学位論文要旨



No 119217
著者(漢字) 水上,拓郎
著者(英字)
著者(カナ) ミズカミ,タクオ
標題(和) 胎生期生殖腺の性分化過程におけるエピジェネティック機構の解析
標題(洋)
報告番号 119217
報告番号 甲19217
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2768号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 九郎丸,正道
 東京大学 教授 林,良博
 東京大学 教授 東條,英昭
 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 助教授 田中,智
内容要旨 要旨を表示する

近年、内分泌撹乱物質問題、生殖医療、クローン動物の作出など社会的な生殖生物学への関心あるいは要求が日々増大しているが、これらの基盤である哺乳動物の生殖細胞、生殖腺の分化メカニズムの解明は余り進展していない。その原因は、哺乳類の生殖腺の生殖細胞や体細胞の分化を再現できる有効な細胞株が樹立されていない為、その特異的な分子や遺伝子の機能を調べる手段がKOマウスやTGマウスなどの個体レベルでの解析に限定されている点にある。そこで本研究においては、細胞レベルと個体レベルの解析系の中間に位置する器官培養系に注目し、11.5dpc(胎齢11.5日をさす)の未分化生殖腺原基から精巣・卵巣へ分化誘導できる器官培養法を確立する事を第一の目的とした。11.5dpcの生殖腺をフィルター上で3日間培養すると、オスでは、明瞭な精巣索が認められ、Sox9やMISを発現し、セルトリ細胞の分化が誘導された。また、間質においては3β-Hsdを発現し、ライディッヒ細胞の分化が誘導された。メスでは、減数分裂を経て、二次卵胞まで分化する事が明らかとなった。以上のことから、器官培養系は、精巣、卵巣の形成が培養下で再現できる有効な系であることが示唆された。

哺乳類の性分化は、Y染色体上の精巣決定遺伝子Sryから誘導されるSox9や、M33などの一連の遺伝子発現により制御されるが、これらは、DNA鎖およびクロマチンの高次構造を制御していると推測されており、未分化生殖腺から精巣・卵巣への性分化過程においては、ヒストンのアセチル化やDNAメチル化などエピジェネティックレベルでの遺伝子発現調節機構が関与している可能性が強く示唆されていた。しかし、DNAのメチル化を担うDNA Methyltransferase(Dnmt)の欠損マウスは生殖腺発生以前の時期に胎生致死を示し、生殖腺発生における影響についての解析は困難であった。そこで、ヒストンの脱アセチル化酵素(HDAC)の阻害剤であるTrichostatin Aを用い、人為的にヒストンのアセチル化パターンの変化を誘導し、生殖腺の発生過程におけるエピジェネティック制御の解析を行った。また。、Dnmtの標的阻害剤である5-azacytidineを器官培養系に用い、人為的にDNAのメチル化パターンを変化させ、その影響を調べた。

ヒストンの脱アセチル化酵素の阻害剤Trichostatin Aを、生殖腺の器官培養系に添加し、クロマチン構造の変化が生殖腺の発生、性分化に及ぼす影響を調べた結果、0.1μM添加精巣培養片では、精巣索の形成自体は阻害されないが、精巣のサイズの減少が認められた。1μM条件下では、1から2個の巨大な精巣索が形成され、部分的に精巣索形成が阻害されていた。MISは、精巣索内のセルトリ細胞に強く認められ、またSox9やMISのRT-PCR法による遺伝子発現解析からも、セルトリ細胞の分化は正常に誘導されている事が示唆された。しかし、Dnmt3b陽性のセルトリ細胞は精巣索内と同様に、精巣索外にも存在した。この精巣索外の細胞塊はMISは陰性で、また、周囲にlaminin-1の集積も認められなかった。よって、これらの細胞塊は、MISを発現していない分化途中のセルトリ細胞(約10.5dpcに相当)であることが考えられる。この事は、TSAが、部分的にセルトリ細胞の分化を抑制している事を示唆している。 3β-Hsdの遺伝子発現解析から、ライディッヒ細胞の分化は正常である事が示唆された。胎生期の精巣の生殖細胞特異的マーカーであるhsp86の局在を調べると、0.1μM添加、1μM添加精巣培養片において、生殖細胞数は有意に減少していた。また、1μM添加精巣培養片において約半数の生殖細胞が精巣索外に存在していた。これらの生殖細胞の減数分裂像は認められなかった。以上の事から、TSAは、生殖細胞の発生・分化に影響を与え、また、セルトリ細胞の分化を抑制して精巣索の形成を阻害するものと考えられた。一般的に、始原生殖細胞は移動経路を誤り、精巣索外(中腎や、副腎、神経系など)に移動・定着すると、メスの生殖細胞と同様に減数分裂の接合期まで進行することが明らかとなっており、減数分裂の停止には、精巣索という環境が必須であると考えられてきた。本研究結果から、精巣索外にあっても、減数分裂が停止している生殖細胞が認められた事からも、生殖細胞の減数分裂進行の停止には精巣索構造は必須では無いことが明らかとなった。TSA添加卵巣培養片において、減数分裂が進行している事から、TSAがオスの生殖細胞のクロマチンに直接影響を与え、減数分裂を停止させたと考える事は難しい。

卵巣分化過程において、生殖腺サイズの減少は0.1μMでは認められず、1μM添加で初めて認められた。0.1μM添加卵巣培養片では、卵巣サイズの減少が伴わないにも関わらず、生殖細胞数の減少が認められた。しかし、卵巣の体細胞の分化は、形態学的には正常であった。以上の事から、卵巣分化過程において、TSAは、生殖細胞に直接的に作用し、オス同様に生殖細胞の発生・分化を抑制しているものと考えられた。

以上より、Trichostatin Aによって誘導されたヒストンのアセチル化パターンの変化は生殖細胞の成長、増殖および分化に関与し、また、精巣において、セルトリ細胞の分化を部分的に抑制することが示唆された(図1)。

性分化過程における一連の遺伝子カスケードにおけるDNAのメチル化の関与を統括的に理解するため、器官培養系を用いて、マウス未分化生殖腺(18-30ts [tail somite stage]; 11.5-2.5dpc)の性分化における脱メチル化剤(5-Azacytidine (AzC))の影響を検討した。その結果、30μM以下では、精巣の分化には全く影響を与えないが、30μM以上の添加では、部分的に精巣索形成が阻害された。また、50μMのAZC添加精巣培養片(24ts以前)においては、正常な精巣索形成が完全に阻害される事を明らかになった。これらの50μM添加精巣培養片では、セルトリ細胞の分化、精巣索形成に関わる基底板の形成などに異常があることが示唆されたが、laminin-1は、正常に産生されていた。然し、laminin-1の分布には大きな違いがあり、精巣組織内で断片化して存在していることが明らかとなり、これらの断片化したlaminin-1の分布が精巣索形成に抑制的に働いたものと考えられる。また、Sox9のwhole mount in situ hybridization法による解析によって、セルトリ細胞自体は正常に分化・誘導されていることが明らかとなった。以上の事から、AZCは、脱メチル化を誘導し、間質における細胞外基質などの産生・分布に異常を起こし、その結果、精巣索形成に影響が出たものと考えることが出来る。また、セルトリ細胞の分化マーカーであるSox9やMISが発現しているにも関わらず、精巣索形成が阻害されており、この事は、セルトリ細胞の分化は精巣索の有無に関わらないことを強く示唆している。精巣索形成が認められないにも関わらず、同様に、3β-Hsdの遺伝子発現が誘導されており、ライディッヒ細胞の分化にも精巣索形成は必須では無いことが示唆される。Lhx9、Mfge8、および3β-Hsd whole mount in situ hybridization法による解析によって、AZCは、ライディッヒ細胞などの分化に全く影響を与えなかったが、精巣でのライディッヒ細胞は不規則的な分布を示し、精巣索-間質領域の正常な形態形成が阻害されることが示唆された。

精巣の形態形成には中腎からの細胞の移動が関与していると考えられている。そこで、AZCの効果が、中腎を介しているか否かを明らかにするため、18-30tsの生殖腺原基から中腎を除去し生殖腺のみAZC存在下で培養した。その結果、18tsより24tsまでのステージの間の生殖腺において、同様に精巣索-間質領域の正常な形態形成が阻害され、Sox9や、3β-Hsdの遺伝子発現パターン解析からも、セルトリ細胞・ライディッヒ細胞の分化は正常に誘導されるが、その分布には異常が認められた。また25ts以降は、AZCは、精巣索形成を阻害することは無く、Sox9や、3β-Hsdの遺伝子発現パターン解析からも、セルトリ細胞・ライディッヒ細胞の分化・分布は正常であった。以上の結果は、精巣への性分化過程の後期(25ts以降)の遺伝子カスケードに、精巣索-間質領域の形態形成に関与し、メチル化による制御された遺伝子が存在することが強く示唆されると同時に、中腎からの細胞移動以降にも、精巣索形成における重要な分子イベントが存在する事を示している。

そこで、25ts以降に発現し、間質形成に関わると考えられる細胞外基質関連の遺伝子による遺伝子発現解析を行った。その結果、TypeIIコラーゲンに属するCol9a3の遺伝子発現が完全に抑制されている事が明らかとなった。Co9a3は、Sox9の直接的な標的遺伝子と考えられ、Col9a3の遺伝子発現に関して、DNAのメチル化が関与している事が示唆された(図2)。

精巣分化過程におけるTSAの影響

精巣分化過程におけるAZCの影響

審査要旨 要旨を表示する

哺乳類の性分化は、Y染色体上の精巣決定遺伝子 Sry から誘導される Sox9 や、M33などの一連の遺伝子発現により制御されるが、これらは、DNA鎖およびクロマチンの高次構造を制御していると推測されており、未分化生殖腺から精巣・卵巣への性分化過程においては、ヒストンのアセチル化や DNA メチル化などエピジェネティックレベルでの遺伝子発現調節機構が関与している可能性が強く示唆されていた。そこで、ヒストンの脱アセチル化酵素 (HDAC)の阻害剤である Trichostatin A を用い、人為的にヒストンのアセチル化パターンの変化を誘導し、生殖腺の発生過程におけるエピジェネティック制御の解析を行った。また。、Dnmt の標的阻害剤である 5-azacytidine を器官培養系に用い、人為的にDNAのメチル化パターンを変化させ、その影響を調べた。

Trichostatin A を、生殖腺の器官培養系に添加した結果、0.1μM 添加精巣培養片では、精巣のサイズの減少が認められ、1μM 条件下では、部分的に精巣索形成が阻害されていた。MIS は、精巣索内のセルトリ細胞に強く認められる事からも、セルトリ細胞の分化は正常に誘導されていた。3β-Hsd の遺伝子発現解析から、ライディッヒ細胞の分化は正常である事が示唆された。胎生期の生殖細胞特異的マーカーである hsp86の局在を調べると、1μM 添加精巣培養片において、生殖細胞数は有意に減少し、約半数の生殖細胞が精巣索外に存在していた。これらの生殖細胞の減数分裂像は認められなかった。以上の事から、TSA は、生殖細胞の発生・分化に影響を与え、また、セルトリ細胞の分化を抑制して精巣索の形成を阻害するものと考えられた。卵巣分化過程において、生殖腺サイズの減少は1μM添加で認められ、生殖細胞数の減少が認められた。以上より、トリコスタチンAによって誘導されたヒストンのアセチル化パターンの変化は生殖細胞の成長、増殖、分化に関与することが示唆された。

性分化過程における一連の遺伝子カスケードにおけるDNAのメチル化の関与を統括的に理解するため、マウス未分化生殖腺の性分化における脱メチル化剤 (5-Azacytidine (AZC)) の影響を検討した。その結果、50μM の AZC 添加精巣培養片においては、正常な精巣索形成が完全に阻害される事を明らかにした。これらの 50μM 添加精巣培養片のおいて laminin-1 は、正常に産生されていた。然し、laminin-1 の分布には大きな異なり、精巣組織内で断片化して存在していることが明らかとなり、断片化した laminin-1 の分布が精巣索形成に抑制的に働いたものと考えられる。また、Sox9 の whole mount in situ hybridization(WISH)法による解析によって、セルトリ細胞自体は正常に分化・誘導されていることが明らかとなった。

Mfge8、3β-Hsd の WISH による解析によって、AZC は、ライディッヒ細胞などの分化に全く影響を与えなかったが、精巣でのライディッヒ細胞は不規則的な分布を示し精巣索-間質領域の正常な形態形成が阻害されることが示唆された。

精巣の形態形成には中腎からの細胞の移動が関与していると考えられている。そこで、AZCの効果が、中腎を介しているか否かを明らかにするため、18〜30tsの生殖腺原基から中腎を除去し生殖腺のみAZC存在下で培養した。その結果、18tsより24tsまでのステージの間の生殖腺において、同様に精巣索-間質領域の正常な形態形成が阻害され、Sox9 や、3β-Hsd の遺伝子発現パターン解析からも、セルトリ細胞・ライディッヒ細胞の分化は正常に誘導されるが、その分布には異常が認められた。また25ts以降は、AZCは、精巣索形成を阻害することは無く、Sox9 や、3β-Hsd の遺伝子発現パターン解析からも、セルトリ細胞・ライディッヒ細胞の分化・分布は正常であった。以上の結果は、精巣への性分化過程の後期(25ts以降)の遺伝子カスケードに、精巣索-間質領域の形態形成に関与する事を示している。そこで、24ts以降に発現し、間質形成に関わると考えられる細胞外基質関連の遺伝子の検索を行った結果、Type IIコラーゲンに属するCol9a3の遺伝子発現が完全に抑制されている事が明らかとなった。Co9a3は、Sox9の直接的な標的遺伝子と考えられ、Col9a3の遺伝子発現に関して、DNAのメチル化が関与している事が示唆された。

この結果は、新規の知見および概念を含み、農学学術上に貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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