学位論文要旨



No 119225
著者(漢字) 蔦,瑞樹
著者(英字)
著者(カナ) ツタ,ミズキ
標題(和) マルチスペクトルイメージングによる食品の品質・安全性評価技術の開発
標題(洋)
報告番号 119225
報告番号 甲19225
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2776号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農学国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 相良,泰行
 東京大学 教授 大政,謙次
 東京大学 教授 樋口,俊郎
 東京大学 助教授 露木,聡
 食品総合研究所 研究室長 杉山,純一
内容要旨 要旨を表示する

近年、消費者の健康志向が高まり、食生活の面でも食品の品質や安全性に対する関心が一層強まっている。また、「おいしいものを食べたい」という普遍の欲求に応え、高品質な食品を生産するためにも、品質評価は重要視されている。現在利用されている多様な品質評価手法のなかでも、近赤外分光法に基づく非破壊計測・評価技術は、いわゆる光センシング技術として広く普及している。しかしながら、近赤外分光法では1つの受光部によるポイント測定を行っているため、特定部位における対象成分の平均値は測定できても、食品内部の成分分布を測定することができないという限界がある。食品内部の成分分布は、その品質を左右する重要な指標であるので、これを簡便かつ視覚的に把握する手法の開発が求められている。

そこで本研究では、対象の分光特性や蛍光特性と空間情報を同時に取得し、これを解析することにより、対象の成分分布や内部構造を明らかにする「マルチスペクトルイメージング」に着目した。この手法を適用することにより、成分分布や内部構造の定量的な計測が可能になり、より正確な食品の品質や安全性評価に応用可能であると考えられた。そこで本研究ではマルチスペクトルイメージングの課題を明らかにし、それらを解決する手法を新たに提案することとした。また、この提案に基づき新規に開発した手法やシステムを実際の食品試料に適用し、その有効性を確認することとした。すなわち本研究の目的は、マルチスペクトルイメージングによる食品の品質及び安全性評価技術を開発し、それらの応用面における有効性を確認することにある。

本研究では、先ず、マルチスペクトルイメージングの一つの手法である「近赤外分光イメージング手法」に関する既往の研究例について検討し、この手法をさらに発展させるための課題として、(1)1,800nm以上の長波長領域では、安定した計測が困難であり、検出器が高価である、(2)試料または計測器の物理的移動を伴う計測法は位置情報の取得に長時間を要する、(3)バンドパスフィルタによる分光方式は対象成分の吸収帯特定に予備実験が必要である上、多様な青果物や食品内部の成分分布可視化に対応できない、などの点を明らかにした。

このような課題を解決するため、(1)検出器が比較的安価であり、物質の光吸収が少ない波長範囲400〜1,100nmのスペクトルの測定を行う、(2)試料厚さの影響が少ない反射スペクトル測定を行う、(3)位置情報の取得を高速化するため、イメージ撮影法を採用する、(4)吸収帯の特定から成分分布可視化までを一括して行うため、また様々な食品や成分に対応するため、連続スペクトルが測定可能な分光法を採用する、の4条件を満足するシステムとして、「近赤外高速ハイパースペクトルシステム」を開発した。これらの条件に基づき試作したシステムは、冷却CCDカメラと液晶チューナブルフィルタより構成され、400〜1,100nmの範囲でハイパースペクトルの取得が可能であることが分かったので、メロンの果肉断面における糖度分布の可視化を試みた。その結果、得られた検量線の精度は高く、糖度分布の可視化画像は実際の糖度分布を正確に反映していることが確認された。すなわち、本システムを用いて精度の高い検量線の作成と様々な食品の成分分布可視化が可能であると考えられた。そこで、本システムを応用してブルーベリー果実原料に混入する異物の検知技術を開発した。その結果、異物を正確に検知でき、加工現場で要求される広範囲の検査にも適用可能であることが明らかになった。

これまでに開発した近赤外高速ハイパースペクトルシステムは成分分布可視化や安全性評価に有用であるが、(1)サンプルの位置決めと保持、CCDカメラの焦点調節などの作業に熟練を要する、(2)サンプルの撮影面を均一に照明するのは困難であり、画像処理を行っても、照明ムラによる測定誤差を完全に除去することは出来ない、(3)CCD素子の冷却温度や環境温の変動によりCCD素子の感度が変化するため、経時的な測定誤差が生じる、という課題が残された。そこで、これらの課題を解決すべく、取り扱いが簡便で、常に一定の条件で対象をスキャンできるイメージスキャナに着目し、任意の波長で対象をスキャン可能な「マルチバンドイメージスキャナ」を開発した。さらに、試作した装置を用いてメロンの果肉断面における糖度分布を可視化した。この試作装置により作成した検量線の精度は高く、実際の果実内糖度分布を反映した正確な可視化画像を、近赤外高速ハイパースペクトルシステムよりも高精細に構築することが可能となった。

次に、近赤外分光イメージング手法の計測対象である吸光スペクトルと、励起・蛍光マトリックス(Excitation-Emission Matrix: EEM)の特性を比較した。EEMは対象の蛍光強度を、励起波長及び蛍光波長を独立して走査しながら計測して得られ、等高線状のグラフとして表示される。したがって、EEMは吸収と発光の2過程を観察して得られる3次元データであり、2次元データである吸光スペクトルと比較すると取得できる情報量は膨大である。また、EEM計測の既往研究を検討した結果、EEMが生理機能の情報取得や成分同定に有効であると考えられた。

このようなEEMの膨大な情報量を活かし、EEMと位置情報を同時に取得して解析する「EEMイメージング手法」を開発することにより、近赤外分光イメージング手法よりも詳細に成分分布を可視化できると考えられた。しかしながら、既往の研究例から、(1)EEMと位置情報を同時に取得する計測システムを開発した報告例がない、(2)EEMの膨大な情報量を損なわずに、その特性を解析した研究が数少ない、などの課題が明らかとなった。そこで、(1)任意波長での対象の励起が可能、(2)任意波長で対象の蛍光観察が可能、(3)対象の任意の位置を計測可能、という3点の特徴を備えた「3次元スペクトルイメージングシステム(Three-Dimensional Spectral Imaging System: 3D-SIS)」を開発した。

本システムは近赤外高速ハイパースペクトルシステムと、任意の波長で試料を照明する分光照明部及び試料の任意の深さにおける断面を連続的に露出させる「マイクロスライサ」より構成され、励起波長範囲200〜1,000nm、蛍光波長範囲400〜1,100nmで、任意の深さにおける試料断面を計測可能である。さらに、3D-SISを用いて得られる膨大なデータを、その情報量を損なうことなく解析するため、EEMの主成分分析と、主成分プロットのL*a*b*色空間への変換、及び計測データの人工彩色により、立体試料におけるEEM特性分布を可視化する手法を開発した。次に、開発した3D-SIS及びEEMイメージングデータの解析・可視化手法の有効性を実証するために、大豆の立体的構造の可視化を試みた。その結果、アリューロン層、胚及び葉脈状構造の存在部位が観察可能となり、それぞれが全く異なるEEM特性を持っていることが明らかとなった。特に、葉脈状構造の特徴的な分布形態が明確に観察でき、本研究で開発した3D-SIS及びEEMイメージングデータの解析・可視化法は、多成分からなる食品の内部構造可視化に有用であることが分かった。そこで、3D-SIS及びEEMイメージングデータの解析・可視化手法を応用し、コショウにおけるγ線照射処理の検知可能性を検討した。その結果、γ線照射の線量が増加するにつれてEEM特性が変化していくことが明らかとなった。 したがって、本研究で開発したEEMイメージング手法により、農産物や食品の流通・処理・加工などの過程における成分やその分布の変質を定量的にモニタリングすることが可能であると考えられ、食品の品質・安全性評価にEEMイメージング手法を応用することの有効性が実証された。

以上のように、本論文ではマルチスペクトルイメージングの課題を解決するために新しい計測システムとデータ解析手法を開発し、実際の食品試料に適用することにより、それぞれのシステムや手法の有用性を確認した。その結果、本研究により開発した近赤外分光イメージング手法と試作システムは実用的技術として有効であることを立証したと考えられる。また、EEMイメージング手法におけるEEMと位置情報を同時に取得する試みは、その新規性と有用性に於いて高い評価を受けるものと考えられる。しかも、この手法が食品の内部構造や成分の変質の検知に有効であることを実証できたことにより、マルチスペクトルイメージングの研究・開発分野にブレークスルーをもたらす成果が得られたと考えられた。

今後、本研究の成果を融合してシステム化することにより、近赤外分光イメージングとEEMイメージングの手法の双方による計測が可能な「汎用型マルチスペクトルイメージングシステム」の開発が可能となり、このようなシステムにより臨機応変なマルチスペクトルイメージングの利用が実現すると考えられる。また、本研究の成果は、食品内の成分分布と官能評価スコアを比較・検討することにより、消費者の嗜好特性にマッチした新食品の開発を行う研究や、青果物における残留農薬の分布を明らかにして可食部の安全性を定量的に評価する研究など、消費者に安全と安心を届け、食生活にアメニティーをもたらすための食品の品質・安全性評価に応用することが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本論文では、食品内部の成分分布と構造を簡便かつ視覚的に把握するため、対象の分光特性や蛍光特性と空間情報を同時に取得・解析する「マルチスペクトルイメージング」に着目した。申請者は、この手法を応用することにより、成分分布や内部構造の定量的な計測が可能になり、より正確な食品の品質や安全性評価に適用可能であると着想し、以下のような研究目的を設定した。すなわち、マルチスペクトルイメージングの適用範囲を拡大する手法を新たに提案すること、この提案に基づき新規に開発した手法やシステムを実際の食品試料に適用し、その有効性を確認すること、さらに、マルチスペクトルイメージングによる食品の品質及び安全性評価技術を開発し、それらの応用面における有効性を確認することの三点である。

本研究では、先ず、マルチスペクトルイメージングの一つの手法である「近赤外分光イメージング手法」に関する既往の研究例について検討した上で、その課題を解決する計測システムとして、「近赤外高速ハイパースペクトルシステム」を開発した。本システムは400〜1,100nmの範囲でハイパースペクトルの取得が可能であり、これを用いてメロンの果肉断面における糖度分布の可視化を試みた。その結果、得られた検量線の精度は高く、糖度分布の可視化画像は実際の糖度分布を正確に反映していることが確認された。次に、本システムを応用してブルーベリー果実原料に混入する異物の検知技術を開発した。その結果、異物を正確に検知でき、加工現場で要求される広範囲の検査にも適用可能であることが明らかとなった。

また、より簡便かつ安定した計測を行うため、常に一定の条件で対象をスキャンできるイメージスキャナに着目し、任意の波長で対象をスキャン可能な「マルチバンドイメージスキャナ」を開発した。さらに、試作した装置を用い、メロンの果肉断面における糖度分布を可視化した。得られた検量線の精度は高く、実際の糖度分布を反映した正確かつ高精細な可視化画像を構築することが可能となった。

次に、近赤外分光イメージング手法の計測対象である吸光スペクトルと、励起・蛍光マトリックス(EEM)の特性を比較した。EEMは対象の蛍光強度を、励起波長及び蛍光波長を独立して走査しながら計測して得られる、吸収と発光の2過程を反映した3次元データであり、その情報量は吸光スペクトルよりも膨大である。また、EEM計測の既往研究を検討した結果、EEMが生理機能の情報取得や成分同定に有効であると考えられた。したがって、EEMと位置情報を同時に取得して解析する「EEMイメージング手法」を開発することにより、近赤外分光イメージング手法よりも詳細に成分分布を可視化できると考えられた。そこで、計測システムとして「3次元スペクトルイメージングシステム」を新規に開発した。本システムは励起波長範囲200〜1,000nm、蛍光波長範囲400〜1,100nmで、試料の任意の位置におけるEEMを計測可能である。さらに、EEMの主成分分析と主成分プロットのL*a*b*色空間への変換、及び計測データの人工彩色により、立体試料におけるEEM特性分布を可視化する手法を開発した。次に、上記の計測システム及び可視化手法よりなるEEMイメージング手法の有効性を実証するために、大豆の立体的構造の可視化を試みた。その結果、アリューロン層、胚及び葉脈状構造が、それぞれが全く異なるEEM特性を持つ部位として観察可能となり、本研究で開発したEEMイメージング手法が、多成分からなる食品の内部構造可視化に有用であることが分かった。そこで、EEMイメージング手法によるコショウにおけるγ線照射処理の検知可能性を検討した。その結果、γ線照射の線量が増加するにつれてEEM特性が変化していくことが明らかとなった。以上より、EEMイメージング手法が食品の品質・安全性評価に有効であることが実証された。

以上のように、本論文ではマルチスペクトルイメージングの適用範囲を拡大する計測システムとデータ解析手法を新規に開発し、実際の食品試料に適用することにより、それぞれのシステムや手法の有用性を確認した。その結果、本研究により開発した近赤外分光イメージング手法と試作システムが実用的技術として有効であることを立証したと考えられる。また、EEMと位置情報を同時に取得するEEMイメージング手法は新規性が高い上、この手法が食品の内部構造可視化や成分の変質の検知に有効であることを実証できたことにより、マルチスペクトルイメージングの研究・開発分野にブレークスルーをもたらす成果が得られたと考えられた。以上の審査結果から、審査委員一同は本論文の学術的な独創性と実用的な有用性を高く評価し、博士学位論文として価値あるものと認めた。

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