学位論文要旨



No 119181
著者(漢字) 相見,光
著者(英字)
著者(カナ) アイミ,ヒカル
標題(和) MWL 抽出残渣から得た水溶性多糖類に含まれる小断片リグニンの構造
標題(洋) Structural characteristics of small lignin fragments retained in water Soluble polysaccharides extracted from MWL isolation residue
報告番号 119181
報告番号 甲19181
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2732号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物材料科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 飯塚,尭介
 東京大学 教授 飯山,賢治
 東京大学 教授 谷田貝,光克
 東京大学 助教授 空閑,重則
 東京大学 助教授 松本,雄二
内容要旨 要旨を表示する

緒言

これまでにLignin-Carbohydrate Linkages (以下L-C結合)の存在、性質等に関する多くの検討がなされている。L-C結合は木材からのリグニンの分離を妨げている大きな要因の1つであると考えられており、このことが木材から高収率かつ未変質でのリグニンの単離を難しくし、また木材のパルプ化において、パルプ残存リグニンが存在する原因にもなっていると考えられている。これらのことより、L-C結合の性状を理解することは非常に重要である。リグニン−多糖類間の結合様式については未だ確定的な情報は得られていないものの数多くの研究がある。またLignin-Carbohydrate Complexes (LCC)としてリグニンの近傍に存在する多糖類の構造についても知見が多数得られている。しかし逆に、LCCとして多糖類の近傍に存在するリグニンが、どのような構造的特性を有したリグニンなのか、という点については、ほとんど知見が得られていない。多糖類サイドの知見が多く得られているのは、多糖類分解酵素の存在、または糖を特異的な位置で切断できる試薬の存在(過ヨウ素酸等)が考えられる。特に多糖類分解酵素を用いることにより、L-C結合近傍に存在する糖残基を試料中に濃縮することが可能であり、それらの性状を調べることにより、L-C結合近傍に存在する糖に関する知見を得ることが可能である。一方リグニンについては、そのような特異的な分解を可能にする酵素は知られていない。また選択的に分解(脱リグニン)できる試薬等も知られてはいるが、リグニン化学構造の不安定さから、元の構造の情報を十分に保持しているものはほとんど無いと考えられる。

このようにリグニンに関しては、分解反応等によりL-C結合近傍に存在するリグニン部分の濃縮、分析といった最も有用と考えられる手法が使用できない。このことがL-C結合近傍に存在するリグニン部分に関する情報が不足している大きな原因の1つであると考えられる。

本論文ではL-C結合近傍に存在するリグニン部分の性状を明らかにする目的で、‘多糖に伴って抽出される小断片リグニン'に焦点を当てて研究を行った。このようなリグニン部分は、多糖との何らかの相互作用(L-C結合を含む)を有している可能性が高いと考えられるうえ、もしL-C結合が存在しているとするならば、‘小断片リグニン'はL-C結合近傍に存在するリグニン部分であると考えられるからである。またこの‘小断片リグニン'が単離過程での何らかの切断等で生成したものでなく、元から存在していたものであるならば、 ‘リグニン生合成時の高分子化初期段階のリグニン'を代表する試料である可能性も期待できる。本研究の目的は、この‘多糖に伴って抽出される小断片リグニン'の性状を、他のリグニン区分との比較において解明することにある。

抽出溶媒の選定

木材試料から抽出される多糖類は常にリグニンを含んでいる。そのうち、‘小断片リグニン' を伴う多糖類を、できる限りリグニンの構造変化が少ない方法で抽出することを目的とした溶媒系の選定を、Bjorkman LCC抽出法と同様にMWL抽出後の磨砕木粉を対象として行った。Bjorkman LCCは、MWLを抽出した残渣をさらにDMF、DMSOなどの溶媒で抽出することにより得られる画分であり、MWLの良溶媒を用いた精製を行ってもそこからリグニンを分離出来ないことから、この画分中の糖とリグニンは何らかの結合を介して存在していると考えられる。またDMF、DMSO以外の溶媒系を用いてもこの画分の抽出が可能であることから、抽出に用いる溶媒系を選択することにより、その溶媒系固有の性質を持った画分が得られる可能性が高いと考えられる。

種々の溶媒系を用い、24時間、室温または60℃にてスギMWL抽出残渣の抽出を行い、ろ過後に抽出液中のリグニン量、および各中性糖の定量を行った。その結果、用いた溶媒系の多くでは、抽出された糖のリグニンに対する量比がほとんど1であったにもかかわらず、水抽出の場合のみ極めて糖の量比が高かった。またその量比は60℃の時に比較して室温で抽出した場合の方が高かった。MWLを抽出した後であるにもかかわらず水抽出されるリグニン部分は、糖と何らかの相互作用を有しているために水可溶となっている可能性が高いと考えられた。

水抽出画分に含まれるリグニンの定性

水抽出画分に含まれるリグニンの更なる定性を行う目的で、スギとマカンバの両MWL抽出残渣より水抽出画分を調製した。これらの画分のリグニン含有率はそれぞれ5.3%と8.5%であり、極めてリグニン含有率が低い画分であった。これらの画分中のリグニンが糖に伴って抽出されるのはなぜか、またその分子量は小さいのか大きいのかという点を明らかにする目的で、これらの画分の多糖類分解酵素処理を行い、ゲルろ過法を用いて処理前後の糖とリグニンの分子量分布変化を調べた。その結果、多糖類分解酵素処理前では、大部分のリグニンは糖と同じ位置にピークを示した。しかし処理後には、多糖の分解・低分子化に伴い、リグニンも大幅に低分子領域に移行していく様子が確認された。またスギ水抽出画分の温和なアルカリ処理では、処理後に糖の分子量分布はほとんど変化しなかったにもかかわらず、リグニンは大幅に低分子領域に移行していく様子が確認された。これらの結果より、両樹種から得られた水抽出画分に含まれるリグニンは、糖と何らかの相互作用を有しているといえる。また、酵素処理後にリグニンが大幅に低分子領域に移行していくことが確認されたことは、リグニン自体の分子量は比較的小さいことを示している。これらの結果より、両樹種より得られた水抽出画分に含まれるリグニンは、多糖長鎖に化学結合などを介して結合したリグニン小断片であることが強く示唆された。

水抽出画分に含まれるリグニンの構造解析を目的として、アルカリ性ニトロベンゼン酸化とオゾン酸化分解を行った。アルカリ性ニトロベンゼン酸化の結果には、スギの場合、水抽出画分、MWL、LCC抽出溶媒で同様に抽出された画分、およびその残渣との間で特に大きな違いは見られなかった。しかし、マカンバの場合、水抽出画分のS/V比は他の画分に比べ極めて高い値が得られた。このことは、マカンバ水抽出画分中の非縮合型リグニンは、シリンギル核に富むことを示している。またオゾン酸化分解の結果、両樹種とも水抽出画分では、β位にC-アリール結合を有するリグニン構造(β-5、β-1構造)由来の生成物が他の画分よりも多く得られ、同時にこの生成物の立体構造比(threo/erytho比)は極めて高いことがわかった。これはC-アリール結合としては、threo型のものが多いことを示している。C-アリール結合のうちβ-5構造はtrans(erythro)型のみ存在することが知られているので、これらの結果は両樹種より得られた水抽出画分に含まれる小断片リグニンは、他の画分に含まれるリグニンとは異なって、β-1構造に富むことを示している。

多糖と相互作用を有する小断片リグニンとendwise type lignin

先の結果より、本研究で得られた両樹種の水抽出画分は、多糖と相互作用を有する小断片リグニンを含んでおり、またそのリグニンはMWL等と比較してβ-1構造に富むことが示唆された。このことをさらに確認するために、β-1構造とともに生成すると考えられているグリセルアルデヒド-2-アリールエーテル型構造についてオゾン分解法を用いて定量を行った。この構造は、リグニン前駆体のβ位と1位のラジカルカップリングにより、β-1構造と共に生成するdetached side-chain構造の代表的なものであり、両構造ともにendwise type ligninの特徴であると考えられているので、リグニン構造の全体的な特徴づけを行うための重要な指標となると考えた。定量の結果、他の画分に比べて多量のグリセルアルデヒド-2-アリールエーテル型構造が、両樹種の水抽出画分リグニンに含まれている事が確認された。水抽出画分中のリグニンがβ-1構造に富むと推定されたこととあわせると、L-C結合近傍のリグニンがendwise type ligninの特徴を有していることが示された。なお、これらの結果はβ-1構造とグリセルアルデヒド-2-アリールエーテル型構造が同時に生成するという考え方を裏づけるものであり、また、生成後は両構造が互いに近傍に存在していることを示している。

L-C結合の生成機構としては、低分子モデル化合物を用いた実験より、β-O-4型キノンメチドへの糖水酸基の付加反応が提案されている。endwise type ligninはβ-O-4構造に富むと考えられているので、このような機構によるL-C結合を生成する機会が多いことになる。本研究においてL-C結合近傍のリグニンが、endwise type ligninの特徴を有していることが示されたことは、このような考え方に合致するものである。

審査要旨 要旨を表示する

リグニン−多糖間の結合(以下L−C結合)の存在やその性質等に関しては、これまでにも多くの検討がなされており、この結合の存在が木材からのリグニンの分離を妨げている大きな要因の1つであり、木材から高収率かつ未変質でリグニンを単離することが困難であることの理由でもあると考えられている。これらのことより、L−C結合の性状を理解することは非常に重要である。

L−C結合の結合様式および結合の近傍に存在すると考えられる多糖類の構造については、未だ確定的なものではないものの多数の知見が得られている。しかし、L−C結合の近傍に存在するリグニンが、どのような構造的特性を有しているかについては、ほとんど知見が得られていない。多糖類側の知見が多く得られていることには、多糖類分解酵素処理によりL−C結合近傍に存在する糖残基を試料中に濃縮することが可能であることが大きく貢献しているといえる。

本論文ではL-C結合近傍に存在するリグニン部分の性状を明らかにする目的で、磨砕木粉から多糖に伴って抽出される小断片リグニンに焦点を当て、その性状について検討を行った。このような小断片リグニンを可能な限り未変化の状態で抽出・単離するために、Bjorkman LCC抽出溶媒を中心に各種溶媒系について検討を行った結果、リグニンに対する多糖量比が最も高く、特徴的な画分が得られる60℃での水抽出によることとした。

スギおよびマカンバの磨砕リグニン(MWL)抽出残渣から、水抽出画分としてリグニンをそれぞれ5.3%および8.5%含有する画分が得られた。これらの画分を多糖類分解酵素処理した後、ゲルろ過法を用いて処理前後の多糖とリグニンの分子量分布変化を調べた。その結果、多糖類分解酵素処理の前および後のいずれにおいても、大部分のリグニンが多糖とともに挙動したことから、両者の間には化学結合あるいは何らかの安定な相互作用が存在すること、および抽出画分中のリグニンが小断片であると考えられることが明らかとなった。

このようなリグニン小断片の化学構造的特性を、アルカリ性ニトロベンゼン酸およびオゾン酸化分解によって検討した。アルカリ性ニトロベンゼン酸化の結果、スギの場合には他のリグニン画分との間で特に大きな相違は見られなかった。しかし、マカンバの場合には、他の画分に比べ極めて高いシリンガアルデヒド/バニリン比(S/V比)が得られたことから、マカンバ水抽出画分中の非縮合型リグニンは、シリンギル核に富むことが明らかとなった。また、オゾン酸化分解の結果、両樹種の水抽出画分ともに、リグニン側鎖β位にC-アリール結合を有する構造(β-5、β-1構造)由来の生成物が他の画分よりも多く、その立体構造比(threo/erytho比)が極めて高いことがわかった。これらの結果は両樹種より得られた水抽出画分に含まれる小断片リグニン中のC-アリール結合がthreo型のものが多いこと、さらにC-アリール結合のうちβ-5構造はtrans(erythro)型のみ存在することが知られていることを考えるならば、他の画分に含まれるリグニンとは異なって、β-1構造に富むことを示している。

次いで、リグニン生合成過程において、β-1構造とともに生成すると考えられるグリセルアルデヒド-2-アリールエーテル型構造の存在量についてオゾン分解法を用いて検討した。その結果、グリセルアルデヒド-2-アリールエーテル型構造についても、他の画分に比べ両樹種の水抽出画分に多量に含まれていることが確認された。β-1構造とグリセルアルデヒド-2-アリールエーテル型構造は、ともにβ-O-4構造に富むエンドワイズ・リグニンに特徴的であると考えられており、以上の結果はL-C結合近傍のリグニンがエンドワイズ・リグニンの特徴を有していることを示している。

以上、本研究はリグニン−多糖間結合近傍のリグニンの化学構造上の特徴について明らかにしたもので、木材化学の基礎および応用上極めて有用であり、審査委員一同は申請者が博士(農学)に相当すると判断した。

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