学位論文要旨



No 119232
著者(漢字) 木村,展之
著者(英字)
著者(カナ) キムラ,ノブユキ
標題(和) カニクイザル脳組織を用いたアルツハイマー病関連蛋白の加齢性変化および in vitro でのアミロイドβの神経系細胞に対する影響
標題(洋) Investigations of age-related changes of Alzheimer's disease-related proteins in cynomolgus monkey brains and the affection of amyloid beta peptide to neural cells in vitro
報告番号 119232
報告番号 甲19232
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2783号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 教授 小野,憲一郎
 東京大学 助教授 中山,裕之
 東京大学 助教授 久和,茂
内容要旨 要旨を表示する

(要旨)

高齢化社会を迎え、加齢性神経変性疾患であるアルツハイマー病(AD)は世界的な問題となりつつある。ADはヒト特有の疾患であり、老人斑(SP)および神経原線維変化(NFT)を主病変とする脳疾患である。SPは大脳新皮質におけるアミノ酸数39-43のアミロイドβ蛋白(Aβ)の沈着病変であり、NFTは神経細胞内に微小管結合蛋白タウが異常リン酸化・凝集する病変である。老齢カニクイザルは自然発症的に大脳にSP形成が確認され、Aβのアミノ酸配列もヒトと100%一致し、AD病態および神経系の加齢性変化の検索に極めて有用な動物種であると考えられる。

本研究ではカニクイザル脳組織を用い、AD関連蛋白群の加齢性変化を免疫組織化学的・生化学的に検索し、加齢によりどのような変化が生じているのかを初めて明らかにした(第1章)。また、ラット、カニクイザル初代培養系を用いAβの神経系細胞に対する影響を検索するとともに、げっ歯類および霊長類神経系細胞のAβに対する反応性の種差について検索した(第2章)。(第1章)(A)Presenilin1蛋白(PS1)はアミロイド前駆体蛋白(APP)からAβが切断産生される際に働くγセクレターゼ複合体を形成する因子の一つで、若年性に発症する家族性AD(FAD)の80%以上がこのPS1変異によるものである。PS1には相同性の高いPresenilin2蛋白(PS2)が存在し、PS2変異もまたFAD原因因子のひとつである。そこで、両PS蛋白(PSs)について加齢性変化を検索した。この結果、PSsは主に神経細胞胞体内に顆粒状染色像として確認され、大型神経突起にも存在することが明らかになった。また、PSsはSP付随腫大神経突起における蓄積が確認され、PSsがカニクイザル脳においてヒトと同様に老人斑形成に深く関与していることが示唆された。腫大神経突起における陽性数および染色強度はPS1の方が顕著であった。生化学的検索より、PS1は加齢に伴い核付随ERおよび神経終末に蓄積することが明らかになった。一方、PS2は同様の加齢性変化を示さず、蛋白発現量もPS1に比べて著しく低レベルであった。このことから、カニクイザル脳ではヒトと同様、PS1が主なPS蛋白であり、加齢性に蓄積することにより老人斑形成に深く関与していることが示唆された。

(B)SP関連蛋白としてAPP、アポリポ蛋白E(ApoE)、NFT関連蛋白としてタウ、タウキナーゼであるGSK3βおよびCDK5、CDK5活性化因子p35およびp25について加齢性変化を検索した。免疫組織化学的検索の結果、APPおよびApoEはSPに存在することが明らかになった。しかし、APPがPSsと同様に腫大神経突起のみに蓄積が確認されたのに対し、ApoEはSP全体を覆うように分布した。APPとPSsのSPにおける局在が一致したことは、Aβ産生が神経突起部においても生じる可能性を示唆する重要な結果であると考えられる。ApoEはAβと結合・輸送するリポ蛋白であり、SP全体を覆う染色像はApoEと結合したAβが凝集・蓄積した結果、老人斑が形成されたという可能性を示唆している。他方、カニクイザル脳組織ではNFTは確認されなかった。生化学的検索より、APPは加齢性に神経終末において蓄積することが明らかになった。APPはAPP695・APP751・APP770という3種の分子種を持ち、脳内では主にAPP695とAPP751が発現することが知られている。カニクイザル脳ではAPP695が主要なAPPであり、加齢と共にAPP751の発現が上昇することを初めて明らかにした。このことから、APP751が老人斑形成に深く関与している可能性が示唆された。ApoEはミクロゾーム分画において有意な蛋白量上昇が見られた。これは加齢と共にApoE産生量が上昇し、より多くのAβと結合・輸送することを示唆している。NFT関連蛋白群(タウ、タウキナーゼ、p35、p25)はAPPと同様、神経終末分画において有意な加齢性蓄積が見られた。本研究にてNFTは確認されなかったが、ヒトではNFTがSPよりも老年期に確認される病変であることから、さらなる「加齢」にり、NFT関連蛋白群の蓄積がNFT形成に繋がるのかもしれない。

(C)老齢のヒト脳およびAD患者脳では神経細胞内にAβが蓄積し、この細胞内Aβ蓄積がAD病態に深く関与しているのではないかと大きな注目を浴びている。そこで私は細胞内Aβに注目し、脳内局在および加齢性変化を検索した。その結果、PFA固定・過ヨウ素酸前処理・オートクレーブ処理の組み合わせにより、若齢カニクイザル脳における細胞内Aβの染色に成功した。細胞内Aβは主に大型錐体神経細胞の胞体内および大型神経細胞の突起に顆粒状に存在し、老齢個体の神経細胞内ではやや凝集して偏在することが明らかになった。Aβ40、42および43各分子種に染色性の差異は見られなかった。また、細胞内Aβ陽性細胞数の加齢に伴う顕著な増加はみられなかった。生化学的検索より、マイクロゾーム分画で加齢性にAβ42蛋白量が増加し、Aβ43蛋白量が顕著に減少していた。Aβ40および総Aβ量に変化が見られなかったことから、カニクイザル脳では主にAβ40と43が産生されており、加齢性にAβ42産生量が増加することが明らかになった。神経終末分画では総Aβ量の加齢に伴う増加が見られ、Aβ分子種によらず加齢性蛋白量増加が確認された。第1章(A)・(B)の結果も含め、神経終末分画におけるこれらAD関連蛋白の蓄積は、神経終末における蛋白輸送および細胞内での蛋白代謝能低下に由来しているのではないかと考えられる。また、このような細胞内蛋白代謝の制御不能が神経細胞全体の機能低下および細胞死に繋がる可能性がある。

(第2章)(A)これまでin vitroでAβの神経毒性に関する様々な研究が行われてきたが、多くは生体内に比べ過剰濃度(10μM以上)のAβを用いた急性作用(24時間以内)を検索したものである。しかし、生体内ではごく少量のAβが長い時間をかけて蓄積し加齢性ADが引き起こされると考えられる。そこで私は、比較的低濃度(2および5μM)のAβをラットおよびカニクイザル胎仔大脳皮質初代培養系に加え、最大14日間にわたるAβの神経系細胞に与える影響を組織学的および生化学的に検索した。本実験で用いた培養系には神経細胞のみならず各種グリア細胞も存在しており(神経細胞が9割以上を占める)、実際の脳内に近い状態で検索できるという利点がある。神経細胞に与える影響として、アポトーシス検索およびSynaptophysin、APPのC末端断片(βCTF)およびGSK3βに関する生化学的検索を行った。ラット、カニクイザル培養系ともに、Aβ添加14日後でもアポトーシス細胞の有意な増加は見られず、各種蛋白群の蛋白発現量に変化は見られなかった。このことから、本実験で用いた濃度ではAβによる神経細胞の傷害および反応は生じていないことが明らかになった。一方、ラット、カニクイザル培養系ともに、アストログリア(AG)関連蛋白であるGFAPおよびApoE蛋白量の有意な増加が見られ、増加度はラットの方が顕著であった。また、より毒性の高い分子種であるAβ42添加群において有意な蛋白発現上昇が確認された。

このことから、Aβが蓄積し始める加齢およびAD進行初期においては、神経細胞よりもむしろAGの対Aβ反応が主に生じていることが示唆された。

(B)Aβが直接AGを刺激しているのかどうかを確認するため、Conditioned-Medium(CM)実験系を用いてAGの対Aβ反応経路を検索した。(神経細胞を主構成成分とする初代培養系にAβを添加・培養した後の培養液をCMとして用いた。)CMをラットおよびカニクイザルAG単独培養系に加えた群と、直接Aβを添加したAG単独培養系を比較し、Aβが直接AGを刺激しているのか、あるいはAβにより刺激された神経細胞由来の何らかの液性因子によってAGが刺激されているのかを検索した。この結果、ラットおよびカニクイザルAGは直接Aβに刺激されることで活性化が生じる(GFAP増加)ことが明らかになった。一方、ApoE産生経路には両者に種差が見られた。ラットAGはCM添加群においてApoE産生量の有意な増加が見られたのに対し、カニクイザルAGは直接Aβを添加した群でのみ、ApoE産生量の有意な増加が確認された。以上の結果より、最終的なヒトへの外挿を考慮すると、本実験で用いたカニクイザル培養系は極めて有用な実験系である可能性を持っていることが示唆された。

(C)Aβが種々の神経毒性を持っていることは過去の研究により明らかになっているが、生体内での機能は未だ不明である。昨今の研究により、ロイシンリッチリピート構造(LRR)を持つ蛋白Libが、Aβ添加により遺伝子発現が上昇することがin vitroで確認された。そこで私は、Aβの生体内機能を明らかにする目的として、Libと同じくLRRを持つLGI3のラットにおける塩基配列およびアミノ酸配列を明らかにし、ラット培養系にてAβ添加による同遺伝子発現の検索を行った。LGI3はヒト遺伝性癲癇患者で発見された遺伝子LGI1のファミリーであり、未だ脳内での機能は明らかになっていない。塩基配列同定の結果、ラットLGI3はアミノ酸レベルでヒトと90%以上の相同性を持つことが明らかになり、ラット脳組織では主に大脳皮質で発現していることが明らかになった。ラット初代培養系およびAG単独培養系を用いた分子生物学的検索より、ラットLGI3は主にAGで発現することが明らかになった。Aβ40添加により、ラットAG単独培養系で有意なLGI3発現上昇が確認された。Aβ40は生体内で恒常的に産生されるAβ分子種であることから、LGI3はAβの脳内における正常機能に関与していることが示唆された。また、Aβを主に産生するのは神経細胞であり、LGI3が主にAGにて発現する遺伝子であることから、LGI3はAβを介した神経細胞−AGの細胞間相互作用に関与しているのではないかということが示唆された。本研究はAβの生体内機能ひいては存在意義を明らかにするために新たな一石を投じた研究である。

審査要旨 要旨を表示する

アルツハイマー病(AD)はヒト特有の疾患であり、老人斑(SP)および神経原線維変化(NFT)を主病変とする脳疾患である。SPは大脳皮質におけるアミロイドβ蛋白(Aβ)の沈着病変であり、NFTは神経細胞内に微小管結合蛋白タウが異常リン酸化・凝集する病変である。老齢カニクイザルは自然発症的に大脳にSP形成が確認され、AD病態および神経系の加齢性変化の検索に極めて有用な動物種であると考えられる。

本論分では、第1章で老人斑関連蛋白の加齢に伴う発現様式を解析している。Presenilin1蛋白(PS1)はアミロイド前駆体蛋白(APP)からAβが切断産生される際に働くγセクレターゼ複合体因子の一つで、家族性AD(FAD)の80%以上がPS1変異によるものである。PS1には相同性の高いPresenilin2蛋白(PS2)が存在し、PS2変異もまたFAD原因のひとつである。両PS蛋白(PSs)について加齢性変化を検索したところ、PSsは主に神経細胞に存在することが明らかになった。また、PSsはSP付随腫大神経突起における蓄積が確認され、老人斑形成に深く関与していることが示唆された。生化学的検索より、PS1は加齢に伴い核付随ERおよび神経終末に蓄積することが明らかになった。一方、PS2は同様の加齢性変化を示さず、蛋白発現量も著しく低レベルであった。

さらに、SP関連蛋白としてAPP、アポリポ蛋白E(ApoE)、NFT関連蛋白としてタウ、タウキナーゼであるGSK3βおよびCDK5、CDK5活性化因子p35およびp25について加齢性変化を検索した。免疫組織化学的検索の結果、APPおよびApoEはSPに存在することが明らかになった。しかし、APPがPSsと同様に腫大神経突起のみに蓄積が確認されたのに対し、ApoEはSP全体を覆うように分布した。他方、カニクイザル脳組織ではNFTは確認されなかった。生化学的検索より、APPは加齢性に神経終末において蓄積することが明らかになった。また、カニクイザル脳ではAPP695が主要なAPPであり、加齢と共にAPP751の発現が上昇することを初めて明らかにした。NFT関連蛋白群はAPPと同様、神経終末分画において有意な加齢性蓄積が見られた。

また、老齢のヒト脳およびAD患者脳では神経細胞内にAβが蓄積し、大きな注目を浴びている。そこで細胞内Aβに注目し、脳内局在および加齢性変化を検索した。その結果、カニクイザル脳における細胞内Aβの染色に成功した。生化学的検索より、マイクロゾーム分画で加齢性にAβ42蛋白量が増加し、Aβ43蛋白量が顕著に減少していた。Aβ40および総Aβ量に変化が見られなかったことから、カニクイザル脳では主にAβ40と43が産生されており、加齢性にAβ42産生量が増加することが明らかになった。神経終末分画では総Aβ量の加齢に伴う増加が見られ、分子種によらず加齢性蛋白量増加が確認された。神経終末分画におけるこれらAD関連蛋白の蓄積は、神経終末における蛋白輸送および細胞内での蛋白代謝能低下に由来しているのではないかと考えられる。

第2章では、in vitroの実験系でAβの神経毒性に関して解析を行っている。すなわち、これまでin vitroでAβの神経毒性に関する様々な研究が行われてきたが、多くは生体内に比べ過剰濃度のAβを用いて急性作用(24時間以内)を検索したものである。そこで私は、比較的低濃度のAβをラットおよびカニクイザル胎仔大脳皮質初代培養系に加え、最大14日間にわたり神経系細胞に与える影響を検索した。神経細胞に関する影響として、Synaptophysin、APP・C末端断片(βCTF)およびGSK3βに関する生化学的検索を行った。ラット、カニクイザル培養系ともに、Aβ添加14日後でも各種蛋白群の蛋白発現量に変化は見られなかった。一方、ラット、カニクイザル培養系ともに、アストログリア(AG)関連蛋白であるGFAPおよびApoE蛋白量の有意な増加が見られ、増加度はラットの方が顕著であった。このことから、Aβが蓄積し始める加齢およびAD進行初期においては、神経細胞よりもむしろAGの対Aβ反応が主に生じていることが示唆された。

また、Aβが直接AGを刺激しているのかどうかを確認するため、Conditioned-Medium(CM)実験系を用いてAGの対Aβ反応経路を検索した。この結果、ラットおよびカニクイザルAGは直接Aβに刺激されることで活性化が生じる(GFAP増加)ことが明らかになった。一方、ApoE産生経路には両者に種差が見られた。ラットAGはCM添加群においてもApoE産生量の有意な増加が見られたのに対し、カニクイザルAGは直接Aβを添加した群でのみ、ApoE産生量の増加が確認された。

さらに、昨今の研究により、ロイシンリッチリピート構造(LRR)を持つ蛋白が、Aβ添加により遺伝子発現が上昇することがin vitroで確認された。そこで私は、LRRを持つLGI3のラットにおける塩基配列およびアミノ酸配列を明らかにし、ラット培養系にてAβ添加による同遺伝子発現の検索を行った。ラットLGI3はアミノ酸レベルでヒトと90%以上の相同性を持つことが明らかになり、主に大脳皮質で発現していることが明らかになった。また、ラットLGI3は主にAGで発現することが明らかになり、Aβ40添加により有意なLGI3発現上昇が確認された。Aβ40は生体内で恒常的に産生されるAβ分子種であることから、LGI3はAβの脳内における正常機能に関与していることが示唆された。本研究はAβの生体内機能ひいては存在意義を明らかにするために新たな一石を投じた研究である。

以上、本研究ではヒトに近縁なサル類の脳の加齢性変化に伴う老人斑関連蛋白の発現および初代神経培養細胞を用いたAβ蛋白の神経毒性の種差による反応性の違いを明らかにしたものであり、ヒトへの外挿を含め、獣医学領域での貢献が多大である。よって審査委員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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