学位論文要旨



No 119173
著者(漢字) 陶,妍
著者(英字)
著者(カナ) タオ,ヤン
標題(和) 温度馴化ソウギョの速筋ミオシンアイソフォームに関する生化学的研究
標題(洋) Biochemical studies on fast skeletal myosin isoforms from thermally acclimated grass carp
報告番号 119173
報告番号 甲19173
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2724号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 伏谷,伸宏
 東京大学 教授 阿部,宏喜
 国際基督教大学 準教授 小林,牧人
 東京大学 助教授 落合,芳博
内容要旨 要旨を表示する

魚類は変温動物でその体温は環境水温の変化に伴って変化する。体温の変化は代謝に大きな影響を及ばすことが想定されるが、広温域性淡水魚は、水温が季節的に0℃付近から30℃以上までと大きく変動しても恒常的な生命活動を維持する。このような進化の過程で魚類が獲得した温度適応能については、種々の生化学的研究が行われてきた。例えば、コイCyprinus carpioは温度馴化に伴い、ミオシン・アイソフォームを発現し、その発現が遺伝子レベルで制御されていることが明らかにされた。コイは染色体数が104のいわゆる系統的4倍体種で、前述の変化がゲノムの倍数化に関係することも考えられるが、実態は不明である。一方、ソウギョCtenopharyngodon idellaはコイのように幅広い温度帯に生息するが染色体数52の2倍体種である。したがって、ソウギョは上記の進化的問題を検討するに当たっては格好の研究対象魚であるが、コイに比べて温度適応に関する研究は皆無に等しい。

本研究はこのような背景の下、ソウギョを種々の温度に馴化してミオシン・アイソフォームを単離し、生化学的性状および熱安定性を調べて比較した。さらに、各ミオシン・アイソフォームのcDNAクローングを行い、温度依存的な遺伝子発現の様相を明らかにした。一方、埼玉県の養魚池にて自然環境下で飼育したソウギョを各季節ごとに採取し、人工的に温度馴化したソウギョについての結果と比較した。得られた研究成果の概要は以下の通りである。

ミオシン・アイソフォームの温度馴化および季節変化に伴うATPase活性の変化

実験室内においてはソウギョ成魚(300-500 g)を、10、20および30℃で5週間以上飼育して温度馴化させた。一方、自然条件下の養魚池での飼育においては、ソウギョ成魚(400-700 g)を1、5、8および11月に採取し、それぞれ冬季、春季、夏季および秋季の試料とした。なお、採取時の養魚池の水温はそれぞれ、6.2、17.0、30.3および16.2℃であった。

まず、各試料の速筋からミオシンを精製し、その純度をSDS-PAGEによって確認した。各標品につき、アクチン活性化Mg2+-ATPase活性を測定したところ、10℃馴化魚ミオシンの最大反応初速度(Vmax)は0.15 μmol Pi・min-1・mg myosin-1と、30℃馴化魚ミオシンの0.09 μmol Pi・min-1・mg myosin-1より1.7倍高く、20℃馴化魚ミオシンの0.14 μmol Pi・min-1・mg myosin-1に近い値を示した。

一方、冬季魚ミオシンのVmaxは0.14 μmol Pi・min-1・mg myosin-1と、10および20℃馴化魚の値とほぼ同じで、夏季魚ミオシンの0.08 μmol Pi・min-1・mg myosin-1より1.8倍高かった。なお、春季および秋季魚の水温はほとんど同じであったが、両試験魚ミオシンのVmaxには差がみられた。すなわち、春季および秋季魚ミオシンのVmaxは、それぞれ0.10および0.13 μmol Pi・min-1・mg myosin-1と、それぞれ夏季および冬季魚ミオシンのVmaxに近い値を示した。

ミオシン・アイソフォームの温度馴化および季節変化に伴う熱安定性の変化

ソウギョ・ミオシンの熱安定性を調べるため、35℃、0-60分間の熱処理後の残存Ca2+-ATPase活性から変性速度恒数(KD)を求めた。10℃馴化魚ミオシンのKDは25.3×10-4s-1と、20および30℃馴化魚ミオシンのそれぞれ7.4×10-4および6.5×10-4s-1より3-4倍高く、10℃馴化魚ミオシンはより不安定であることが示された。これらの結果はアクチン活性化ミオシンMg2+-ATPase活性でみられた傾向とはやや異なった。

一方、冬季魚ミオシンは31.3×10-4s-1と、夏季魚ミオシンの4.8×10-4s-1より約7倍高かった。以上の結果から、冬季魚ミオシンのKDは10℃馴化魚のそれより1.2倍高く、夏季魚ミオシンのKDは30℃馴化魚のそれより1.4倍低いことが明らかとなった。次に、春季魚ミオシンのKD は6.9×10-4s-1と、20℃馴化魚、30℃馴化魚および夏季魚ミオシンの値に近く、秋季魚ミオシンのKD は26.1×10-4s-1と、10℃馴化魚および冬季魚ミオシンの値に近かった。

ミオシン・アイソフォームの温度馴化および季節変化に伴う熱力学的性状の変化

ミオシンの熱力学的性状は示差走査熱量計(DSC)により検討した。10℃馴化魚ミオシンの測定温度の上昇に伴う吸熱反応の主要ピーク(転移温度、Tm)は32.6、37.9および46.2℃に観察され、そのエンタルピー(ΔHcal)はそれぞれ405.0、507.0および120.0 kcal/molであった。次に20℃ 馴化魚ミオシンのTmは38.4および45.6℃にみられ、ΔHcalはそれぞれ839.0および257.0 kcal/molであった。さらに、30℃馴化魚ミオシンのTmは37.8、41.7および45.4℃にみられ、ΔHcalはそれぞれ759.0、263.0および206.0 kcal/molと測定された。

一方、冬季魚ミオシンのTmは32.1および38.2℃にみられ、ΔHcalはそれぞれ310.0および581.0 kcal/molであった。春季魚ミオシンの主要ピークのTmは38.4および45.7℃に観察され、ΔHcalはそれぞれ803.0および223.0 kcal/molであった。また、夏季魚ミオシンのTmは38.4および45.2℃にみられ、ΔHcalはそれぞれ648.0および483.0 kcal/molであった。さらに、秋季魚ミオシンのTmは32.6、38.0および46.7℃にみられ、ΔHcalはそれぞれ313.0、495.0および268.0 kcal/molであった。

以上のように、38および45-46℃の吸熱ピークのΔHcalは20および30℃馴化魚、さらには春季および夏季魚のミオシンで高く、これらミオシンの熱力学的性状は類似する傾向にあった。一方、10℃馴化魚および秋季魚ミオシンのパターンはよく類似し、冬季魚のパターンとはやや異なったが、3者ミオシンはいずれも32-33℃の吸熱ピークを示した。以上の結果から、32-33℃の吸熱ピークは低温馴化魚ミオシンに特有のものであることが推察された。なお、DSCで観察されたこれら吸熱反応はαらせん構造のunfoldingによることが、円二色性(CD)の測定によって明らかとなった。

ミオシン重鎖アイソフォームのcDNAクローニングと温度馴化および季節変化に伴う遺伝子の発現変動

ミオシン重鎖のC末端側をコードするcDNAを温度馴化したソウギョ速筋から3'-RACEを用いて増幅した。次に、増幅された翻訳領域および非翻訳領域を含む約550 bpのDNA断片をpGEM-T Easyベクターにサブクローニンし、いくつかのクローンを任意に選択して、塩基配列を決定した。その結果、温度馴化に依存して発現する3種類のアイソフォームcDNAが得られた。すなわち、10℃馴化魚から選択した21クローン中、18クローンが同じ塩基配列を示したことから、これを10℃タイプとした。次に、30℃馴化魚から選択した21クローン中、15クローンが同じ塩基配列を示したことから、これを30℃タイプとした。なお、10℃馴化魚の残りの3クローンと30℃馴化魚の残りの6クローンは同じ塩基配列を示したことから、これを中間タイプとした。10℃および中間タイプの間で塩基配列および演繹アミノ酸配列の同一率は、それぞれ76および88%であった。一方、10および30℃タイプ間の同一率は塩基配列で77%、演繹アミノ酸配列で89%であった。さらに、中間および30℃タイプ間の塩基配列および演繹アミノ酸配列の同一率は、それぞれ92および97%と高い値を示した。

3タイプの3'翻訳領域および非翻訳領域からなる特異配列をプローブとするノーザンブロット解析で、10、20および30℃馴化魚速筋での発現量を調べたところ、10℃および中間タイプはそれぞれ、10および20℃馴化魚で最も高かった。一方、30℃タイプは30℃馴化魚でのみ発現がみられた。次に、各季節で採取したソウギョ速筋については、10℃タイプは冬季魚で最も多く発現し、次いで秋季魚の順となったが、春季および夏季魚では発現がみられなかった。一方、中間タイプの発現量は春季魚で最も高く、夏季魚がこれに続いたが、秋季および冬季魚では発現が認められなかった。さらに、30℃タイプは春季および夏季魚でほぼ同程度に高い発現量がみられ、秋季および冬季魚では発現が認められなかった。

以上、本研究により、2倍体ソウギョは温度依存的に異なる速筋ミオシン重鎖アイソフォームを発現することにより、環境水の温度変動に対処して恒常的な運動を行うことが示唆された。これらの結果は既報の系統的4倍体種のコイの温度適応機構と同じ傾向にあることから、ミオシン重鎖アイソフォームの変化による温度適応は魚類の4倍体化に伴って生じたものではないことが明らかとなった。一方、実験室内の温度馴化と屋外の養魚池で飼育したときの季節的な温度適応とでは若干異なったミオシン重鎖アイソフォームの発現パターンが観察された。これらの成果は比較生化学上に寄与するのみならず、ソウギョの高度利用にも基礎的知見を与えるもので、応用上に貢献するところも大きいと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

広温域性淡水魚は、季節的な水温変化に対して恒常的な生命活動を維持する。コイは温度馴化に伴い、遺伝子レベルで制御されたミオシンアイソフォームを発現することが明らかにされている。コイは染色体数が104の系統的4倍体種であるのに対し、同じコイ科のソウギョは染色体数52の2倍体種である。染色体の倍加と温度適応能の関係を明らかにする上で、ソウギョの温度適応様式に興味がもたれる。本研究は、種々の温度に馴化させたソウギョからミオシンアイソフォームを単離し、生化学的性状および熱安定性を比較した。さらに、各ミオシンアイソフォームのcDNAクローニングを行い、温度依存的な遺伝子の発現様式を明らかにした。また、自然環境下で飼育したソウギョと人工的に温度馴化したソウギョを比較した。

まず、実験室内で、10、20および30℃で5週間温度馴化させたソウギョ成魚をそれぞれ10、20および30℃馴化魚とした。また、屋外の養魚地で飼育したソウギョ成魚を1、5、8および11月に採取し、それぞれ冬季、春季、夏季および秋季の試料とした。なお、採取時の養魚池の水温はそれぞれ、6.2、17.0、30.3および16.2℃であった。各試料の速筋ミオシンにつき、アクチン活性化Mg2+-ATPase活性を測定したところ、10、20および30℃馴化魚ミオシンの最大反応初速度(Vmax)は、それぞれ0.15、0.14および0.09 μmol Pi・min-1・mg myosin-1であった。一方、春季、夏季、秋季および冬季魚ミオシンのVmaxは、それぞれ0.10、0.08、0.13および0.14 μmol Pi・min-1・mg myosin-1であった。

次に、35℃で0-60分間の熱処理後の残存Ca2+-ATPase活性から変性速度恒数(KD)を求めたところ、10、20および30℃馴化魚ミオシンのKDは、それぞれ25.3x10-4、7.4x10-4および6.5x10-4s-1であった。この結果はアクチン活性化ミオシンMg2+-ATPase活性でみられた傾向とはやや異なった。一方、春季、夏季、秋季および冬季魚ミオシンのKDは6.9x10-4、4.8x10-4、26.1x10-4および31.3x10-4s-1であった。

さらに、示差走査熱量計(DSC)測定から、10℃馴化魚ミオシンでTm 32.6、37.9および46.2℃、20℃馴化魚ミオシンでTm 38.4および45.6℃、30℃馴化魚ミオシンでTm 37.8、41.7および45.4℃に吸熱ピークが観察された。一方、春季魚ミオシンはTm 38.4および45.7℃、夏季魚ミオシンはTm 38.4および45.2 ℃、秋季魚ミオシンはTm 32.6、38.0および46.7℃、冬季魚ミオシンはTm 32.1および38.2℃に観察された。

各ソウギョのcDNAクローングから、10、中間および30℃タイプのアイソフォームが得られた。10℃および中間タイプ、10および30℃タイプ、中間および30℃タイプの間で塩基配列および演繹アミノ酸配列の同一率は、それぞれ76および88%、77%、および89%、92および97%であった。ノーザンブロット解析から、10℃および中間タイプはそれぞれ10および20℃馴化魚で最も多く発現していた。一方、30℃タイプは30℃馴化魚でのみ発現がみられた。また、10℃タイプは冬季、秋季魚の順に多く発現し、春季および夏季魚では発現がみられなかった。一方、中間タイプの発現は春季、夏季魚の順に多く発現し、秋季および冬季魚では発現がみられなかった。さらに、30℃タイプは春季および夏季魚で同程度に高い発現量がみられ、秋季および冬季魚では発現がみられなかった。

以上、本研究により、2倍体ソウギョは温度依存的に異なる速筋ミオシン重鎖アイソフォームの発現により、環境水の温度変動に対して恒常的な運動を行うことが示唆された。これらの結果は既報の系統的4倍体種のコイの温度適応機構と同じ傾向にあることから、ミオシン重鎖アイソフォームの変化による温度適応は魚類の4倍体化に伴って生じたものではないことが明らかとなった。これらの成果は比較生化学上に寄与するのみならず、ソウギョの高度利用にも基礎的知見を与えたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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