学位論文要旨



No 119221
著者(漢字) 岡本,美輪
著者(英字)
著者(カナ) オカモト,ミワ
標題(和) 土壌中に存在する利用可能な窒素の形態と数種のイネ科作物による吸収に関する研究
標題(洋) Studies of available forms of nitrogen in soils and their differential utilization by gramineous crops
報告番号 119221
報告番号 甲19221
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2772号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農学国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 客員助教授 岡田,謙介
 東京大学 教授 西澤,直子
 東京大学 教授 大杉,立
 東京大学 助教授 山川,隆
 東京大学 助教授 山岸,順子
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景と目的(第1章)

農業における有機物の施用は,作物に必要な窒素(N)を緩効的に供給して環境負荷を抑えるとともに,資源の有効利用という観点から,持続的な作物生産を行う上で重要な技術である.土壌に施用された有機物中のNは,微生物による分解を受けながら有機態(タンパク質,アミノ酸等)を経て,最終的に無機態(アンモニウム,硝酸)へと無機化され,植物に吸収される.しかし,低温等で有機物の無機化が遅い環境条件に適応した植物では,無機態Nよりも土壌に蓄積しやすい有機態Nを優先的に吸収することが証明されている.農業生態系においても,無機化を待たずに有機態Nを吸収できる植物は,無機態Nのみしか吸収できない植物に比べて,窒素競合の面で有利であると考えられる.作物ではこれまでに,イネとトウモロコシがアミノ酸を吸収することが確認されている.一方,ソルガムとパールミレットは,世界の収穫面積がコムギ,イネ,トウモロコシ,オオムギに次ぐ重要な穀類であるが,有機態N吸収の可能性についてはまだ調べられていない.そこでまず,この2作物がおもに栽培される熱帯地域について,土壌中の各種N形態分布を調査し,有機態Nの相対的重要性を解明した.さらに,この2作物にイネ,トウモロコシを加えたイネ科4作物について,無機態および有機態Nに対するN吸収特性を比較し,有機態N吸収の可能性を検討した.

各種土壌中の窒素形態分布(第2章)

アジア,南アメリカ,西アフリカの各地から集めた温帯性および熱帯性土壌23種を分析に供した.これらの土壌から,可給態Nとして,2 M KCl抽出法による無機態N(アンモニウム,硝酸)と,リン酸緩衝液抽出法による有機態N(PEON: phosphate-buffer-extractable organic nitrogen)を抽出し,分析した.

PEONは,土壌の種類に関係なく一様に,分子量約8,000 DaのN化合物を含むことが,分子篩クロマトグラフィーによる分析から示唆された(図1).同様の傾向はこれまで日本の土壌分析では認められていたが,外国の熱帯性の土壌にも共通の物質が存在することを証明したのは本研究が初めてである.

各種土壌中のPEON量は無機態N量のおよそ4倍であり,温帯性の土壌でおおむね多く,熱帯性の土壌で少ない傾向であった.一方,土壌全Nに占めるPEONの割合は,温帯性の土壌で逆に低く,熱帯性の土壌で高かった.すなわち,熱帯性の土壌ではPEONが主要な可給N形態であり,土壌Nにおける有機態Nの重要性が高いと考えられた.

有機態窒素に対するイネ科作物の反応特性(第3章)

2000年と2001年の2年間にわたり,茨城県つくば市において圃場試験を実施した.無N区(0 kg N ha-1),無機態N区(150 kg N ha-1, 尿素),有機態N区(150 kg N ha-1, 米糠と稲わらの混合物,C/N比20)の3区を設け,ソルガム,イネ,トウモロコシ,パールミレットを栽培した.

施用N形態の違いに対する作物の生育反応は大きく2つのパターンに分かれた.ソルガムとイネは,米糠・稲わらを施用した有機態N区でもっとも生育がよく(図2),N吸収量も高かった.一方,トウモロコシとパールミレットでは,処理間に生育の差は認められなかった(図2).いずれの作物も,開花後は処理間差がみられなくなった.

そこで,開花前の時期について土壌中のNを調べたところ,無機態N量は処理間差がみられなかったのに対し,PEON量は有機態N区でもっとも高かった.すなわち,ソルガムとイネの生育は土壌中の有機態N量と,トウモロコシとパールミレットは無機態N量とそれぞれ対応することが明らかとなった.

イネ科作物による有機態窒素吸収の可能性の検討(第4章)

次に,人工気象室内でポット試験を行った.バーミキュライトを添加した畑土壌に,N量として500 mg kg-1 soilを,硝酸アンモニウム(硝安区),米糠(米糠区,C/N比12),米糠と稲わら(米糠・稲わら区,C/N比20)の形態でそれぞれ施用し,対照区(無N区)にはNを施用しなかった.また,リンとカリウムの施用量は,有機物に含まれる量を考慮して,各処理区で統一した.各土壌を25℃で14日間培養後,4作物を移植し,室温25℃の人工気象室内で21日間栽培した.

土壌中の無機態N量は,硝安区でもっとも高く,つづいて米糠区,米糠・稲わら区,無N区の順に低くなった(図3).一方,PEON中のタンパク態N量は,米糠・稲わら区でもっとも高く,米糠区がそれに次ぎ,硝安区と無N区は低い値であった(図3).

作物の生育反応は,圃場試験と同様に,大きく2つのパターンに分かれた.すなわち,ソルガムとイネは,硝安よりも有機物を施用した区でN吸収量が高くなる傾向がみられ(図4),土壌中のタンパク態N量を反映した結果となった.それに対し,トウモロコシとパールミレットのN吸収量は土壌中の無機態N量の傾向と類似していた(図4).根の長さ,表面積,フラクタル次元などの根系形質には処理間差があまりなかったことから,生育の違いは根系構造ではなく栄養条件の違いによってもたらされたと考えられた.

そこで,無機態Nである硝酸が吸収される際にカウンターイオンとして同時に吸収が高まるカリウムについて,各作物の含有率を調べたところ,ソルガムとイネでは処理間差がほとんどみられなかったのに対し,トウモロコシとパールミレットでは硝安区で特に高かった.このことからも,トウモロコシとパールミレットは,N源としておもに無機態Nを吸収していると考えられた.一方,ソルガムとイネの生育が,土壌無機態N量の少なかった米糠区や米糠・稲わら区で高まった理由として,これら2作物が無機態Nだけでなく,タンパク質のような有機態Nも吸収しているためと考えられた.

また,ソルガムの米糠区と米糠・稲わら区では,栽培土壌中の無機態N量が,非栽培土壌中に比べて減少しておらず(表1),この両区では無機態Nが吸収されていなかったと考えられた.一方イネではこの両区においても無機態N吸収が認められた.したがって,ソルガムのN吸収は,土壌中のN条件により,無機態か有機態のいずれかに偏る傾向があり,それに対しイネでは,N条件にかかわらず,無機態と有機態を同時に吸収するという傾向の違いが示唆された.

イネ科作物による有機態窒素吸収速度の検討(第5章)

さらに水耕試験を行い,有機態Nの吸収速度について検討した.水耕試験では有機態N源としてアミノ酸を用いることが多いが,本研究ではアミノ酸よりも土壌中の存在量が多いタンパク態Nを,土壌から直接抽出・精製して使用した.その結果,ソルガムとイネはトウモロコシよりも有機態N吸収速度が高く,パールミレットはほとんど吸収しないことが証明された(図5).

まとめ(第6章)

本研究により,土壌中のリン酸緩衝液抽出性有機態Nは,土壌の種類にかかわらず分子量がほぼ一定の均質な物質を含むと考えられ,特に熱帯性の土壌において重要なN形態であることが明らかになった.また,世界的に主要な作物である,ソルガム,イネ,トウモロコシ,パールミレットについて,有機態N吸収能力を検討した結果,ソルガムとイネは土壌中の有機態Nを吸収する能力が高く,逆にトウモロコシとパールミレットは無機態N吸収に依存する傾向が強いことが示された.これまでイネとトウモロコシに関しては,有機態N吸収特性について既にいくつかの知見が報告されているが,ソルガムとパールミレットの特性の違いを明らかにしたのは本研究が初めてである.ソルガムとイネの有機態N利用特性は,有機態Nの相対的重要性が高い熱帯地域の土壌において,特に生育初期のNを効率よく獲得する上で有効に働くと考えられる.

23種類の土壌から抽出されたPEONの分子篩HPLCクロマトグラム

赤線は標準物質 1: Thyroglobulin (670,000 Da), 2: Gamma globulin (158,000 Da), 3: Ovalbumin (44,000 Da), 4: Myoglobin (17,000 Da), 5: Vitamin B-12 (1,350 Da).

圃場におけるソルガムとトウモロコシの生育.

非栽培土壌中の無機態およびタンパク態窒素濃度の推移.

グラフの値は平均値±標準誤差.

移植後21日目における4作物の窒素吸収量.

図中の異なるアルファベットは5%水準で有意な処理間差があることを表す.

移植後21日目における非栽培および栽培土壌中の無機態窒素量.

( )内は非栽培土壌に対する割合%.

単位根あたり窒素吸収速度.

グラフの値は平均値±標準誤差.

審査要旨 要旨を表示する

植物が無機養分のみで生長することはリービッヒの無機栄養説提唱以来よく確立されてきたことであるが、このことはすべての植物が有機態養分を全く利用しないということを意味しているわけではない。実際、無機化が遅い冷涼気候下の植物に窒素源として主にアミノ酸を吸収している植物があることは知られており、近年は陸稲、オオムギなどの畑作物、チンゲンサイなどの冬野菜が有機態窒素を主な窒素源としていることが示されてきた。

先進国では、農地への大量の窒素肥料施用による地下水や河川の環境汚染が問題になって有機態窒素の施用に目が向けられており、一方途上国では化学肥料が高価なため現地で入手可能な有機物の施用に重点が置かれている。したがって植物種ごとの利用窒素の形態を明らかにすることは、先進国、途上国双方の施肥管理手法の確立にとって重要である。本研究は世界の温帯・熱帯で主要な4つの穀類について、その有機態窒素の利用特性を解明したものである。

第1章は論文全体の序章であり、土壌中窒素の有機態から無機態への変化についての既往の知見をまとめたのち、有機態窒素吸収が示されている従来の報告を概観している。これまで植物体の窒素吸収は無機態についてのみ注目されてきたため、このように有機態窒素吸収について整理したまとめは、意義のあるものである。

第2章では、有機態窒素の形態と存在量について、温帯・熱帯の広い範囲の土壌について分析した。有機態窒素のなかでも可給態と考えられる中性リン酸緩衝液抽出有機態窒素 (PEON) は、土壌の種類に関係なく一様に、分子量約8,000Daの窒素化合物を含むことが明らかにされた。同様の知見はこれまで日本の土壌分析では認められていたが,外国の熱帯性の土壌にも共通の物質が存在することを証明したのは本研究が初めてである.また全窒素に占めるPEONの割合が熱帯性の土壌でむしろ高いことを示し、熱帯では高温のため軽視されがちな有機態窒素の役割が低くはないことを証明している。

第3章では、2年間にわたる圃場試験から、施用窒素形態の違いに対する作物の生育反応は2つのパターンに分かれることを見いだした。すなわち、ソルガムとイネは、有機態窒素区でもっとも生育がよく窒素吸収量も高かったのに対し、トウモロコシとパールミレットでは,処理間に生育の差は認められなかった。従来イネが有機態窒素によく反応することが報告されていたが、ソルガムも同様の特性を持っていることが明らかになった。この結果は半乾燥熱帯で主に栽培されているソルガムの施肥管理方法改善のための重要な基礎知見となるものである。

第4章では、同様の実験を環境制御下のポット実験で実施し、圃場と同様に、4作物が有機態窒素によく反応するグループ(ソルガム、イネ)と無機態窒素に反応するグループ(トウモロコシとパールミレット)2つに分かれることを確認した。本実験では施用窒素の下方流去がなく、また厳密な施肥設計によって施用有機物中のリンとカリの含量も考慮して同一施用条件とされており、圃場試験で残されたいくつかの問題点を解消することができた。

第5章ではさらに、水耕試験を行い、4作物の有機態窒素の吸収速度について検討した。この試験では、よく有機態窒素源として用いられるアミノ酸ではなく、それよりも土壌中の存在量が多いタンパク態窒素を、土壌から直接抽出・精製して使用した。その結果,ソルガムとイネはトウモロコシよりも有機態窒素吸収速度が高く,パールミレットはほとんど吸収しないことが証明された。この結果から、圃場やポット試験で認められたイネとソルガムの有機態窒素施用に対する高い反応の、少なくとも一部が、有機態窒素の直接吸収速度の違いによって説明された。

第6章は総合考察であり、上記試験結果の意義付けについて考察したのち、タンパク態窒素の可能性の高い吸収メカニズムについても、論じている。

以上、本論文は、従来あまり注目されてこなかった有機態窒素の利用に関する種間差について、主要なイネ科4作物を用い、圃場および実験室という2つのレベルから明らかにし、さらに有機態窒素の直接吸収速度について植物栄養学的に解明して、種間差のメカニズムを明らかにしたものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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