学位論文要旨



No 119227
著者(漢字) 森澤,亜希
著者(英字)
著者(カナ) モリサワ,アキ
標題(和) 熱帯熱マラリア原虫感染赤血球の宿主細胞接着における多様性に関する基礎研究
標題(洋) Study on the variation in the cytoadhesion of Plasmodium falciparum-infected erythrocytes to host cells
報告番号 119227
報告番号 甲19227
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2778号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農学国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 松本,安喜
 東京大学 教授 林,良博
 東京大学 教授 小野,憲一郎
 東京大学 教授 小川,和夫
 東京大学 助教授 松本,芳嗣
内容要旨 要旨を表示する

マラリアはマラリア原虫の感染によって起こる寄生虫性疾患であり熱帯・亜熱帯を中心に世界100ヶ国以上で流行している。現在、世界人口の約40%がマラリア汚染地域に居住し、年間3億人以上が感染し、少なくとも100万人が死亡していることがWHO(世界保健機構)によって報告されている。また、これまでに開発されてきた抗マラリア薬に対して耐性をもつマラリア原虫が出現していることも、流行原因の一つである。ヒトに感染するマラリア原虫は4種類あるが、中でもPlasmodium falciparumによって起こる熱帯熱マラリアは重度の貧血や脳性マラリアなどの重篤な症状を併発することが知られており、適切な治療が行われないと致死的である。これらの症状の主要な原因の一つとして、マラリア感染赤血球と宿主の組織血管内皮及び免疫細胞との接着と、これに起因する血流阻害や組織機能障害が挙げられる。この接着は、主にマラリア原虫が産生し感染赤血球上に発現する主要抗原性タンパクPfEMP-1と宿主細胞、特に血管内皮細胞や免疫細胞上のレセプターとの結合によるものである。これまでにこの抗原性タンパクと宿主細胞の結合機構に関して様々な知見が得られ、抗マラリアワクチン開発の標的分子の一つとして考えられている。しかし抗原性タンパク、P. falciparum infected-erythrocyte membrane prtoein-1(PfEMP-1)をコードしているvar遺伝子は多様性を持っており、その為にPfEMP-1の接着性にも多様性が生じさせる為、効果的なワクチンの開発を困難なものにしている。

本研究は、マラリア原虫感染赤血球上の抗原性タンパクと宿主細胞上のレセプターとの結合における新たな知見を得て新規抗マラリアワクチンの開発に貢献することを目的として、以下の3章で構成される。

株化マラリア原虫感染赤血球の接着性を担う抗原性タンパク(PfEMP-1)をコードするvar遺伝子の同定

本章では、まず、ヒト血管内皮細胞のin vitroモデルであるC32細胞に対して接着性を持つとされている株化マラリア原虫ItG株において発現するvar遺伝子の同定を行い、接着性とvar遺伝子の発現における相関について検討した。 ItG株では、ある1種類のvar遺伝子(var-1/ItG)がmRNAレベルで優位に発現し、この遺伝子にコードされるPfEMP-1(PfEMP-1/ItG-1)がItG株感染赤血球における接着性を担っている可能性が示された。そこで、var-1/ItGに特異的なアミノ酸配列をもとにしてペプチドを合成し、BALB/cマウスに投与して抗血清を得た。ItG株に対し、C32細胞に接着した感染赤血球を選択培養することによりC32細胞に対する接着圧を与えて接着性を増加させ、PfEMP-1/ItG-1の発現を抗血清を用いた間接蛍光抗体法で確認した。その結果、PfEMP-1/ItG-1を発現するマラリア原虫数が選択前より増加していることが示された。また、間接蛍光抗体法により、PfEMP-1/ItG-1を感染赤血球上で発現する感染赤血球(ItG/8A)と発現しない感染赤血球(ItG/7B)を分画して増殖させ、それぞれのC32細胞への接着性を測定した。ItG/8AのC32細胞への接着性は著しく増加することが示された。またItG/8Aで発現するvar遺伝子は、全てvar-1/ItGと同じであった。これらの結果から、株化されたマラリア原虫において特異的なvar遺伝子が発現してPfEMP-1を生成し、接着性を担っていることが示された。

タイにおける熱帯熱マラリア患者の病態と,分離された原虫感染赤血球における細胞接着性及びvar遺伝子の発現との相関性

本章では、タイ在住の、熱帯熱マラリアによる重篤な脳症状である脳性マラリアを示した患者由来の株3検体(TAb28, LEK, DFO2037)及び非脳性マラリアだが,高原虫血症など他の重篤な症状を示した重症マラリア患者由来の株1検体(CD049)を用い、C32細胞、CD36, ICAM-1発現細胞への接着性及び発現しているvar遺伝子との相関について検討した。脳性マラリア患者由来の株3検体のうち、TAb28とLEKはC32細胞、ICAM-1、CD36に対して接着性を持っていたが、DFO2037はほとんど持っていなかった。非脳性マラリア患者由来の株CD049もまた全ての細胞に対して接着性を持っており、その接着性はTAb28,LEKと比較して約9倍高かった。各株で発現したvar遺伝子内の保存領域の一部に関してアミノ酸配列を解析し比較したところ、CD049では、発現したvar遺伝子のmRNAのうち約60%を占める var(var-1/CD049)は、TAb28においても最も多く発現し、TAb28から同定されたvar遺伝子のmRNAの約23%を占めていた。 一方、LEKで発現したvar遺伝子のmRNAのうち約55%を占めたvar-1/LEKのアミノ酸配列はvar-1/CD049とは異なっていた。また、TAb28とCD049、DFO2037に由来する患者は過去にマラリア罹患の経歴があることが報告されている。以上の結果から、タイ由来の原虫株において接着性の強さの程度と脳性マラリアの発症における共通性は示されなかった。しかしながら、接着性を持っている原虫株で共通して発現するvar遺伝子が同定され、その発現率は接着性の強弱と相関していた。

PfEMP-1のICAM-1結合ドメインをもとにした組換えタンパク質による熱帯熱マラリア原虫感染赤血球の細胞接着阻害

マラリア原虫感染赤血球上の抗原性タンパクPfEMP-1と結合する宿主細胞上のレセプターは多種類存在する。そのひとつであるIntercellular adhesion molecule-1 (ICAM-1)と感染赤血球との結合は、熱帯熱マラリアによる併発症の中でも重篤な脳障害を誘発する脳性マラリアの原因となりうることが示されている。本章では、PfEMP-1内のICAM-1結合領域をもとにした組換えタンパク質を大腸菌によるタンパク発現システムで合成し、このタンパク質による感染赤血球とICAM-1の結合阻害能力及び一旦ICAM-1に結合した感染赤血球に対する解離能力を、タイの熱帯熱マラリア患者由来マラリア原虫(CD049)を用いて測定した。高濃度の組換えタンパク質を予めICAM-1発現細胞と結合させてから感染赤血球と共培養すると、ICAM-1発現細胞と結合する感染赤血球の数が減少した。また、ICAM-1と結合した感染赤血球に組換えタンパク質を投与し共培養させると、濃度依存的に感染赤血球をICAM-1から解離させた。以上のことから、この研究で合成された組換えタンパク質は結合阻害効果及び解離効果いずれも持っていることが示され、特に脳性マラリアにおける抗マラリア治療の新しいアプローチとしての可能性が示された。

以上の研究結果から、株化マラリア原虫において優位に発現するvar遺伝子がその感染赤血球の接着性を担うことが示された。同様の結果がタイのマラリア患者由来株においても観察された。しかしながら、今回用いられた症例数が少なかった為、タイ全体または他国の原虫株において共通する知見かどうかは不明である。また、野外分離株における感染赤血球の細胞接着性と発現するvar遺伝子の細胞優位性の可能性については、感染赤血球に接着圧を与えることでvar遺伝子の発現が増加するかどうかを検討する必要がある。また、IgG株の細胞接着試験の結果より,C32細胞のように,複数のレセプターを有する細胞に対する接着性は,CD36等の単一分子に対する接着性のみでは説明できないことから,PfEMP-1の1ドメインの解析だけでなく接着に関与する複数のドメインの解析も必要であることが示唆された。また、株化マラリア原虫に由来するペプチドがマラリア患者由来の感染赤血球と交差反応をして接着を阻害することが示され、PfEMP-1のICAM-1結合領域の保存性が示唆された。今後さらに多くの野外分離株における接着阻害効果を評価する事によって、今回合成された組換えタンパクの汎用性について検討することが望ましい。以上のことから、マラリアをコントロールする為には野外株を用いた研究が株化されたマラリア原虫と並行して行われる必要性を示している。

審査要旨 要旨を表示する

熱帯熱マラリアはマラリア原虫Plasmodium falciparumのヒト赤血球への感染によって起こる寄生虫性疾患で重篤な症状を併発する.その主要な原因の一つとして,感染赤血球(PRBC)に発現する抗原性蛋白・PfEMP-1と宿主の血管内皮細胞上の分子との結合による血流阻害や組織機能障害が考えられる.PfEMP-1をコードしているvar遺伝子(var)はゲノム上では多数存在し赤血球初期ステージでは多数転写されるが,後期ステージでは1個に限定される.そのvarにより翻訳され,PRBC表面上に輸送されたPfEMP-1分子内の各ドメインと個々の受容体との結合性によってPRBCの接着性の有無や強弱が決定されるが,その多様性は後期ステージでのvarの発現が1世代毎にランダムに変化する為に生じると考えられている.

本研究では周囲の環境の,var発現に対する影響を明らかにすることを目的とし,第1章では複数のレセプターにおけるvar発現への影響について調べた.CD36やICAM-1などを発現する為にヒト血管内皮のin vitroモデであるC32細胞に対する接着性のあるマラリア原虫ItG株において,保存性の高いDBL-αドメインに関してvarの発現パターンを解析した.本研究で用いたItG株では優位に発現したvar (var-1/ItG)とマイナーなvar(var-2/ItG-var-5/ItG)が同定され,ItG株の代表的なvarとして登録されているものはvar-3/ItGと一致していた.優位なvar-1/ItGによるPfEMP-1(PfEMP-1/ItG-1)がItG株の接着性を担っている可能性を調べる為,C32細胞に接着した感染赤血球のみを回収して培養することで選択された,C32接着性のより強いPRBC (ItG/C32)でのPfEMP-1/ItG-1の発現を,PfEMP-1/ItG-1に特異的な抗血清を用いた蛍光抗体法で調べた.未処置のItG株と比較してItG/C32ではPfEMP-1/ItG-1を発現するPRBCが増加した.一方,PfEMP-1/ItG-1を発現するPRBCを選抜した(ItG/8A)ところ,これらPRBCのC32細胞及びCD36単独発現細胞への接着性は,選抜前のPRBCと比較して増加していたが,C32への接着能力はCD36へのものより高かった.以上の結果,複数のレセプターが発現する細胞への接着は,単一レセプターに接着するPfEMP-1と異なることが示唆された.

第2章では,患者体内の環境における発現するvarを明らかにする目的で,タイ由来熱帯熱マラリア患者分離株におけるC32細胞,CD36, ICAM-1発現細胞への接着性と発現するvarについて調べた.分離株TAb28,LEK,CD049の各細胞への接着性について検討したところ,3検体いずれも全ての細胞に対して接着性を持っていた.またこれらの分離株で発現するvarの同定を,機能レベルでの保存性の高いDBL-αドメインを用いて行ったところ,全ての株から優位な発現をするものを含む複数のvarが同定された.これらの塩基配列を比較すると,株間で同じvarの発現は認められなかったが,アミノ酸配列で比較するとTAb28とCD049で一致するものが認められた.また,これらの分離株がCD36及びICAM-1に結合することから,接着の主要レセプターであるCD36やICAM-1に結合する部位に関してもアミノ酸レベルでの共通性が存在することでPRBCの接着性を保持している可能性が推測された.

第3章では,優位に発現しているvarが異なっていながらICAM-1に対して接着性を持っているタイ由来分離株CD049とLEKのPfEMP-1分子において,そのICAM-1結合部位の保存性について検討した.ICAM-1に対して接着性を持つA4tresを基にしてPfEMP-1分子内のICAM-1結合部位の組換え蛋白質rI57-380を合成し,これによるCD049とLEKのPRBCとのICAM-1接着競合を検討した.その結果,rI57-380をICAM-1発現細胞に前処理した場合,未処置のものを比較してCD049及びLEK結合は同程度阻害された.また,PRBCをICAM-1発現細胞と結合させておきrI57-380を添加したところ,CD049とLEKのPRBCいずれも解離したが程度に差が生じた.これらの結果,異なるvarにコードされたPfEMP-1分子間においても,リガンド部位のアミノ酸配列や構造レベルでの類似性があることが示唆された.また,ICAM-1結合部位のように塩基配列レベルでの保存性が低くクローニングが困難な部位であっても,組換え蛋白質による接着競合を調べることで構造の類似性を検討する事が可能である事を示した.

このように本論文は,ランダムに発生すると考えられているvar発現のスイッチングを起こし異なるPfEMP-1を発現するPRBCの中で,そのレセプターの数や種類,感染などの周囲の環境より影響を受け,それに適応した多様性を生じさせている可能性を示し,また,異なったvarにコードされているPfEMP-1分子でもアミノ酸レベルでは類似性がある可能性があり,組換え蛋白質による接着競合について調べることで,塩基配列では保存性の低いレセプター結合部位の構造上の類似性について検討できる可能性をも示したもので,医学・生物学上貢献するところが少なくない.よって審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた.

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