域を同定するため、シログチおよびスケトウダラLMM間に存在するアミノ酸変異51残基中、28残基の変異を含むN末端側403残基の領域をシログチのもの、一方、C末端側161残基をスケトウダラのものとするキメラ体C403/P161 LMM、さらにはその逆の組成のP403/C161 LMMを調製した。すなわち、pETcroおよびpETpol中、LMMをコードするDNAの3'末端側481 bpを他の遺伝子に組み換えた発現ベクターを構築してキメラ体LMMを調製した。

動的粘弾性測定の結果、C403/P161 LMMのG'およびG''は、シログチLMMのそれと同様に34℃付近にピークを示した。一方、P403/C161 LMMのG'は35-50℃で急激に増加した後、80℃まで緩やかに増加したが、G''に明確な変化は認められなかった。P403/C161 LMMにおいて、スケトウダラLMMにみられないG'の急激な増加が認められたことから、シログチ由来のLMM領域は高いゲル形成能を有し、これがシログチ肉の高い加熱ゲル形成能の一因であることが示唆された。

DSC分析の結果、C403/P161 LMMの吸熱ピークは、シログチLMMと同様に31.3℃に1つ観察された。一方、P403/C161 LMMでは、30.8、34.5および42.9℃とスケトウダラLMMと同様に、幅広い温度域でいくつか観察された。以上のように、キメラ体LMMの熱力学的性状はN末端側の領域に由来する性状をよく反映した。

シログチ、スケトウダラおよび点変異体L-メロミオシンの加熱重合

シログチおよびスケトウダラLMMを80℃で10分加熱後、β-メルカプトエタノールの添加による還元処理およびこの処理を行わない非還元処理の標品を調製し、SDS-PAGE分析に供した。その結果、非還元シログチLMMで、約70 kDaの単量体のバンドの他に約130および200 kDa などの複数の多量体のバンドが認められた。一方、還元処理したシログチ標品および非還元スケトウダラLMMでは約70 kDaのバンドのみが認められ、多量体のバンドはみられなかった。以上のように、シログチLMMは加熱に伴いジスルフィド結合を介して重合体を形成し、この反応もシログチおよびスケトウダラ普通筋ミオシンの加熱ゲル形成能の違いに寄与していると考えられた。

シログチLMMのシステイン残基は、N末端から40および525残基目に、一方、スケトウダラLMMでは40、491および525残基目に存在する。Cys40付近では両魚種間でアミノ酸置換はみられないのに対し、Cys525付近では多くみられる。そこで、シログチLMMのCys525をアラニンに置換した点変異体シログチC525A LMMをU.S.E.Mutagenesis Kit (Pharmacia社製) を用いてpET大腸菌発現系を構築して調製した。この変異体LMMを80℃で10分加熱したところ、本来のシログチLMMでみられた加熱重合能が消失した。したがって、シログチLMMの加熱重合化には、Cys525が関与することが明白に示された。

以上、本研究により、シログチ普通筋ミオシンは加熱に伴い狭い温度域で急激にunfoldingするのに対し、スケトウダラ普通筋ミオシンは、幅広い温度域でunfoldingが徐々に進行することが示された。これらの変化は動的粘弾性の測定パターンの差をよく反映したことから、熱力学的性状の差が両魚種の異なる加熱ゲル形成能の一因であると考えられた。さらに、加熱に伴うジスルフィド結合はシログチLMMのみに観察され、この反応もシログチ肉の高い加熱ゲル形成能を支持した。なお、この加熱重合化に関与するアミノ酸はCys525と同定された。これらの成果は魚類ミオシンの種特異的な加熱ゲル化特性の一端を示したもので、食品科学上に資するところが大きいものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

スケトウダラは資源量が多く、広く練り製品の原料に用いられているものの、ミオシンの加熱ゲル形成能はやや弱い。一方、シログチのミオシンは高い加熱ゲル形成能を有するものの、その資源量は少ない。そこで本研究は、シログチおよびスケトウダラ普通筋を対象に、ミオシンおよびロッドの加熱ゲル化特性および熱力学的性状を調べた。次に、両魚種のロッドのC末端側L-メロミオシン(LMM)につき、上述の性状を調べた。さらに、キメラ体および点変異体LMMを用いて両魚種の加熱ゲル形成能の相違に関与する領域あるいはアミノ酸の特定を試みた。

まず、動的粘弾性測定機を用いた温度分散分析の結果、シログチ普通筋ミオシンの貯蔵弾性率 (G') は昇温に伴い、32-38℃の低温度域および47-54℃の高温度域で増大し、42-46℃の中温度域で減少した。一方、損失弾性率 (G'') は32-40℃および53-60℃で増大した。次に、スケトウダラ普通筋ミオシンのG'は29-46℃の幅広い温度域で徐々に増大し、G''は20-58℃の範囲で複数回増減を繰り返した。一方、ロッドのG'はシログチでは34-38℃、スケトウダラでは30-46℃で上昇し、ミオシンでみられた低温度域での上昇域に一致した。示差走査熱量測定 (DSC) の結果、シログチ普通筋ミオシンは30-60℃、スケトウダラのそれは20-60℃の範囲で3つの主要な吸熱ピークを示した。DSC分析から求めた温度・熱変性率曲線は、先に測定したG'の昇温に伴う変化と似た傾向を示し、ミオシンの加熱ゲル形成にはその加熱に伴うunfoldingが密接に関わることが示唆された。

温度分散分析の結果、シログチLMMのG'およびG''は34℃付近に大きなピークを示した。一方、スケトウダラLMMのG'は明確なピークを示さず80℃まで徐々に上昇し、G''は明確な変化を示さなかった。DSC分析の結果、シログチLMMの吸熱ピークは32.1℃でのみ観察された。一方、スケトウダラLMMの吸熱ピークは27.7、30.5、35.8および43.9℃と幅広い温度域でいくつか観察され、複雑な過程を経て構造が崩壊することが示された。したがって、LMMの加熱に伴うunfolding反応過程の違いが、加熱ゲル形成能の差の一因と考えられた。両魚種LMM間に存在するアミノ酸変異51残基中、29残基の変異を含むN末端側403残基の領域をシログチのもの、一方、C末端側161残基をスケトウダラのものとするキメラ体C403/P161 LMM、さらにはその逆の組成のP403/C161 LMMを調製した。温度分散分析の結果、C403/P161 LMMのG'およびG''は、シログチLMMと同様に34℃付近にピークを示した。一方、P403/C161 LMMのG'はスケトウダラとは異なり35-50℃で急激に増加した後、80℃まで緩やかに増加した。DSC分析の結果、C403/P161 LMMの吸熱ピークは、シログチLMMと同様に31.3℃に1つ観察された。一方、P403/C161 LMMでは30.8、34.5および42.9℃と、スケトウダラLMMと同様に幅広い温度域でいくつか観察された。

両魚種LMMを加熱後、還元処理および非還元処理し、SDS-PAGE分析に供したところ、非還元シログチLMMのみ約70 kDaの単量体のバンドの他に約130および200 kDa などの複数の多量体のバンドが認められた。したがって、シログチLMMは加熱に伴いジスルフィド結合を介して重合体を形成することが明らかにされた。シログチLMMのCys525をアラニンに置換した点変異体シログチC525A LMMは本来のシログチLMMでみられた加熱重合能が消失し、加熱重合化にはCys525が関与することが示唆された。

以上、本研究により、シログチ普通筋ミオシンは加熱に伴い狭い温度域で急激にunfoldingするのに対し、スケトウダラ普通筋ミオシンは、幅広い温度域でunfoldingが徐々に進行することが示され、熱力学的性状の差が両魚種の異なる加熱ゲル形成能の一因であると考えられた。また、加熱に伴うジスルフィド結合はシログチLMMのみに観察され、シログチ肉の高い加熱ゲル形成能を支持した。以上の成果は魚類ミオシンの種特異的な加熱ゲル化特性の一端を示したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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