学位論文要旨



No 119172
著者(漢字)
著者(英字) Sarower Md.,Golam
著者(カナ) サロアル モハメド,ゴーラム
標題(和) コイのD-アミノ酸オキシダーゼに関する分子生物学的および生化学的研究
標題(洋) Molecular and Biochemical Studies on Carp D-Amino Acid Oxidase
報告番号 119172
報告番号 甲19172
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2723号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 阿部,宏喜
 東京大学 教授 伏谷,伸宏
 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 助教授 落合,芳博
 獨協医科大学 助教授 金野,柳一
内容要旨 要旨を表示する

D-アミノ酸オキシダーゼ (DAO, EC 1.4.3.3) は1935年に Krebs によって発見された立体特異的なD-アミノ酸分解酵素であるが、細菌類以外にはD-アミノ酸は存在しないと考えられていたため、その生理機能は長い間不明であった。本酵素はFADを補酵素とする典型的なフラビン酵素であり、中塩基性D-アミノ酸の対応する2-オキソ酸への酸化的脱アミノ反応を触媒する。酸性D-アミノ酸は進化的に起源が同一と考えられているD-アスパラギン酸オキシダーゼ (DDO, EC 1,4.3.1) によって分解され、両オキシダーゼ共に細菌類から哺乳類に至るまで広く分布することが知られており、これまで哺乳類と真菌類ではDAOの立体構造まで広範に研究が行われている。DAOの生理機能については、細菌類では細胞壁を構成するペプチドグリカンの構成成分であるD-アミノ酸の分解に関与するとされ、動物では外因性あるいは内因性のD-アミノ酸の分解酵素であると考えられているが、不明な点が多い。一方,最近哺乳類脳では、D-セリンがN-メチル-D-アスパラギン酸 (NMDA) レセプターのグリシン結合部位の内在性アゴニストであることが明らかにされ、セリンラセマーゼがクローニングされており、DAOはD-セリン濃度の調節に関与するとされている。

哺乳類におけるD-アミノ酸は微量であるが、最近無脊椎動物、特に甲殻類や二枚貝類等の組織中に多量の遊離D-Alaが検出されており、D-AlaはL-Alaとともに高浸透環境下で蓄積されるため、細胞内等浸透圧調節の有効なオスモライトであると考えられている。さらに、これら申殻類や二枚貝類では、D-AlaとL-Alaの相互変換を触媒するアラニンラセマーゼ活性が確認され、クルマエビからクローニングされている。したがって、これら無脊椎動物を補食する魚類は陸上脊椎動物と比べてD-Alaを摂取する機会が多いと考えられ、DAOおよびDDOの生理機能を明らかにするためのよいモデルであると思われる。

本研究では、このような背景の下、コイ Cyprinus carpio 肝膵臓からDAOのcDNAクローニングを行い、その生理機能についての検討を行ったもので、得られた研究成果の概要は以下の通りである。

コイ肝膵臓DAOのcDNAクローニング

D-Alaを含む餌を14日間投与(5μmol/g 体重・日)したコイの肝膵臓からmRNAを抽出し、ゼブラフィッシュの推定DAO部分配列および他生物種DAOの保存領域の配列を基にした縮合プライマーを用いるRT-PCRにより、792-bpのcDNA断片が得られた。この断片をプローブとしてコイ肝膵臓から作成したcDNAライブラリーのスクリーニングを行い、全長1,294-bpのcDNAを哺乳類以外の動物では初めてクローニングした。このcDNAは1,041-bpの翻訳領域、75-bpの5'非翻訳領域、160-bpの3'非翻訳領域および16-bpのポリ (A)+テールからなり、347残基のアミノ酸をコードしていた。

ヒト、ブタ、マウス腎臓および微生物DAOとの演繹アミノ酸配列の比較から、コイDAOはヒトおよびブタDAOと同一のアミノ酸残基数を示し、N末端近傍にはFAD結合部位と考えられる共通配列GXGXXGが存在し、動物ではこの配列はすべてGAGVIGであった。また、C末端の3残基S (K/H/R)Lはペルオキシソームシグナルと考えられ、コイDAOでは2残基目がArgで哺乳類のHisとは異なっていた。また、ブタDAOにおいて活性中心残基とされているTyr224、Tyr228およびArg283はコイDAOにおいても保存されていた。コイDAOはヒト、ブタおよびマウスDAOとそれぞれ62、60および61%のアミノ酸同一率を示し、細菌および真菌類とのそれは21〜29%であった。したがって、DAOは細菌から哺乳類に至るまで比較的よく保存された酵素と考えられる。

コイDAOcDNAの大腸菌における発現と組換え体DAOの精製および酵素学的性質

コイDAOcDNAの全翻訳領域をpET 11cベクターに組み込み、大腸菌AD494(DE3)pLysS株で発現を試みたところ、可溶性の組換え体DAOが高い活性で得られた。そこで、大量培養を行い、コイ組換え体DAOをDEAE-Toyopearl、Phenyl-Toyopearl および SephacrylTM HRカラムクロマトグラフィにより単一にまで精製した。組換え体DAOはVmax、Kmおよびkcat/Km値から見て、D-Alaに対して最もよく作用し、次いでD-Val、D-Pro、D-Phe、D-Tyr、D-LeuおよびD-Ileに対して作用しやすく、D-Trp、D-Arg、D-ThrおよびD-Cysには作用しにくいことが判明した。D-AspおよびD-Gluには全く作用しなかった。コイ組換え体DAOは比較的高い熱およびpH安定性を示した。活性はHg+およびAg+により完全に阻害され、クレアチニン、PCMBおよび安息香酸により拮抗的に阻害され、Kiはそれぞれ5.1、6.0および12.5mMであった。

コイDAOのブタおよび Rhodotorula gracilisDAO との立体構造の比較

コイDAOの3次元分子構造モデルをSWISS-MODELを用いて構築し、ブタ腎臓および酵母R. gracilisDAOの結晶構造解析データとの比較を行った。これらの3次元分子構造モデルはよく一致していたが、活性部位ループはブタDAOと比べて短かった(コイ9残基、ブタ13残基)。このループにはTyr224が存在し、比較的広い基質特異性と基質のα-アミノ基との相互作用を担うものであることが推定された。酵母DAOではこのループは存在しないものの、Tyr238が相似た位置に存在し、同様の機能を果たしているものと考えられた。酵母DAOには長いC末端ループが存在したが、コイおよびブタDAOには欠如していた(酵母21残基、コイ6残基、ブタ4残基)。このC末端ループは酵母DAOのより安定な 'head to tail' 二量体構造を可能にし、一方コイDAOではブタDAOと同様に ‘head to head' 二量体構造を取ることが判明した。

コイDAOの細胞内局在性

コイDAOの一次構造には哺乳類および酵母DAOのそれと同様に、C末端に3残基のペルオキシソームシグナルの存在が認められた。そこでこの点を確認するため、ペルオキシソーム増殖促進剤のクロフィブレートを0.3%含む餌を2週間投与したコイの肝膵臓および腎臓を用いて、ショ糖濃度勾配超遠心分離法により細胞分画を行った。ペルオキシソームマーカー酵素であるカタラーゼ、ミトコンドリア酵素であるNADHシトクロームcレダクターゼ、ミクロソームマーカーのグルコース6-ホスファターゼおよびサイトソルマーカーの乳酸脱水素酵素を用いてこれら酵素活性との分布を比較したところ、コイ肝膵臓および腎臓の両組織において、DAOおよびDDOはカタラーゼと同様にペルオキシソームに局在することが明らかとなった。この結果は哺乳類におけるDAOおよびDDOの細胞内局在性と一致していた。

コイ諸組織におけるDAOのD-Alaによる酵素誘導

コイにD-Alaを含む餌を15および30日間投与し(5μmol/g 体重・日)、諸組織中のDAO活性を測定し、酵素誘導の有無を確認した。その結果DAO活性は腸管、肝膵臓および腎臓でそれぞれ8、3および1.5倍に上昇したが、脳における活性上昇は認められなかった。同様の方法でD-GluおよびD-Aspを投与したコィにおいては、いずれの組織でもDAOおよびDDOの誘導は認められなかった。また、14日間D-Alaを投与したコイの肝膵臓では投与1日目からDAOのmRNAの発現が認められ、投与期間中上昇傾向を示した。これに伴ってDAO活性も上昇し、14日目には5倍に達した。しかしながら、mRNAとDAO活性の上昇傾向は完全には一致しておらず、コイ肝膵臓におけるDAO合成は主として転写レベルで制御されるものの、その他の制御機構も存在することが予測された。一方、14日目のコイにおけるmRNAの発現は腸管で最も強く、次いで肝膵臓および腎臓の順で、筋肉では全く発現が認められなかった。

哺乳類ではDAOは誘導酵素ではなく、DDOはD-Aspにより誘導されることが知られている。しかしながら、コイにおいては全く逆の結果であった。このことは雑食性のコイの餌となる甲殻類や二枚貝には、D-AspやD-Gluと比べて遥かにD-Alaが豊富であることによるものと考えられる。餌中に存在するD-Alaはまず腸管において処理され、一部吸収されたD-Alaは肝膵臓および最終的には腎臓で処理され、生成するピルビン酸は栄養源として利用されるものと考えられる。したがって、コイにおけるDAOは単なる解毒酵素ではなく、D-アミノ酸の炭素骨格を回収するための重要な酵素であると考えることができる。

以上本研究では、コイ肝膵臓からDAOのcDNAを哺乳類以外の動物では初めてクローニングし、組換え体DAOの諸性質を調べ、哺乳類とは異なりコイのDAOは餌のD-Alaにより誘導される誘導酵素であることを明らかにした。したがって、これらの成果は水生動物におけるD-アミノ酸の代謝と生理機能を明らかにするための貴重な資料になるとともに、今後の哺乳類におけるD-アミノ酸代謝研究に対しても重要な情報を提供するもので、これらの成果は分子生物学および比較生化学上に資するところが大きいものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

D-アミノ酸オキシダーゼ(DAO)は70年前に発見された立体特異的なD-アミノ酸分解酵素であるが、その生理機能は長い間不明であった。本酵素はFADを補酵素とし、中塩基性D-アミノ酸の対応する2-オキソ酸への酸化的脱アミノ反応を触媒する。酸性D-アミノ酸はD-アスパラギン酸オキシダーゼによって分解され、両オキシダーゼ共に細菌類から哺乳類に至るまで広く分布することが知られている。DAOの生理機能については、動物では外因性あるいは内因性のD-アミノ酸の分解酵素であると考えられているが、不明な点が多い。最近、甲殻類や二枚貝のような無脊椎動物組織中に多量の遊離D-アラニン(Ala)が検出されており、D-AlaはL-Alaとともに細胞内等浸透圧調節の有効なオスモライトであると考えられている。したがって、これら無脊椎動物を補食する魚類はD-Alaを摂取する機会が多いと考えられ、DAOの生理機能を明らかにするためのよいモデルであると思われる。このような背景の下、本研究ではコイCyprinus carpio肝膵臓からDAOのcDNAクローニングを行い、その生理機能についての検討を行ったものである。

第一章では、D-Alaを含む餌を14日間投与したコイの肝膵臓からmRNAを抽出し、他生物種DAOの保存領域の配列を基にした縮合プライマーを用いるRT-PCRにより得られたcDNA断片をプローブとして、コイ肝膵臓から作成したcDNAライブラリーのスクリーニングを行い、全長1,294-bpのcDNAを哺乳類以外の動物では初めてクローニングしている。このcDNAの翻訳領域はヒトおよびブタDAOと同一の347残基のアミノ酸をコードし、N末端近傍にはFAD結合部位と考えられる共通配列GXGXXGが存在し、またブタDAOにおいて活性中心残基とされているTyr224、Tyr228およびArg283も保存されていた。コイDAOは哺乳類DAOと60〜62%のアミノ酸同一率を示し、細菌および真菌類とのそれは21〜29%であった。

第二章では、コイDAOcDNAの全翻訳領域をベクターに組み込み、大腸菌で発現を試み、可溶性の組換え体DAOを高い活性で得ている。精製された組換え体DAOはVmax、Kmおよびkcat/Km値から見て、D-Alaに対して最もよく作用することを確認し、またその他の詳細な酵素学的性質を明らかにしている。

第三章では、コイDAOの3次元分子構造モデルをSWISS-MODELを用いて構築し、ブタ腎臓および酵母R. gracilisDAOの結晶構造解析データとの比較を行っている。これらの3次元分子構造モデルはよく一致していたが、活性部位ループはブタDAOと比べて短かった。このループにはTyr224が存在し、比較的広い基質特異性と基質のa-アミノ基との相互作用を担うものであることが推定された。また、コイDAOではブタDAOと同様に‘head to head'二量体構造を取ることを明らかにしている。

第四章では、コイDAOの一次構造には哺乳類および酵母DAOのそれと同様に、C末端に3残基のペルオキシソームシグナルが存在した。そこで、コイの肝膵臓および腎臓を用いてショ糖濃度勾配超遠心分離法により、細胞内局在性を調べている。マーカー酵素活性との細胞内分布を比較し、コイ肝膵臓および腎臓の両組織において、DAOは哺乳類の場合と同様にペルオキシソームに局在することを明らかにした。

第五章では、コイにD-Alaを含む餌を投与し、諸組織中のDAO活性およびDAOのmRNAの発現を調べ、コイDAOが餌中のD-Alaに誘導されることを明らかにしている。コイの肝膵臓では投与1日目からDAOのmRNAの発現が認められ、投与期間中上昇傾向を示した。これに伴ってDAO活性も上昇した。一方、コイにおけるmRNAの発現は腸管で最も強く、次いで肝膵臓および腎臓の順で、筋肉や脳では全く発現が認められなかった。以上のことから、コイにおけるDAOは単なる解毒酵素ではなく、D-アミノ酸の炭素骨格を回収するための重要な酵素であると考察している。

以上本研究では、コイ肝膵臓からDAOのcDNAを哺乳類以外の動物では初めてクローニングし、組換え体DAOの諸性質を調べ、哺乳類とは異なりコイのDAOは餌のD-Alaにより誘導される誘導酵素であることを明らかにした。したがって、これらの成果は水生動物におけるD-アミノ酸の代謝と生理機能を明らかにするための貴重な資料になるとともに、今後の哺乳類におけるD-アミノ酸代謝研究に対しても重要な情報を提供するもので、分子生物学および比較生化学上に資するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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