学位論文要旨



No 119219
著者(漢字)
著者(英字) Jayasekara,Walimuni Samantha Nilanthi
著者(カナ) ジャヤセカラ,ワリムニ サマンタ ニランティ
標題(和) ヤギの妊娠維持における20α-水酸化ステロイド脱水素酵素の役割
標題(洋) The Role of 20α-Hydroxysteroid Dehydrogenase in the Maintenace of Pregnancy in the Goat
報告番号 119219
報告番号 甲19219
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2770号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西原,眞杉
 東京大学 教授 澤崎,徹
 東京大学 助教授 今川,和彦
 東京大学 助教授 内藤,邦彦
 東京大学 助教授 山内,啓太郎
内容要旨 要旨を表示する

アルド・ケト還元化酵素ファミリーに属するステロイド代謝酵素である20α-水酸化ステロイド脱水素酵素(20α-HSD)は、黄体ホルモン(プロゲステロン)を生物学的に不活性な20α-ジヒドロプロゲステロン(20α-OHP)に代謝する酵素である。ラットやマウスなどの不完全性周期を回帰する齧歯類では主として黄体に発現し、黄体を早期に機能的に退行させることにより、約4日間という短い性周期の回帰を可能にしていると考えられている。近年、20α-HSDがラットやマウスにおいて胎盤にも発現していることが示された。さらに最近、筆者らの研究室において20α-HSD遺伝子ノックアウトマウスが作製されたが、このマウスでは総胎子数は変化しないが、生存産子数が有意に減少するという興味深い結果が得られている。プロゲステロンは子宮内膜の着床性増殖の誘起や子宮平滑筋の収縮抑制など哺乳類の妊娠維持に必須の役割を果たしているが、ある種の細胞に対してはその増殖を抑制するなど細胞毒性を有することも知られており、また妊娠マウスの羊膜内にプロゲステロンを投与すると胎子が死亡することも報告されている。これらのことは、プロゲステロンは母体に対しては妊娠維持作用をもつ一方で、胎子に対してはむしろ正常な発生過程や生存を阻害する可能性を示唆している。筆者は、胎盤に発現する20α-HSDは、プロゲステロンを異化することにより胎子を保護するという役割を担っているのではないかと考えた。完全性周期を回帰する動物における生殖機能の制御に20α-HSDが果たす役割は未だ明らかではないが、妊娠中の高プロゲステロン環境下における胎子の保護という20α-HSDの作用は、一部の齧歯類にとどまらず多くの哺乳類に共通するものである可能性がある。本研究は、完全性周期を回帰する反芻動物であるシバヤギをモデル動物として、妊娠維持における20α-HSDの役割の解明を目指したものである。

第1章においては、まずシバヤギ20α-HSD cDNAのクローニングとその塩基配列の決定を試みた。成熟雌シバヤギより排卵後8日の性周期黄体、および妊娠130日の胎盤を採取し、RNAを抽出した。マウス20α-HSD cDNAの塩基配列を元に設計したプライマーを用いてRT-PCRを行った結果、371 bpのcDNA断片が得られた。塩基配列の解析の結果、両組織から得られたcDNA断片の塩基配列は一致しており、マウスおよびラットの20α-HSD cDNAの対応部分とそれぞれ81%および80%の相同性を示したため、これをシバヤギ20α-HSD cDNAの断片であると判断し、3'-RACEおよび5'-RACEを行い全長cDNAを得た。クローニングされたcDNAは323個のアミノ酸をコードし、相同性解析の結果アルド・ケト還元化酵素ファミリーに属することが示され、マウス、ラット、ウサギ、ヒトの20α-HSD cDNAとそれぞれ76%、74%、78%、82%の相同性を有していた。また、このcDNAの塩基配列から想定されるアミノ酸配列には、アルド・ケト還元化酵素としての活性発現に必須であることが知られている4個のアミノ酸(Asp 50、Tyr 55、Lys 84、His 117)が保存されていた。さらに、今回得られたcDNAを用いてグルタチオン転移酵素(GST)との融合タンパク質を大腸菌に発現させた。得られた融合タンパク質からGSTを分離したタンパク質を精製し、20α-OHPを基質にNADPからNADPHへの変換を指標として酵素活性の測定を行ったところ、合成されたタンパク質は確かに20α-HSD活性をもつことが示された。これらの結果より、筆者は本章の研究によりクローニングされたcDNAを、シバヤギ20α-HSD cDNAと確定した。

第2章では、妊娠シバヤギを用いて、母子の各組織における20α-HSD遺伝子の発現、および母体血液、胎子血液、羊水中のプロゲステロン、20α-OHP濃度の経時的変化を解析した。まず、妊娠40日、90日、130日、145日のシバヤギの胎盤における20α-HSD遺伝子の発現を、ノザン・ブロッティングにより調べた。その結果、妊娠40日では20α-HSD mRNAはほとんど検出できなかったが、90日で大きく上昇し、以降妊娠末期まで高いレベルが維持された。In situ hybridization による解析の結果、20α-HSD mRNAは胎盤の母体側の子宮内膜上皮に発現していることが示された。そこで、胎盤以外の子宮における20α-HSD mRNAの発現を検討した結果、妊娠40日では検出できなかったが、90日で弱い発現が、130日、145日で強い発現が見られた。なお、黄体期の非妊娠シバヤギの子宮においては20α-HSD mRNAは検出できなかった。さらに、胎盤、子宮のサイトゾール中の20α-HSD活性を測定したところ、妊娠40日では活性は認められなかったが90日、130日では検出され、145日では特に高い活性が検出された。また、妊娠母体の肝臓、腎臓、脾臓、副腎における20α-HSD mRNAの発現をRT-PCR検討した結果、腎臓にのみ弱い発現が見られたが、その他の臓器では検出できなかった。黄体においては、性周期黄体では検出されたものの、妊娠黄体においては検出されなかった。一方、胎子においては肝臓では20α-HSD mRNAが検出されたが、腎臓、脾臓、副腎、および皮膚では発現は認められなかった。これらの結果より、シバヤギにおいては妊娠の中期から後期にかけて、子宮と胎盤では特異的に20α-HSD遺伝子の転写が高まり、酵素活性をもつ20α-HSDタンパク質が発現していることが明らかとなった。

次に、妊娠40日、90日、130日、145日の母体血液、胎子血液、および羊水中のプロゲステロンと20α-OHP濃度をラジオイムノアッセイにより測定した。母体の血清中プロゲステロン濃度は妊娠40日よりも90日、130日で高く、分娩直前の145日には低下するという変化を示した。母体血清中の20α-OHP濃度もほぼ同様の消長を示したが、20α-OHP/プロゲステロン比は妊娠40日が最も低く、移行徐々に上昇し、妊娠145日で最も高くなった。両ホルモンの血清中濃度が最も高くなるのは、プロゲステロンは妊娠90日で8.2ng/ml、20α-OHPは妊娠130日で6.6ng/mlであった。一方、胎子血液は妊娠40日には採取できなかったが、90日、130日、145日に採取した血液で測定した結果、血清中20α-OHP濃度は90日、130日では高く145日には低下するという消長を示し、すべての時期で母体の血清中濃度よりも高く、最高値は妊娠130日で11.2ng/mlであった。しかし、胎子の血清中プロゲステロン濃度はきわめて低く、測定したすべての時期で0.7ng/ml以下であった。羊水中のプロゲステロンと20α-OHP濃度もきわめて低く、妊娠末期に向けて上昇する傾向を示したがすべての時期でともに0.8ng/ml以下で推移した。

以上のように、本研究によりシバヤギでは妊娠の中期から後期に胎盤と子宮において20α-HSDが遺伝子レベルおよび活性レベルで発現していることが示された。これらの発現は、妊娠中の母体血液には20α-OHPが高濃度で存在すること、また20α-OHP/プロゲステロン比が妊娠末期に向けて上昇していくことによく反映されていた。胎子血液中にも高濃度の20α-OHPが存在したが、プロゲステロン濃度は母体血液中の約10%程度と極めて低いレベルに抑えられていた。このことは、母体から胎子へ移行する段階で、あるいは胎子の体内でプロゲステロンから20α-OHPへの異化が起こっていることを示唆している。すなわち、胎盤やあるいは胎子の肝臓に発現している20α-HSDが胎子を低プロゲステロン環境下に置くことに大きく貢献しているものと考えられる。また、胎子血液と羊水中のプロゲステロン濃度は妊娠期を通してほぼ同じで、プロゲステロンは胎子の体内ばかりではなく胎子を取り巻く環境においても極めて低レベルに維持されていることが明らかとなった。

ラットやマウスの20α-HSD遺伝子のプロモーター領域にはプロゲステロン応答配列が存在することが知られているので、本研究においてシバヤギの胎盤や子宮内膜で観察された妊娠中期以降の20α-HSDの発現は、この時期の血中プロゲステロンの上昇によりが誘導されている可能性がある。また、やはり齧歯類においてはプロスタグランジンF2α(PGF2α)が20α-HSD遺伝子の発現を上昇させることが示されているので、プロゲステロン濃度が低下する妊娠末期においては、子宮から放出されるPGF2αにより20α-HSDの発現が高まっていることが示唆される。ただ、非妊娠期の子宮においてはプロゲステロンレベルの高い黄体期においても20α-HSDの発現が見られなかったことから、子宮内膜上皮における20α-HSDの発現には胎子由来の因子が重要な役割を果たしている可能性が考えられた。

以上、本研究の結果は、従来一部の齧歯類の黄体退行に特異的に関わっていると考えられていた20α-HSDが、妊娠中母体より大量に分泌されるプロゲステロンを胎盤において異化し、胎子を低プロゲステロン環境下におくことにより発生過程をその毒性から保護するという多くの哺乳類に共通する普遍的な機能を担っていることを示唆するものである。本研究で得られた知見は、哺乳類の妊娠維持機構や分娩初来機構の比較生物学的理解を深めるとともに、反芻動物の流産の防止などにも大きく貢献するものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

20α-水酸化ステロイド脱水素酵素(20α-HSD)は、プロゲステロンを生物学的に不活性な20α-ジヒドロプロゲステロン(20α-OHP)に代謝する酵素である。ラットやマウスでは主として黄体に発現してその退行に関与しているが、近年、胎盤にも発現していることが示された。さらに最近、申請者らの研究室において20?-HSD遺伝子ノックアウトマウスが作製されたが、このマウスでは総胎子数は変化しないが、生存産子数が有意に減少していた。プロゲステロンは哺乳類の妊娠維持に必須の役割を果たしているが、ある種の細胞に対してはその増殖を抑制するなど細胞毒性を有することも知られている。これらのことは、高濃度のプロゲステロンは胎子の正常な発生過程や生存を阻害しうることを示唆しており、胎盤に発現する20?-HSDはプロゲステロンを異化することにより胎子を保護するという役割を担っている可能性が考えられる。本研究は反芻動物であるシバヤギをモデル動物として、妊娠維持における20?-HSDの役割を明らかにすることを目的としたものである。

第1章においては、シバヤギ20?-HSD cDNAのクローニングとその塩基配列の決定を試みた。成熟雌シバヤギより黄体および胎盤を採取し、RNAを抽出した。マウス20?-HSD cDNAの塩基配列を元に設計したプライマーを用いてRT-PCRを行い、さらに3'-RACEおよび5'-RACEにより全長cDNAを得た。クローニングされたcDNAは323個のアミノ酸をコードし、相同性解析の結果アルド・ケト還元化酵素ファミリーに属することが示され、マウス、ラットの20?-HSD cDNAとそれぞれ76%、74%の相同性を有していた。さらに、得られたcDNAを用いてグルタチオン転移酵素(GST)との融合タンパク質を大腸菌に発現させた。得られた融合タンパク質からGSTを分離したタンパク質を精製して酵素活性の測定を行ったところ、合成されたタンパク質は確かに20?-HSD活性をもつことが示された。これらの結果より、本章の研究によりクローニングされたcDNAは、シバヤギ20?-HSD cDNAであると判断された。

第2章では、まずシバヤギの胎盤における20?-HSD遺伝子の発現を、ノザン・ブロッティングにより調べた。その結果、妊娠40日では20?-HSD mRNAはほとんど検出できなかったが、90日で大きく上昇し、以降妊娠末期まで高いレベルが維持された。胎盤以外の子宮においても、妊娠40日では検出できなかったが、90日で弱い発現が、130日、145日で強い発現が見られた。さらに、胎盤、子宮のサイトゾール中の20?-HSD活性を測定したところ、妊娠40日では活性は認められなかったが90日、130日では検出され、145日では特に高い活性が検出された。一方、胎子においては肝臓では20?-HSD mRNAが検出されたが、他の組織では発現は認められなかった。母体の血清中プロゲステロン濃度は妊娠40日よりも90日、130日で高く、145日には低下した。母体血清中の20?-OHP濃度もほぼ同様の消長を示した。両ホルモンの血清中濃度が最も高くなるのは、プロゲステロンは妊娠90日で8.2 ng/ml、20?-OHPは妊娠130日で6.6 ng/mlであった。一方、胎子血清中20?-OHP濃度は90日、130日では高く145日には低下するという消長を示したが、すべての時期で母体の血清中濃度よりも高く、最高値は妊娠130日で11.2 ng/mlであった。しかし、胎子血清中プロゲステロン濃度はきわめて低く、測定したすべての時期で0.7 ng/ml以下であった。羊水中のプロゲステロンと20?-OHP濃度もきわめて低く、すべての時期でともに0.8 ng/ml以下で推移した。これらの結果より、母体から胎子へ移行する段階で、あるいは胎子の体内でプロゲステロンから20?-OHPへの異化が起こっていることが示唆された。

以上、本研究の結果は、従来一部の齧歯類の黄体退行に特異的に関わっていると考えられていた20?-HSDが、妊娠中母体より大量に分泌されるプロゲステロンを胎盤において異化し、胎子を低プロゲステロン環境下におくことにより発生過程をその毒性から保護するという多くの哺乳類に共通する普遍的な機能を担っていることを示唆するものである。本研究で得られた知見は、哺乳類の妊娠維持機構や分娩初来機構の比較生物学的理解を深めるとともに、反芻動物の流産の防止などにも大きく貢献するものと考えられ、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものとして認めた。

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