学位論文要旨



No 119207
著者(漢字) 渡邉,資之
著者(英字)
著者(カナ) ワタナベ,トモユキ
標題(和) 前立腺における男性ホルモン受容体の高次機能の解析
標題(洋)
報告番号 119207
報告番号 甲19207
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2758号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,茂明
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 高橋,直樹
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 助教授 加藤,久典
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

男性ホルモンであるアンドロゲンは、雄性生殖器官の分化誘導や機能維持、脳の性分化や性行動制御等の雄性化の主要因子であることが広く知られている。その主たる作用はリガンド依存的転写制御因子であるアンドロゲンレセプター(AR)を介した標的遺伝子群の発現制御により発揮されると考えられている。そのため、AR遺伝子の各種変異によるAR機能不全は様々な疾患を引き起こすが、AR機能不全と疾患との分子レベルでの関連については、不明な点が多いのが現状である。中でもアンドロゲン依存性進行性前立腺癌においては、ARのリガンド結合領域(LBD)に位置するThr877がAlaに点変異すること(ART877A)が高頻度で見いだされているものの、発癌や癌増悪との関係は不明である。一方、このAR遺伝子点変異体(ART877A)を用いた in vitro 系での解析により、アンドロゲンの特異的な結合にはThr残基が必須であり、この点置換変異によるLBDの構造変化がリガンド認識特異性を低下させ、抗アンドロゲン剤や他の内因性ステロイドホルモンへの応答性を獲得することが明らかになっている。しかしながら、このAR点変異体(T877A)によるリガンド認識特異性の低下が、癌化の原因であるか結果であるかは全く不明である。そのため、細胞増殖におけるARの機能やアンドロゲン依存性前立腺癌の増悪機構解明には、このAR点変異体(T877A)の機能解析は格好のモデルと考えられる。

そこで本研究では、ヒト型AR遺伝子点変異(T877A)を個体レベルで前立腺のみに導入するマウスラインの確立を行い、更に全身にこのヒト型AR点変異体を導入した前立腺でのヒト型AR変異体(ART877A)のリガンド応答性について解析した。

Cre-loxP システムを利用したヒト型AR遺伝子点変異(T877A)導入系の確立

Cre/loxP システムに基づいた標的遺伝子組み替え技術により、ヒト型AR遺伝子点変異(T877A)導入マウスの作出を以下の様に試みた。マウスAR遺伝子座に、ヒト型AR点変異体LBD (T877A) cDNAの導入を以下のターゲティングクターを介して行った。ヒトAR LBD (WT)をコードするエクソン6〜8のcDNAの3下流にヒトAR点変異体LBD (T877A)をコードするエクソン6〜8の変異体cDNAを接続し、更にヒト型AR LBD cDNA断片の前後にloxP配列を2ヶ所導入した。また各々のエクソン8の後ろにはクローニングベクター上にある poly adenylation (poly A) signal をつなげることで、mRNAの安定化を図った。これにより、Cre recombinase (Cre)を発現させることで、ヒトAR LBD (WT) cDNAが切り出され、ヒトAR点変異LBD (T877A)を含むマウスAR変異体が発現すると期待される。このターゲティングクターをTT2 ES細胞株にエレクトロポーレーション法により導入し、2個の相同組み替えESクローンを単離した。得られたES細胞から、アグリゲーション法によりキメラマウス(ARflox/Y)を作出した。キメラマウスは全て雄であるが、WTと同様の生殖能力を有し、雄の生理機能に異常は検出されなかった。雄キメラマウスと雌WTとの交配により得られた雌ヘテロマウス(ARflox/+)を、まずは全身でCreを発現するCMV-Creトランスジェニックマウスと交配した。サザンブロット解析により遺伝型を解析した結果、点変異floxedおよびAR点変異導入雄マウス が得られた。このことから、マウスAR遺伝子にヒト型点変異(T877A)が導入されたマウスのライン化に成功したと判断した。

ヒト型AR点変異(T877A)導入マウスの解析

点変導入マウスの同定

ヒト型AR点変異floxedマウス(以下ARflox/Y)およびヒト型AR点変異導入マウス(以下ART877A/Y)はメンデルの法則で期待される比率で正常に出生し、成長した。またいずれのマウスラインも生殖能も有し、ヒト型点変異(T877A)は個体発生や生存には影響を与えないことが示された。

始めに、AR遺伝子ならびにタンパクの発現を検討した。前立腺及ひ精巣より取得したmRNAからRT-PCRを行ったところ、Creの発現によるARへの点変異の導入が高率(約75%)で行われたことが確認された。またAR mRNA発現量はWTとほぼ変わらないものの、タンパク量はARflox/Y、ART877A/Yにおいて約50%程度低下していた。このタンパク量の低下の理由として、ターゲティングの際に3'UTRを省いたために、AR mRNA群の安定性が減少した可能性が考えられた。

次に内分泌系の異常を調べたところ、ART877A/Yにおいて性腺刺激ホルモン(LH)の血中濃度が低下しており、LHの刺激により誘導されるテストステロン(T)の血中濃度もそれに伴い低下していた。これはAR機能亢進に起因したLHのネガティブフィードバックの亢進によるものと考えられる。一方、エストロゲン(E2)の血中濃度には変化が認められず、前駆体となるTの低下の影響を受けないものと考えられた。

点変異が前立腺の形成に与える影響

機能的に成熟した前立腺の変異について、9週齢と17週齢ART877A/Yにおいて詳細な解析を行った。9週齢では、前立腺は厳格にアンドロゲン依存的に発達する課程であるため、ARタンパク発現量が低下したARflox/Y、ART877A/Yでは前立腺全体の低形成が見られた。しかしながら、ARflox/Yに比べてART877A/Yの前立腺には太い腺管構造が見られ、ヒト型AR点変異体(T877A)の機能亢進が推察された。更にこれら腺管構造形成が完了した17週齢においてはその差異はより顕著になったことから、ARの点変異により形成が促進されることが証明できた。そこでARの標的遺伝子であり前立腺の形成に関与する probasin 遺伝子発現量を検討したところ、ART877A/YではmRNAの発現上昇が観察された。同時に、癌抑制遺伝子の1つであり前立腺癌において発現低下が見られるNkx3.1のmRNAの発現低下も観察されたことから、このマウスでは将来自然発癌を来す可能性が示唆された。

次いで前立腺細胞増殖におけるヒト型AR点変異体(T877A)の機能を初代培養によるMMTアッセイにて検討した。その結果、ARflox/Yでは前立腺上皮細胞はアンドロゲンでのみリガンド依存的に増殖したのに対し、ART877A/YではアンドロゲンのみならずE2や抗アンドロゲンによっても増殖することが確認できた。

ホルモン投与による前立腺の再生及び機能維持

前立腺は去勢によるアンドロゲン除去により退縮し、アンドロゲン補充によって再生することが知られている。そこでART877A/Yの前立腺における抗アンドロゲン剤への応答を検討した。去勢により退縮させた前立腺に対しアンドロゲンまたは抗アンドロゲンを投与した結果、ARflox/Yではアンドロゲンでのみ前立腺が再生した。一方、ART877A/Yでは抗アンドロゲンに対しても応答が見られた。去勢と同時にホルモンを投与した場合も、同様にART877A/Yでは抗アンドロゲンによる前立腺の退縮抑制効果が微弱ながら見られ、応答が確認された。

考察

本研究では、ヒト型AR遺伝子点変異(T877A)導入マウスを作出することにより、リガンド特異性が低下したAR点変異体の生体内高次機能の解明を試みた。作出したヒト型AR点変異導入マウスの前立腺において、抗アンドロゲンのアンドロゲン様作用が確認され、in vitro の系で明らかにしたAR点変異体のリガンド認識特異性の低下が、in vivo においても再現されることを証明した。更にこのヒト型AR点変異体はマウスの前立腺で過形成が観察されたことから、AR変異体(T877A)のリガンド認識特異性の低下が同時に内因性ステロイドホルモン応答能を引き起こすことも証明することができ、AR点変異体の生体内での機能亢進を明確にした。

これまでアンドロゲン依存性前立腺癌の多くにおいては、ARの過剰発現やARタンパクのリン酸化亢進が見られること、またマウスAR高発現トランスジェニックマウスにおいて前立腺の過形成が見られることなど、ARの機能亢進がアンドロゲン依存性癌の増悪に関与することが示唆されてきた。実際、ヒト型AR点変異(T877A)導入マウスでも前立腺の過形成や上皮細胞の増殖能亢進が見られ、この上皮細胞の増殖亢進が前立腺癌増悪につながる可能性が考えられる。実際に、器官形成を終え性成熟した17週齢の前立腺において、癌抑制遺伝子であるNkx3.1の発現低下が認められたことは、この点変異が発癌の原因となりうる可能性を示す興味深いものである。今後はARの下流遺伝子による細胞増殖制御に着目し、更なる解析を行う予定である。

以上、本研究ではヒト型AR遺伝子点変異(T877A)導入マウスを作出し、これまで分子メカニズムの解明が困難であった進行性前立腺癌に関する個体での解析の基盤を築いた。このマウスの解析により、進行性前立腺癌で見られる点変異(T877A)が、ARの機能亢進による前立腺の過形成を誘導することを示し、今まで不明であったART877A点変異体の生体内高次機能の一端を解明した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は前立腺における男性ホルモン受容体の高次機能の解析に関するものである。男性ホルモンであるアンドロゲンは、雄性生殖器官の分化誘導や機能維持、脳の性分化や性行動制御等の雄性化の主要因子であることが広く知られている。その主たる作用はリガンド依存的転写制御因子であるアンドロゲンレセプター(AR)を介した標的遺伝子群の発現制御により発揮されると考えられている。そのため、AR遺伝子の各種変異によるAR機能不全は様々な疾患を引き起こすが、AR機能不全と疾患との分子レベルでの関連については、不明な点が多いのが現状である。中でも進行性前立腺癌においては、ARのリガンド結合領域(LBD)に位置するThr877がAlaに点変異すること(ART877A)が高頻度で見いだされているものの、発癌や癌増悪との関係は不明である。一方、このAR遺伝子点変異体(ART877A)を用いたin vitro系での解析により、点変異によるLBDの構造変化がリガンド認識特異性を低下させ、抗アンドロゲン剤や他の内因性ステロイドホルモンへの応答性を獲得することが明らかになっている。しかしながら、このリガンド認識特異性の低下が、癌化の原因であるか結果であるかは依然として不明である。そこで本研究では、ヒト型AR遺伝子点変異 (T877A) を個体レベルで導入するマウスラインの確立を行い、更に全身にこの点変異体を導入したマウスの前立腺でのヒト型AR変異体 (ART877A) のリガンド応答性について解析した。

ヒト型AR遺伝子点変異 (T877A) 導入マウスの作出にあたり、Cre/loxPシステムに基づいた標的遺伝子組み替え技術を用いた。ヒトAR LBD (WT)をコードするエクソン6〜8のcDNAの3'下流にヒトAR点変異体LBD (T877A)をコードするエクソン6〜8の変異体cDNAを接続し、更にヒト型AR LBD cDNA断片の前後にloxP配列を2ヶ所導入した。これより、Creの特異的な発現によって点変異(T877A)の導入が可能となる。こうして得られた雄キメラマウスと雌WTを交配し、得られた雌ヘテロマウス (Arflox/+) を、まずは全身でCreを発現するCMV-Creトランスジェニックマウスと交配した。その結果、点変異floxedおよびAR点変異導入雄マウスが得られ、これより、マウスAR遺伝子にヒト型AR点変異(T877A)が導入されたマウスのライン化に成功したと判断した。ヒト型AR点変異floxedマウス(以下Arflox/Y)およびヒト型AR点変異導入マウス (以下ART877A/Y) はメンデルの法則で期待される比率で正常に出生・成長し、生殖能も有した。

得られたマウスを用いてヒト型AR点変異(ART877A)導入マウスの解析を行った。

まず始めに、ヒト型AR遺伝子点変異(ART877A)導入マウスの同定を行った。まず、Creの発現によるARへの点変異の導入が高率(約75%)で行われたことを確認した。またARタンパク量はARWT/Yに比べArflox/Y、ART877A/Yでは共に約50%程度低下していることを確認した。次に内分泌系の異常を調べたところ、ART877A/Yにおいて性腺刺激ホルモン(LH)の血中濃度が低下しており、LHの刺激により誘導されるテストステロンの血中濃度もそれに伴い低下していた。これはAR機能亢進に起因したLHのネガティブフィードバックの亢進によるものと考えられる。

次にヒト型AR点変異体(ART877A)が前立腺の形成に与える影響について検討した。9週齢と17週齢ART877A/Yにおいて前立腺の詳細な解析を行った。9週齢では、Arflox/Yに比べてART877A/Yの前立腺には太い腺管構造が見られ、ヒト型AR点変異体(T877A)の機能亢進が推察された。腺管構造の形成が完了した17週齢においてはその差異はより顕著になり、AR点変異により前立腺の過形成が促されることが明らかになった。アンドロゲン依存性癌の発症・増悪に影響すると思われるAR応答遺伝子群の発現量を検討したところ、前立腺の形成に関与するprobasinはART877A/Yにおいて発現上昇が観察された。また、癌抑制遺伝子の1つであるNkx3.1のmRNAの発現低下も観察され、このマウスでは将来自然発癌を来す可能性が示唆された。次いで、前立腺細胞増殖におけるAR点変異体の機能を初代培養におけるMMTアッセイにて検討した。その結果、前立腺上皮細胞はArflox/Yではアンドロゲンによってのみ増殖したのに対し、ART877A/YではアンドロゲンのみならずE2や抗アンドロゲンによっても増殖することが確認できた。

ホルモン投与による前立腺の再生及び機能維持について検討した。前立腺は去勢によるアンドロゲン除去により退縮し、アンドロゲン補充によって再生することが知られている。そこでART877A/Yの前立腺における抗アンドロゲン剤への応答を検討した。去勢により退縮させた前立腺に対しアンドロゲンまたは抗アンドロゲンを投与した結果、Arflox/Yではアンドロゲンでのみ前立腺が再生した。一方、ART877A/Yでは抗アンドロゲンに対しても応答が見られた。去勢と同時にホルモンを投与した場合も、同様にART877A/Yでは抗アンドロゲンによる前立腺の退縮抑制効果が微弱ながら見られ、抗アンドロゲンへの応答が確認された。

最後に、点変異体の癌増悪への影響について解析した。前立腺癌誘導のために、TRAMPマウスを利用した。TRAMPマウスは、前立腺特異的に発現するProbasin 遺伝子 のpromoter により、SV 40 T antigenの発現を誘導する。Probasinの発現部位であるDorsal Prostateに着目したところ、WT 群では、WT-TRにおいて前立腺の腺管構造が若干太くなる傾向が見られたものの、両者に大きな差異は認められず、この時期においてはまだ癌化が軽度であることが推察された。ところが、mutantマウス群では、mutant-TRにおいて、腺管構造が肥大すると同時に崩れており、AR点変異体の影響が強く見られた。これより、ヒト型AR点変異体(ART877A)はアンドロゲン依存性癌の増悪の原因となりうる可能性が示唆された。

本研究より、作出したヒト型 AR点変異導入マウスの前立腺において、抗アンドロゲンのアンドロゲン様作用が確認され、in vitroの系で明らかにしたAR点変異体のリガンド認識特異性の低下が、in vivoにおいても再現されることを証明した。更にこのヒト型 AR点変異体はマウスの前立腺で過形成が観察されたことから、AR点変異体のリガンド認識特異性の低下が同時に内因性ステロイドホルモン応答能を引き起こすことも証明することができ、AR点変異体の生体内での機能亢進を明確にした。

点変異の癌への関与については、ヒト型AR点変異体が細胞周期制御の変容をもたらし、また癌抑制遺伝子の発現にも影響を及ぼしたことから、変異によるAR機能亢進が発癌の原因となる可能性が強く示唆された。また、TRAMPマウスとの交配により発癌を試みた、ヒト型AR点変異導入マウスにおいて、前立腺の腺管構造の変化が顕著であったことから、AR点変異が癌の増悪の原因となりうる可能性が示唆された。

以上、本論文は、標的遺伝子組み替え技術を応用してヒト疾患のモデルとなる遺伝子点変異導入マウスを作成し、生体での遺伝子点変異体の機能を解明しており、分子生物学のみならず、癌治療の分野での発展性が期待され、学問上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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