学位論文要旨



No 119231
著者(漢字) 片山,圭一
著者(英字)
著者(カナ) カタヤマ,ケイイチ
標題(和) エチルニトロソウレアによる胎仔神経幹細胞のアポトーシスおよび細胞周期停止の発現機序に関する研究
標題(洋) Studies on the mechanisms of ethylnitrosourea-induced neural stem cell apoptosis and cell cycle arrest
報告番号 119231
報告番号 甲19231
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2782号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 助教授 九郎丸,正道
 東京大学 助教授 中山,裕之
内容要旨 要旨を表示する

胎仔の中枢神経組織には神経上皮細胞と呼ばれる多分化能および自己複製能を有する神経幹細胞が ventricular zone と呼ばれる一層の多列上皮を形成している。この神経上皮細胞の核はventricular zone の中をエレベーター運動と呼ばれる特異な上下運動をしながら増殖している。すなわち、脳室側(内側部)で有糸分裂を行い,分裂を終えた娘細胞は ventricular zone の外側部に移動してそこでDNA合成を行い,また脳室側(内側部)に移動して有糸分裂を行うというサイクルをとりながら増殖している。そうして細胞増殖を終えた神経上皮細胞は神経芽細胞へと分化し、ventricular zone のさらに外側へと移動して神経細胞・グリア細胞などへと分化していく。中枢神経組織の発生過程においてアポトーシスは様々なシグナルによって制御されており、その厳密な制御は正常な発生に必要不可欠である。しかしながら、神経上皮細胞は様々な外的刺激、とりわけ遺伝子傷害性の刺激に対しては非常に高い感受性を示し、容易にアポトーシスに陥り、その結果として新生仔に神経細胞の減少と構築異常を示す無脳症〜小脳症といった種々の程度の脳奇形が誘発される。

Ethylnitrosourea (ENU)は有名なアルキル化剤であり、強力な遺伝子傷害作用を有することが知られている。特に妊娠ラットに投与されると出生後一定期間後に仔ラットにgliomaなどの脳腫瘍を高頻度に誘発することが知られており、脳腫瘍の病理発生に関する数多くの研究に用いられてきた。また、ENUは投与直後には胎仔の中枢神経組織の神経上皮細胞、前顔面部・肢芽・尾芽などの間葉系細胞および生殖巣の始原生殖細胞さらには胎盤の栄養膜細胞などにアポトーシスを誘発し、その結果として出生後の新生仔に成長遅延、小脳症、欠指症、尾の湾曲および生殖臓器の低形成といった先天異常が高頻度に観察される。

本研究では、胎仔中枢神経組織のアポトーシスおよび細胞周期の制御機構を知ることを目的として、ENUを妊娠ラットおよびマウスに投与して胎仔の中枢神経組織の神経上皮細胞にアポトーシスを誘導し、その際のアポトーシスと細胞周期の動態との関連、および、それらに関係する各種因子の発現の動態について検索を行った。

まず最初に、ENU投与後の胎仔神経上皮細胞におけるアポトーシス細胞数および有糸分裂細胞数、ならびに bromodeoxyuridine (BrdU)を用いてDNA複製を行っている細胞数の経時的推移に関する組織学的検索を行った。ENU投与後3時間目からアポトーシス細胞の増加と有糸分裂細胞およびBrdU陽性細胞の減少がみられた。アポトーシス細胞はENU投与後12時間目に最も多くなり、BrdUに陽性を示すDNA複製を行っている細胞は6時間目に、有糸分裂細胞数はそれより少し遅れて12時間目にそれぞれ最低値を示した。このことからENUは胎仔中枢神経組織の神経上皮細胞にアポトーシスのみでなく細胞周期停止も誘発することが示唆された。さらに、アポトーシス像を示す核は細胞周期のS期の細胞の核が存在すると言われているventricular zone の外側部に集中して認められたことから、ENUは主に細胞周期のS期の細胞に対して作用し、アポトーシスを誘発することが示唆された。また、ENUの投与を受けた母動物から産まれた新生仔の脳は非常に低形成性で、この変化は胎仔期に誘導されたアポトーシスおよび細胞周期停止によって誘発されたものと考えられた。

次に、ENU投与後の胎仔中枢神経組織の各細胞周期およびアポトーシス細胞数の変動に関する検索を、flow cytometry を用いてDNA含量を測定することにより行った。ENU投与後1時間目よりS期の特に初期の細胞が増加し、この傾向は6時間目に最も顕著になったが,逆にその後の9〜12時間目にかけてS期の細胞は減少したにもかかわらず、S期に引き続くG2/M期の細胞も減少し,それと呼応するようにアポトーシス細胞が増加した。

前述の組織学的検索においてはENU投与後6時間目を中心にBrdUの取り込みを行うDNA複製中の細胞が減少したが,flow cytometryによる細胞周期検索では逆に同時期に細胞周期のS期の細胞の増加が認められた。そこで,ENU投与後6時間目においてBrdUの取り込みを flow cytometry を用いて解析したところ、ENU投与群ではBrdUの取り込みが著しく減少しており、さらに、S期に相当するDNA量を含有していながらBrdUを全く取り込んでいない細胞も多数認められた。従って、S期の細胞の蓄積はDNA複製の抑制または停止によってもたらされていることが示唆された。

また、Western blot解析ではS期細胞が増加した時期においてG1/S期移行を司るcyclin D1, cyclin dependent kinase (CDK) 4の発現は増加しておらず、むしろ細胞周期を停止する方向に働くCDKインヒビターのp21waf1/cip1や、その転写活性化因子のp53の発現が増加していた。従って、ENU投与後にみられたS期の細胞の蓄積はG1期からS期への移行が亢進したために誘発されたものではないことが示唆された。

さらに、細胞周期のS期の細胞が増加し始めたENU投与後3時間目にBrdUを母動物に腹腔内投与し、BrdUを取り込んだ神経上皮細胞の核の移動の様子を組織学的に観察したところ、ENU投与群ではBrdUに陽性を示す核は長時間 ventricular zone の外側部に停滞し、その多くはその後脳室側に移動することなくアポトーシスにより死んでいることを示す結果が得られた。すなわち、この結果をエレベーター運動に照らし合わせると、ENU投与により神経上皮細胞はS期において停滞し、その後S期にとどまったままでアポトーシスにより死んでいるものと考えられた。

以上の細胞周期に関する検索結果をまとめると、ENUはS期の神経上皮細胞に作用して、そのDNA複製を著しく抑制または停止させ、その後これら細胞がG2期を迎える前にアポトーシスを誘導しているものと考えられた。

ENU誘発胎仔中枢神経組織のアポトーシスおよび細胞周期停止におけるp53の役割を調べるため、p53およびその転写標的遺伝子のmRNAの発現をRT-PCR法を用いて経時的に検索した。p53に対する抗体を用いた免疫組織化学ではENU投与後1〜12時間目の神経上皮細胞の核に陽性像がみられ、その数は投与後3時間目に最も多くなった。また,p53の転写標的遺伝子のRT-PCR解析ではほとんどの遺伝子 (p21waf1/cip1, cyclin G1, fas/CD95, bax)の発現が投与後6時間目をピークとして観察された。また、それらの中でも最も発現の上昇したp21waf1/cip1について蛋白レベルでの発現を免疫組織化学で確認したところ、p21waf1/cip1に陽性を示す神経上皮細胞もENU投与後6時間目に最も多くなった。アポトーシスの増加および細胞周期停止の誘導に先行してp53の発現が増加し、それに伴ってその転写標的遺伝子のmRNAの発現も増加したことから、ENUはp53依存性にアポトーシスおよび細胞周期停止を誘発するものと推察された。

また、実際にp53ノックアウトマウスを用いてENU投与後の胎仔中枢神経組織の組織学的検索および細胞周期解析を行ったところ、p53ノックアウトマウスではアポトーシス細胞の増加のみならず、細胞周期の変動も認められなかった。従って,胎仔中枢神経組織では ENUによるアポトーシスの誘導のみならず、細胞周期のS期での停滞あるいは停止についてもp53依存性に誘発されていることが確認された。また、p53の転写標的遺伝子として知られており、その下流でアポトーシスの誘導に作用すると言われているFas/CD95が欠損しているlpr/lprマウスを用いて同様の検索を行ってみたが、lpr/lprマウスではそのワイルドタイプであるC57BL/6Jマウスと比べてアポトーシスの発現および細胞周期の変化ともに同様の傾向を示し、2系統間には特に差は認められなかった。従って、ENU誘発胎仔神経上皮細胞のアポトーシスおよび細胞周期停止にFas/CD95が関与している可能性は非常に低いものと考えられた。

本研究により、ENUはS期の神経上皮細胞に作用して、そのDNA複製を著しく抑制または停止させ(S期における細胞周期の停滞あるいは停止)、その後これら細胞がG2期を迎える前にアポトーシスを誘導していることが示唆された。さらに、アポトーシスのみならずDNA複製の抑制あるいは停止の誘導にもp53が必須であることが示された。

胎仔の神経上皮細胞のアポトーシスの発現過程におけるシグナル伝達経路等に関する研究は世界的に見ても非常に稀で、まだ明らかにされていない点が多々ある。神経上皮細胞は自己複製能および多分化能を有する神経系の幹細胞で、そのアポトーシスおよび細胞周期の制御機構を理解することは発生生物学上および再生医学上非常に重要で、今後のより詳細な検索が切に望まれる。

審査要旨 要旨を表示する

胎仔の中枢神経組織には神経上皮細胞と呼ばれる神経幹細胞が存在している。この神経上皮細胞は様々な外的刺激に対して非常に高い感受性を示し、容易にアポトーシスに陥り、その結果として新生仔に種々の程度の脳奇形が誘発される。本研究では、胎仔中枢神経組織のアポトーシスおよび細胞周期の制御機構を知ることを目的として、アルキル化剤のethylnitrosourea (ENU)を妊娠動物に投与して胎仔の神経上皮細胞にアポトーシスを誘導し、その際のアポトーシスと細胞周期の動態との関連、および、それらに関係する各種因子の発現の動態について検索を行った。

まず、ENU投与後の胎仔中枢神経組織の組織学的検索を行った。ENU投与後3時間目からアポトーシス細胞の増加と有糸分裂細胞およびbromodeoxyuridine (BrdU)陽性細胞の減少がみられた。アポトーシス細胞はENU投与後12時間目に最も多くなり、BrdU陽性細胞は6時間目に、有糸分裂細胞数はそれより少し遅れて12時間目にそれぞれ最低値を示した。このことからENUは胎仔中枢神経組織の神経上皮細胞にアポトーシスのみでなく細胞周期停止も誘発することが示唆された。

次に、ENU投与後の胎仔中枢神経組織の各細胞周期およびアポトーシス細胞数の変動に関する検索を、flow cytometryを用いて行った。ENU投与直後よりS期の細胞が増加し、この傾向は6時間目に最も顕著になったが,逆にその後の9〜12時間目にかけてS期の細胞は減少したにもかかわらず、S期に引き続くG2/M期の細胞も減少し,それと呼応するようにアポトーシス細胞が増加した。

前述の組織学的検索においてはENU投与後にBrdU陽性細胞が減少したが,flow cytometryによる細胞周期解析では逆に細胞周期のS期の細胞の増加が認められた。そこで,ENU投与後6時間目においてBrdUの取り込みをflow cytometryを用いて解析したところ、ENU投与群ではBrdUの取り込みが著しく減少しており、さらに、S期に相当するDNA量を含有していながらBrdUを全く取り込んでいない細胞も多数認められた。また、Western blot解析ではS期細胞が増加した時期においてG1/S期移行を司るcyclin D1, cyclin dependent kinase (CDK) 4の発現は増加しておらず、むしろ細胞周期を停止する方向に働くCDKインヒビターのp21や、その転写活性化因子のp53の発現が増加していた。従って、ENU投与後にみられたS期の細胞の蓄積はG1期からS期への移行が亢進したためというよりはむしろDNA複製の抑制または停止により誘発されていることが示唆された。

さらに、ENU投与後3時間目にBrdUを投与し、BrdUを取り込んだ神経上皮細胞の核の移動の様子を組織学的に観察したところ、ENU投与群ではBrdUに陽性を示す核は長時間ventricular zoneの外側部に停滞し、その多くはその後脳室側に移動することなくアポトーシスに陥ることを示す結果が得られた。この結果を神経上皮細胞に特徴的な核のエレベーター運動に照らし合わせると、ENU投与により神経上皮細胞はS期において停滞し、その後S期にとどまったままでアポトーシスおこすと考えられた。

また、本実験系におけるp53の役割を調べるため、p53およびその転写標的遺伝子の発現に関する検索を行った。p53の免疫組織化学ではENU投与後1時間目より神経上皮細胞の核に陽性像がみられ、その数は投与後3時間目に最も多くなった。また,多くのp53の転写標的遺伝子の発現が投与後6時間目をピークとして観察された。アポトーシスの増加および細胞周期停止の誘導に先行してp53の発現が増加し、それに伴ってその転写標的遺伝子の発現も増加したことから、ENUはp53依存性にアポトーシスおよび細胞周期停止を誘発するものと推察された。実際にp53ノックアウトマウス(KO)を用いてENU投与後の胎仔中枢神経組織の組織学的検索および細胞周期解析を行ったところ、KOではアポトーシス細胞の増加も細胞周期の変動も認められなかった。

本研究により、ENUはS期の胎仔神経上皮細胞に作用して、そのDNA複製を著しく抑制または停止させ、その後これら細胞がG2期を迎える前にアポトーシスを誘導することが示唆された。そしてこの過程にはp53の発現が必須であることが示された。本研究の成果はENUの胎仔神経毒性発現機構を明らかにし、毒性病理学的に極めて重要である。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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