学位論文要旨



No 119218
著者(漢字)
著者(英字) Hushur,Orkash
著者(カナ) ワシュル,ウリケシ
標題(和) 宿主域の狭いアルファヘルペスウイルスに関する分子生物学的研究
標題(洋) Molecular Biological Studies on Alphaherpesviruses with a Narrow Host Range
報告番号 119218
報告番号 甲19218
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2769号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 明石,博臣
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 助教授 松本,安喜
 東京大学 助教授 遠矢,幸伸
内容要旨 要旨を表示する

アルファヘルペスウイルス亜科はヘルペスウイルス科に設定されている3つの亜科のうちのひとつである。本ウイルス亜科には、本研究の対象であるウシヘルペスウイルス1型(BHV-1)とイヌヘルペスウイルス(CHV)に加え、オーエスキー病ウイルス(PRV)、マレック病ウイルス、ウマヘルペスウイルス1型などの獣医学分野で重要なウイルスが数多く含まれている。ヘルペスウイルスは120から250kbpの二本鎖DNAをゲノムとする大型ウイルスであり、直径100-110nmの正二十面体構造のヌクレオカプシドとそれを取り囲むテグメントとエンベロープでウイルス粒子は形成されている。エンベロープには少なくとも10種類の糖タンパクが存在し、ウイルスの吸着、侵入に重要な役割を果たすと考えられている。侵入したヌクレオカプシドは細胞質内を移動して核にウイルスDNAを移行させる。ウイルスDNAからは前初期、初期、後期の3遺伝子群がカスケード様に発現し、ウイルスDNAの複製とウイルスタンパクの産生がなされる。核内で組み立てられたヌクレオカプシドは核膜と細胞質膜に出芽してエンベロープを獲得し成熟ウイルスとなる。

アルファヘルペスウイルスの中で最も研究が進んでいるヒト単純ヘルペスウイルス、PRV、ウマヘルペスウイルス1型などは多くの動物種由来の培養細胞で増殖が可能で、自然宿主以外の動物に対しても病原性を示し、広い宿主域を有する。特にPRVは自然宿主であるブタに加え、ヒトを除くほとんどのほ乳類に感染が可能で、感染した場合は重篤な神経症状を引き起こす。対照的に、同じアルファヘルペスウイルスに分類されるBHV-1とCHVの宿主域は狭く、本来の宿主であるウシとイヌにしか通常は病原性を示さず、自然宿主以外の動物由来の培養細胞では増殖しないことが多い。このように同じアルファヘルペスウイルスには宿主域の広いものと狭いものが知られているが、その理由には不明な点が多く残されている。本研究では宿主域の狭いアルファヘルペスウイルスであるBHV-1とCHVの増殖性状の解明を進めるため、その前初期遺伝子と糖タンパクの機能について解析した。さらに、ウイルスベクターとして期待されるCHVの分子生物学的研究を飛躍的に向上させるため、CHVのゲノム全体のクローン化を試みた。

前初期遺伝子発現以降におけるウシヘルペスウイルス1型の増殖抑制

BHV-1は世界中に分布するウシの重篤な呼吸器症の原因であり、生殖器への感染も起こす重要な病原体である。BHV-1はウシ由来のMDBK細胞ではよく増殖するが、マウス由来のA31細胞では増殖しない。一方、PRVは両細胞で増殖が可能である。BHV-lのゲノムにPRVの糖タンパクgBとgCを組み込むとA31細胞への侵入効率が向上するが、核へ移行したゲノムの前初期(IE)遺伝子のひとつであるICP4の転写が検出されず、増殖は認められないことが報告されている。そこで、BHV-1の前初期遺伝子がA31細胞でなぜ活性化しないかを解明するため、IE遺伝子のプロモーター活性をPRVと比較することにより解析した。

緑色蛍光色素(GFP)遺伝子の上流にBHV-lとPRVのIEプロモーターをそれぞれ組み込んだプラスミドをMDBK細胞とA31細胞へ導入して、GFPの発現を比較した。MDBK細胞では両プロモーターともよく機能してGFPの強い発現が認められた。A31細胞では、PRVのプロモーターにより強いGFPの発現が認められたのに対して、BHV-1のプロモーターは著しく弱い活性しか示さなかった。そこで、ニワトリベータアクチンプロモーターによりBHV-1のIE遺伝子をA31細胞でも強く発現するプラスミドを構築した。本プラスミドを感染性BHV-1ゲノムDNAとともにA31細胞へ導入したが、ウイルスの再生産は認められなかった。以上のことからA31細胞のような非感受性細胞でのBHV-1の増殖はIE遺伝子の発現に加え、それ以降の段階でも制約を受ける可能性が明らかになった。

糖タンパクGをコードする塩基配列を欠くイヌヘルペスウイルス変異株の作出とその性状

ヘルペスウイルスの各種糖タンパクは細胞への吸着、侵入に重要な役割を果たし、その宿主域に大きな影響を与えるものと考えられている。CHVの糖タンパクについてはgB、gC、gDなどについての研究が行われているが、gGの機能についての研究は全く行われていない。そこで、gG遺伝子の塩基配列を欠如したCHV変異株を作出し、その性状を解析した。

gG遺伝子欠損CHV変異株(CHVdG)の増殖曲線を、親株を対照に用いて作成したところ、細胞外へのウイルス産生量には有意な差は認められなかった。吸着効率も同程度であり、gGが少なくとも培養細胞レベルでは非必須遺伝子であることが示された。一方、プラックサイズはCHVdGの方が小さく、培養液を介さない cell-to-tell での感染の広がりの効率が低いことが示唆された。そこでメチルセルロースを含む半固形培地下での増殖曲線を検討したところ、増殖効率が親株にくらべ抑制されることが示された。以上のことからCHVのgGは非必須遺伝子であるが、最初に感染した細胞から隣接した細胞への感染拡大の効率を高める機能があることが推定された。

イヌヘルペスウイルスゲノムの感染性 Bacterial Artificial genome としてのクローニング

ヘルペスウイルスの宿主域を含む分子生物学的研究には第二章で用いたような組換え体の作出が必要不可欠であるが、従来の真核細胞内での相同組換え法ではその作出には時間がかかるとともに、煩雑な過程と熟練した手技も必要とされる。一方、ヘルペスウイルスのゲノムは大きく、通常のプラスミドにクローン化することは不可能である。そこで、巨大なDNAのクローン化も可能である Bacterial Artificial genome (BAC) にCHVのゲノムを組み込み、感染性BACとしてクローン化し、簡便な組換え法を可能とすることを試みた。

BACベクターであるpBeloBACIIにGFP遺伝子を追加挿入し、さらにCHVのチミジンキナーゼ遺伝子の中に組み込んだ導入用プラスミドを構築した。本プラスミドをCHV感染細胞に導入し、相同組換えが起きたゲノムに由来するCHVをGFPの発現を指標に選択し、プラック純化した。選択されたCHV (CHV/BAC)はBACベクターをゲノム内に有しており、その感染細胞内の環状化ゲノムDNAを抽出し、大腸菌を形質転換することによりクローン化することに成功した。大腸菌の中でクローン化されたCHV/BACのDNAをMDCK細胞へ導入することにより、感染性のウイルス、CHV/BAC2を回収することもできた。制限酵素切断地図解析により、CHV/BACとCHV/BAC2ともにTK遺伝子中にBACベクターが挿入されていることが示されるとともに、他の遺伝子には変化がないことが確認された。作出されたCHV/BACゲノムは大腸菌の中で迅速かつ簡便に行いうる数多くのDNA改変の手法を応用することを可能にするものと考えられる。

本研究により得られた宿主域の狭いアルファヘルペスウイルスであるBHV-1とCHVの増殖に関する新たな知見に加え、BACにクローン化されたCHVゲノムは今後のアルファヘルペスウイルスの宿主域を規定する因子の解明に貢献するとともに、CHVをベクターとする新規ワクチンや遺伝子治療の開発研究に貢献するものと期待される。

審査要旨 要旨を表示する

ヘルペスウイルスはニ本鎖DNAをゲノムとし、エンベロープを有する大型ウイルスでる。アルファヘルペスウイルス亜科はヘルペスウイルス科に設定されている3つの亜科のうちのひとつである。本亜科で最も研究が進んでいるヒト単純ヘルペスウイルス、オーエスキー病ウイルス(PRV)などは広い宿主域を有するのに対し、ウシヘルペスウイルス1型(BHV-1)とイヌヘルペスウイルス(CHV)の宿主域は狭い。本研究では宿主域の狭いアルファヘルペスウイルスであるBHV-1とCHVの増殖性状の解明を進めるため、その前初期(IE)遺伝子と糖タンパクの機能について解析した。さらに、ウイルスベクターとして期待されるCHVの分子生物学的研究を飛躍的に向上させるため、CHVのゲノム全体のクローン化を試みた。

前初期遺伝子発現以降におけるウシヘルペスウイルス1型の増殖抑制

BHV-1はウシ由来のMDBK細胞で増殖するが、マウス由来のA31細胞では増殖しない。一方、PRVは両細胞で増殖が可能である。BHV-1のゲノムにPRVの糖タンパクを組み込むとA31細胞への侵入効率が向上するが、IE遺伝子の転写が検出されず、増殖は認められない。そこで、BHV-1のIE遺伝子がA31細胞でなぜ活性化しないかを解明するため、IE遺伝子のプロモーター活性をPRVと比較した。緑色蛍光色素(GFP)遺伝子の上流に両ウイルスのIEプロモーターをそれぞれ組み込んだプラスミドをMDBK細胞とA31細胞へ導入して、GFPの発現を比較した。MDBK細胞では両プロモーターともよく機能したが、A31細胞ではBHV-1のプロモーターは著しく弱い活性しか示さなかった。そこで、ニワトリベータアクチンプロモーターによりBHV-1のIE遺伝子をA31細胞でも強く発現するプラスミドを構築し、感染性BHV-1ゲノムDNAとともにA31細胞へ導入したが、ウイルスの再生産は認められなかった。以上のことから非感受性細胞でのBHV-1の増殖はIE遺伝子の発現に加え、それ以降の段階でも制約を受ける可能性が明らかになった。

糖タンパクGをコードする塩基配列を欠くイヌヘルペスウイルス変異株の作出とその性状

CHVの糖タンパクのひとつであるgGの機能についての研究は全く行われていない。そこで、gG遺伝子を欠如したCHV変異株を作出し、その性状を解析した。gG遺伝子欠損変異株(CHVdG)の増殖曲線を、親株を対照に用いて作成したところ、細胞外へのウイルス産生量には有意な差は認められなかった。吸着効率も同程度であり、gGが少なくとも培養細胞レベルでは非必須遺伝子であることが示された。一方、プラックサイズはCHVdGの方が小さく、培養液を介さないcell-to-cellでの感染の広がりの効率が低いことが示唆された。そこで半固形培地下での増殖曲線を検討したところ、増殖効率が親株にくらべ抑制されることが示された。以上のことからCHVのgGは非必須遺伝子であるが、最初に感染した細胞から隣接した細胞への感染拡大の効率を高める機能があることが推定された。

イヌヘルペスウイルスゲノムの感染性Bacterial Artificial genomeとしてのクローニング

巨大なDNAのクローン化も可能であるBacterial Artificial genome(BACにCHVのゲノムを組み込み、感染性DNAとしてクローン化することを試みた。BACベクターとGFP遺伝子をCHVのチミジンキナーゼ遺伝子の中に組み込んだ導入用プラスミドを構築した。本プラスミドをCHV感染細胞に導入し、相同組換えが起きたCHVをGFPの発現を指標に選択した。選択されたCHV(CHV/BAC)の感染細胞内の環状化ゲノムDNAを抽出し、大腸菌を形質転換することによりクローン化に成功した。クローン化されたCHV/BACのDNAを培養細胞へ導入することにより、感染性のウイルス、CHV/BAC2を回収することもできた。制限酵素切断地図解析により、CHV/BACと CHV/BAC2ともにTK遺伝子中にBACベクターが挿入されていることが示されるとともに、他の遺伝子には変化がないことが確認された。作出されたCHV/BACゲノムは大腸菌の中で迅速かつ簡便なDNA改変を可能にするものと考えられる。

本研究により得られた宿主域の狭いアルファヘルペスウイルスであるBHV-1とCHVの増殖に関する新たな知見に加え、BACにクローン化されたCHVゲノムは今後のアルファヘルペスウイルスの宿主域を規定する因子の解明に貢献するとともに、CHVをベクターとする新規ワクチンや遺伝子治療の開発研究に貢献するものと期待される。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)論文として価値あるものと認めた。

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