学位論文要旨



No 119197
著者(漢字) 小川,文昭
著者(英字)
著者(カナ) オガワ,フミアキ
標題(和) 統合失調症候補遺伝子産物DISC1の機能解析
標題(洋)
報告番号 119197
報告番号 甲19197
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2748号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 高橋,直樹
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 教授 福井,泰久
 東京大学 助教授 加藤,久典
内容要旨 要旨を表示する

序論

統合失調症(旧称:精神分裂病)は生涯罹患率約1%という一般的な病気であり、世界中どの地域でもほぼ一定の発症率を示す。思春期に発病し妄想、幻覚、思考障害、感情の平板化、意欲の減退といった精神機能の異常が数カ月から数年の単位で繰り返され、次第に悪性化していく慢性型の精神疾患である。発症機構は不明であるが、病態生理の背景には神経伝達の異常、脳神経系の発達障害、遺伝的要因などがあると考えられている。特に最近では、発症のリスクを規定しうる遺伝的要因の寄与が重要視されている。

統合失調症は家系集積の傾向があることから、遺伝的要因の関与が強く疑われ、染色体上の責任領域、及び原因遺伝子を同定すべく、大規模な連鎖解析、関連解析がおこなわれてきた。しかし、多数の候補遺伝子が報告されているものの、それらが統合失調症における真の脆弱性遺伝子であるかについては、未だ確証が得られていない。統合失調症は多因子性の遺伝疾患であるとの解釈から、複数の脆弱性遺伝子の異常により神経伝達、脳神経系の発生といった中間表現型が影響を受け、さらにその中間表現型が相互作用することで発症に至ると考えられている。つまり、統合失調症の病態分子機構を理解するには、まず中間表現型に注目し、その中間表現型に候補遺伝子がどのように関与しているのかを明らかにすることが重要である。その為には、十分な根拠に基づいた候補遺伝子産物の機能解析が有効であると思われる。中でも、均衡型染色体転座と精神疾患が連鎖するイギリススコットランドのある大家系で、その転座点に存在する遺伝子として単離された DISC1(Disrupted In Schizophrenia-1)遺伝子は統合失調症への関与が強く示唆される遺伝子であり、病態の分子機構と候補遺伝子産物の機能的関連性を検討することが可能であると考えられる。DISC1 遺伝子は転座により第8-第9エキソン間で分断されており、転座を持つキャリアーは第9エキソン以降にコードされているカルボキシル末端が欠失した DISC1(ΔC 変異体)を発現していると考えられている。事実、キャリアーの約半数が行動障害、感情障害、統合失調症などを患っており、DISC1遺伝子産物の機能異常と精神疾患の関連性が指摘されている。非常に稀ではあるが、このような家系が存在するということは、遺伝子異常が精神疾患発症に直接的に結びつく可能性があるということ、つまり、遺伝的にも弧発的にも生じうることを示唆している。

本研究はこの家系をモデル症例として、DISC1 遺伝子の統合失調症への関与を前提とした遺伝子産物の機能解析に主眼を置いている。すなわち、DISC1 遺伝子産物の機能を解析することにより、統合失調症の病因を分子レベル、細胞レベルで明らかにすることを目的としている。

DISC1 遺伝子産物の構造と機能

DISC1 遺伝子産物の構造

DISC1 遺伝子産物は854アミノ酸からなる推定分子量約 100kDa の機能未知なタンパク質で、coiled-coil 構造を複数持つ。Coiled-coil 構造はタンパク質間の相互作用に寄与する構造であることから、DISC1 の機能はタンパク質の集積や輸送、細胞骨格の維持等、多岐に渡ると予想される。マウス DISC1 をクローニングした結果、その ORF から予測されるアミノ酸配列はヒト DISC1 と比較して相同性が55%と、種間での保存性が極端に低いことが明らかになった。なお、線虫、ショウジョウバエのホモログは確認されていない。

DISC1 遺伝子産物の発現

ヒト及びマウスDISC1 に対する抗体をそれぞれ作製し、タンパク質レベルでの発現パターンをウエスタンブロット法により観察した。ヒト全脳、海馬体及び、様々なヒト組織由来の培養細胞で発現が確認され、DISC1 は組織普遍的に発現していることが示唆された。マウス脳を用いた解析では胎生9日、13.5日、7日、生後1日、7日、成体と、あらゆる発生段階において発現が確認された。また、ヒト海馬体切片を用いた免疫組織化学的解析から、DISC1の発現は特に歯状回の顆粒細胞で強いことが明らかになった。

DISC1 は多量体を形成する

多量体を形成して機能するタンパク質は多い。また、遺伝子変異に由来する異常タンパク質の発現が、正常タンパク質の機能に対しドミナントネガティブに作用する例は癌や神経変性疾患などで良く知られている。そこで、DISC1 の多量体形成能を免疫沈降実験、及び細胞免疫染色により検討した結果、DISC1 は多量体を形成することが明らかになった。興味深いことに、DISC1ΔC変異体は野生型 DISC1 と結合可能であること、培養細胞に野生型 DISC1 と DISC1ΔC 変異体を共発現させると野生型 DISC1 は本来の局在と異なり、DISC1ΔC 変異体と同じ局在を示すことから、DISC1ΔC変異体は野生型 DISC1 の機能を阻害する可能性が示唆された。

DISC1 結合タンパク質の同定

Yeast two-hybrid 法による DISC1 結合タンパク質の探索

coiled-coil構造を多数持つ DISC1 の機能を理解する為には結合タンパク質の同定が必須であると考え、yeast two-hybrid 法により DISC1 に結合するタンパク質の探索を試みた。DISC1 全長を bait とし、ヒト成人脳ライブラリーをスクリーニングした結果、細胞内小胞輸送機構に関わる syntaxin ファミリーのうち、syntaxin1A をコードする cDNA を取得した。syntaxin1A は脳で高度に発現しているシナプス前終末の形質膜に存在する膜一回貫通型タンパク質で、Ca2+依存的な神経伝達物質の開口放出に必須な因子である。

DISC1-syntaxin1A の結合

In vitro 結合実験の結果、DISC1 と syntaxin1A との結合は直接的なものであると確認された。ヒト DISC1 と相同性の低いマウス DISC1 も結合可能であることから、DISC1 と syntaxin1A の結合は種間で保存されていると考えられ、両者の結合の重要性が示唆された。興味深いことに、DISC1が 結合する syntaxin1A の SNARE motif は、SNAP-25、VAMP2 との SNARE 複合体形成に必須であるばかりでなく、synaptotagmin、N-type Ca2+channel、α-SNAP などの開口放出制御タンパク質の結合領域としても知られていることから、DISC1 もこれらのタンパク質同様、開口放出制御因子である可能性が示唆された。

DISC1 と syntaxin1A を共発現させた HEK293T 細胞を用いた免疫沈降実験より、DISC1 とsyntaxin1A は細胞内においても複合体を形成していることが確認された。マウス海馬神経初代培養細胞の免疫染色より DISC1 のシグナルは細胞体、軸索、樹状突起に一様に認められ、特に軸索の膨大部、軸索末端で強く観察される。syntaxin1A はシナプス前終末に局在するが、DISC1 と部分的に共局在することが明らかになった。また、シナプスのマーカーである synaptophysin とも部分的な共局在を示した。さらに、ショ糖密度勾配遠心法によるマウス脳分画実験の結果、DISC1 は syntaxin1A と共にシナプトソームの膜画分に多く回収されることが明らかになった。

以上の結果より、生体内において両者は複合体を形成していると考えられた。

開口放出制御機構における DISC1 の機能

SNARE 複合体形成への影響

神経伝達物質の開口放出、すなわちシナプス小胞とシナプス前膜の融合は、SNARE タンパク質、それを制御する因子がおりなすタンパク質相互作用のカスケードとして進行する。この過程は神経細胞内のCa2+濃度に依存し、厳密に制御されている。本研究で見い出された DISC1-syntaxin1A の結合はいかなる生理的機能を持つのか、以後神経伝達物質の開口放出機構に焦点を当て解析することにした。

DISC1 は SNAP-25、VAMP2 と syntaxin1A の結合領域を共有することから、結合の競合性を検証した。その結果、予想通りの競合活性が確認されたことから、DISC1 は SNARE 複合体の形成を阻害することが示唆された。さらに DISC1 が結合した syntaxin1A は他の制御因子に対していかなる結合活性を示すのか、マウス脳シナプトソーム画分を用いた pull down assay により検討したところ、SNAP-25、VAMP2 のみならずMunc-18 との結合も消失していることが明らかになった。syntaxin1A は分子内相互作用により closed と open な2つの構造をとる。SNARE 複合体の形成は open な構造に依存することから、syntaxin1A の構造変化は開口放出制御の中心的な位置を占めると考えられている。Munc-18 は closed な構造の syntaxin1A に結合することで、Ca2+の流入まで SNARE 複合体の形成を抑制する因子である。DISC1 と Munc-18 は syntaxin1A に同時に結合できないことから、DISC1 は SNARE 複合体の形成を阻害するだけでなく、syntaxin1A の構造を closed から open に変化させることによって開口放出を制御しているのではないかと考えられた。

PC12細胞を用いた開口放出への影響

DISC1 の開口放出への関与が示唆されたことから、ラット副腎随質クロム親和性細胞腫由来の PC12 細胞に、神経伝達物質と同様な過程で放出されるヒト成長ホルモンを DISC1 と共に発現させ、DISC1 がヒト成長ホルモンの分泌にどのような影響を及ぼすのかを検討した。その結果、DISC1 はヒト成長ホルモンの分泌を抑制することが明らかになった。ゆえに、DISC1 は開口放出を負に制御する因子であると考えられた。

総合考察

DISC1ΔC 変異体は野生型 DISC1 の細胞内局在を変化させることから、DISC1 遺伝子の変異がもたらす異常 DISC1 の発現は、正常な DISC1 の機能を阻害する可能性があり、さらに統合失調症発症のリスクを高めることに繋がると推測することもできる。

本研究で得られた知見は、DISC1 が神経伝達物質の開口放出に関与することを強く示唆するものであり、DISC1 は syntaxin1A に結合することで SNARE 複合体の形成を阻害するだけでなく、その構造的変化を誘起することで、多様な制御機構を生み出していると想定された。この知見は、統合失調症で最も有力視されている神経伝達異常仮説に合致すると考えられる。すなわち、ある種の神経細胞における DISC1 の開口放出阻害活性の異常は、ドーパミン神経伝達の過活動、NMDA 神経伝達の低下といった神経伝達の異常に直結しうると推測することができる。

DISC1 は、開口放出のプライミング、ドッキング、融合、エンドサイトーシスのどの段階で機能しているのか、いかなるシグナルに依存して syntaxin1A の構造的変化をもたらすのか、今後検討する必要がある。また、統合失調症はヒト特有の疾患である為、モデル動物を用いた解析では脳の高次機能すべてをとらえることは不可能であると思われるが、神経伝達機構、脳神経系発生機構などの基本的な脳機能の変化をとらえることはできるであろう。今後、DISC1 遺伝子欠損マウス、ΔC変異体トランスジェニックマウスの作製、及びその表現型の解析も視野に入れ、DISC1 が統合失調症発症にどのように関与しているのか、その分子機構の全容を明らかにしていきたいと考えている。

審査要旨 要旨を表示する

統合失調症は、生涯罹患率約1%という極めて一般的な病気である。妄想、幻覚、思考障害、感情の平板化、意欲の減退といった精神機能の異常が数カ月から数年の単位で繰り返され、次第に悪性化していく慢性型の精神疾患である。発症機構の詳細は不明であるが、病態生理の背景として、神経伝達の異常、脳神経系の発達障害、遺伝的要因の関与等が指摘されている。統合失調症は家系集積性があることから、発症には遺伝的脆弱性が存在すると考えられ、現在では候補原因遺伝子を対象とした解析から病態機構の解明を目指す試みがなされ始めている。既に報告されている候補遺伝子の中でも、均衡型染色体転座と精神疾患が連鎖するイギリススコットランドのある大家系で、その転座点に存在する遺伝子として単離された DISC1(Disrupted In Schizophrenia-1)遺伝子は、統合失調症への関与が強く示唆される遺伝子であり、病態の分子機構と候補遺伝子産物の機能的関連性を検討することが可能であると考えられ、特に注目を集めている。

本論文は、有力な統合失調症候補遺伝子産物 DISC1 が神経伝達物質開口放出の制御因子である syntaxin1 と複合体を形成することで、開口放出の制御機構に関与していることを示し、統合失調症の病態分子機構の解明に新たな知見をもたらしたものである。

第1章では DISC1 を特異的に認識する抗体を作製し、タンパク質レベルでの発現をウエスタンブロット法により解析した。ヒト全脳、海馬体、及び様々なヒト組織由来の培養細胞で発現が確認され、DISC1 は組織普遍的に発現していることが示された。また、ヒト海馬体凍結切片を用いた免疫組織化学的解析から、DISC1 の発現は特に歯状回で強いことが明らかになった。DISC1 は coiled-coil 構造を有することから、多量体形成能の有無を、免疫沈降実験、in vitro 結合実験、及び細胞免疫染色により検討した。その結果、DISC1は多量体を形成することが判明した。さらに、転座を持つキャリアーで発現していると考えられているカルボキシル末端側 257a.a. を欠失した DISC1ΔC 変異体は野生型 DISC1 と結合可能であること、培養細胞に野生型 DISC1 と DISC1ΔC 変異体を共発現させると野生型 DISC1 は本来の局在と異なり、DISC1ΔC 変異体と同じ局在を示すことから、DISC1ΔC 変異体は野生型 DISC1 の機能を阻害する可能性が示唆された。

第2章では yeast two-hybrid 法により、DISC1 に結合する因子として神経伝達物質開口放出機構の制御因子である syntaxin1A を同定した。In vitro 結合実験の結果、DISC1 と syntaxin1A との結合は直接的なものであると確認された。ヒト DISC1 と相同性の低いマウス DISC1 も syntaxin1A に結合可能であることから、DISC1 と syntaxin1A の結合は種間で保存されていると考えられ、両者の結合の重要性が示唆された。DISC1 が結合する syntaxin1A の SNARE motif は、SNAP-25、VAMP2 との SNARE 複合体形成に必須であるばかりでなく、様々な開口放出制御タンパク質の結合領域としても知られていることから、DISC1 も開口放出制御因子である可能性が示唆された。次に、DISC1 と syntaxin1A を共発現させた HEK293T 細胞を用いた免疫沈降実験より、DISC1 と syntaxin1A は細胞内においても複合体を形成していることが確認された。マウス海馬神経初代培養細胞の免疫二重染色より、DISC1 と syntaxin1 は神経突起の膨大部、末端部で部分的に共局在することが明らかになった。また、ヒト海馬体凍結切片を用いた免疫二重染色より、歯状回顆粒細胞で両者の部分的な共局在が確認された。以上の結果より、DISC1 と syntaxin1 は生体内において複合体を形成していると考えられた。

第3章では DISC1 と syntaxin1A の結合がいかなる生理的機能を持つのか、神経伝達物質の開口放出機構に焦点を当て解析をしている。DISC1 は SNAP-25、及び VAMP2 と syntaxin1A の結合領域が重複することから、結合の競合性が見られるかどうかを検討した。その結果、予想通りの競合活性が確認され、さらにin vitro において DISC1 は SNARE 複合体の形成を阻害することが示された。次に、syntaxin1A 単独に比べ DISC1 が結合した syntaxin1A は他の制御因子に対していかなる結合活性を示すのか、マウス脳組織溶解液を用いた共沈実験により検討したところ、SNAP-25、VAMP2 のみならず、Munc-18 の結合量も減少していることが明らかになった。つまり、DISC1 はSNARE 複合体の形成を阻害するだけでなく、syntaxin1A の構造を変化させる活性を有するのではないかと考えられた。最後にラット副腎随質クロム親和性細胞腫由来の PC12 細胞に、神経伝達物質と同様な過程で放出されるヒト成長ホルモンをDISC1 と共に発現させ、DISC1 がヒト成長ホルモンの分泌にどのような影響を及ぼすのかを検討した。その結果、DISC1はヒト成長ホルモンの分泌を抑制することが明らかになった。ゆえに、DISC1 は syntaxin1 と結合することで開口放出を制御する因子であると考えられた。

以上、本論文は、統合失調症候補遺伝子産物 DISC1 が syntaxin1 に結合し、神経伝達物質の開口放出を制御していることを新たに示したものであり、学術上、応用上貢献することが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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