学位論文要旨



No 119178
著者(漢字) 大澤,和敏
著者(英字)
著者(カナ) オオサワ,カズトシ
標題(和) 農業流域における土壌侵食に伴う土砂流出過程に関する研究
標題(洋)
報告番号 119178
報告番号 甲19178
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2729号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物・環境工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田中,忠次
 東京大学 教授 佐藤,洋平
 東京大学 教授 宮崎,毅
 東京大学 助教授 島田,正志
 琉球大学 助教授 酒井,一人
内容要旨 要旨を表示する

沖縄県では,近年,赤土流出が顕著になり,沖縄地方独自の自然形態を破壊する要因として問題視されている.営農地域を対象とした赤土流出規制について検討するためには,集水域内での土砂の動態 (侵食,運搬,堆積) の現状を時間・空間的に捉え,さらに防止対策の効果について予測する必要がある.しかし,これまで,農地における侵食とそれを含む集水域での土砂流出を同時にとらえた観測事例は非常に少ない.農業流域での土砂の動態を時間・空間的に捉えるためには,土砂生産源となる農地における侵食量観測および複数の集水域における多点観測が必要である.さらに,観測点での集水域が小さくなることから,これまでよりはるかに短い時間間隔での測定が必要となる.また,各種開発事業に伴う事前および事後評価や適切な営農管理計画を講じるために,赤土流出予測解析モデルが強く求められている.

そこで,本研究では農業流域において現地観測を行い,圃場における土壌侵食および流域内における土砂動態特性を把握することを第1の目的とした.具体的には,十分短い間隔で測定された土砂流出量の経時変化を農地,沈砂池,集水域,そして流域全体において把握した.第2の目的として,赤土流出の予測性について検討することを目的とした.具体的には,既往のモデルである,USLE (Universal Soil Loss Equation)およびWEPP (Water Erosion Prediction Project)を適用し,それらの予測精度およびモデルの適用性を検討した.そして,現地観測から得られた土壌侵食および土砂流出特性や既往のモデルの適用から得られた知見に基づいて,赤土流出予測解析のための新たな侵食-土砂流出モデルを提案し評価した.以下に各章でのまとめを記す.

沖縄県における現地観測を実施し,圃場における土壌侵食および流域内における土砂動態を把握し,それらの特性について考察した.現地観測では,観測時間を可能な限り短くとり,既往の研究では把握することが難しかった侵食量および浮遊土砂流出量の経時変化を計測することができた.

圃場における侵食量の観測結果から次のことが明らかになった.・作物の生長および栽培方法の影響:圃場における侵食量は,作物による被覆や残渣による地表面の被覆によって大きく変化する傾向にあった.被覆率が大きくなるほど侵食量は減少し,植え付け前の被覆率が0%の時では,浮遊土砂濃度のピーク値が最大8g・L-1であったのに対し,被覆率が90%以上の時では,十分大きな降雨規模に対しても1g・L-1以下であった.また,サトウキビの株出し栽培の方が春植え栽培よりも侵食量は小さかった.このような差が生じた原因として,地表面の残渣による被覆が主な要因として考えられる.・管理作業 (耕起) の影響:耕起に伴い侵食量は大きく増大した.これは,残渣の鋤き込みに伴う地表面の被覆率の減少が大きな要因となっていると考えられる. 雨滴侵食と流水による侵食:流水の粒径組成の経時変化を調べたことによって,圃場から流出した土砂は雨滴侵食の割合が大きく,流水による土粒子の剥離の割合は小さいと判断することができた.それは,粒径組成および浮遊土砂濃度の変化が,流量の経時変化よりも降水量の経時変化とよく対応していることから推察された.

流域内における土砂流出の観測結果から次のことが明らかになった.・浮遊土砂流出量の季節的変化:流域末端において約2年間の長期連続観測を行ったことによって,流域内における作物の生長や土地利用の変化に伴って浮遊土砂流出量が変動することを捉えた.・流量と浮遊土砂濃度の経時変化:沈砂池を通過することによって,ピーク値の低下およびピーク部分の時間的遅れが確認された.この特徴は沈砂池の構造的な特徴に起因すると考えられる.また,降雨イベント毎にそれらの傾向が異なることもわかった.・浮遊土砂流出量と流量の関係 (LQ関係):LQ関係はべき乗の関数 (LQ式) で回帰可能であり,b値を一定とした場合,受食性の高い土地利用割合の増大に伴いa値は増大し,沈砂池を通過することによってa値は減少する傾向にある・沈砂池における堆砂:沈砂池および降雨イベントによって堆砂量や堆砂率が異なることを確認した.降雨イベント毎で堆砂率を比較すると,その低下率は,小規模の沈砂池の方が大きかった.土砂収支:各集水域における浮遊土砂流出は土地利用,流下途中の沈砂池の構造およびその配置,そして降雨イベントによって,その大小関係が異なる傾向にあった.

第3章では,第2章で得られた観測値を用いて,最も適用頻度の高いUSLEと未だ沖縄地方 (日本) への適用が行われていないWEPPの適用と評価を行った.適用は圃場スケールでの土壌侵食および流域スケールでの土砂流出に対して行った.

USLEは本来,圃場における年間侵食量の算定に用いられるが,本研究では降雨イベント単位での適用を試みた.そのためモデルにおける係数を時変化させて用いた.その結果,耕起直後の降雨イベントを除いた大部分のイベントにおいて,観測された侵食量と非常に高い適合性が確認できた.しかし,USLEは耕起による土壌の攪乱を計算値に反映することが困難であることがわかった.

WEPPは沖縄地方における適用例が無く,種々の入力データは実測値またはWEPPの推奨値を用いて適用した.圃場への適用の結果,全般的に侵食量の適合性が高いことが確認できた.また,流量の適合性も概ね良好であることがわかった.しかし,大きな降水量が長時間継続するイベントでは侵食量を過大評価する傾向を示した.これは,WEPPの降雨-流出過程の経時変化の再現方法に問題があることがわかった.

WEPPの流域規模での適用の結果,圃場における土壌侵食に加え,水路や沈砂池における土砂動態を表現することができるので,流域全体における土砂動態を把握することが可能となった.集水域毎に観測値と比較した結果,計算値は概ね一致した.また,流域末端における流出土砂量も十分な精度で予測できた.しかしながら,沈砂池における堆砂量の精度は低かった.

第4章では,第2章で得られた圃場における土壌侵食および流域内における土砂動態特性と第3章における既往のモデルの検証から得られた知見をもとに,沖縄地方における赤土流出解析手法となり得る新たな侵食-土砂流出モデルの提案を目的とした.提案したモデルは特徴の異なる2種類のモデル (集中型概念的モデル,分布型物理的モデル) である.

集中型概念的モデルの構築のために,代表的な負荷流出算定式であるLQ式に着目し,3つの改良 (問題(1):平水時の過大評価,問題(2):ファーストフラッシュの表現,問題(3):LQ関係におけるヒステリシスの表現) を行い,いずれの場合にもそれぞれの問題点を改善することが確認できた.次に,前述の3つの改良点を含んだ形で集中型概念的モデルの構築を行った.問題(1)に対して流出成分を2つに分離できるようにし,基底流出タンクでは一定濃度の濁水が流出するとした.問題(2)に対して雨滴による土粒子の分散機構を加えた.問題(3)に対して直接流出タンク内における土砂の貯留量を考え,タンク内における浮遊土粒子の量を調節する機構を設けた.そして,降水量から算出された流量を用い,土砂流出過程に適用した結果,適用期間を通して浮遊土砂濃度の経時変化をほぼ正確に再現できることを確認した.

集中型概念的モデルはモデルの構造上,圃場における土壌侵食や流域内における土砂動態を把握することはできない.また,集中型概念的モデルでは同定すべきパラメータを有し,そのパラメータを定量化するためには多くの観測データを有する.そこで,分布型物理的モデルの構築を行った.圃場における土壌侵食過程のモデル化に際して,圃場における作物の生長や土壌の変動はWEPPにおける機構およびパラメータを用いた.沖縄地方への適用のための特徴的な機構として,圃場において生産される土砂の粒径組成を考慮することによって,微細粒子まで含めた土砂流出を表現した.また,生産された土砂の運搬過程では,粒子法を用いて土砂流出量の経時変化まで表現可能なモデルとした.また,水路および沈砂池における土砂流出過程を,現段階では単純ではあるがモデル化し,流域スケールまで拡張可能なモデルとした.

圃場における土壌侵食過程の計算の結果,誤差の比較的大きい部分があったが,本研究の目的に即した土壌侵食特性の表現が可能となった.一方,観測を行った沈砂池に対して,構築したモデルを適用した結果,沈砂池の構造的特徴が比較的単純な沈砂池では,土砂動態がほぼ正確に把握できることがわかった.しかしながら,植生などを有する比較的複雑な沈砂池では,流出土砂量を過大評価する傾向にあり,改良の必要性があることがわかった.

これらの圃場,水路,そして沈砂池の機構を組み合わせることによって,流域スケールの分布型物理的モデルとして適用が可能となり,沖縄地方における赤土流出予測解析のための有力な手法となり得る.

審査要旨 要旨を表示する

沖縄県では,農地開発など復帰後の経済発展に伴う開発諸行為に起因する赤土問題、すなわち、土壌資源の流亡、サンゴ礁への甚大な影響など、沖縄地方の生存基盤や自然生態を破壊する問題が深刻化している。サトウキビなどを中心とする営農地域を対象とした赤土流出を抑制するためには,圃場レベルから集水域までの土砂の侵食,運搬,堆積の実態の把握,予測、赤土流出の防止対策について検討する必要がある。しかし、農地における侵食とそれを含む集水域での土砂流出を同時にとらえた観測事例は非常に少なく、問題の大きさに鑑みて、実態把握が急務となっている。代表的な土壌流出予測モデルとして、米国でプロジェクト的に開発されたUSLE (Universal Soil Loss Equation)およびWEPP (Water Erosion Prediction Project)が、我が国では部分的に適用されるか、いまだ適用されず、その評価は全く確立していない。従って、既往の2つのモデルを赤土流出の解析に適用し、モデルの評価を行った上で、予測モデルの新たな発展を試みることが重要な課題である。

以下、各章の内容を概括する。

第1章では、序論を述べ、既往の研究をレビュー、目的、論文の構成を記載した。

第2章では、(1) 沖縄県恩納村の圃場での土壌浸食量、作物の生長、営農管理などの長期に渡る観測・調査、ならびに、梅雨期における複数の集水域における土壌浸食・運搬・堆積量の同時多点観測により、農業流域での土砂の動態をシステム的に把握した。(2)観測時間を可能な限り短くとり取得した精度良いデータの解析から、赤土流出のメカニズムに関わる本質と防止対策に関わる重要な知見を実証的に得た。

圃場における侵食について・圃場における侵食量は,被覆率が大きくなるほど侵食量は減少する。サトウキビの株出し栽培の方が春植え栽培よりも侵食量は小さかった。 ・耕起に伴い侵食量は大きく増大した。 ・流出した土砂は、雨滴侵食の割合が大きく,流水による土粒子の剥離の割合は小さい。

流域内における土砂流出について・約2年間の浮遊土砂流出量の長期連続観測から、流域内における作物の生長や土地利用の変化に伴って浮遊土砂流出量が変動する実態を捉えた。・沈砂池により,流出土砂量のピーク値の低下およびピーク部分の時間的遅れが確認した。 ・浮遊土砂流出量と流量の関係は、べき乗の関数 (LQ式) で回帰可能である。・沈砂池における堆砂は、沈砂池および降雨イベントによって堆砂量や堆砂率が異なる。低下率は,小規模の沈砂池の方が大きかった。・各集水域における浮遊土砂流出量は、土地利用,流下途中の沈砂池の構造およびその配置,そして降雨イベントによって異なる。

第3章では,取得したデータを用いて、最も適用頻度の高いUSLEおよび日本への適用が行われていないWEPPを圃場スケールでの土壌侵食および流域スケールでの土砂流出へ適用して、両モデルの長所、短所、問題点を明らかにした。

(1) 圃場における年間侵食量の算定モデルであるUSLEを降雨イベント単位での適用を試みた結果,耕起直後を除いた大部分の降雨イベントにおいて,解析結果は観測された侵食量と非常に高い適合性が確認できたが、耕起による土壌の攪乱は反映しえなかった。USLEは流域では適用できない。

(2) WEPPを圃場へ適用した結果,全般的に侵食量の適合性が高いこと、大きな降水量が長く継続する場合に侵食量を過大評価することから、降雨-流出過程のモデル化に問題がある。また、WEPPは、集水流域毎に観測値と比較した結果,計算値は概ね一致しが、沈砂池における堆砂量の精度は低かった.日単位の解像度の解析が限界である。

降雨後、10分程度のスケールで流量、土砂濃度のピークが生起する現象には、より小さな時間スケールで解析可能な時系列解析の物理モデルへの展開が不可欠である。

第4章では,第2、3章で得た知見をもとに、沖縄地方における赤土流出解析手法となり得る、浮遊土砂流出モデル(集中定数型モデル)と侵食−土砂流出モデル(分布定数型モデル)を提案、解析を行った。

(1) 浮遊土砂流出モデル

流域での降雨・浮遊土砂流出過程を2段タンク(上段は、直接流出、下段は基底流出)で表現し、また、浮遊土砂濃度と流量をLQ式でモデル化し、上段にて雨滴による土粒子の分散機構・土砂の貯留量を組み込むむなどタンク内における浮遊土粒子の量を調節する機構を新たに設けて解析した結果,適用期間を通して浮遊土砂濃度の経時変化をほぼ正確に再現できることを確認した。

(2) 侵食−土砂流出モデル

本モデルは、3つの基本過程 (1) 圃場における土壌侵食過程 (2) 水路での土砂輸送過程

(3) 沈砂池における土砂の沈降・輸送過程を組み合わせることで、流域での降雨・流出・土壌浸食・流出を解析するものである。土壌侵食過程では、圃場における作物の生長や土壌の変動はWEPPでの機構とパラメータを使用、また、沖縄地方を対象に,圃場において生産される土砂の粒径組成を考慮することによって,微細粒子まで含めた土砂流出を表現した。土砂輸送過程は、kinematic waveモデルを使用,新たに粒子法を導入して土砂流出量の経時変化まで表現可能なモデルとした。沈砂池における土砂の沈降では、ストークスの関係を用いた。解析モデルを対象流域全体に適用した結果、圃場での土壌侵食過程では,誤差の比較的大きい部分があったが,土砂動態の経時変化を的確に表すことができた。

以上のように、本論文は、圃場から流域までの赤土流出の実態を系統的に初めて明らかにした、高い精度のデータを用いてUSLE、WEPPなど既存の代表的モデルを沖縄の土壌侵食解析に適用し、両モデルを評価し、さらに、数分単位で解析可能な土砂動態物理モデルを新たに提案するなど、学術応用上寄与するところが大きい。よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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