学位論文要旨



No 119191
著者(漢字) 崔,仁權
著者(英字)
著者(カナ) チョイ,インクワン
標題(和) タンパク質の核-細胞質間輸送に影響を与える新しい生理活性物質の探索と作用機構の解析
標題(洋)
報告番号 119191
報告番号 甲19191
学位授与日 2003.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2742号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 助教授 日高,真誠
 東京大学 客員教授 吉田,稔
内容要旨 要旨を表示する

真核細胞の核は核膜で囲まれて細胞質と区別され、双方向性に物質輸送が行われている。タンパク質の核-細胞質間の輸送は核膜に存在する核膜孔を介して行われ、細胞には核膜孔通過を能動的に、そして選択的に行わせる機構が備わっている。このような複雑な現象のうち、輸送シグナルとそれを認識して運ぶ輸送装置の分子的実体が明らかとなり、分子レベルでの作用機構が具体的に論じられるようになってきた。しかし、タンパク質核内輸送因子 (importin αや importin β) や核外輸送因子 (exportin) には多くの類縁体(パラログ)が存在し、それぞれ異なるタンパク質の輸送に関与すると考えられている。我々の研究室では、分裂酵母の形態伸長を引き起こす細胞周期阻害剤レプトマイシンB (LMB) が核外輸送因子CRM1による核外移行シグナル (NES) 依存的な核外輸送の特異的阻害剤であることを明らかにしてきた。しかし、LMB以外には核-細胞質間輸送因子の阻害剤は知られていない。そこで様々なタンパク質を指標にして、核-細胞質間の輸送を阻害する薬剤をスクリーニングすれば、これまで知られていない輸送経路の同定や、輸送機構の解明につながる可能性が高いと思われる。β-カテニンはもともと細胞間の接着に関与する細胞質性蛋白質として同定されたが、この蛋白質は様々な癌細胞において核内に蓄積していることが明らかにされているほか、従来知られている核移行経路とは異なる未知の経路で核移行することが示唆されている。β-カテニンの核内蓄積を抑制する生理活性物質を単離、同定することは様々な癌の治療薬の開発として重要であるばかりでなく、その輸送機構の研究にも有用であると考えられる。そこで、本論文ではβ-カテニンの核-細胞質間輸送の特異性に着目して、核-細胞質間の輸送を阻害する物質の単離を目的に、蛍光を指標にβ-カテニンの細胞内局在変化を見るスクリーニング系の構築と探索を行った。

スクリーニング系の構築

β-カテニンを細胞内で可視化できるようにN末端側にEGFPを融合させ、かつβ-カテニンを通常細胞質に留めておくためにC末端領域にHIVウイルス産物である Rev タンパク質の核外移行配列 (Rev NES) を融合したEGFP-β-カテニン-Rev NES を Tet-on expression ベクターに導入した。このプラスミドを安定に維持したCOS7細胞で誘導発現されたβ-カテニンはNESによる細胞質への保持が長いため細胞質に顆粒状の局在を示すが、LMB処理によってCRM1を阻害すると、β-カテニンは核内に局在した。この系を利用してLMB処理後の観察によりβ-カテニンの核内移行阻害物質を、さらにLMB処理前の観察によりLMB様のCRM1依存的な核外移行阻害物質の探索も併せて行った。

活性物質の単離・精製および構造解析

作用機構既知の75種類の標準薬剤および微生物代謝産物由来の合計12196サンプルについてスクリーニングをおこなった。既知標準化合物の中には目的の活性を有する物質は得られず、微生物代謝産物由来のサンプルから得られた活性に対しては細胞毒性、β-カテニン特異的核移行阻害、内在性のβ-カテニンの局在変化への影響を検査し候補株を選別した。

その中からβ-カテニンの核外移行およびCRM1依存的な核外移行を阻害する活性候補株としてFF8678株とFP112株を選択した。FF8678株の生産する活性物質を10Lの培養濾液から酢酸エチルで抽出後、シリカゲル、ODS, LH-20による各カラムクロマトグラフィーおよびODS-HPLCを用いて単離・精製し、精製物質のUVスペクトル、FAB-MS, および1H, 13C-NMRよりこれを既知物質である patulin と決定した。また、FF8678株の生産する活性物質については、5Lの培養濾液からブタノールで抽出後、シリカゲルカラム、ODS-HPLCを用い単離・精製し、UVスペクトル、FAB-MS, および1H, 13C-NMRより既知物質である terrein と決定した。一方、β-カテニンの核内移行を阻害する活性物質の生産候補株としてはFF8181株を選び、10Lの培養液の菌体からアセトン抽出し、減圧濃縮でアセトンを除いて酢酸エチルで3回抽出後、シリカゲルカラム、prep-TLC およびODS-HPLCを用い三つの活性物質を単離・精製した。UVスペクトル、FAB-MS, および1H, 13C-NMR、2DNMRよりこれらの化合物が drimane sesquiterpene esters であることが判明した。3つの化合物はいずれも既報であったが、RES-1149-2以外の二つの物質に関しては名前が付けられていないことから、ODS-HPLC上の展開時間の順序でFF8181-AとFF8181-Bと命名した。

patulin と terrein の作用機構に関する研究

patulin は mycotoxin として知られ、最近になって腸の上皮細胞間の接着を破壊する活性により細胞毒性を示すことが示唆された。一方、terrein はプロスタグランジンの中間体または類似体として知られ、細胞活性に関しては報告されていない。本スクリーニング系で patulin と terrein はβ-カテニンの核外移行を阻害する活性物質として単離されたが、核内での局在パターンは patulin は核全体、terrein はLMBと同様、点状の局在を示したことから異なる活性ではないかと考えられた。これらの物質によるβ-カテニンの核内蓄積がβ-カテニン特異的な核内移行の阻害か、あるいは人工的に付与した Rev NES の核外移行をLMBと同じように阻害するのかどうかを調べるため、HeLa細胞でNES依存的に細胞質に局在するMEK1の局在変化と大腸がん由来のAPC機能不全細胞であるSW480細胞における内在性のβ-カテニンの局在変化を観察したところ、patulin, terrein の両方ともMEK1の核移行を促進したことから、β-カテニンに特異的なものではなく、CRM1依存的な核移行の阻害であることが明らかになった。

しかし、patulin は分裂酵母を用いた実験において、NESの阻害よりも酸化ストレスに反応して核内へ移行するPap1核移行を強く引き起こしたことから、CRM1阻害活性より酸化ストレス誘導剤に近いと考えられた。さらに、patulin は細胞接着が緊密なMDCK細胞において細胞間の接着を失わせるとともに内在性のβ-カテニンの局在変化を誘導した。この活性はグルタチオンによって阻害されることから、他の酸化ストレスを誘導する親電子性物質と同様にシステインの修飾を介して細胞接着を破壊するものと考えられる。一方、terrein は分裂酵母を用いた実験においてNES活性の阻害、Pap1の核移行促進に必要な濃度が同程度であった。また、terrein はLMBの結合部位であるCRM1の Cys-529 を Ser に置換した突然変異体においては核外移行を阻害できないことからLMBと同じ機構でCRM1依存的な核外移行を阻害するものと考えられる。

FF8181-A, FF8181-B, RES-1149-2の作用機構に関する研究

FF8181-A, FF8181B, RES-1149-2はエンドセリンB型受容体に対する非ペプチド性の拮抗物質で、エンドセリンとエンドセリンB型受容体との結合を阻害する活性を持つことが報告されているが、β-カテニンとの関連した細胞活性は知られてない。単離したFF8181-A, FF8181-B, RES-1149-2によるEGFP-β-カテニン-Rev NES の核移行阻害はあまり顕著ではなかったが、APCの機能不全によってβ-カテニンを安定に発現し、核局在が観察されるSW480を用い、間接免疫染色を通して内在性β-カテニンの局在変化を観察すると、これらの化合物の処理によって核内のβ-カテニンが著しく減少したことから、当初はβ-カテニンの核内移行を阻害するものと考えられた。ところが興味深いことに、FF8181-A処理によるβ-カテニンの細胞内レベルをウエスタンプロットにより検討した結果、SW480細胞において20μg/ml以上の濃度でβ-カテニンの分解を著しく促進することが明らかになった。したがって、本物質は核内のβ-カテニンの分解を促進することで見かけ上核内のβ-カテニンを減少させるものと考えられる。SW480ではプロテアソームによる分解に必要とされるAPCの機能が欠損し、β-カテニンが安定に発現しているが、興味深いことに、FF8181-Aはプロテアソーム阻害剤存在下でもβ-カテニンの分解を促進したことから、FF8181-Aはプロテアソーム非依存的またはAPC非依存的なβ-カテニンの分解系に関与する可能性が考えられる。本物質によるβ-カテニンの分解促進機構に大変興味が持たれる。

まとめ

β-カテニンの核-細胞質間輸送に影響を与える新しい生理活性物質の探索を行ったところ、カビ由来の代謝産物から patulin, terrein, FF8181-A を見出した。Patulin と terrein はCRM1依存的な核外移行を阻害するLMB様の活性を示し、それは両化合物がマイケル付加反応の受容体となりうる構造を持つことに起因すると考えられる。terrein はLMB活性を持つ初めてのカビ由来の活性物質で、patulin は細胞接着影響を与えることで内在性β-カテニンの局在変化も引き起こした。FF8181-Aはβ-カテニンの核移行阻害ではなくβ-カテニンの分解を促進する新しい活性物質であることが示唆された。

Patulin と Terrein の構造

FF8181-Aの構造

審査要旨 要旨を表示する

β-カテニンはもともと細胞間の接着に関与する細胞質性蛋白質として同定されていたが、近年Wnt シグナル伝達系にも深く関与することが明らかになっている。Wnt シグナル伝達系の活性化によるβ-カテニンの安定化と核移行は癌化に直接的に関与することが明らかにされているが、β-カテニンの核移行にはimportinが関与せず、特異的なメカニズムで核移行をすることが知られている。Β-カテニンの核外移行に関しても、APCのNESを利用したCRM1依存的な核外移行だけではなく、β-カテニン単独でも核外移行する活性を有する。現在タンパク質の核-細胞質間輸送には何種類もの異なる輸送経路が存在する可能性が示唆され、核-細胞質間の移行を阻害する薬剤のスクリーニングは、未知の輸送経路の同定や、輸送機構の解明につながる重要な研究課題になっている。従って、β-カテニン特異的な核細胞質間輸送を制御する生理活性物質を単離、同定することは、その輸送機構の研究に有用であるばかりでなく、様々な癌の治療薬の開発としても極めて重要である。本論文はβ-カテニンの核-細胞質間輸送に影響を与える新しい生理活性物質の探索と作用機構の解析について述べたものである。

スクリーニング系の構築には、β-カテニンのN末端側に可視化のためのEGFPを、またC末端側にRev NESを融合し、その発現制御はTet ONシステムが用いられた。本研究ではβ-カテニンにRev NESを付加することで、LMBの添加によりβ-カテニンの局在変化を人工的に制御できることから、LMB処理後の観察によりβ-カテニンの核内移行阻害物質を、さらにLMB処理前の観察によりLMB様のCRM1依存的な核外移行阻害物質の探索も併せて行った。微生物代謝産物の計12196サンプルを用いたスクリーニングの結果、カビ由来の代謝産物から既知物質であるterrein、patulin、FF8181-A、FF8181-B、RES-1149-2が新規活性として再発見された。

terreinとpatulinはβ-カテニンの核外移行阻害活性またはCRM1依存的な核外移行阻害する新規活性物質として見出した。これらの物質の活性がβ-カテニン特異的な核内移行の阻害か、あるいはCRM1依存的核外移行の阻害であるかを調べるため、HeLa細胞でNES依存的に細胞質に局在するMEK1の局在変化を観察したところ、terrein、patulinの両方ともMEK1の核移行を促進したことから、β-カテニンに特異的なものではなく、CRM1依存的な核移行の阻害であることが明らかになった。CRM1依存的な核移行を阻害する作用機構を調べるための分裂酵母を用いた実験から、terreinによるCRM1依存的核外移行の阻害は、LMBと同様にCRM1の529番目のシステイン残基と共有結合することによって、CRM1機能を阻害すると示唆された。一方patulinはRevNES活性を阻害しない濃度で親電子性物質のセンサーであるPap1 NESの活性を阻害することから、非選択的なシステイン修飾活性でCRM1を阻害することが示唆された。

FF8181-A、FF8181-B、RES-1149-2はdrimane sesquiterpene estersでβ-カテニンの核移行阻害活性として見出され、主要な生産物として得られたFF8181-Aを用いて、その作用機構の解析を行った。詳細な解析の結果、FF8181-Aによる核内β-カテニンの低下は核移行の阻害ではなく、β-カテニンの分解を促進することで見かけ上細胞質に蓄積させるようになることが明らかになった。FF8181-Aによるβ-カテニンの分解はプロテアソーム阻害剤であるMG132とALLN、カルパインの阻害剤であるcalpeptinでは阻害されなかったが、リソソームの阻害剤であるchloroquineを処理することによりβ-カテニンが安定化する様子が観察された。次いでリソソームを標識する試薬で細胞を染色したところ、無処理ではほとんど蛍光が見られなかったのに対し、FF8181-A処理により多数のリソソームが形成されて、さらにオートファゴソームを標識する試薬で細胞を染色すると、FF8181-A処理によりオートファゴソームが多数観察された。これらの結果より、FF8181-Aは従来から知られているAPC依存的なプロテアソームによるβ-カテニンの分解ではなく、リソソーム依存的な分解経路によるβ-カテニンの分解を促進するものと結論された。

本研究では蛍光タンパク質(EGFP)とRev NESを融合したβ-カテニンの細胞内局在変化を指標とする新たなスクリーニング系の構築を確立し、terrein、patulin、FF8181-A、FF8181-B、RES-1149-2の新たな活性の同定に成功した。本スクリーニング系で得られた化合物の新しい生物活性は今後核-細胞質間輸送とタンパク質分解経路に置ける有用な材料として極めて利用価値の高いものになると考えられる。特にFF8181-Aの活性はこれまで知られていないβ-カテニンの分解経路の存在を示唆するものであり、本研究が今後の研究の1つの足がかりになると考えられる。よって審査委員一同は、本論文が、博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク