学位論文要旨



No 119234
著者(漢字) 高取,敦志
著者(英字)
著者(カナ) タカトリ,アツシ
標題(和) 糖尿病合併症モデルハムスターを用いた薬物治療法および安全性評価系の確立
標題(洋) Establishment of medicinal treatments and safety assessment system using a diabetic model of hamster with its complication
報告番号 119234
報告番号 甲19234
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2785号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 教授 尾崎,博
 東京大学 助教授 桑原,正貴
 東京大学 助教授 久和,茂
内容要旨 要旨を表示する

高齢化社会を迎えて、生活習慣病の深刻さが指摘されている昨今、特に糖尿病はその患者数の急増および慢性長期化傾向による致命的な合併症増加のため、社会的問題となっている。糖尿病はその病態・発生機序の複雑さのため治療には多剤投与を行うことが多く、薬物の副作用に加え薬物相互作用による人体への悪影響が医療の現場で問題となっている。こうした疾病に対する安全で有効な治療法の開発には適切な動物モデルの開発研究、およびそれを用いた多剤投与による副作用予測を視野に入れた安全性評価が必要である。これまで糖尿病発症機序を解明する動物モデルとしてはI型およびII型いずれにおいても良いモデル系が開発されてきたが、合併症の動物モデルに関しては適した実験系は開発されてこなかった。また、糖尿病モデル動物を用いた糖尿病治療薬の詳細な安全性評価は未だに少ない。

APA系シリアンハムスター(APAハムスター)は糖尿病誘発剤であるストレプトゾトシン(SZ)を単回投与することで高血糖・高脂血症を誘発でき、さらにその病態を長期にわたり維持する系統である。これによりAPAハムスターは短期間で糖尿病性腎症および大動脈粥状動脈硬化症を発症する。また、シリアンハムスターはヒトと同一の脂質代謝系モデル動物であることから、本モデルは糖尿病・高脂血症およびその合併症による代謝障害機構を解明するうえで格好のモデルである。本研究では、このモデルを用いて薬物投与によるβ細胞再生機序を解明し、糖尿病が薬物代謝系に与える影響を明らかにすることを目的とした。本論文は2章(各章3節)から構成される。以下に各章の要約と意義を述べる。

第1章はSZ誘発糖尿病状態下におけるAPAハムスターの膵島β細胞の障害・再生機序について述べている。第1-1節では、膵島について機能的・組織化学的に検索を行い、本モデルがどのようなメカニズムで糖尿病状態を長期にわたって維持しているかを明らかにした。耐糖能試験の結果、糖尿病APAハムスターではグルコース反応性インスリン分泌はほとんどみられなかった。免疫組織化学的検索の結果、SZ投与後1、3、6ヶ月では多くの膵島で少数の空胞変性を示す細胞がみられ、それらの細胞はPAS染色で陽性を示した。また空胞変性を示す細胞は主に抗インスリン抗体に対して陽性であった。さらに空胞変性細胞の周辺ではPCNA陽性細胞が多くみられ、一方TUNEL陽性細胞はみられなかった。以上から、(1)膵島のβ細胞の再生が起こること、(2)しかし増殖したβ細胞は高血糖・高脂血症によるグリコーゲン沈着などのストレスによって持続的に変性・壊死に陥ること、(3)従ってインスリン分泌は低いレベルにとどまり、その結果6ヶ月以上糖尿病状態を維持したまま、インスリン治療なしに生存することを明らかにした。

第1-2節では、本モデルの膵島において病変の進展を促す因子を同定するために、糖尿病急性期および慢性期において抗酸化作用を持つ抗高脂血症薬であるプロブコール(PB)を投与し、その影響について検索した。耐糖能試験の結果、急性期の糖尿病APAハムスターにおいてPB投与により耐糖能異常の改善がみられた。免疫組織化学的検索の結果、急性期および慢性期においてPB投与によりインスリン陽性面積比に有意な増加がみられた。また、酸化ストレスマーカーである4HNE陽性細胞は急性期におけるPB投与によって減少する傾向がみられた。インスリンとPCNAの二重染色の結果、インスリン陽性細胞に占めるPCNA陽性細胞数の割合はPB投与糖尿病APAハムスターの膵島において増加する傾向がみられた。半定量RT-PCR法による検索の結果、急性期および慢性期の糖尿病APAハムスターにおいて Reg (Regenerating gene)および INGAP (islet neogenesis associated protein)遺伝子の発現量が対照群に比べ有意に増加した。また慢性期糖尿病におけるReg遺伝子の発現量はPB投与により有意に減少していた。以上から、SZ誘発糖尿病APAハムスターに対するPB投与は膵臓におけるその抗酸化作用とReg および INGAP 遺伝子の発現誘発によりβ細胞機能を部分的に回復させることが示された。

第1-2節で得られた結果はPBのもつ抗酸化作用によるものであることが示唆されたので、第1-3節ではよく知られている抗酸化物質であるN-acetyl-L-cysteine (NAC)、aminoguanidine (AG)およびpyridoxamine (PM)の投与による影響を検索した。血液生化学的検索および免疫組織化学的検索の結果、NACおよびPM投与において酸化ストレスマーカー値の軽減がみられた。耐糖能試験および免疫組織化学的検索の結果、NACおよびPM投与において糖尿病状態の顕著な改善、インスリン陽性面積比およびインスリン陽性細胞増殖率の有意な増加がみられた。このことから、抗酸化物質投与はβ細胞機能の回復に効果があり、それはβ細胞の再生を伴うことから、β細胞の再生・新生を促すことにより糖尿病を治療できる可能性が示され、本モデルは糖尿病治療薬のスクリーニングに有用なモデルであることが示された。

第2章では、薬物投与あるいは様々な病態によって機能が変化する薬物代謝機構のうち特に第I相で主要に働くチトクロムP450 (P450) の糖尿病における発現の変化について述べている。第2-1節では、APAハムスターにおいてP450の肝臓における発現が加齢によって受ける影響について検索した。その結果、(1)ハムスターのP450発現は加齢によりその発現量が変化すること、(2)分子種それぞれの肝小葉における局在がそれまで報告のあるラットなどとは異なることを明らかとした。

第2-2節では、APAハムスターにおいて糖尿病によるP450発現量および局在性の変化を主にwestern blotおよび免疫組織化学法を用いて検索した。その結果、糖尿病状態においてP450発現量が変化すること、および糖尿病によって肝P450発現の局在性が変化することを初めて示した。中にはこれまでに報告されている他の動物における発現量の変化とは異なる結果を示した分子種もあった。このことは糖尿病状態下において薬物代謝能には正常時とは異なる変化があり、そのことが薬物投与による治療にも影響を与えることを示唆している。

薬物相互作用による副作用の多くは生体異物(xenobiotics)の第I相代謝に働くP450分子種の誘導または阻害によって起こることが知られている。糖尿病がP450発現の薬物による誘導または阻害に対して影響を及ぼすかどうかを明らかにするため、第2-3節ではP450の誘導剤としてよく知られている薬物であるフェノバルビタール(Phe)とデキサメタゾン(Dex)を用いてP450の主要な分子種であるCYP2E1およびCYP3Aの発現の糖尿病状態における変化を検索した。HPLC、western blot法およびRT-PCR法を用いて活性、タンパク発現量およびmRNA発現量を検索した結果、対照群と糖尿病群ではCYP2E1およびCYP3Aの発現誘導が異なることを明らかにした。特に糖尿病Phe投与群におけるCYP2E1発現において、mRNAおよび活性の増加はみられるにもかかわらずタンパクの増加がみられないことやDexによるCYP3A活性の増加はmRNAおよびタンパクの発現増加を伴わないことを初めて示した。これらの結果は、糖尿病状態におけるP450発現制御は正常状態とは異なり、糖尿病治療薬の有効性および安全性評価は適切な糖尿病モデルを用いて詳しく行う必要があることを示している。

上記の通り、本論文は糖尿病合併症モデル動物として用いられてきたSZ誘発糖尿病APAハムスターが糖尿病治療薬のスクリーニングおよび安全性評価系に有用であることを示した。生活習慣病に代表されるような、多剤投与が必要とされる疾病が増加する中、安全で有効な治療法の開発には適切な動物モデルの開発研究およびそれを用いた多剤投与による副作用予測を視野に入れた安全性評価が必要である。本論文は今後の糖尿病治療薬の詳細な安全性評価系の確立に有益な情報を提供した。今後、さらにP450発現制御のメカニズムを明らかにすることにより、医療の現場で問題となっている薬物相互作用の解決につながると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

糖尿病はその病態・発生機序の複雑さのため治療には多剤投与を行うことが多く、薬物の副作用に加え薬物相互作用による人体への悪影響が医療の現場で問題となっている。しかし、糖尿病モデル動物を用いた糖尿病治療薬の詳細な安全性評価は未だに少ない。APA系シリアンハムスター(APAハムスター)は糖尿病誘発剤であるストレプトゾトシン(SZ)を単回投与することで高血糖・高脂血症を誘発でき、さらにその病態を長期にわたり維持する系統である。本論文は、このモデルを用いて薬物投与によるβ細胞再生機序を解明し、糖尿病が薬物代謝系に与える影響を明らかにすることを目的としたものである。

第1章ではSZ誘発糖尿病状態下におけるAPAハムスターの膵島β細胞の障害・再生機序について述べている。膵島について機能的・組織化学的に検索を行った結果、(1)膵島のβ細胞の再生が起こること、(2)しかし増殖したβ細胞は高血糖・高脂血症によるストレスによって持続的に変性・壊死に陥ること、(3)従ってインスリン分泌は低いレベルにとどまり、その結果6ヶ月以上糖尿病状態を維持したまま、インスリン治療なしに生存することを明らかにした。

また、本モデルの膵島において病変の進展を促す因子を同定するために、抗酸化作用を持つ抗高脂血症薬であるプロブコール(PB)を投与し、その影響について検索した。その結果、糖尿病APAハムスターにおいてPB投与により耐糖能異常の改善、インスリン陽性面積比の有意な増加、酸化ストレスマーカーの減少、β細胞増殖の有意な増加がみられた。以上から、SZ誘発糖尿病APAハムスターに対するPB投与はその抗酸化作用を介してβ細胞機能を部分的に回復させることが示された。

さらに、よく知られている抗酸化物質であるN-acetyl-L-cysteine (NAC)、aminoguanidine (AG)およびpyridoxamine (PM)の投与による影響を検索した。その結果、NACおよびPM投与において耐糖能異常の改善、酸化ストレスマーカーの軽減、インスリン陽性面積比およびインスリン陽性細胞増殖の有意な増加がみられた。このことから、抗酸化物質投与はβ細胞機能の回復に効果があり、それはβ細胞の再生を伴うことから、β細胞の再生・新生を促すことにより糖尿病を治療できる可能性が示され、本モデルは糖尿病治療薬のスクリーニングに有用なモデルであることが示された。

第2章では、薬物投与あるいは様々な病態によって機能が変化する薬物代謝機構のうち特に第I相で主要に働くチトクロムP450 (P450) の糖尿病における発現の変化について述べている。APAハムスターにおいてP450の肝臓における発現が加齢によって受ける影響について検索した。その結果、(1)ハムスターのP450発現は加齢によりその発現量が変化すること、(2)分子種それぞれの肝小葉における局在がそれまで報告のあるラットなどとは異なることを明らかとした。

また、APAハムスターにおいて糖尿病によるP450発現量および局在性の変化を検索している。その結果、糖尿病状態においてP450発現量が変化すること、および糖尿病によって肝P450発現の局在性が変化することを初めて示した。このことは糖尿病状態下において薬物代謝能には正常時とは異なる変化があり、そのことが薬物投与による治療にも影響を与えることを示唆している。薬物相互作用による副作用の多くはP450分子種の誘導または阻害によって起こることが知られている。糖尿病がP450発現の薬物による誘導または阻害に対して影響を及ぼすかどうかを明らかにするため、第2-3節ではP450の誘導剤としてよく知られている薬物であるフェノバルビタール(Phe)とデキサメタゾン(Dex)を用いてP450の主要な分子種であるCYP2E1およびCYP3Aの発現の糖尿病状態における変化を検索した。その結果、対照群と糖尿病群ではPheまたはDexによるCYP2E1およびCYP3Aの発現誘導が異なることを明らかにした。この結果は、糖尿病状態におけるP450発現制御は正常状態とは異なり、糖尿病治療薬の有効性および安全性評価は適切な糖尿病モデルを用いて詳しく行う必要があることを示している。

以上のように、本論文はSZ誘発糖尿病APAハムスターが糖尿病治療薬のスクリーニングおよび安全性評価系に有用であることを示し、今後の糖尿病治療薬の詳細な安全性評価系の確立に有益な情報を提供したものであり、獣医学領域での貢献が多大である。よって審査委員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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