学位論文要旨



No 119211
著者(漢字) 江田,真毅
著者(英字)
著者(カナ) エダ,マサキ
標題(和) 現生および遺跡試料によるアホウドリの集団構造の復原
標題(洋) Inferring Short-tailed Albatross population structure from modern and archaeological samples
報告番号 119211
報告番号 甲19211
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2762号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 樋口,広芳
 東京大学 助教授 宮下,直
 東京大学 助教授 高槻,成紀
 九州大学 教授 小池,裕子
 立教大学 教授 上田,恵介
内容要旨 要旨を表示する

論文の背景と概要

集団構造の歴史は生物の進化現象の理解に重要である.自然選択や遺伝的浮動,突然変異,遺伝子流動(移住)といった進化の要因と密接に関わるためである.これまで,集団構造の歴史は繁殖地の地理上の位置情報と中立な分子マーカーの分布様式を用いて系統地理学の観点から復原されてきた.しかし,個体数と繁殖地数が減少した生物では,現生試料からの集団構造の歴史復原に限界がある.過去に個体数の減少した生物では,現存する集団の歴史の情報が遺伝的浮動によって失われている可能性があるためである.また,過去に消滅した集団が推定できないという限界もある.

こうした背景のもとに,本論文では実際に過去に個体数が著しく減少した歴史をもつアホウドリ(Phoebastria albatrus)を対象に,現生だけでなく減少以前の試料も用いて集団構造の歴史を復原した.個体数減少以前の試料としては遺跡から発掘された骨を利用し,そこから抽出したDNA(古代DNA)を解析した.遺跡試料の解析から,現生試料だけでは推定できなかった集団構造の歴史を明らかにすることに成功した.この研究の結果,過去に個体数などが減少した生物の集団構造を復原する際に古代DNAの解析が有効であることが示された.

試料

アホウドリは,北太平洋西部の2地域(伊豆諸島の鳥島と,尖閣諸島の南小島と北小島,図1)でのみ繁殖する鳥で,個体数は現在約1,500羽と推定されている.この種の個体数はもともと少なかったわけではない.19世紀末から20世紀初頭に繁殖地で狩猟される以前には,個体数は約600万羽,繁殖地数は14ヶ所以上あったと推定されている.この種の骨は遺跡から大量に出土する.個体数などが著しく減少した歴史を持ち,かつ減少以前の試料が大量にあるアホウドリは,個体数などの減少が集団構造の歴史の情報に及ぼす影響を実証する対象として,適切な材料である.本研究では,現生の試料とともに,約1,000年前の北海道礼文島の遺跡である浜中2遺跡(図1)の試料を用いた.

各章の概要

本論文は四章からなる.第一章では,論文の背景と概要,研究試料,および研究方法について説明する.第二章では現生試料による集団構造の復原,第三章では遺跡試料による集団構造の復原について述べる.この二つの章が本論文の主要な結果を含むことになる.最後の第四章では,総合考察と今後の展望について述べる.

現生試料による集団構造の復原

現在のアホウドリが繁殖する2地域のうち,これまで解析されていなかった尖閣諸島の現生試料のDNAを解析し,すでに報告されている鳥島のデータと合わせて現生試料のみから過去の集団構造の復原を試みた.その結果,基本的に尖閣諸島と鳥島の個体が大きく離れた二つのhaplotype group(それぞれhaplotype group A, B)を形成すること,鳥島ではhaplotype group Aのメス個体が繁殖していること,が明らかになった(図2).系統地理学の観点から,このようなハプロタイプの地理的分布様式が生じる主な集団構造の歴史として,1) 長期間隔離された2集団が二次的に交流している,2) 長期間ひとつの大きな集団が存続している,の二つの可能性がある.各集団内の系統が共通祖先から分化するのに必要な時間と,2集団が相互に単系統になるのに必要な時間,という二つの観点から集団構造の歴史としてどちらが正しいかの判別を試みた.しかし,両者のどちらが正しいかは判別できなかった.

遺跡試料による集団構造の復原

個体数や繁殖地数が減少する以前の試料として,約1,000年前の北海道礼文島の浜中2遺跡の試料を用い,当時の集団構造の復原を試みた.繁殖地の地理的情報と中立な分子マーカーの分布様式を用いた集団構造の推定は,この遺跡試料には適用できない.アホウドリは長距離移動をする生物であり,さらに人間の交易対象であった可能性があるので,繁殖地の地理的情報が得られないためである.本論文では,新しい研究手法として分子マーカーと他の表現型形質を組み合わせることで集団構造が復原できることを提唱し,当時の集団構造を推定した.表現型形質としては,主に繁殖地周辺の食物環境を反映する体サイズと,採食した食物を反映する窒素と炭素の安定同位体比に注目した.その結果,1) 遺伝的に離れたクレードA'とB'(これらのクレードは現生試料のhaplotype group AとBをそれぞれ含む)があること,2) 二つのhaplotype group間で骨の全長と安定同位体比が有意に異なること,3) haplotype group A'では二つの形質の分散が有意に小さいこと,4) haplotype group B'内に大きく離れた三つの haplotype group があるものの,それらの間で形質の平均,分散とも有意な相違はないこと,が明らかになった(図3〜図5).このことから,約1,000年前には,少なくとも長期間分化した二つの集団のあったことが示唆された.

総合考察と今後の展望

遺跡試料の分析の結果,現存する集団の集団構造の歴史が復原され,過去に絶滅した集団の存在が示唆された.現存する集団の集団構造の歴史としては,現生試料の分析から判別できなかった過去の集団数を遺跡試料の分析から明らかにできた.過去の集団数は,現生試料の分析では一つ,もしくは二つと推定されたが,約1,000年前の遺跡試料では,少なくとも二つと推定された.現生試料の分析から過去の集団数が一つであった可能性を否定できなかった理由は,主に個体数の減少によって有効集団サイズが大きく減少した可能性があるためである.また遺跡試料から,絶滅した集団があった可能性も示唆された.今後,水素やストロンチウムの同位体比,さらにはマイクロサテライトなどの共優性マーカーとベイズ推定によるアプローチを用いて,三つ以上の集団があったかどうか検討する必要がある.これらの集団構造の歴史は,現生試料の分析からは推定できなかったものである.本研究の結果,過去に個体数や繁殖地数が減少した生物の集団構造の復原に,古代DNAの解析を用いることの有効性が明らかになった.

本論文で提案した分子マーカーで分けたクレード間の形質の相違から集団構造を推定する方法は,繁殖地の地理的情報をもたない他の試料にも利用できる.人間の交易対象となった可能性がある大型草食獣や,長距離移動する渡り鳥などの遺跡試料や化石から,当時の集団構造を推定することが可能である.さらに,この方法の適用範囲は遺跡試料に限らない.繁殖地の地理的情報がない非繁殖地で採集された渡り鳥や鯨類の現生試料にも応用することができる.今後,分子マーカーと繁殖地の地理的情報によるアプローチや,共優性マーカーとベイズ推定によるアプローチを,この論文で提案した分子マーカーと表現型形質の情報による集団構造復原のアプローチと組み合わせることで,集団構造の歴史が種内の形質の地理的変異に及ぼす影響をより明確に示すことができると考えられる.

アホウドリの現在の繁殖地(●)と,試料を採集した遺跡の位置(▲).

現生のアホウドリから得られたミトコンドリアDNA制御領域(144bp)に基づくハプロタイプの最節約法による合意樹.Snは尖閣諸島に由来する個体(5個体分),Trは鳥島に由来する個体(41個体分)を示す.外群として,クロアシアホウドリ(Bf, 3個体分)とコアホウドリ(Ly, 1個体分)のハプロタイプを加えた.枝上の数字は50%以上のブートストラップ確率を示す.括弧内の数字は,各ハプロタイプの個体数.1個体でのみ検出されたハプロタイプは個体数の記述を省略した.

遺跡から出土した47個体のアホウドリから得られたミトコンドリアDNA制御領域(142bp)に基づくハプロタイプの最節約ネットワーク図.各円の大きさはそのハプロタイプを持つ個体数におおよそ比例する.灰色の小円は今回の分析で確認されなかったハプロタイプを示す.2つのクレードをつなぐ線と垂直に交わる線の数はクレード間の最小の置換数を示す.クレードA',B-1,B-2,B-3内ではハプロタイプ間の置換数はすべて1.

haplotype group A'とB'それぞれに属するアホウドリの手根中手骨の最大長.箱ひげ図中の中央の線は中央値,箱の上端は第三4分位,下端は第一4分位を示す.

haplotype group A' (〓)とB'(◇)それぞれに属するアホウドリの骨コラーゲンの窒素と炭素の安定同位体比.各点は各個体のデータを示す.

審査要旨 要旨を表示する

集団構造の歴史は生物進化を理解する際,重要な役割を果たす.自然選択や遺伝的浮動,突然変異,遺伝子流動といった進化要因と密接に関わるためである.これまで,集団構造の歴史は繁殖地の位置情報と分子マーカーの分布様式に基づいて復原されてきた.しかし,個体数と繁殖地数が減少した生物では,現生試料からの集団構造の歴史復原に限界がある.過去に個体数の減少した生物では,現存する集団の歴史の情報が遺伝的浮動によって失われている可能性があるためである.また,過去に消滅した集団の有無が推定できないという限界もある.こうした背景をもとに,本研究では希少種アホウドリ(Phoebastria albatrus)を対象に,現生だけでなく減少以前の試料を用いて集団構造の歴史を復原した.個体数減少以前の試料としては遺跡から発掘された骨を利用し,そこから抽出したDNA(古代DNA)を解析した. 同種は,伊豆諸島の鳥島と尖閣諸島の南小島と北小島でのみ繁殖する鳥で,生息個体数は約1,500羽と推定されている.19世紀末から20世紀初頭に狩猟される以前には,個体数は約600万羽,繁殖地数は14ヶ所以上あったとされる.同種の骨は遺跡から大量に出土する.

本研究ではまず,アホウドリが現在繁殖する2地域のうち,これまで解析されていなかった尖閣諸島の現生試料のDNAを解析し,鳥島のデータと合わせて現生試料のみから過去の集団構造を復元した.その結果,基本的に尖閣諸島と鳥島の個体が大きく離れた二つのハプロタイプのグループ(グループA, B)を形成すること,鳥島ではグループAのメス個体が繁殖していることが明らかになった.このようなハプロタイプの地理的分布様式が生じる集団構造の歴史として,1) 長期間隔離された2集団が二次的に交流している,2) 長期間一つの大きな集団が存続している,の二つがあげられる.各集団内の系統が共通祖先から分化するのに必要な時間と,2集団が相互に単系統になるのに必要な時間,という観点からどちらの可能性が正しいか判別を試みたが,判別できなかった.

次に,個体数などが減少する以前の試料として,約1,000年前の北海道礼文島の試料を用い,当時の集団構造の復原を試みた.繁殖地の地理的情報と分子マーカーの分布様式を用いた集団構造の推定は,この遺跡試料には適用できない.アホウドリは長距離移動し,かつ,人間の交易対象であった可能性もあるので,繁殖地の位置が特定できないためである.本論文では,新しい研究手法として分子マーカーと他の表現型形質を組み合わせることで集団構造が復原できることを提唱し,当時の集団構造を推定した.表現型形質としては,主に繁殖地周辺の食物環境を反映する体サイズと,採食した食物を反映する窒素と炭素の安定同位体比に注目した.その結果,1) 遺伝的に離れたクレードA' とB'(これらのクレードは現生試料のハプロタイプのグループAとBをそれぞれ含む)があること,2) 二つのグループ間で骨の全長と安定同位体比が有意に異なること,3) グループ A'では二つの形質の分散が有意に小さいこと,4) グループ B'内に大きく離れた三つのハプロタイプのグループがあるものの,それらの間で形質の平均,分散とも有意な相違はないことが明らかになった.このことから,約1,000年前には,少なくとも長期間分化した二つの集団のあったことが示唆された.

過去の集団数は,現生試料の分析では一つ,もしくは二つと推定されたが,約1,000年前の遺跡試料では,二つ以上であると推定された.現生試料の分析から過去の集団数が一つであった可能性を否定できなかった理由は,主に個体数の減少によって有効集団サイズが大きく減少したためだと考えられた.また遺跡試料から,絶滅した集団があった可能性も示唆された.

以上より,本研究では希少種アホウドリを対象とした解析を通して,個体数が減少した集団の歴史は現生試料のみで正確に推定できない場合があること,また,その際にも個体数減少以前の遺跡試料を用いることでより正確に歴史が推定できることを厳密に示している.さらに,遺跡試料の解析にあたり,繁殖地の位置情報のない試料であっても,分子マーカーと他の形質の相関性を解析することで集団構造を推定可能であることも明確に示している. したがって,本研究は学術上貢献するところが大きく,審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた.

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