学位論文要旨



No 119230
著者(漢字) 大橋,絵美
著者(英字)
著者(カナ) オオハシ,エミ
標題(和) イヌの悪性腫瘍細胞に対するレチノイドの抗腫瘍効果に関する研究
標題(洋) In vitro antitumor activity of retinoids on canine cancer cells
報告番号 119230
報告番号 甲19230
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2781号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐々木,伸雄
 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 助教授 中山,裕之
 東京大学 助教授 西村,亮平
 東京大学 助教授 影近,弘之
内容要旨 要旨を表示する

近年イヌの高齢化に伴い悪性腫瘍の発生頻度は増加しており、また家族の一員としての立場から、副作用が少なくかつ効果的な治療を望む飼い主が増加している。イヌの腫瘍の中でも悪性黒色腫、乳癌、および肥満細胞腫といった腫瘍は、その発生率、および浸潤能や転移能が高いことから獣医学領域で問題となっている。近年イヌに対する化学療法の研究も進んできているものの、現在のところこれらの腫瘍が一旦進行した段階での、症状の劇的な改善をもたらす抗癌剤のプロトコールはほとんどない。これらのうち、肥満細胞腫はイヌの皮膚、皮下織に頻繁に発生する腫瘍であり、特異な生物学的性状をもつことが知られている。通常多くの腫瘍での臨床予後判定がその大きさや転移の有無による病期分類によって行われているが、肥満細胞腫では、これらの指標よりも形態学的な分化程度を指標とした組織学的分類が予後と相関するため、臨床の現場ではしばしばこの分類用いられている。すなわち、分化程度の低い症例の予後が悪い傾向にある。

レチノイドは、ビタミンAおよびレチノイン酸とその天然・合成誘導体の総称であり、分化や増殖、アポトーシス、脊椎動物の形態形成など多くの生物機能を制御する生理活性物質である。レチノイドは悪性腫瘍細胞に対して抗腫瘍効果を示すことが知られており、さまざまな腫瘍でin vitro および in vitro における研究報告がなされている。これらの中で最も有効性が確認されているのは、all-trans レチノイン酸 (ATRA) を用いた、ヒト急性前骨髄球性白血病 (APL) に対する分化誘導療法である。また皮膚癌や頭頚部癌、肺癌などに対する有効性も報告され、臨床応用が進められている。しかしながらイヌの悪性腫瘍に対するレチノイドの有効性に関する研究は少なく、培養細胞を用いてその有効性を検討した報告が数例あるのみである。

そこで本研究では、これらの背景をもとにイヌ悪性腫瘍に対するレチノイドの有効性を明らかにし、さらにその効果発現機序を明らかにすることを目的として、すでに我々の研究室で樹立されたイヌ悪性腫瘍の培養細胞株を用い、以下の実験を行った。

第1章の序論に続き、第2章ではイヌ悪性黒色腫および乳癌細胞株を用いて、天然 (ATRAと9cRA) および合成レチノイド (Am80とHX630) の腫瘍抑制効果についての検討を行った。各細胞間でレチノイドによる増殖抑制効果に差があったものの、悪性黒色腫細胞ではほとんど増殖抑制効果は認められなかった。また乳癌細胞では感受性を示した細胞株が存在したものの、レチノイドに対する感受性が必ずしも高くなく、これら2種の腫瘍に対してレチノイドの有効性を示すことはできなかった。

第3章では、口腔内(CoMS)、皮膚(CM-MC)、および腸管(VI-MC)といった異なった部位より樹立された3種類の肥満細胞腫細胞株に対する、天然および合成レチノイドの効果の検討を行った。その結果、悪性黒色腫細胞や乳癌細胞とは異なり、全ての細胞株において濃度依存的に増殖が抑制された。3株の中ではCM-MC細胞が最も高い感受性を示し、IC50はATRAと9cRAでそれぞれ9.7×10-8Mと2.1×10-9Mであった。このことから、レチノイドは皮膚肥満細胞腫に対する有効な抗腫瘍薬となる可能性が示唆された。

またCM-MC細胞においてATRA投与3日後にトルイジンブルー染色を行った結果、肥満細胞腫細胞内の異染性顆粒がコントロールと比べ増加したことから、レチノイドが肥満細胞腫細胞の分化を誘導することが示された。

さらに肥満細胞腫細胞におけるレチノイドのアポトーシス誘導およびその経路について検討を行った。フローサイトメトリーを用いた細胞周期解析の結果、いずれの細胞においてもATRA投与後にアポトーシス細胞の割合が上昇した。またCM-MC細胞を用いてウェスタンブロッティング法と蛍光比色法にて各カスパーゼの活性測定を行ったところ、ATRA投与後にカスパーゼ3および8の活性上昇が認められた。ATRAを投与した細胞にカスパーゼ阻害剤であるZVAD-FMKを加えたところ、アポトーシスが阻害されたことから、レチノイドにより誘導されるアポトーシスにはカスパーゼが大きく関与していることが確認された。

第3章において肥満細胞腫がレチノイドに対して比較的高い感受性を持つことが示されたものの、臨床におけるATRA投与後の血中濃度が約10-9Mであることを考えると、単独での使用では腫瘍抑制効果が不充分ではないかと考えられた。一方、肥満細胞腫症例に対しては従来からグルココルチコイドがしばしば抗腫瘍薬として用いられ、ある程度の腫瘍抑制効果を示すことが知られている。

そこで第4章では上記3種類の肥満細胞腫細胞株に対し、ATRAとグルココルチコイドであるプレドニゾロン (PRD) の併用処理を行い、レチノイドがこれらの細胞株のPRD感受性を高めるか否かについて検討を行った。その結果、両薬剤併用時の感受性は各細胞によって異なったものの、CM-MCとCoMS細胞においてそれぞれ相乗および相加的な増殖抑制効果が認められた。しかし、腸管由来であるVI-MC細胞に対しては、ほとんど効果が認められなかった。

一方、レチノイドの作用は主に核内レセプターであるRARとRXRにより発現すると考えられている。またグルココルチコイドの作用も、同じ核内レセプタースーパーファミリーに属するグルココルチコイドレセプターを介して発現することが知られている。両者を併用したときの相乗効果とレチノイドレセプター発現の関連性を調べる目的で、RARとRXRの検出を行った。その結果、各細胞間でレチノイド単独やPRD併用時の増殖抑制効果に差があったものの、3種類の細胞株においてRARとRXRの各サブタイプいずれの発現も検出され、レセプターとレチノイドおよびPRD併用時における増殖抑制効果との関連性は認められなかった。

以上、本研究ではレチノイドによる3種のイヌ悪性腫瘍細胞株に対する増殖抑制効果について検討を行った。その中で感受性が高かった肥満細胞腫においては、レチノイドが分化およびアポトーシスを誘導することによって腫瘍細胞の増殖を抑制し、またATRAとPRDの併用を行ったところ、その作用に相乗効果を示す細胞もあることが示された。肥満細胞腫は分化程度によって予後が大きく左右されることから、分化を亢進させる働きのあるレチノイドが増殖抑制効果を示したことは、臨床的にもきわめて興味深いことである、今後 in vivoでの検討が必要ではあるが、レチノイドがイヌ肥満細胞腫に対して有効な治療法である可能性が示唆された。

レチノイドの肥満細胞腫細胞に対する増殖抑制効果。コントロールに対する増殖抑制の割合(%)を示す。*:コントロールに対して有意(p<0.05)、値をmean±S.Dで示す。

レチノイドによるアポトーシス誘導およびZVAD-FMKによるその阻害。Sub G1 : アポトーシス細胞を示す。A : コントロール、B : ATRA 添加、C : ZVAD-FMK 添加、D : ATRA+ZVAD-FMK 添加

審査要旨 要旨を表示する

イヌには様々な悪性腫瘍が発生するが、中でも発生率の高い悪性黒色腫や乳癌、肥満細胞腫といった腫瘍は、浸潤能や転移能が高いことから獣医学領域で問題となっている。これらのうち、肥満細胞腫はイヌの皮膚、皮下織に発生する腫瘍であり、特異な生物学的性状をもつことが知られている。通常多くの腫瘍の臨床予後判定はその大きさや転移の有無による病期分類によって行われているが、肥満細胞腫では、これらの指標よりも形態学的な分化程度を指標とした組織学的分類が予後と相関するため、臨床の現場ではしばしばこの分類用いられている。

レチノイドは、ビタミンAおよびレチノイン酸とその天然・合成誘導体の総称であり、分化や増殖、アポトーシス、脊椎動物の形態形成など多くの生物機能を制御する生理活性物質である。レチノイドは悪性腫瘍細胞に対して抗腫瘍効果を示すことが知られており、中でも最も有効性が確認されているのは、all-trans レチノイン酸 (ATRA) を用いた、ヒト急性前骨髄球性白血病 (APL) に対する分化誘導療法である。また皮膚癌や頭頚部癌、肺癌などに対する有効性も報告され、臨床応用が進められている。しかしながらイヌの悪性腫瘍に対するレチノイドの有効性に関する研究は極めて少ない。

そこで本研究では、イヌ悪性腫瘍に対するレチノイドの有効性を明らかにし、さらにその効果発現機序を明らかにすることを目的として、以下の実験を行った。

第1章の序論に続き、第2章ではイヌ悪性黒色腫および乳癌細胞株を用いて、天然 (ATRAと9cRA) および合成レチノイド (Am80とHX630) の腫瘍抑制効果についての検討を行った。その結果、悪性黒色腫細胞ではほとんど増殖抑制効果は認められず、乳癌細胞では感受性を示した細胞株が存在したものの、レチノイドに対する感受性は必ずしも高くなく、これら2種の腫瘍に対してレチノイドの有効性を示すことはできなかった。

第3章では、口腔内 (CoMS)、皮膚 (CM-MC)、および腸管 (VI-MC) といった異なった部位より樹立された3種類のイヌ肥満細胞腫細胞株に対する、天然および合成レチノイドの効果の検討を行った。その結果、全ての細胞株において濃度依存的に増殖が抑制された。3株の中ではCM-MC細胞が最も高い感受性を示し、レチノイドは皮膚肥満細胞腫に対する有効な抗腫瘍薬となる可能性が示唆された。

またATRA投与3日後のトルイジンブルー染色の結果から、肥満細胞腫細胞内の異染性顆粒が増加しており、レチノイドの分化誘導作用が確認された。さらに肥満細胞腫細胞におけるレチノイドの作用機序を検討するため、レチノイドによるアポトーシス誘導およびその経路についても検討を行った。フローサイトメトリーを用いた細胞周期解析の結果、いずれの細胞においてもATRA投与後にアポトーシス細胞の割合が上昇した。またアポトーシス経路における各カスパーゼ活性測定の結果、ATRA投与後にカスパーゼ3および8の活性上昇が認められた。ATRA処置細胞にカスパーゼ阻害剤であるZVAD-FMKを加えたところ、アポトーシスが阻害されたことから、レチノイドにより誘導されるアポトーシスにはカスパーゼが大きく関与していることが確認された。

一方、肥満細胞腫症例に対しては従来からグルココルチコイドがしばしば抗腫瘍薬として用いられ、ある程度の腫瘍抑制効果を示すことが知られている。そこで第4章では上記3種類の肥満細胞腫細胞株に対し、ATRAとプレドニゾロン (PRD) の併用処理を行い、併用時の効果の検討を行った。その結果、両薬剤併用時の感受性は各細胞によって異なったものの、CM-MCとCoMS細胞においてそれぞれ相乗および相加的な増殖抑制効果が認められた。しかし、腸管由来であるVI-MC細胞に対しては、ほとんど効果が認められなかった。

さらに、レチノイドの作用は主に核内レセプターであるRARとRXRにより発現するが、グルココルチコイドも、同じ核内レセプタースーパーファミリーに属するグルココルチコイドレセプターを介して発現することが知られている。両者を併用したときの相乗効果とレチノイドレセプター発現の関連性を調べる目的で、RARとRXRの検出を行った。その結果、3種類の細胞株のいずれにおいてもRARとRXRの各サブタイプが発現しており、レセプターとレチノイド・PRD併用時の増殖抑制効果との関連性は認められなかった。

以上まとめると、本研究は3種のイヌ肥満細胞腫細胞株を用いて、レチノイドが分化およりアポトーシスを誘導することでこれらの細胞の増殖を抑制し、かつ本腫瘍にしばしば用いられるPRDと相乗効果を示す可能性を示したものであり、臨床応用上貢献することは少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として括ある物と認めた。

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