学位論文要旨



No 119206
著者(漢字) 山神,摂
著者(英字)
著者(カナ) ヤマガミ,セツ
標題(和) 酵母 Yarrowia lipolytica におけるn-アルカン誘導型チトクロームP450遺伝子の発現制御機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 119206
報告番号 甲19206
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2757号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 加藤,茂明
 東京大学 助教授 前田,達哉
 東京大学 助教授 堀内,裕之
内容要旨 要旨を表示する

チトクロームP450(P450)はバクテリアから哺乳動物に至るまで広く存在し、様々な内因性及び外因性の疎水性物質の代謝に中心的な役割を果たしている。P450の多くは、特に外因性物質の代謝に関わる場合、その基質となる物質によって発現誘導されることが知られている。哺乳動物の肝P450の発現制御機構については盛んに研究が進められてきているが、一般に疎水性の高い物質が細胞内でどのような挙動をし、転写の活性化を引き起こすのかについては知見が乏しい。

アルカン資化性酵母ではアルカンの初発酸化をP450 (P450ALK)が触媒し、その発現は基質となるアルカンによって誘導されることが知られている。しかし細胞がアルカンの存在を感知し転写誘導に至るまでの過程は明らかにされていない。アルカン代謝の研究によく用いられてきたのは二倍体もしくは部分二倍体で存在する Candida 属酵母であるが、アルカン資化性酵母の中でも Yarrowia lipolytica は安定な一倍体の生活環を持ち、遺伝学的解析に適している。細胞遺伝学研究室において、Y.lipolytica のP450ALKをコードする8つの遺伝子、ALK1からALK8が単離され、中でもALK1がn-デカンの資化に必須であり、n-デカンによって強く転写が誘導されることが見出された(1)。本研究では、酵母 Y.lipolytica においてアルカンという極めて疎水性の高い物質がALK1遺伝子の転写を誘導する機構を明らかにし、疎水性物質に対する生物の応答機構についての知見を得ることを目的とした。

n-デカン資化に必須なアセトアセチル-CoAチオラーゼ遺伝子の単離と解析(2)

細胞遺伝学研究室では、Y.lipolytica においてALK1遺伝子の破壊はn-デカン資化能を大きく損なうことが明らかにされ、更にn-デカン資化能に欠損を持つ変異株が取得されていた。その様な変異株はALK1遺伝子の発現制御系に変異を持つ可能性があると考えられ、それらの変異株の中からn-デカンを炭素源とした場合にALK1プロモーターの活性が野生株に比べ特に低下したB10株を選出し、解析を行った。

CXAU1株由来の遺伝子ライブラリーを作製しB10株に導入して、n-デカン資化能の回復を指標に変異を相補するDNA断片を取得した。塩基配列を決定したところ、有意なopen reading frame (ORF)を見出した。このORFは397アミノ酸から成るタンパク質をコードしており、推定アミノ酸配列はアルカン資化性酵母 Candida tropicalis のペルオキシソームのアセトアセチル-CoAチオラーゼと50%の同一性を、また、酵母 Sacharomyces cerevisiae の細胞質のアセトアセチル-CoAチオラーゼと49%の同一性を示した。また、このORFにコードされるタンパク質の N末端にはペルオキシソーム移行シグナル2によく似た配列が存在した。さらに、推定アミノ酸配列上においてチオラーゼの活性中心と考えらている2つのシステイン残基が保存されていること、B10変異株はチオラーゼの活性部位付近のよく保存された領域内に変異を持つことを確認した。これらの結果から、このORFはペルオキシソームに局在するアセトアセチル-CoAチオラーゼをコードしていると考えられ、PAT1 (peroxisomal acetoacetyl-CoA thiolase)と命名した。

ノーザン解析により、PAT1の転写はn-デカン、及びオレイン酸によって誘導されることが示された。また、PAT1遺伝子破壊株を作製し解析したところ、破壊株ではn-デカン誘導的なアセトアセチル-CoAチオラーゼ活性が失われ、更にn-デカン資化能が失われていた。これらの結果から、PAT1にコードされるチオラーゼはn-デカン代謝に必須であると結論され、β酸化の最終段階に関与している可能性が考えられた。PAT1遺伝子破壊株ではn-デカン培養時にALK1の発現が誘導されるものの、その発現レベルが野生株に比べ低いことから、n-デカン代謝の下流の異常がフィードバック的に初発酸化酵素をコードするALK1の発現を抑制していると推察された。","アルカン応答配列の同定(3)

アルカン応答配列の同定(3)

ALK1遺伝子と今回単離したPAT1遺伝子がともにデカンによって強く転写が誘導されることから、両プロモーター配列を比較したところ、CTTGTGNxCATGTGから成るよく保存された領域を見出した。この配列が共にn-デカン誘導に重要と考えられたことから、Y.lipolytica のアルカン資化に関与すると考えられる他の遺伝子上流域において配列の有無を確認したところ、アシル-CoAオキシダーゼをコードするPOX3や3-オキソアシル-CoAチオラーゼをコードするPOT1にも相当する配列が認められた。そこで、ALK1プロモーターのCTTGTGNxCATGTG配列を3つタンデムにつなぎLEU2のコアプロモーターの上流に配置し、そのプロモーター活性をlacZをレポーターとして解析した。その結果、プロモーター活性はグリセロールやグルコースを炭素源とした時に比べ、アルカン存在時に10倍以上に上昇した。この配列はアルカンに依る転写誘導に重要な配列であることが示され、アルカン応答配列(alkane responsive element 1 ; ARE1)と命名した。更にARE1を用いてゲル移動度シフトアッセイを行ったところ、本配列に特異的に結合するタンパク質の存在が示された。

アルカン依存的なP450遺伝子の転写誘導に必須なbHLH転写因子の同定と解析(3)

ARE1を介したアルカンによる転写誘導の機構を遺伝学的手法を用いて明らかにするために、ARE1を介した転写活性をlacZの発現を指標にアッセイできる上記レポーター系を Y.lipolytica のゲノムに組み込んだCXU3xLZ1株を作製した。CXU3xLZ1株を親株として変異誘発処理を行い、n-デカン存在時のβ-ガラクトシダーゼ活性の低下した株を選択した。変異株の1つでは、n-デカン存在時のALK1 mRNA量が親株に比べて低下していたが、オレイン酸によるPAT1 mRNAの誘導には変化が見られなかった。また、その変異株はアルカン資化能を失っていたが、オレイン酸を炭素源とした際には親株と同様の生育を示した。これらのことから変異株はアルカンの認識からARE1を介した転写誘導に至るまでの経路に変異を有すると考えられ、yas1-1 (yeast alkane signaling)変異株と命名した。yas1-1変異株にCXAU1株由来の遺伝子ライブラリーを導入し、デカン資化能の回復を指標に変異を相補するDNA断片を取得した。塩基配列を決定したところ basic helix-loop-helix 構造を有するタンパク質をコードするORFが見出され、その遺伝子をYAS1と命名した。YAS1遺伝子破壊株では、アルカンによるALK1遺伝子の転写誘導が見られず、アルカン資化能も失われており、変異株と同様の表現型が見られた。

また、HAタグを付加したYas1p(Yas1p-HA)が核に存在することを確認した。更に、ARE1にはbHLH転写因子の結合配列であるE-boxモチーフ(CANNTG)が含まれていることから、Yas1pがARE1を持つプロモーターに結合する可能性を考え、クロマチン免疫沈降法により検討した。その結果、Yas1p-HAはALK1プロモーターやPAT1プロモーターに特異的に結合していることを見出した。これらの結果から、Yas1pはアルカン応答に関わる転写因子であると結論した。

YAS1の発現も炭素源による制御を受けるかどうかを調べたところ、アルカン存在時にYAS1の転写誘導、Yas1p-HA量の増加が見られた。YAS1プロモーター領域にもARE1様配列が確認され、Yas1p-HAがクロマチン免疫沈降法によりYAS1プロモーターに結合していることを見出した。これらのことから、アルカン応答に関わる正の転写因子の発現が、自身によって誘導されるという自己制御機構の存在が示唆された。このような正のフィードバック機構によって、アルカン存在時にYas1pが素早く増加し、アルカンが存在する環境へ直ちに適応することが可能であると考えられる。

まとめ

本研究ではアセトアセチル-CoAチオラーゼ遺伝子を単離し、そのプロモーター配列の情報を利用してアルカン応答配列を決定した。さらに、アルカン応答配列を介した転写の活性化、アルカン依存的なP450遺伝子の転写誘導に必須なbHLH型転写因子、Yas1pを同定した。大腸菌より精製したHis6-Yas1pは単独ではアルカン応答配列に結合しなかったことと、多くのbHLH型転写因子がヘテロダイマーを形成してDNAに結合することから、Yas1pとヘテロダイマーを形成してDNAに結合するようなパートナーが存在すると考えられる。そのようなパートナーの同定を含め、アルカンによる転写誘導のシグナル伝達系全体の解明が今後の課題であるが、本研究はその全貌解明への糸口となると思われる。また、外因性の疎水性物質によるP450の転写誘導に必須な転写因子に関して下等真核生物ではこれまでに報告がなく、本研究で得られた知見は他の生物におけるP450の発現制御機構の解明にも寄与するものと期待される。

Iida, T., Ohta, A., and Takagi, M. (1998) Cloning and Characterization of an n-alkane-inducible Cytochrome P450 Gene Essential for n-Decane Assimilation by Yarrowia lipolytica. YEAST 14 : 1387-1397Yamagami, S., Iida, T., Nagata, Y., Ohta, A., and Takagi, M. (2001) Isolation and Characterization of Acetoacetyl-CoA Thiolase Gene Essential for n-Decane Assimilation in Yeast Yarrowia lipolytica. Biochemical and Biophysical Research Communications 282 : 832-838Yamagami, S., Morioka, D., Fukuda, R., and Ohta, A. (投稿中) A Basic Helix-Loop-Helix Transcription Factor Essential for Cytochrome P450 Induction in Response to Alkanes in Yeast Yarrowia lipolytica.
審査要旨 要旨を表示する

アルカン資化性酵母ではアルカンの初発酸化をチトクロームP450アルカンモノオキシゲナーゼ (P450ALK)が触媒し、その発現は基質となるアルカンによって誘導されることが知られている。しかし細胞がアルカンの存在を感知し転写誘導に至るまでの過程は明らかにされていない。本論文の研究は、酵母Yarrowia lipolyticaにおいてアルカンという極めて疎水性の高い物質がP450ALKをコードするALK1遺伝子の転写を誘導する機構を明らかにし、疎水性物質に対する生物の応答機構についての知見を得ることを目的としたものであり、アルカンに応答した遺伝子の転写誘導に関わる複数の因子を同定し、酵母のアルカンへの応答機構に関して新たな知見を示したものである。本論文は、序章に続いて以下に概説する3つの章で構成される。

1章では、n-デカン依存的なALK1遺伝子の発現に関与する因子として、n-デカン資化に必須なアセトアセチル-CoAチオラーゼ遺伝子を単離し解析した結果を述べている。n-デカン資化能欠損変異株の中から、n-デカンによる ALK1遺伝子の転写誘導の活性が低下した株が選択され、変異を相補するPAT1遺伝子が同定された。解析の結果PAT1遺伝子はペルオキシソームに局在するn-デカン代謝に必須なアセトアセチル-CoA チオラーゼをコードすると考えられた。また、PAT1遺伝子はn-デカンによって発現が誘導されることから、n-デカンによる転写誘導機構の新たな研究材料確保にも成功している。Pat1pはβ酸化系の最終反応を触媒することによりn-デカン代謝に関与していると考えられるが、そのようなn-デカン代謝の下流に働く酵素の異常によってn-デカンの初発酸化反応を担い代謝系の上流に位置するALK1の発現量が抑制されるという、新たな制御機構の存在が示唆された。

2章では、1 章で得られたPAT1遺伝子がALK1遺伝子と同様にn-デカンによって転写誘導されるという結果を踏まえ、ALK1プロモーターとPAT1プロモーターの配列を比較した結果、アルカンに応答して転写を誘導する活性を有するエレメントARE1が同定された。

3章では、ARE1を介したアルカンに応答した転写誘導の見られない変異株をスクリーニングするための系を確立し、目的とする変異株の取得に成功している。変異株の解析から、アルカンによるP450遺伝子の転写誘導に必須な遺伝子YAS1 (yeast alkane signaling)が同定された。Yas1pの推定アミノ酸配列から、basic helix-loop-helix (bHLH)モチーフが見出され、また、HAタグを付加したYas1p (Yas1p-HA)が核に局在化し、ARE1を持つプロモーターに結合することを明らかにされた。ARE1にはbHLH転写因子の結合配列であるE-boxモチーフ(CANNTG)が含まれ、Yas1pはARE1に結合してアルカン応答に機能する転写活性化因子であることが示唆された。さらに、YAS1の発現もアルカンによって誘導され、YAS1のプロモーターにYas1p-HAが結合することを見出し、アルカン応答に関わる正の転写因子の発現が自身によって制御されるフィードバック調節機構の存在をも示唆している。

以上、本論文はアルカンという極めて疎水性の高い物質が遺伝子の転写を誘導する機構について新たな知見を与えており、広く疎水性物質に対する生物の応答機構に関しても新たな知見と今後の研究への展望を与えるものであり、学術上、及び応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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