学位論文要旨



No 119188
著者(漢字) 高山,敏充
著者(英字)
著者(カナ) タカヤマ,トシミツ
標題(和) De novo タンパク質合成系におけるD-アミノ酸の取り込みの研究
標題(洋)
報告番号 119188
報告番号 甲19188
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2739号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 上田,卓也
 東京大学 助教授 足立,博之
 東京大学 助教授 日高,真誠
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

生物学においてタンパク質はL-アミノ酸のみで構成されるのが常識である。しかし近年、D-アミノ酸を含んだタンパク質の存在を示す報告が増えている。その生成を説明するモデルとして、翻訳反応後に非酵素的あるいは酵素的に、L-アミノ酸からD-アミノ酸に異性化が起こるとされている。非酵素的異性化は、代謝回転されない歯や目などのタンパク質中のAsp残基で多くみられ、加齢と共にD-アミノ酸の比率が高くなる傾向がある。これはAsp側鎖が主鎖と反応して五員環を生じ、これを中間体とした異性化反応が原因だとされている。一方酵素的異性化の例としては、特定のセリン残基が特異的なイソメラーゼでD-アミノ酸に変換される、クモ毒のω-アガトキシン-TKなどが知られている。

しかし可溶性タンパク質画分中の結合型D-アミノ酸は、動物、植物、真性細菌、古細菌を含む広い生物において検出されており、アミノ酸によっては数パーセント以上になる例もある。非酵素的異性化は長い年月を要するので、世代の短い微生物には当てはまらない。また酵素的異性化で説明するには、それら全てに対応する膨大な数のイソメラーゼの存在を想定する必要がある。従って上記のモデルだけでこの現象を説明するのは困難であるので、私は全ての生物に普遍的な現象であるタンパク質合成反応の過程で、D-アミノ酸が直接取り込まれている可能性を考えた。

本研究では、大腸菌を用いてD-アミノ酸がde novoでタンパク質合成中に取り込まれる現象を検証した。まずタンパク質合成の最初期段階であるtRNAのアミノアシル化が、D-アミノ酸を基質として起こりうるかを調べた。続いてtRNAと結合したD-アミノ酸が、リボソーム依存的にペプチドへ取り込まれるかを評価した。また翻訳終結段階として、解離因子によるペプチドのtRNAからの解離反応が、D-アミノ酸でどう影響されるかを調べた。更にD-アミノ酸添加の培養条件下で大腸菌に生産させたタンパク質を精製し、その中にD-アミノ酸が含まれるかどうかを調べた。

D-アミノ酸とtRNAとの結合

D-Tyr, D-Trp, D-Aspは、各アミノアシルtRNA合成酵素によってtRNAと結合することが過去に報告されている。本研究では、大腸菌から調製したtRNA画分と精製した各合成酵素を用いて、L-アミノ酸およびD-アミノ酸をアミノアシル化する反応を行った。これを酸性ゲルで電気泳動し、各tRNAに対するプローブを用いたノザン解析で、アミノアシル化による泳動度の違いを検出した。グリシンを除く全てのL-アミノ酸およびD-アミノ酸について調べたところ、新たにD-His, D-Lysでアミノアシル化反応が進行することを確認した。なお既報のD-Tyr, D-Aspのアミノアシル化反応は確認できたが、D-Trpでは確認できなかった。なお、今回は全てのアミノ酸を通じて同じ反応条件で調べたが、アミノアシル化が確認されなかった他のD-アミノ酸でも今後詳細な条件検討および検出法の改善により、新たにアミノアシル化が確認される可能性は十分にある。

in vitro タンパク質合成系を用いたペプチド中へのD-アミノ酸の取り込み

次いでリボソームによるペプチド転位反応に焦点を絞ってD-アミノ酸の取り込みを調べた。In vitroで転写・精製したtRNAにあらかじめアミノ酸を酵素的に結合させたあとin vitroタンパク質合成中に加え、反応産物をHPLCで解析した。通常のin vitro蛋白質合成系では、ラセマーゼや、D-アミノ酸-tRNAを特異的に加水分解するデアシラーゼが含まれるので、D-アミノ酸の取り込みが結果的に抑制される可能性がある。そこで翻訳に必要なすべての要素を精製して再構築した、大腸菌由来の蛋白質合成系であるPURE Systemを用いた。

まず開始メチオニン(35S標識L-fMet)の次に、D-アミノ酸としてD-HisあるいはD-Tyrがペプチド転移反応で結合するどうかを調べた。ジペプチドをコードするRNAを鋳型としてD-His-tRNAあるいは D-Tyr-tRNAを添加して反応させ、産物を酸沈殿させると沈殿画分(peptidyl-tRNA)に放射活性が得られたが、これをアルカリ処理 (tRNAとの結合を切断) するとそれぞれfMet-D-His, fMet-D-Tyrが遊離して生成された。すなわちリボソーム上でL→Dのペプチド転移反応は起こるが、ジペプチジルtRNAの状態で留まっていると考えられた。上記の実験は解離因子としてRF1を用いているが、fMet-D-HisはRF2を添加しても同様にtRNAから解離しなかった。なおD-Tyr-tRNAとL-Tyr-tRNAの両方を添加すると、ほとんどfMet-L-Tyrのみが合成され、L-アミノ酸とD-アミノ酸が混在する時はL-アミノ酸が優先的に使用されることが示された。

トリペプチドをコードするRNAを鋳型とした反応では、産物を酸沈殿させると上清からfMet-D-His-L-Tyrを検出し、D→Lのペプチド転移反応が進行すること、およびtRNAからの解離も行われることを確認した。なおfMet-D-His-D-Tyrは本実験では確認できなかったので、D→Dの反応はD→Lより困難である可能性がある。また、アミノ酸の順番を変えたfMet-D-Tyr-L-Hisの十分な合成は現在のところ確認できていない。このことは、アミノ酸の種類とその配列によってD-の使われ易さに違いがあることを示唆する。

以上の結果からリボソーム上でのペプチド合成において、L-アミノ酸からD-アミノ酸、およびD-アミノ酸からL-アミノ酸へのペプチド転移反応はいずれも起こるが、解離因子依存のtRNAからの解離反応は、C末端にL-アミノ酸がある時は進むがD-アミノ酸がある時は進まない、という一般化が示唆された。

更にpeptidyl-tRNA hydrolase(PTH)の活性についても調べた。大腸菌は短いペプチド合成の際、一部をpeptidyl-tRNAのままリボソームからdrop-offすることが知られている。Drop-offしたままだとタンパク質合成に使用するtRNA量が減少するので、PTHはそれを回避するためにペプチドをtRNAから解離する。この欠損変異は致死となるのでPTHは生育に必須の機能だと考えられる。上記のfMet-His-Tyrの合成時に、リボソーム画分からdrop-offして生じたと思われるfMet-His-tRNAの性質を調べた。PTHを添加するとfMet-L-His-tRNAからペプチドは遊離されたが、fMet-D-His-tRNAからは遊離できなかった。従ってPTHはrelease factorと同様、C末端がD-アミノ酸のpeptidyl-tRNAを基質として認識しにくいと考えられた。

in vivoのタンパク質合成におけるD-アミノ酸の取り込みについて

以上から、タンパク質合成装置は条件さえ揃えばD-アミノ酸を取り込みうることがわかったが、これを根拠に、自然界のいろいろな由来のタンパク質画分に、結合型のD-アミノ酸が検出される事実を説明するのは、まだ飛躍がある。少なくとも特定のタンパク質分子中にD-アミノ酸が取り込まれる例を示す必要がある。しかしD-アミノ酸を含むタンパク質分子は、含まない分子に比較していか程かタンパク質化学的な性質が変化し、機能も損なわれていると考えられるので、通常の精製過程を用いればこれらを排除してしまう可能性がある。そこで、C末端にHisタグを導入したグルタチオン-S-トランスフェラーゼGST-His6をさまざまな培地で生育させた大腸菌で発現させ、これらをコバルトカラムで精製した画分のうち、グルタチオンカラムで回収される、すなわちグルタチオンに対する高い特異性を保った割合を比較した。その結果、D-アミノ酸を大量に含む合成培地で調製した標品の回収率が、L-アミノ酸からなる培地で得た標品に比べて有意な低下が見られ、前者がD-アミノ酸を分子に含む可能性が示唆された。

まとめ

L. M. Dedkovaらは最近、大腸菌由来のin vitroタンパク質合成系を用い、サプレッサーtRNAに化学的に結合させたD-アミノ酸をタンパク質に導入することに成功した。彼らはリボソームを変異させることでD-アミノ酸の取り込み率を改善したが、野生型のリボソームでも有意のD-アミノ酸が導入されたデータが示されている(2003)。

本研究では、今までの科学の常識に反し、アミノアシル化からペプチド転移、翻訳終結に至るタンパク質合成の全過程で、D-アミノ酸が基質として必ずしも排除されていないことを示唆した。またin vivoでも具体的なタンパク質分子中へのD-アミノ酸の取り込みを示唆することができた。これはL-アミノ酸しか使わないとされた生物の、精密機械のようなイメージの根本的修正を求めるものである。またD-アミノ酸の含有は当然タンパク質の機能構造を損なうので、それを排除する普遍的な品質管理システムの存在も期待される。その一方で、タンパク質分子の構造と機能に関して、20種のアミノ酸素材から39種の素材を使った分子デザインの可能性拡げる期待がもたれる。

審査要旨 要旨を表示する

生体を構成するアミノ酸はL型のみであるという考えは長い間の常識であった。しかし近年、生体素材にD-アミノ酸の存在を示す報告が相次いでおり、アミノ酸のキラリティーに関する考え方も変化しつつある。遊離型だけでなく結合型のD-アミノ酸も広く発見されているが、一般には、L型-アミノ酸のみでタンパク質が合成され、その一部の残基が例外的に翻訳後修飾でD型に変換されると考えられている。しかし、これだけでは結合型D-アミノ酸の普遍性を説明するには不十分であるとして、本論文では、翻訳過程でD-アミノ酸がタンパク質に直接取り込まれるという仮説を立て、それを検証しようとしている。

序章ではまず、生体中に見いだされる遊離型、結合型両方のD-アミノ酸の例を紹介し、生命現象とD-アミノ酸との関わりを述べている。続いて細菌や古細菌から動物、植物に至る幅広い生物素材で、D-アミノ酸が結合型として可溶性画分に相当量存在するという報告を取り上げ、タンパク質合成におけるD-アミノ酸の取り込みの可能性を検討する意義を述べている。

第一章ではタンパク質合成の初期段階であるtRNAのアミノアシル化反応について、D-アミノ酸がアミノアシルtRNA合成酵素の基質となりうるかどうかを調べている。グリシンを除く19種類のD-アミノ酸について検討し、すでに報告のあるD-AspとD-Tyrに加え、新たに少なくともD-HisとD-Lysでアミノアシル化反応が進行することを示した。これはD-アミノ酸がアミノアシル化過程では完全には排除されていないことを意味する。

第二章では前章の結果をふまえ、試験管内転写産物tRNAをD-アミノ酸によりアミノアシル化し、それをin vitroのタンパク質合成系の基質としてリボソーム依存的にD-アミノ酸がペプチドに取り込まれるかどうかを調べている。アルカリ処理後にformyl-L-Met-D-Hisと formyl-L-Met-D-Tyrが得られたことから、L型からD型へのペプチド転移反応が進行することを示している。これらの反応速度は、L型からL型への反応と比較して、formyl-L-Met-D-His では1/2、formyl-L-Met-D-Tyrでは1/5?1/10程度であった。続いてformyl-L-Met-D-His-L-Tyrの合成の確認して、D型からL型へのペプチド転移反応が進行することを示している。しかし同一条件でformyl-L-Met-D-His-D-Tyrは確認出来なかったことから、D型からD型への反応はD型からL型への反応より効率が低いことが示唆され、また、formyl-L-Met-D-Tyr-L-Hisの合成も確認できなかったことから、D-アミノ酸の取り込み効率はペプチド配列に依存することが示唆された。続いて解離因子によるペプチド解離反応について調べている。Formyl-L-Met-D-Hisとformyl-L-Met-D-TyrというジペプチドはtRNAからの解離効率が極めて低かったが、formyl-L-Met-D-His-L-Tyrというトリペプチドでは十分な解離が確認された。さらに、リボソームからdrop-offしたペプチジル-tRNAをペプチドとtRNAに解離させる、peptidyl-tRNA hydrolase (PTH)の活性について調べ、formyl-L-Met-L-His-tRNAではペプチドが解離されたがformyl-L-Met-D-His-tRNAでは解離されなかった。以上から、解離因子およびPTHによるtRNAからのペプチドの解離は、C末端がL-アミノ酸の時に進行するがD-アミノ酸の時は進まないことが示されている。

第三章では、生細胞中でのタンパク質合成でもD-アミノ酸が取り込まれるかどうかを検討している。D-アミノ酸混合物あるいはL-アミノ酸混合物を添加した最少培地で大腸菌を生育させ、そこから精製したglutathione S-transferase (GST)の特性を比較している。D-アミノ酸培地由来のGSTは、L-アミノ酸培地由来のGSTと比べてグルタチオン結合活性が劣っていることを示し、これをD-アミノ酸がGSTに取り込まれた結果であると解釈している。

第四章では、D-アミノ酸がタンパク質中に取り込まれる一般的可能性、およびD-アミノ酸が取り込まれた場合の生命現象について総合的に議論している。

以上本論文は、タンパク質合成に使われるのはL-アミノ酸だけであるという長い間の生物学の常識に果敢に挑戦して、その反証を挙げた研究であり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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