学位論文要旨



No 119198
著者(漢字) 阿部,友照
著者(英字)
著者(カナ) アベ,トモテル
標題(和) プロテインホスファターゼPP2CβXと相互作用するアンキリンリピートタンパク質の機能解析
標題(洋)
報告番号 119198
報告番号 甲19198
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2749号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 豊島,近
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 助教授 反町,洋之
 東京大学 助教授 前田,達哉
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

細胞は紫外線、放射線、浸透圧変化、温度変化、オキシダントによる酸化など、常に様々な物理化学的なストレスに晒されている。これらは、DNA の損傷、タンパク質の変性、生体膜の損傷など、細胞に致命的なダメージを与える。細胞は恒常性を保つために、物理化学的ストレスあるいはそれに伴う変化を感知し、細胞内シグナルに変換し、厳密な制御の下にシグナルを伝達・処理し、適切なストレス応答反応を達成するための一連の機構を有している。

物理化学的ストレスのシグナル伝達を担う細胞内情報伝達経路に、ストレス応答性 MAP キナーゼ経路と呼ばれる一群の経路が同定されている。これらは多段階のタンパク質リン酸化酵素によりシグナルが伝達される経路であり、その構成要素の構造や生理機能が酵母から哺乳類に至るまで真核生物全般にわたり高度に保存されている。

哺乳類ストレス応答性MAPキナーゼ経路

哺乳類においては、p38経路、JNK経路と呼ばれる二つのストレス応答性 MAP キナーゼ経路が知られている。これらの経路は高浸透圧、熱ショック、紫外線、放射線、過酸化水素といった物理化学的ストレスに加え、タンパク質合成阻害剤、抗癌剤などの薬剤や LPS、TGF-β、炎症性サイトカインなどによっても活性化されることが知られている。これらの経路が担う生理機能は、アポトーシスの制御を含めた物理化学的ストレスに対する応答をはじめ、細胞増殖・癌化、細胞分化・器官形成、炎症・免疫応答など多岐にわたる。また近年、炎症性サイトカインを介するこれらの経路の活性化が、免疫疾患等の様々な難治性疾患の発症や、病理的反応に関与していることが指摘されており、応用的見地からも経路の詳細な解析が期待されている。

ストレス応答性MAPキナーゼ経路の制御機構

ストレス応答性MAPキナーゼ経路の制御機構については、活性化機構、抑制機構、特異性規定機構の三点が重要である。

MAPキナーゼ経路は、MAPキナーゼ(MAPK)、MAPKキナーゼ(MAPKK)、MAPKKキナーゼ(MAPKKK)から成るプロテインキナーゼのカスケードによって構成されている。MAPKKK はセリン/スレオニンキナーゼであり、MAPKK の活性化ループの特定のセリンあるいはスレオニン残基をリン酸化して活性化する。MAPKK はセリン/スレオニン/チロシンキナーゼであり、MAPK の活性化ループの特定のスレオニンとチロシン残基をリン酸化して活性化する。活性化された MAPK は核内に移行して、転写因子や他のキナーゼのリン酸化を行い、応答に必要な遺伝子群の発現誘導などを引き起こすことが知られている。p38 経路・JNK経路における MAPKKK の活性化機構に関しては、いくつかのキナーゼやその他の制御因子が報告されているが不明な部分が多い。

また、リン酸化によって活性化された経路は、プロテインホスファターゼによる脱リン酸化によって不活性化されることが必要である。経路の活性化と不活性化は、キナーゼとホスファターゼのバランスによって厳密に制御されていると考えられている。p38 経路・JNK 経路を不活性化するプロテインホスファターゼは、セリン/スレオニンホスファターゼやセリン/スレオニン/チロシンホスファターゼなどが報告されている。しかし、ホスファターゼによる不活性化機構の解析は、キナーゼによる活性化機構に比べあまり進んでいない。

また近年、MAPキナーゼ経路の制御に関わるscaffold(足場)タンパク質の存在が多数報告されている。細胞内では構造の類似した複数の MAP キナーゼ経路が存在するため、経路間の情報の交錯を防ぐ機構が重要であると考えられる。scaffoldタンパク質は経路に関わる複数の因子を結合し情報伝達を効率化すると共に、特異性を確保する働きを担っていることが示されている。

本研究の目的

p38 経路・JNK 経路の制御機構に関してこれまで多くの報告が成されてきたが、これらの経路が担う多様な生理機能を生み出す機構や、MAPKKK の活性制御機構、経路の抑制機構、特異性規定機構など未知な部分が多く残されている。そこで本研究では p38 経路あるいは JNK 経路に関わる制御因子を同定し機能を解析することで、新たな制御機構を解明することを目的とした。

結果と考察

PP2CβXについて

我々はこれまでに、酵母のストレス応答性MAPキナーゼ経路であるHOG経路の活性化を抑制する哺乳類の因子の同定を、変異株を利用した機能スクリーニングにより試みてきた。哺乳類のストレス応答性MAPキナーゼ経路と酵母のHOG経路が相同であることから、この因子は p38 経路あるいは JNK 経路の抑制因子として機能することが期待される。スクリーニングの結果、プロテインセリン/スレオニンホスファターゼである PP2Cβのアイソフォームの一つ(PP2CβX)を同定した。PP2CβはこれまでマウスにおいてPP2Cβ-1からPP2Cβ-5までの5つのスプライスバリアントが報告されており、C末端領域にそれぞれ異なる配列を有している。PP2CβXは特徴的な長いC末端領域を有していること、組織普遍的な発現パターンを示すこと、細胞質に局在することなどが明らかになっている。またCOS7細胞を用いた解析から、PP2CβXの高発現によりp38、JNK、MKK3、MKK6、MKK4 のストレス刺激による活性化を抑制することを明らかにした。

PP2CβXの相互作用因子の同定と機能解析

これまでの解析でPP2CβXは、p38経路・JNK経路の抑制因子として機能する可能性が示されたが、脱リン酸化の標的となる因子や機構は不明であった。またPP2Cはin vitroにおいて基質特異性の低いホスファターゼであることが知られている。そこで in vivo においてPP2CβXの基質特異性を規定する因子の存在を想定し、PP2CβX を bait とした two-hybrid スクリーニングを行った。その結果C末端側にアンキリンリピートを持つタンパク質をコードする cDNA が同定された。このタンパク質(ANK4)とPP2CβXとの相互作用は、PP2CβXのC末端領域を介していた。このことから ANK4 は PP2CβX に特異的な相互作用因子であると考えられる。

また、COS7 細胞内における PP2CβX と ANK4 との相互作用を解析した。その結果p38経路・JNK 経路の活性化を引き起こす種々のストレス刺激のうちで、タンパク質合成阻害剤、紫外線の刺激では相互作用は観察されなかったのに対し、ソルビトールによる浸透圧刺激では相互作用が観察された。このことからANK4は、p38経路・JNK経路の浸透圧刺激の情報伝達において、浸透圧刺激依存的に PP2CβX と相互作用し、経路の制御に関わる可能性が考えられる。

また、COS7 細胞においてANK4を高発現させると、活性化刺激存在下においてMEK1、MKK3、MKK4、MKK6 のリン酸化の亢進の増強が観察され、MEK1、MKK3 では活性化刺激非存在下においてもリン酸化の亢進が観察された。このことは ANK4 が、これら MAPKK の上流の複数のキナーゼの活性化因子として機能したか、あるいはANK4の高発現により PP2CβX などの内在性の抑制因子の機能が阻害され、経路の活性化を引き起こしたと考えられる。

次に ANK4 と相互作用し PP2CβX の標的となり得る因子を同定するために、p38経路・JNK経路の構成因子とANK4の相互作用を共沈実験により検討した。P38、JNK、ERK の各 MAPK と、MEK1、MKK3、MKK4、MKK6、MKK7 の各 MAPKK、さらに14種類の MAPKKK それぞれとANK4のCOS7細胞における相互作用を検討した結果、MAPKKKの一つであるDLK(dual leucine zipper kinase)との相互作用が観察された。DLKは浸透圧などのストレス刺激により活性化され、MKK4、MKK7 のリン酸化を介して JNK 経路を活性化することが報告されている。またこの相互作用はストレス刺激非存在下においても観察された。これによりANK4が PP2CβX と DLK を結合し、PP2CβXによるDLKの抑制を促すscaffoldタンパク質として機能している可能性が示唆された。

まとめ

p38経路・JNK経路の抑制因子を同定する目的で、酵母の変異株を用いたスクリーニングにより PP2CβXを同定した。また、PP2CβXに特異的に相互作用するANK4を同定し、これらのタンパク質の相互作用が浸透圧刺激依存的であることを見出した。さらに JNK 経路のMAPKKKであるDLKがANK4と相互作用することを見出した。このことはDLKがPP2CβXの脱リン酸化の基質となる可能性を示唆している。DLK は生理的な条件下においては、ストレス刺激に依存して JNK 経路のみを活性化することが報告されている。ANK4 と PP2CβXの相互作用が観察される浸透圧条件下では、タンパク質合成阻害剤による刺激と比較して、JNK 経路の活性が p38 経路の活性よりも抑制されている。このことは高浸透圧条件下において、JNK経路を抑制する機構の存在を示唆しており興味深い。

今後、PP2CβX、ANK4、DLK の三者が一つの複合体を形成するか否か、PP2CβX によりDLKの活性化が抑制されるか否か、またその生理的意義について検証する必要がある。

審査要旨 要旨を表示する

細胞は、紫外線、放射線、浸透圧変化、温度変化、オキシダントによる酸化など、常に様々な物理化学的なストレスに晒されており、これに抗して恒常性を保つために、物理化学的ストレスを感知し、細胞内シグナルに変換し、厳密な制御の下にシグナルを伝達・処理し、適切なストレス応答反応を達成するための一連の機構を有している。物理化学的ストレスのシグナル伝達を担う細胞内情報伝達経路に、ストレス応答性MAPキナーゼ (MAPK) 経路と呼ばれる一群の経路が同定されている。ストレス応答性MAPK経路の制御機構に関しては、これまで多くの報告が成されてきたが、これらの経路が担う多様な生理機能を生み出す機構や、MAPKKKの活性制御機構、経路の抑制機構、特異性規定機構など未知な部分が多く残されている。本論文は、プロテインホスファターゼPP2CβXによるストレス応答性MAPK経路の負の制御と、さらにPP2CβXと相互作用する因子として同定したアンキリンリピートタンパク質ANKRA2の機能に関する研究をまとめたもので、序論と3部から構成されている。

序論では、哺乳類のMAPK経路について概説した後、特にストレス応答性MAPK経路の活性制御機構について、経路の構成因子のリン酸化による活性化、scaffold(足場)タンパク質による特異性規定、プロテインホスファターゼによる不活性化の3つの側面から現在までの知見をまとめ、本研究の目的を明らかにしている。

第1部では、2C型プロテインホスファターゼPP2CβのスプライシングバリアントであるPP2CβXの機能解析を行っている。まず、酵母を用いた機能スクリーニングでPP2CβXを単離した経緯を述べた後、浸透圧やタンパク質合成阻害剤アニソマイシン、紫外線などのストレス刺激により誘導されるp38やJNKなどのストレス応答性MAPKの活性化が、PP2CβXの高発現により抑制されることを示している。これに対して、増殖刺激で活性化されるMAPKであるERKの活性化は、PP2CβXの高発現では抑制されない。さらに、ストレス応答性MAPキナーゼキナーゼ (MAPKK) の活性化も、PP2CβXの高発現により抑制されることを明らかにしている。このことから、PP2CβXはストレス応答性MAPK経路に特異的な負の制御因子であり、その標的分子は少なくともMAPKKより上流に位置していることを論じている。

第2部では、PP2CβXの相互作用因子として同定したアンキリンリピートタンパク質ANKRA2について述べている。酵母 two-hybrid 法を用いてPP2CβXに結合する因子をスクリーニングし、ヒトリンパ球由来のcDNAライブラリーからANKRA2を同定した。PP2CβX と ANKRA2 との結合を in vitro の結合実験によっても確認し、PP2CβX と ANKRA2 の結合が、他のスプライシングバリアントになくPP2CβXに特異的なC末端領域を介していることを明らかにしている。また、COS細胞に共発現した両タンパク質の共沈実験により、ストレス応答性MAPK経路の活性化を引き起こす種々のストレス刺激のうちで、タンパク質合成阻害剤、紫外線の刺激では相互作用は観察されなかったのに対し、ソルビトールによる浸透圧刺激で相互作用が起こることを明らかにし、ANKRA2が浸透圧に応答したシグナル伝達に機能している可能性について論じている。また、PP2CβX と ANKRA2の細胞内局在について検討し、前者が細胞質に、後者が核と細胞質の両方に局在すること、この局在が浸透圧ストレスによって変化しないことを示している。

第3部では、さらに、ANKRA2がストレス応答性MAPK経路の活性制御に果たす役割について検討している。まず、COS細胞でANKRA2を高発現すると、ストレス刺激時の JNK の活性化の増強が観察され、さらに活性化の持続時間が延長されていることを明らかにしている。また、ANKRA2 の高発現が MAPKK の活性化も引き起こすことを明らかにし、ANKRA2 の標的分子が少なくともMAPKKよりも上流に位置していることを明らかにしている。さらに、MAPK経路を構成する種々のキナーゼとANKRA2をCOS細胞において共発現し、共沈実験により相互作用を検討したところ、MAPK、MAPKK ともに共沈が認められなかったのに対し、調べた14種類のMAPKKKのうち、DLK、MLK3、ASK1、ASK2 の4つがANKRA2と共沈することを見出している。また、この相互作用はストレス刺激には依存しないで起こることも明らかにしている。これらの結果を踏まえ、ANKRA2がPP2CβX と MAPKKK を結合し、PP2CβXによるMAPKKKの抑制を促す scaffold タンパク質として機能している可能性について論じ、ANKRA2 の高発現により経路の活性化が起こる機構についてもモデルを提出している。

以上、本論文は、不明な点が多かったストレス応答性MAPKの制御機構について、プロテインホスファターゼPP2CβXとその相互作用因子 ANKRA2 の機能に焦点を当てて明らかにしたものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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