学位論文要旨



No 119187
著者(漢字) 田岡,洋
著者(英字)
著者(カナ) タオカ,ヒロシ
標題(和) 分裂酵母転写因子 Pap1 の Crm1 による核外輸送機構とその酸化ストレス応答性に関する研究
標題(洋)
報告番号 119187
報告番号 甲19187
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2738号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 教授 西山,真
 東京大学 客員教授 吉田,稔
 東京大学 助教授 中島,春紫
内容要旨 要旨を表示する

真核生物では遺伝情報を保持するDNAが核膜によって細胞質と隔てられており、核と細胞質の間を移動する物質は核膜孔を通過しなければならない。この物質輸送機構は遺伝情報の発現の根幹に関わる非常に重要なステップであるが、分子量が約40 kDa以上の物質は核膜孔を自由拡散することが出来ず、能動的な輸送機構を必要とする。既知の能動的な核細胞質間輸送のほとんどはRanと呼ばれる低分子量G蛋白質に依存しており、その典型的なものとして、塩基性残基に富む核移行シグナル(nuclear localization signal; NLS)を持つ蛋白質がimportin α/β二量体によって核内に輸送される機構と、疎水性残基に富む核外移行シグナル(nuclear export signal; NES)含有蛋白質をCrm1が核外に排出する機構などが知られている。近年、遺伝情報の発現を制御するシグナル伝達因子や転写因子などの機能が核細胞質間輸送によって制御される例が発見されはじめており、このような蛋白質の機能を解析する上で、その細胞内局在および核細胞質間輸送との関連を検討することは必須であると考えられるようになってきている。

他方、酸素呼吸を行う生物において、酸素分子を還元する過程で生じる活性酸素種などの酸化ストレスからいかに生体を防御するかは、生命を維持する上で重要な課題である。これらに対処する抗酸化酵素は通常発現量が比較的抑制されており、酸化ストレスが生じたときに転写が誘導されるなどにより発現量が増大することが知られている。しかし、酸化ストレスのシグナルを伝達する経路や転写因子などは比較的解析されているものの、酸化ストレスの感知機構に関してはまだあまりよく分かっていない。

我々の研究室で放線菌より発見された抗生物質であるレプトマイシンB(LMB)は、分裂酵母およびヒトCrm1の機能を阻害することが示されていたが、その後NES依存的核外移行を特異的に阻害する物質として再発見され、我々を含む複数のグループによりLMBの標的分子Crm1がNES受容体であることが明らかにされていた。蛋白質の核移行及び核外移行による細胞内局在の制御機構は多種多様であると予想されるが、その詳細は未だに明らかになっていないものが多い。本研究はこれらの細胞内局在の制御機構の一端を明らかにすべく、分裂酵母AP-1様転写因子Pap1について解析を行ったものである。

Pap1には酸化ストレス応答性の核外移行シグナルが存在する

分裂酵母pap1+遺伝子は、マルチコピーで薬剤耐性を付与する遺伝子として京大の柳田らによって単離された。出芽酵母転写因子Yap1とは、動物細胞のAP-1サイトと結合可能なN末領域のbZip領域、C末領域のcysteine-rich domain(CRD)と呼ばれる領域に相同性が認められる。Pap1はCrm1によってその転写活性化能が負の制御を受けることが知られていたが、Crm1がNES受容体であるということ、Yap1 CRDがその細胞質局在に重要であると報告されたことから、Pap1分子内にCrm1によって認識されるNESが存在すると予想し解析を行った。

分裂酵母においてPap1とGFPの融合蛋白質を発現させ細胞内局在を観察したところ、細胞質に局在し、LMBの添加によって速やかに核に移行することを見出した。Pap1のCRDを欠失させGFPと融合したものは核に局在し、CRDのみをGST-GFPと融合したものは細胞質に局在したことから、CRD内にNESが存在することが示唆された。そこでこのGST-GFP-Pap1 CRDを大腸菌で発現させ精製し、HeLa細胞の核に微量注入したところ、細胞質への移行が観察され、この領域に動物細胞でも機能するNESが存在することが明らかになった。Pap1によって転写制御を受ける遺伝子としてapt1+が知られているが、この遺伝子産物p25の発現を観察したところ、Pap1を発現させLMB処理したものやPap1 DCRDを発現させたものなどPap1が核に局在する条件ではp25の発現増加が認められた。さらにNESとして機能する最小領域として19アミノ酸領域を決定し、Pap1 NESの必須アミノ酸残基を同定したところ、これまで知られていたNESと異なり、疎水性アミノ酸に加えてシステインが必要な新規なものであることが判明した。Pap1はストレス応答性の転写因子であることから、様々なストレス条件下で細胞内局在の変化を観察したところ、酸化ストレス剤の一種であるマレイン酸ジエチル(diethyl maleate; DEM)の添加によりPap1の核移行が観察された。この応答はNES領域のみでも認められ、Pap1 NESは酸化ストレスに応答するユニークなものであることが明らかになった。

Pap1の酸化ストレス応答機構は少なくとも2種類存在する

酸化ストレスを与える化合物としてよく知られているものに過酸化水素があるが、Yap1において過酸化水素に応答する機構が明らかにされ、NES近傍のシステイン残基とN末側のシステイン残基が過酸化水素処理によりジスルフィド結合を形成することが示された。Pap1においてこれら2つのシステイン残基は保存されているが、DEM応答に必要なPap1 NESには含まれないため、Pap1において過酸化水素とDEMそれぞれに対する応答機構を詳細に検討した。

過酸化水素とDEMをそれぞれ処理したときの各種GFP融合蛋白質の局在を観察したところ、Pap1全長は両者に応答して核に蓄積したが、GST-NLS-GFP-Pap1 NESはDEMには応答したものの過酸化水素には応答せず、Pap1 NESは過酸化水素応答には不十分であることが示された。また、ストレス応答性MAPキナーゼであるSpc1/Sty1の遺伝子破壊株ではPap1が過酸化水素に応答しないことが知られていたが、この破壊株でもDEMに応答したPap1の核への局在変化およびPap1依存的転写活性化が観察された。過酸化水素応答にはYap1と保存されたシステイン残基が必要であり、Yap1と同様にジスルフィド結合が形成される可能性が示唆されたが、このシステインに変異を導入したPap1でもDEMには応答することから、Pap1の酸化ストレス応答機構は過酸化水素とDEMで異なることが示唆された。

DEMは還元型グルタチオン(GSH)と結合しその細胞内濃度を低下させることにより細胞に酸化ストレスを誘導すると考えられているが、GSH合成酵素の変異株であるMN55株においてもPap1の細胞内局在およびDEM応答は野生株と変わらず、DEMの作用機構がGSH濃度の低下によらない直接的な酸化ストレス誘導であることが示唆された。DEMの分子構造より、マイケル付加反応における電子受容体としてシステイン残基のSH基との反応性を持つ可能性が考えられたため、Pap1 NESペプチドとDEMを反応させたところ、マイケル付加反応によりDEMと共有結合したペプチドの分子量をもつピークが検出された。さらにN-ethylmaleimideなど他のマイケル受容体となる化合物でもDEMと同様にPap1 NESの失活を誘導したことから、Pap1の酸化ストレス応答機構は過酸化水素によるジスルフィド結合の形成と、DEMなどマイケル受容体によるPap1 NES内のシステイン残基への共有結合によるNESの失活という、少なくとも2種類の機構が存在することが明らかとなった。

Crm1の中央で保存された領域はNESを認識する領域である

我々の研究室ではLMBがCrm1の機能を阻害することを明らかにしたが、その後LMBによるCrm1の阻害機構について解析を進め、LMBが分裂酵母Crm1の529番目のシステイン残基とマイケル付加反応による共有結合を形成し、その結果Crm1の機能が阻害されることを明らかにした。このシステイン残基がセリンに変異したcrm1-K1を発現する変異株はLMBにまったく感受性を示さない。この株の解析を進めた結果、HIVウイルスRev蛋白質が持つ典型的なNESの核外輸送は正常だが、Pap1 NESの輸送能が低下していることを見出した。1アミノ酸のみの置換により核外輸送の特異性が変化することから、この残基周辺の種間で高度に保存された領域がNES認識に関与していると予想し、この領域をcentral conserved region(CCR)と命名し解析を行った。

CCRにさまざまな点変異を導入し、まずLMB感受性を検討したところ、予想通りさまざまな変化を見せ、Cys529以外の周辺の残基もLMB感受性に関与していることが示唆された。次に各種GFPレポーター蛋白質を発現させCCR変異型Crm1のNES輸送能を検討したところ、Cys529をアラニンやスレオニンに置換した株ではPap1 NESの輸送能が低下しており、Pap1 NESのシステインのみならずCrm1のシステイン残基もPap1 NESの輸送に必須であることが明らかとなった。また保存された疎水性残基をアラニンに置換したものではPap1 NESのみならずRev NESの輸送能も低下しており、これらの残基が疎水性NESを認識している可能性が考えられた。しかし、Crm1のN末領域によって認識されると考えられるRan結合蛋白質Sbp1の輸送は、いずれのCCR変異型Crm1も野生型Crm1との違いは認められなかった。以上より、CCRがPap1 NESのみならず一般的な疎水性NESを認識している可能性が強く示唆された。

まとめ

本研究ではPap1の細胞内局在およびその制御機構について解析を行い、Pap1に酸化ストレス応答性のNESが存在することを発見した。さらにその応答機構について詳細に検討した結果、Pap1が少なくとも2種類の酸化ストレスに対し、異なる機構で応答することを見出した。さらにPap1 NESのCrm1による認識機構について解析を行い、Crm1の中央領域CCRがPap1のみならず一般のNESを認識する領域であることを示唆する結果を得た。

出芽酵母Yap1はPap1とよく似た機構で細胞内局在が制御されていることが知られているが、いくつかの点で異なっている。特にPap1 NESの輸送に必須である分裂酵母Crm1のCys529に対応する残基は出芽酵母ではスレオニンであり、出芽酵母でPap1を発現させても、分裂酵母でYap1を発現させてもいずれも核外移行できない。本研究では分裂酵母Crm1がPap1 NESを認識するためにシステイン同士の相互作用を介した独自の分子機構をもつ可能性を示した。

審査要旨 要旨を表示する

真核生物の核は核膜によって細胞質と隔てられており、核と細胞質間を移動する物質の多くは能動的な輸送システムにより核膜孔を通過する。その典型的な輸送システムとして核移行シグナル(NLS)依存的な核内輸送と核外移行シグナル(NES)依存的な核外輸送が挙げられる。申請者が所属する研究室で発見されたレプトマイシンB(LMB)は、分裂酵母およびヒトのCrm1の機能を阻害することが示されていたが、最近Crm1の機能がNES受容体であることが明らかになった。核移行及び核外移行を受ける蛋白質には様々な因子が存在し、これらの細胞内局在の制御機構は多種多様であると予想されるが、その詳細は未だに明らかになっていないものが多い。本論文では分裂酵母AP-1様転写因子Pap1の細胞内局在制御機構について述べたものである。

分裂酵母Pap1はCrm1によって負の制御を受けることが知られていた転写因子である。Pap1の細胞内局在を観察するためPap1とGFPの融合蛋白質を発現させたところ細胞質に局在し、LMBの添加によって速やかに核に蓄積した。Pap1のC末端領域を欠失させたものは核に局在し、C末端領域のみは細胞質に局在したことから、C末端領域にNESが存在することが示された。NESとして機能する最小領域を決定しPap1 NESの必須アミノ酸残基を同定したところ、これまで知られていたNESと異なり、疎水性アミノ酸に加えてシステインが必要なユニークなものであった。Pap1は酸化ストレスに応答した転写活性化を誘導し、さらに酸化ストレスの一種であるマレイン酸ジエチル(DEM)を添加するとPap1の核蓄積が観察された。DEMに対する応答はPap1 NESのみでも十分であった。これらの結果から、Pap1は酸化ストレス応答性のNESを持ち、Crm1によって細胞質に輸送されることで転写因子としての機能を抑制され、酸化ストレスに応答して核に蓄積し転写を活性化するという制御機構が明らかとなった。

Pap1の酸化ストレス応答機構を解明するため、DEMと過酸化水素に対する応答機構を検討したところ、DEMに対する応答はPap1 NESのみで十分なのに対し、過酸化水素に対する応答にはPap1全長を必要とした。ストレス応答性MAPキナーゼSpc1/Sty1の遺伝子破壊株では過酸化水素に対する応答は起こらないが、この株でもDEMには応答したことから、DEMと過酸化水素に対するPap1の応答機構は異なることが示唆された。DEMは細胞内の還元型グルタチオン(GSH)濃度を低下させ酸化ストレスを誘導すると考えられるが、GSH合成酵素変異株での解析からDEMの作用はGSHを介さずより直接的であることが示唆された。そこでPap1 NESとDEMをin vitroで反応させたところ両者は共有結合した。DEMはシステイン残基と反応性を持ち、Pap1 NESには活性に重要なシステイン残基が存在することから、Pap1 NESはDEMの様にシステイン残基と反応性を持つ親電子性物質に対するセンサーとして機能している可能性が考えられた。

Crm1のCys529Ser変異株はLMBに対して完全に耐性となるが、Pap1依存的な遺伝子発現が構成的に活性化していた。そこで各種NESの輸送活性を検討したところ、典型的な疎水性NESの輸送は正常であるのに対しPap1 NESの輸送活性が特異的に低下していた。Cys529の周辺領域は種間で高度に保存されており、これをcentral conserved region(CCR)と命名し、この領域に各種点変異を導入した株を15株構築した。これらCCR変異株ではLMB感受性が様々に変化したほか、疎水性残基の置換により疎水性NESの輸送活性の低下が見られた。しかしCCR領域に依存せずにCrm1依存的に輸送されると考えられるSbp1はCCR変異株でも輸送活性に影響は見られず、この領域の疎水性残基が疎水性NESを認識していると考えられた。Crm1 Cys529Ser変異株ではPap1を輸送できないが、Cys529Ala変異株ではPap1を輸送することができた。しかしこの株でもシステイン変異型Pap1を輸送できないことから、Pap1の核外輸送にはPap1分子内だけでなく、Pap1とCrm1の間の分子間にシステイン同士の相互作用が存在する可能性が示唆された。

本研究では分裂酵母転写因子Pap1に酸化ストレス応答性のNESが存在することを明らかにし、さらにその応答機構について明らかにしている。またCrm1によるPap1や一般のNESの認識機構についても解析している。本研究は、核細胞質間物質輸送の制御機構の一つとして、酸化ストレス応答という生物にとって非常に重要な分子機構が関与することを明らかにしており、この分野に新知見をもたらした研究として意義がある。よって審査委員一同は、本論文が、博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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