学位論文要旨



No 119203
著者(漢字) 蓑田,歩
著者(英字)
著者(カナ) ミノダ,アユミ
標題(和) 単細胞紅藻シアニディオシゾンにおける光合成遺伝子群の転写制御系の解明
標題(洋)
報告番号 119203
報告番号 甲19203
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2754号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 田中,寛
 東京大学 教授 西澤,直子
 東京大学 助教授 園池,公毅
 東京大学 助教授 前田,達哉
 東京薬科大学 教授 都筑,幹夫
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

太陽光の光エネルギーにより水と二酸化炭素を炭水化物に変換する光合成は、生態系の基盤である植物の独立栄養性を支えることで、太陽光と水に富む地球に数え切れない生命の存在を可能にしている。光合成は、教科書にあるように、様々な構成要素によって成り立つ複雑な系である。その一方で、その本質は模式図には描かれない動態にあり、刻一刻と変わる細胞内外の変化に応じた制御によって初めて成立する。しかし、その形成と維持の制御機構に関する知見は全体像の理解にはほど遠い。本研究では、複雑かつ動的な光合成反応の統合的理解を目指して、光合成遺伝子群の転写制御系の解明に焦点を絞った。

真核光合成生物には、独自のゲノムを持つ光合成機能に特化したオルガネラ、葉緑体が存在する。その機能を反映して、葉緑体ゲノムには多くの光合成遺伝子が保持され、環境変化に応答した迅速な制御を受けている。私は研究材料を単細胞紅藻 Cyanidoschyzon merolae の葉緑体遺伝子の転写制御系とした。C. merolae は原始紅藻類に属し、植物の祖先的な要素を多く持っている。とりわけ、葉緑体ゲノムの構造は特徴的であり、光合成遺伝子群の発現は主に転写調節によりなされていると考えられる。葉緑体は非光合成生物に細胞内共生をした祖先型の藍藻を起源とすると考えられている。高等植物の葉緑体は進化の過程で核による支配をうけ、調節因子群がそのゲノムから失われたのに対して、C. merolae の葉緑体ゲノムには、4種の転写因子 (Ycf27-30)が保持されている。これらは、主要な光合成遺伝子群の転写制御を行っていることが予想される。この4種の転写因子の機能の解明を中心として、光合成遺伝子群の転写制御系の解明を進めることにした。

C. merolae は核、葉緑体、ミトコンドリアのゲノム配列が明らかになっており、その核ゲノムは約 14Mbp と小さく、ハプロイドの非常に単純な構造をしている。核ゲノム配列の検索から、葉緑体ゲノムにコードされた4種の転写因子(Ycf27-30)とともに葉緑体遺伝子群の転写制御を行っていると考えられる4種の葉緑体シグマ因子遺伝子(SIG1-4)と1種のヒスチジンキナーゼ遺伝子(HIK)が見つかった。このことにより、C. merolae の葉緑体遺伝子の転写制御系は最も単純な葉緑体転写制御系あり、光合成遺伝子群の転写制御系の全体像をとらえるのに適していると考えられた。しかし、C. merolae は培養系や形質転換系が完成されていなく、その基盤整備が必要であった。そこで本研究では、植物細胞における光合成遺伝子群の転写制御系のより詳細な解明を目指して、培養系の確立や核ゲノムの形質転換系の確立に向けた研究を併せて行った。

C. merolae の葉緑体遺伝子群の転写制御機構

Ycf27、Ycf29 はそれぞれ OmpR、 NarL 型のレスポンスレギュレーターを、Ycf28、Ycf30 はそれぞれ CRP 型、LysR 型の転写因子をコードしている。HIK は Ycf27、Ycf29 と2成分制御系を構成する可能性が高い。各転写因子の機能の解明には、その標的遺伝子を同定する必要がある。最初に、N末に His タグを融合させたタンパク質を大腸菌で大量発現させ、不溶画分から回収、可溶化を行うことで、各々の精製タンパク質を得た。次に、それらの標的遺伝子を絞りこむことを目的として、様々な環境変化に応答した葉緑体遺伝子群とその調節因子群の転写の挙動を調べた。

強光処理に対する応答

強光処理後の葉緑体遺伝子群の発現の挙動を葉緑体マイクロアレイ解析とノーザン解析により調べた結果、集光装置に対応する遺伝子群などの発現量の低下と、光化学系IIの反応中心タンパク質に対応するpsbD, psbA 遺伝子を含む遺伝子群の発現量の上昇がみられた。これらの遺伝子発現の挙動は、強光に対する光化学系の防御機構が働いていることを示唆した。この際、葉緑転写調節因子のうち、SIG2、 HIK、ycf27 の転写量が誘導されていた。この結果から SIG2 が強光への応答に関わるシグマ因子であること、強光下での HIK によるシグナル伝達を介した Ycf27 転写制御機構が存在する可能性が示唆された。過剰発現系による大量発現の結果、Hisタグ融合 Ycf27 タンパク質は一部大腸菌内で可溶化していた。ゲノム上で遺伝子が隣接していることから、Ycf27 が psbD 遺伝子領域の発現調節をする転写因子であるという仮説をもとに、この融合タンパク質を大量発現後の大腸菌のライセートを用いて、psbD 上流約領域への結合実験を行った。その結果、特異的な結合を観察することができた。同様の結果は、psbA の上流領域でも得られた。Ycf27 タンパク質は、強光条件下で psbD, psbA 遺伝子の転写量を上げることで、強光により最も損傷を受けやすい光化学系IIの反応中心タンパク質の修復に関与していることが示唆された。

CO2濃度の低下に対する応答

10% CO2 濃度条件から通常大気条件へと移し、葉緑体遺伝子群の転写産物量の変化を調べた結果、全ての葉緑体遺伝子のうち、炭酸固定の鍵酵素であるルビスコをコードする遺伝子オペロンのみの転写活性化が観察された。タンパク質合成阻害剤を用いた実験から、転写活性化は葉緑体コードの転写因子によるものであることが強く示唆された。さらに、この遺伝子オペロンの上流領域に精製した Ycf30 タンパク質が結合することが示された。転写開始点決定の結果、CO2 濃度の低下により、ルビスコ遺伝子オペロンは一箇所の転写開始点からの転写が活性化されていることが強く示唆された。CO2濃度の低下を感知した Ycf30 は、ルビスコ遺伝子オペロンの上流域に結合し、核のシグナル伝達系とは独自に、転写の活性化を行い、CO2同化能を高めることで環境変化に応答した炭酸固定能の調節を行っていると考えられる。

C. merolae の培養系の確立

C. merolae の単純な細胞構造やゲノム情報を最大限に利用して研究を進めるためには、優れた培養系の確立と形質転換系の確立が不可欠である。そこで、液体培養条件の検討を行った結果、90 μE/m2.s の光照射下で、培地成分を既存の Allen 培地の2倍とし、5%CO2を通気培養することにより、倍加時間は72時間から9時間に短縮され、ストレスなどにも強い健全な培養が可能となった。また、同様の培地成分に0.4%のゲランガムを加えることでプレート培養系を確立した。

C. merolae の形質転換系の確立

プレート培養系の確立によって、形質転換系の確立が現実的なものとなった。そこで、12種類の薬剤について異なる濃度を添加したプレートを作製し、形質転換のマーカーとして有効な薬剤を検索した。その結果、5-フルオロオロト酸 (5-FOA)が有望であると考えられた。5-FOAはオロチジン-5'-リン酸デカルボキシラーゼ、Ura3遺伝子産物により代謝されることで毒性を発揮するため、この酵素を欠損した酵母は5-FOA耐性、かつウラシル要求性となることが知られている。C. merolaeにおいて、5-FOA耐性かつウラシル要求性の自然変異株の単離を目的として、0.8 mg/ml 5-FOAとウラシルを含む培地を用い、0.4%ゲランガムプレートあたり107細胞を塗布することで選択を行った。その結果、約9x107の細胞から8個の自然突然変異株の取得に成功した。これらのうち、ウラシル要求性の増殖を示した3クローンについてUra3領域の塩基配列を決定した結果、2クローンでUra3遺伝子にフレームシフト変異が入っていることが確認された。これらの株では、触媒部位の手前の261番目のアミノ酸が終止コドンに変わった結果、Ura3タンパク質のC末端側が欠損していた。次に、このウラシル要求性株をレシピエントとして、エレクトロポレーション法により形質転換を試みた。ベクターのみを導入した時は、選択培地上でコロニーの形成がみられなかったのに対して、幾つかの条件で野生型のUra3遺伝子の導入を試みた結果、コロニーの形成が非常に高い確率でみられた。得られたコロニーから無作為に複数のコロニーを選び、ゲノムを単離した。単離したゲノムを制限酵素で処理し、サザンハイブリダイゼーションを行った結果、形質転換後に得られたコロニーのうち調べたものに関しては全て、野生株とウラシル要求性株と同様のパターンを示した。このことは、ウラシル要求性株への野生型のUra3遺伝子の導入は、相同組み替えにより起こっている可能性を強く示唆している。

まとめ

本研究において、Ycf27 が損傷をうけた光化学系反応中心の修復に、Ycf30 が炭酸固定能の調節に関与していることが強く示唆された。Ycf27-30 は、核のシグナル伝達系とは独立した転写調節ネットワークを形成しており、このことは、葉緑体や光合成系の進化を考える上で非常に興味深い。光合成の制御系は生物の進化に伴って変化を遂げるが、反応系の制御には共通した概念が存在するはずである。各転写因子が認識しているシグナルと標的遺伝子群の同定により、複雑かつ動的な光合成反応の形成と維持を可能にする制御機構とその概念が鮮明に示されるだろう。また、本研究において、培養系が確立されたことで、C. merolae 研究材料としての有用性がさらに引き出されることが期待される。とりわけ、核ゲノムの形質転換が相同組み替えにより起こる可能性が強く示唆されたことは意義深い。本研究をもとにした核ゲノム形質転換系の確立と優れた培養系により、C. merolae は理想的な植物細胞のモデル生物になると考えている。

審査要旨 要旨を表示する

太陽光の光エネルギーにより、水と二酸化炭素から炭化水素を合成する光合成は、生態系の基盤である植物の独立栄養性を支えることで、地球上の生命の存在を可能にしている。そして光合成システムは、様々な構成要素により成り立つ複雑な系であり、その構成要素については詳細な解析がなされてきた。しかし、刻一刻と変わる細胞内外の変化に応じて制御されることが、そのシステムの形成や維持には必須であるものの、その動的な全体像は未だよく理解されているとはいえない。本論文は、複雑かつ動的な光合成システムの理解を目指し、光合成遺伝子群の転写制御系の解明を行ったものであり、4章からなっている。

第一章の序論では、本論文で扱う材料である Cyanidioschyzon merolae について紹介すると共に、葉緑体の起源や進化について、本論文の研究背景について述べている。C. merolae は高温酸性温泉(pH 1.5, 45度)の極限環境に生育する単細胞の紅藻であり、葉緑体ゲノム配列の決定とその形態的特徴により、共生説によって葉緑体の起源とされるシアノバクテリアに最も類似した葉緑体を持つ光合成真核生物であると考えられている。C. merolae の葉緑体ゲノムには、高等植物の葉緑体ゲノムと異なり4種の転写因子遺伝子(ycf27-30)が保持されている。これら4種の転写因子は、核による制御とは別に、独自に環境の変化を察知し、葉緑体ゲノム上にコードされた数多くの光合成遺伝子群の転写制御を行っていると考えられる。本章では本論文が、これら転写因子の機能解析を通じ、光合成システムの動的制御を明らかにしようとするものであることが述べられている。

第二章では、それぞれの転写因子についての解析結果が述べられている。Ycf27 は2成分制御系のレスポンスレギュレーターと考えられる転写因子であり、祖先のシアノバクテリアや、緑藻と高等植物を除く葉緑体に保存されている。C. merolae の核ゲノムには唯一種のヒスチジンキナーゼ(HIK)がコードされることから、Ycf27 は HIK と2成分制御系を構成する可能性が考えられた。本論文では、細胞を強光ストレス下に置くことで、HIK と ycf27 の転写産物が一過的に増加することを見いだしている。また、葉緑体マイクロアレイ解析により、強光条件で転写産物量の変動する遺伝子群を網羅的に同定した。さらに、ヒスチジンタグ融合 Ycf27 蛋白質を発現させた大腸菌の溶菌液を用いて、Ycf27 が強光誘導される遺伝子群のうち、光化学系IIの反応中心蛋白質をコードする psbA、psbD 遺伝子の上流域に特異的に結合することを示している。また、これら遺伝子については、プライマー伸長法により転写開始点を決定した。Ycf30は、バクテリアに広く保存されている LysR型の転写因子であり、光合成細菌において炭酸固定の鍵酵素をコードするルビスコオペロンの調節因子として知られる CbbR のホモログである。従って、C. merolae でもルビスコオペロンの転写因子であることが示唆された。本論文では、10% CO2 条件から通常の大気条件へと培養条件を移し、その際の葉緑体遺伝子発現についてマイクロアレイ解析をおこなった結果、ルビスコオペロンのみの転写活性化を観察した。蛋白質合成阻害剤を用いた実験より、この転写活性化は葉緑体コードの転写因子によるものであることが強く示唆された。さらに、大腸菌を用いた大量発現により Ycf30 蛋白質を調製し、Ycf30 がルビスコオペロンのプロモーター上流領域に結合することを示すとともに、このプロモーターからの転写開始点についてプライマー伸長法により決定した。

第三章では、C. merolae の培養条件の検討を行い、培地成分、光条件を最適化することで大幅な倍加時間の短縮に成功している。また、プレートによる培養系の確立にも成功している。ここで確立したプレート培養系を用いて、本論文では、これまで検討されてこなかった形質転換系の構築を試みた。形質転換には薬剤による選択が簡便であることから、12種の薬剤に対する感受性を検討し、5-フルオロオロト酸 (5-FOA) を有望な薬剤として選択した。酵母において 5-FOA は URA3 遺伝子により代謝されることで細胞毒性を示す薬剤であり、URA3 遺伝子が破壊された細胞は 5-FOA 耐性となると共にウラシル栄養要求性を示す。本論文ではプレート上で 5-FOA 耐性、ウラシル要求性となる変異株をスクリーニングし、これら株で実際に URA3 遺伝子が破壊されていることを示した。この株に対し、野生型の URA3 遺伝子を含む DNA 断片をエレクトロポーレーション法で導入した結果、高頻度でウラシル要求性を失った形質転換体を得ることができた。従って、外来 DNA による C. merolae の形質転換が起きている可能性が強く示唆された。

第四章の総合討論では、4種の葉緑体転写因子の役割分担や、葉緑体進化における意義について考察し、光合成系のダイナミックな環境応答との関連が議論されている。また、基本的な実験系が構築されたことにより、本生物をモデル生物として研究材料とする有効性を強く提唱している。

以上、本論文はこれまで殆ど研究のされてこなかった紅藻葉緑体の4種の転写因子について実験的にアプローチし、光合成系の動的制御について多くの知見を得たものである。また、C. merolae の実験生物としての基盤整備に多大な貢献をしており、学術上・応用上貢献することが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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