学位論文要旨



No 119213
著者(漢字) 株田,智弘
著者(英字)
著者(カナ) カブタ,トモヒロ
標題(和) インスリン受容体基質 (IRS) -3 の転写制御因子としての新規機能の解明
標題(洋)
報告番号 119213
報告番号 甲19213
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2764号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 高橋,伸一郎
 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 教授 西原,真杉
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 助教授 田中,智
内容要旨 要旨を表示する

IRSは、活性化されたインスリン受容体・インスリン様成長因子 (IGF) 受容体などにより細胞膜付近でチロシンリン酸化され、このリン酸化を介してシグナルを下流に伝える分子で、これまでにIRS-1から4の4つの分子種が報告されている。いずれのIRSも、pleckstrin homology (PH) ドメイン、phosphotyrosine binding (PTB) ドメインという相同性の高い領域を有しているが、それ以外の領域については、受容体によりチロシンリン酸化される数カ所のモチーフを除いて、アミノ酸配列の共通性が低いことが明らかになっている。これらの差異は、それぞれのIRSが異なる機能を有していることを示唆しているが、IRSの生理的意義の違いについては未だに不明である。そこで、本研究では、IRSの機能の差異を細胞内局在の違いから明らかにすることを目的とした。

IRSの細胞内局在の解析

はじめに、green fluorescent protein (GFP) とそれぞれのIRSとの融合タンパク質をCOS-7細胞に過剰発現させ、蛍光顕微鏡を用いて、細胞内局在を検討した。その結果、GFP-IRS-1、GFP-IRS-2は細胞質に斑点状に存在、GFP-IRS-4は細胞質または細胞膜に存在したのに対して、GFP-IRS-3は細胞質や細胞膜のみならず核にも局在することを発見した。また、tagのつかないIRS-3を過剰発現させたCOS-7細胞を抗IRS-3抗体で免疫染色した場合にも、IRS-3が主に核に存在することがわかった。同時に、IRS-3を発現させたCOS-7細胞を細胞質・細胞膜・核に分画後、各画分について抗IRS-3抗体を用いたイムノブロットを行い、IRS-3が核画分に存在することを確認した。また、IRS-3の発現が報告されているラット単離脂肪細胞を抗IRS-3抗体で免疫染色、ラット脂肪組織から調製した単離核抽出液を抗IRS-3抗体でイムノブロットするなどにより、内在性IRS-3も核に存在することを明らかにした。

IRS-3の核局在化機構の解析

IRS-3の核局在とチロシンリン酸化

最初に、核内と核外のIRS-3のチロシンリン酸化状態を調べた。IRS-3を発現させたHEK 293T細胞を細胞質・細胞膜・核に分画後、各画分について抗IRS-3抗体と抗リン酸化チロシン抗体を用いたイムノブロットを行った。その結果、細胞質・細胞膜画分にはリン酸化IRS-3と非リン酸化IRS-3が存在したが、核画分にはリン酸化IRS-3のみが観察され、チロシンリン酸化がIRS-3の核移行に関与する可能性が考えられた。そこで、IRS-3-GFPを発現させたHEK 293T細胞をインスリンで処理後、経時的に細胞内局在を調べたが、インスリン刺激に応答した大きな変化は観察されなかった。また、IRS-3分子内のそれぞれのチロシン残基をフェニルアラニンに変異させたmutant IRS-3、あるいは、全てのチロシン残基をフェニルアラニンに変異させたmutant IRS-3をGFPと融合させて局在を調べたところ、wild typeと同様の局在を示した。これらの結果から、IRS-3の核移行にチロシンリン酸化は必須ではないが、IRS-3は、核に移行するまでの過程あるいは核内でチロシンリン酸化されると考えられた。

IRS-3の核局在に必要な領域の検討

続いて、IRS-3の種々のdeletion mutantsをGFP融合蛋白質としてCOS-7細胞に発現後、細胞内局在を検討した。その結果、少なくとも、PTBドメイン内で他のIRSには存在しない192-223アミノ酸部分が、IRS-3の核移行に重要な領域であることが明らかとなった。

IRS-3と核輸送タンパク質との相互作用

IRS-3は、分子内に典型的なclassical nuclear localization signal (NLS) を有していないため、核輸送タンパク質であるImportinβやTransportinと結合する可能性が考えられた。そこで、GSTと融合したImportinβおよびTransportinを用いてpull-down assayを行ったところ、IRS-3と両者の相互作用が確認された。さらにIRS-3の種々のdeletion mutantsを用いたpull-down assayの結果、ImportinβおよびTransportinはIRS-3のPHドメインに結合することがわかった。

以上の結果より、IRS-3はPHドメインを介して核輸送タンパク質と結合し核内に輸送されるが、同時に、PTBドメインは、IRS-3特異的な核移行に重要な役割を果たしていると結論した。

IRS-3の転写制御活性の解析

次に、核内IRS-3が転写制御活性を有しているか、検討した。Gal4結合配列制御下でルシフェラーゼが発現するレポータープラスミドを導入したHEK 293細胞に、IRS-3の全長、N末端部分、C末端部分をそれぞれGal4 DNA binding domainとの融合タンパク質として発現させ、ルシフェラーゼ活性を測定した。Gal4 DNA binding domainのみを発現した対照細胞と比較し、IRS-3 C末端部分を発現した細胞では、ルシフェラーゼ活性が有意に上昇した。これに対して、IRS-1、IRS-2、IRS-4のC末端部分について同様な検討を行ったところ、ルシフェラーゼ活性の上昇は観察されなかった。一方、IRS-3を過剰発現したNIH 3T3細胞についてDNAマイクロアレイ解析を行い、IRS-3の過剰発現が、複数種の遺伝子のmRNA量に影響を与えることを明らかにした。一連の結果は、IRS-3が転写制御活性を有する可能性を示していた。

IRS-3と相互作用する転写制御因子の解析

IRS-3と相互作用する転写制御因子の検索

IRS-3分子内に転写因子が有する典型的なDNA binding domainが認められないことから、IRS-3は他の転写制御因子のco-activator として働く可能性が考えられた。そこで、IRS-3と相互作用する転写制御因子を検索するために、転写促進活性を有しないIRS-3のN末端部分をbait、ヒト胎盤cDNAライブラリーをpreyとしたyeast two-hybrid screeningを行った。その結果、Smad7やBcl-3などの遺伝子取得に成功した。

IRS-3とSmadファミリータンパク質の相互作用

Smad7は、Smad6とともに、TGF-βシグナルを抑制する分子であり、これに対して、Smad2、Smad3、Smad4はTGF-βシグナルを伝達する転写制御因子であることが知られている。まず、共免疫沈降法により細胞内でのIRS-3とSmad7の結合を確認した。次に、GSTと融合したSmad2、Smad3、Smad4、Smad6、Smad7を用いてpull-down assayを行ったところ、IRS-3はSmad7の他に、Smad2、Smad3とも相互作用した。この結果から、IRS-3がSmadによる転写制御に関わっている可能性が示された。

IRS-3とBcl-3との相互作用およびNF-κBのco-activatorとしてのIRS-3の機能

Bcl-3は核内に存在し、TNF-α刺激などにより核移行したp50 NF-κBと結合して転写を促進することが知られている分子である。初めに、共免疫沈降法により細胞内でのIRS-3とBcl-3の結合を確認した。次に、GSTと融合させたBcl-3のdeletion mutantsを用いたpull-down assayにより、IRS-3はBcl-3のankyrin repeat domainに結合することを明らかにした。続いて、NFκB結合部位制御下にルシフェラーゼが発現するレポータープラスミド、pNFκB-Lucを導入したHEK 293細胞に、IRS-3を共発現し、TNF-α処理後、ルシフェラーゼ活性を指標に転写活性を測定した。IRS-3を発現させた細胞では、対照細胞と比較してルシフェラーゼ活性が有意に上昇していた。さらに、クロマチン免疫沈降法により、IRS-3は、TNF-α依存的にpNFκB-Lucと相互作用することも確認した。他の結果も併せると、IRS-3やBcl-3はそもそも核内に存在し、核移行してくるp50 NF-κBと結合してco-activatorとして機能すると考えられた。一方、IGF-I処理によりNF-κBを活性化させた際は、IRS-3の発現によりNF-κBの転写促進活性が完全に抑制され、IRS-3は、IGF-Iシグナル、 TNF-αシグナルに応答して起こるNF-κBを介した転写制御に異なる影響を及ぼすことが明らかとなった。

IRS-3の転写制御活性を介した生理作用の解析

これまで、いくつかの細胞系において、TNF-α刺激に応答したNF-κBの活性化は、アポトーシス抑制因子として知られるBcl-xLやH-IAP1などの遺伝子の転写を促進し、その結果、細胞死抑制を引き起こすことが報告されている。そこで、IRS-3をHEK 293細胞に安定的に発現した細胞株を作製し、TNF-αで処理後、Bcl-xLやH-IAP1のmRNA量をRT-PCR法で測定した。その結果、IRS-3高発現細胞では、対照細胞に比較して、TNF-α処理に応答したBclxL、HIAP-1のmRNA量が増加していた。更に、β-Galactosidase発現ベクターと共に、IRS-3発現ベクターを一過的にHEK 293細胞に発現させ、TNF-α処理により細胞死を誘導後、β-Galactosidase assayにより細胞の生存率を検討した。その結果、IRS-3を発現させた細胞では対照細胞と比較して細胞死が抑制されることが明らかとなった。以上の結果から、IRS-3は、NF-κBの転写促進活性を増強することにより、細胞死抑制を誘導すると結論した。

以上、本論文において、IRS-3は、これまでに知られていたように、細胞質においてインスリン受容体・IGF-I受容体の基質として働くだけではなく、他のIRSと異なり核内に存在し、転写制御因子と相互作用、遺伝子の転写活性を制御するという新しい機能を有していることが、はじめて明らかとなった。

審査要旨 要旨を表示する

インスリン受容体基質 (IRS) は、活性化されたインスリン受容体・インスリン様成長因子 (IGF) -I受容体などにより細胞膜付近でチロシンリン酸化され、このリン酸化を介してシグナルを下流に伝える分子で、これまでにIRS-1から4の4つの分子種が報告されている。いずれのIRSも、pleckstrin homology (PH) ドメイン、phosphotyrosine binding (PTB) ドメインという相同性の高い領域を有しているが、それ以外の領域については、受容体によりチロシンリン酸化される数カ所のモチーフを除いて、アミノ酸配列の共通性が低いことが明らかになっている。本研究は、IRSの機能の差異を細胞内局在の違いから明らかにすることを目的としたもので、序論、本章の五章、そして終章からなる。

まず、序論では、本研究の背景および意義を概説し、本研究の目的と本論文の構成について述べている。

第一章では、green fluorescent protein (GFP) とそれぞれのIRSとの融合タンパク質を培養細胞に過剰発現させ、蛍光顕微鏡を用いて、細胞内局在を検討している。その結果、GFP-IRS-1、GFP-IRS-2は細胞質に斑点状に存在、GFP-IRS-4は細胞質または細胞膜に存在したのに対して、GFP-IRS-3は細胞質や細胞膜のみならず核にも局在することを発見した。更に、脂肪細胞の免疫染色および生化学的細胞分画により、内在性IRS-3も核に存在することを明らかにした。

第二章では、IRS-3の核局在機構を解析し、PTBドメイン内で他のIRSには存在しない192-223アミノ酸部分が、IRS-3の核移行に重要な領域であることを見出した。一方、IRS-3のPHドメインに、importinβおよびtransportinが結合することがわかった。他の結果も併せると、IRS-3はPHドメインを介して核輸送タンパク質と結合し核内に輸送されるが、同時に、PTBドメインは、IRS-3特異的な核移行に重要な役割を果たしていると結論している。

第三章では、核内IRS-3が転写制御活性を有しているか、検討している。Gal4結合配列制御下でルシフェラーゼが発現するレポータープラスミドを導入したHEK293細胞に、IRS-3の全長、N末端部分、C末端部分をそれぞれGal4 DNA binding domainとの融合タンパク質として発現させ、ルシフェラーゼ活性を測定した。その結果、Gal4 DNA binding domainのみを発現した対照細胞と比較し、IRS-3 C末端部分を発現した細胞では、ルシフェラーゼ活性が有意に上昇することが明らかとなった。これに対して、IRS-1、IRS-2、IRS-4のC末端部分について同様な検討を行ったところ、ルシフェラーゼ活性の上昇は観察されず、IRS-3が特異的に転写制御活性を有していることを確認した。

第四章では、転写促進活性を有しないIRS-3のN末端部分をbait、ヒト胎盤cDNAライブラリーをpreyとしたyeast two-hybrid screeningを行い、Smad7やBcl-3などの転写制御因子の遺伝子取得に成功した。Pull-down assayにより、IRS-3はSmad7の他に、Smad2、Smad3とも相互作用し、IRS-3がSmadによる転写制御に関わっている可能性が示された。また、同様なassayにより、IRS-3は、Bcl-3のアンキリン・リピートに結合することを明らかにした。このように、IRS-3がいくつかの転写制御因子と相互作用することを見出した。

第五章では、NFκB結合部位制御下にルシフェラーゼが発現するレポータープラスミドを導入したHEK293細胞に、IRS-3を共発現し、TNF-α処理後、ルシフェラーゼ活性を測定した。IRS-3を発現させた細胞では、対照細胞と比較してルシフェラーゼ活性が有意に上昇しており、他の結果も併せ、IRS-3とBcl-3は核内に存在し、TNF-α刺激に応答して核移行してくるp50 NF-κBと複合体を形成、転写制御因子として機能することを明らかにした。更に、IRS-3をHEK293細胞に安定的に発現した細胞株を作製し、TNF-αで処理したところ、BclxL、HIAP-1など細胞死抑制の機能を有するタンパク質の遺伝子のmRNA量が増加し、IRS-3を発現させた細胞では、対照細胞と比較して細胞死が抑制されることがわかった。以上の結果から、IRS-3は、NF-κBの転写促進活性を増強することにより、細胞死抑制を誘導すると結論している。

終章、総合討論では、IRS-3の新しい生理的意義について考察し、他のIRSとの差異を討論している。

以上、本論文では、IRS-3が、これまでに知られていたように、細胞質においてインスリン受容体・IGF-I受容体の基質として働くだけでなく、他のIRSと異なり核内に存在し、転写制御因子と相互作用、遺伝子の転写活性を制御するという新しい機能を有していることを、はじめて明らかとしたもので、学術上・応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位として価値あるものと認めた。

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