学位論文要旨



No 119170
著者(漢字) 増田,智浩
著者(英字)
著者(カナ) マスダ,トモヒロ
標題(和) アユの松果体および脳に存在する非網膜系光受容体に関する研究
標題(洋) Extra-retinal photoreceptors in the pineal organ and brain of a teleost, ayu Plecoglossus altivelis
報告番号 119170
報告番号 甲19170
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2721号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 會田,勝美
 東京大学 教授 森,祐司
 東京大学 助教授 加藤,久典
 東京大学 助教授 河村,正二
 東京大学 助教授 金子,豊二
内容要旨 要旨を表示する

脊椎動物において光は視覚のみならず,メラトニン分泌,遊泳・摂餌活動,体色変化などの日周リズム,性成熟などに見られる光周性の制御にも関わっている。これらの非視覚系機能を制御する光受容組織として哺乳類では網膜が知られているが,その他の脊椎動物では網膜以外に松果体,皮膚および脳がある。一方,これら網膜以外の光受容組織に存在する光受容体の分子種およびそれらの分子が制御する機能に関しては未知の点が多い。そこで本研究ではメラトニン分泌,遊泳活動,さらには性成熟に光が重要な役割を果たしているアユ(Plecoglossus altivelis)を用いて光受容組織とそこに存在する光受容体の分子種を明らかにし,それらの制御する機能を調べた。特にアユは生殖腺発達に明確な光周性が見られることから,魚類において未知の性成熟制御に関与する光受容部位および光受容体の解明をする上で最適な魚種である。

網膜以外の光受容組織の検討

魚類において網膜以外の光受容能を持つ組織としては,松果体,皮膚および脳が知られている。しかし皮膚と脳に関しては一部の魚種において光受容能を持つことが知られているのみである。そこでまず,これらの組織に焦点を当て,アユが網膜以外にどの組織で光を受容するのか調べた。光受容体としてオプシンが関与するのではないかと考え,オプシン遺伝子のcDNAクローニングを試みた結果,松果体からエクソロドプシンと赤色光感受性オプシンの2種,脳からロドプシンに対して相同性の高いcDNA部分配列が得られた。一方,皮膚からはオプシンcDNAはクローニングされなかった。これらのことから,アユでは網膜の他に,松果体と脳においてオプシンファミリーの光受容体を持つことが示唆された。

松果体

松果体から分泌されるメラトニンは明期に低く暗期に高い日周変動を示し,明暗情報や日周変動の伝達を司ると考えられている。光は暗期におけるメラトニン分泌を抑制し,メラトニン分泌リズムを明暗サイクルに同調させる。また,一般にメラトニン分泌リズムの制御には生物時計も関与しており,光はメラトニン分泌リズムを直接的に,また生物時計を介し間接的に制御していると考えられている。さらに魚類では,松果体から脳内に神経が投射しており,脳内への光情報の直接的な伝達経路の存在も示唆されている。従って,松果体は複数の光情報伝達経路を持つと考えられる。しかしながらこれらの経路に関与する光受容体は同定されていない。前節において,松果体には2種のオプシン遺伝子の発現が示唆された。そこで本項では,特に光情報の伝達因子で様々な生理現象の制御に関与していると考えられているメラトニン分泌制御に関わる松果体の光受容体を同定することを試みた。岡崎国立共同研究機構基礎生物学研究所大型スペクトログラフ室において,光強度の異なる様々な波長の単色光をアユの培養松果体に照射し,メラトニン分泌の抑制における波長特異性を調べた。その結果,400 nmから700 nmまで100 nm間隔の単色光全てにおいて,光強度依存的にメラトニン分泌が抑制された。さらに詳細に検討するため,350 nmから700 nmまで25 nm毎に異なる光強度の単色光をアユの培養松果体に照射したところ,0.01 nmol photon/m2sの光強度では525 nmの単色光に対し,メラトニン分泌は最も強く抑制された。しかし,0.1さらには1 nmol photon/m2sと光強度が増加すると,500 と575 nm(0.1 nmol photon/m2s),475と525-550 nm(1 nmol photon/m2s)の光に対する二相性の強い抑制が見られるようになった。これらのことから,メラトニン分泌抑制には複数の光受容体が関与していることが示唆された。抑制に関与する光受容体を同定するため,前節で得られた結果をもとに松果体で発現しているオプシン遺伝子cDNA全長の塩基配列決定を試みた。その結果,エクソロドプシンと赤色光感受性オプシン遺伝子の塩基配列決定に成功した。赤色光感受性オプシンのcDNA塩基配列は網膜のそれと同一であった。さらにアユの網膜において発現しているオプシンの塩基配列をもとにオプシンのcDNAクローニングを行ったところ,紫外光感受性オプシンおよび緑色光感受性オプシン様のcDNA部分塩基配列が決定された。これら4種のオプシンが松果体において発現していることはReverse Transcriptase (RT)-PCRにより確認した。一般にロドプシンの光感受性は緑色光感受性オプシンより高いことから,松果体におけるメラトニン分泌抑制にはエクソロドプシン,赤色光感受性オプシン,紫外光感受性オプシンの3 種が関与していることが考えられた。

眼球,松果体以外の未知光受容体の生殖腺発達への関与

アユにおいて既知の光受容部位である眼球および松果体を摘出し,長日条件下で飼育すると性成熟が抑制されることから,未知の光受容部位の存在が示唆されていた。そこでアユにおいて未知光受容部位が生殖腺発達の制御に関与することの再確認を試みた。アユの眼球および松果体を摘出し,明期20時間,暗期4時間の長日条件(LD20:4, 19 °C)で一週間飼育した。その後,短日処理群(LD4:20, 19 °C)と長日処理群(同上)の2群に分けて3週間飼育し,生殖腺の発達具合を比較した。その結果,雌雄共に短日処理群の生殖腺体重比は長日処理群と比較して有意に増加した。雄においてテストステロン(T)および11−ケトテストステロン(11-KT)の血中濃度を測定したところ,T,11-KTともに短日処理群で長日処理群と比較して有意に高い値を示した。また,雌においてTおよびエストラジオール-17β(E2)の血中濃度を測定したところ,T,E2ともに短日処理群で長日処理群と比較して有意に高い値を示した。精巣および卵巣の組織切片を作成し,生殖腺の発達段階を確認したところ,精巣では短日処理群において精原細胞が盛んに増殖分裂し,多数の精原細胞および精母細胞が確認されたのに対し,長日処理群では精原細胞の増殖分裂がほとんど確認できなかった。一方,卵巣では短日処理群において卵の成熟段階が最終成熟まで進行していたのに対し,長日処理群では実験開始時と変わらず,周辺仁期の卵が主に観察された。従って,眼球および松果体を摘出しても日長の短日化により生殖腺発達が促進され,長日条件下において抑制されることから,アユにおいては眼球・松果体以外の未知の光受容部位が生殖腺発達の制御に関与していることが明らかとなった。オプシン遺伝子が脳からcDNAクローニングされた結果を考えあわせると,脳内に存在する未知の光受容体が性成熟に関与している可能性が高いと考えられる。

脳内ロドプシン遺伝子の発現確認

脳内光受容体の同定のため,脳から得られたロドプシン様cDNA全長の塩基配列を決定した。その結果,網膜に発現するロドプシンcDNAと同一の塩基配列であることが判明した。さらにノーザンブロットおよびサザンブロット解析により,脳内に網膜と同一のロドプシン遺伝子が発現していることが示唆された。また,RT-PCRにより,終脳および間脳においてロドプシン遺伝子の発現が確認された。性成熟制御に関与する視索前野は終脳と間脳の境界部に存在することから,脳内に発現するロドプシンが性成熟制御に関与していることが考えられた。

脳内ロドプシンの存在部位の同定

脳内ロドプシンの存在部位を明らかにするためにロドプシンの演繹アミノ酸配列をもとに抗体を作製した。得られた抗血清の特異性を確認するために脳と同一のロドプシンが発現している網膜を用いてウエスタンブロッティングに供した結果,ロドプシンの演繹アミノ酸配列から推定される分子量に相当する42kDaのバンドのみが検出された。さらに,網膜において免疫組織化学を行ったところ,桿体の外節に免疫陽性反応が観察された。以上のことから,得られた抗血清はロドプシン特異的であると判定された。この抗血清を用い,アユの脳で免疫組織化学を行ったところ,視索前野の大細胞部および小細胞部においてロドプシンに対する免疫陽性反応が観察された。これらの神経核は生殖腺発達制御の中枢を担う重要な神経細胞の存在部位であることから,ロドプシンの性成熟制御への関与が示唆された。また,視索前野以外にも,嗅球の嗅索,終脳の腹側野背側部,腹側野腹側部, 腹側野交連上部, 腹側野交連後部,間脳の 視交差上核, 視床腹内側核,nucleus recessi lateralis,中脳の縦走堤,延髄の縫線核, 青斑核, 網様体でも免疫陽性反応が見られた。これらの結果から,アユの脳内光受容体は性成熟制御のみならず,体色変化や活動リズムなど様々な機能を制御していることが考えられた。

以上本研究においては,アユをモデルとして魚類における松果体と脳における光受容体に関して検討を行った。その結果,網膜以外に発現する光受容体の分子種およびそれらの制御する生理機能の一端が明らかになった。松果体においては,メラトニン分泌制御に複数の光受容体が関与していることが示唆された。また,脳内光受容体は成熟制御をはじめとする複数の生理機能を制御していることが示唆された。本研究で得られた研究成果をもとに,魚類の生理機能の光による制御機構の詳細が明らかにされることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

光は日周リズムや光周性の制御に関わっている。これら機能を制御する光受容組織として哺乳類以外の脊椎動物では網膜以外に松果体,皮膚および脳がある。一方,これら網膜外光受容組織に存在する光受容体の分子種およびそれらの分子が制御する機能に関しては未知の点が多い。本研究は,メラトニン分泌,遊泳活動,さらには性成熟に光が重要な役割を果たしているアユ(Plecoglossus altivelis)を用いて,光受容組織とそこに存在する光受容体の分子種を明らかにし,それらの制御する機能を推察したものである。その大要は以下のとおりである。

網膜以外の光受容組織の検討

まず,アユの松果体,皮膚および脳に焦点を当て,オプシン遺伝子のcDNAクローニングを試みた。その結果,松果体からエクソロドプシンと赤色光感受性オプシンの2種,脳からロドプシンに対して相同性の高いcDNA部分配列が得られた。従って,アユでは松果体と脳においてオプシンが光受容体であることが示唆された。

松果体

光は松果体におけるメラトニン分泌を制御しているが,メラトニン分泌を制御する光受容体は未知である。そこでメラトニン分泌制御に関わる光受容体の同定を試みた。アユの培養松果体に350 nmから700 nmまで25 nm毎の単色光をアユの培養松果体に照射した。その結果,0.01 nmol photon/m2sの光強度では525 nmの単色光に対しメラトニン分泌は最も強く抑制され,525 nmに吸収極大を持つオプシンのDartnallのノモグラムとよく一致した。しかし,0.1さらには1 nmol photon/m2sと光強度が増加すると,525 nmより短波長側(350-525 nm)と長波長側(525-700 nm)の光に対するメラトニン抑制効果が増し,Dartnallのノモグラム一致しなくなった。これらのことから,メラトニン分泌制御には複数の光受容体が関与していることが示唆された。

次に松果体で発現しているオプシン遺伝子cDNAの塩基配列を決定した。その結果,エクソロドプシン,赤色光感受性オプシン,緑色光感受性オプシン,紫外光感受性オプシンの遺伝子が発現していることが示された。一般にロドプシンの光感受性は緑色光感受性オプシンより高いことから,松果体におけるメラトニン分泌抑制にはエクソロドプシン,赤色光感受性オプシン,紫外光感受性オプシンの3 種が関与していることが考えられた。

眼球,松果体以外の未知光受容体の生殖腺発達への関与: アユにおいて既知の光受容部位である眼球および松果体を摘出し,長日条件下で飼育すると性成熟が抑制されることから,未知の光受容部位の存在が示唆されていた。そこで短日化によりアユの生殖腺が発達するか否かを調べた。その結果,眼球+松果体摘出群と未手術群の雌雄共に短日処理群の生殖腺体重比は長日処理群に比較して有意に増加した。雄では血中のテストステロン(T)および11−ケトテストステロンの濃度は短日処理群で長日処理群と比較して有意に高い値を示した。また,雌のTおよびエストラジオール-17βも同様に短日処理群で長日処理群と比較して有意に高い値を示した。生殖腺の発達段階を確認したところ,精巣では短日処理群においてのみ精原細胞の盛んな増殖分裂が確認された。卵巣でも同様に短日処理群において卵の成熟が顕著に進行していた。以上の結果から,未知の光受容部位が生殖腺発達を制御していることが明らかとなった。第一章の結果から,脳内に存在するロドプシンが性成熟に関与していると考えられた

脳内ロドプシン遺伝子の発現確認: 脳内光受容体の同定のため,脳から得られたロドプシン様cDNA全長の塩基配列を決定した。その結果,網膜に発現するロドプシンcDNAと同一の塩基配列であることが判明した。さらにノーザンブロットおよびサザンブロット解析により,脳内に網膜と同一のロドプシン遺伝子が発現していることが示唆された。

脳内ロドプシンの存在部位の同定: 脳内ロドプシンの存在部位を明らかにするためにロドプシンの演繹アミノ酸配列をもとに抗体を作製した。抗血清の特異性を確認した後,アユの脳で免疫組織化学を行ったところ,視索前野の大細胞部および小細胞部においてロドプシンに対する免疫陽性反応が観察された。これらの神経核は生殖腺発達制御の中枢を担う重要な神経細胞の存在部位であることから,ロドプシンの性成熟制御への関与が示唆された。また,視索前野以外にも,嗅球の嗅索,終脳の腹側野背側部,腹側野腹側部, 腹側野交連上部, 腹側野交連後部,間脳の視交差上核, 視床腹内側核,nucleus recessi lateralis,中脳の縦走堤,延髄の縫線核, 青斑核, 網様体でも免疫陽性反応が見られた。これらの結果から,アユの脳内光受容体は性成熟制御のみならず,体色変化や活動リズムなど様々な機能を制御していることが考えられた。

以上,本研究は,アユにおいて網膜以外に松果体と脳が光受容組織として働いていること,とくに脳が直接光を受容し性成熟を調節している可能性,をオプシン遺伝子の発現を指標に示したもので,学術上,応用上寄与するところが多い。よって審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位に値するものと判断した。

UTokyo Repositoryリンク