学位論文要旨



No 119236
著者(漢字) 西村,拓也
著者(英字)
著者(カナ) ニシムラ,タクヤ
標題(和) 神経細胞の生存・分化における正常型プリオン蛋白質の機能に関する研究
標題(洋) Studies on the functions of cellular prion protein in neuronal survival and differentiation
報告番号 119236
報告番号 甲19236
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2787号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 東條,英昭
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 助教授 松本,芳嗣
 東京大学 助教授 内藤,邦彦
内容要旨 要旨を表示する

序論

プリオン病は、宿主の正常型プリオン蛋白質(PrPC)が、異常型プリオン蛋白質(PrPSc)へと変換することで発症する神経変性疾患である。正常型プリオン蛋白質は、正常宿主タンパク質であり、おもに脳神経系、免疫担当細胞等で高い発現が見られる。プリオン蛋白質の生理的役割としては、プリオン蛋白質のオクタリピート領域が銅と結合するため、特に銅結合性に関連した代謝機能、細胞接着、情報伝達が考えられている。ほかにも、様々な蛋白質がプリオン蛋白質に結合することが報告されているが、これらの相互作用のうち、どれが生理的に重要であるかは現在でも不明なままである。その解明は、プリオン病における重要な問題のひとつである神経変性のメカニズムを明らかとすることにつながる。

ZrchI型ノックアウトマウス、そして、Edinburg型ノックアウトマウスは正常に発達する。一方で、PrP遺伝子(Prnp)を広範囲に欠損させたNask型、Rcm0型、そして、Rikn型ノックアウトマウスではプリオン様蛋白質であるDoppel蛋白質(Dpl)の脳での異所発現、およびそれに伴う小脳失調とプルキンエ細胞の脱落が生じる。我々は、Dpl異所発現型のPrnp-/- mouseの脳細胞より、不死化Prnp-/-脳細胞株HpL3-4を樹立した。この細胞株は無血清培地下でアポトーシス細胞死をおこして死ぬが、PrPの遺伝子を再導入すると、アポトーシス細胞死が抑制された。この結果より、PrPCが、アポトーシス細胞死を抑制する機能を有することを示した。この実験系は、PrPCの欠損のphenotypeをもつ細胞株として高く評価されているが、一方でDpl蛋白質の異所発現型の細胞株であるため、その影響が懸念されている。

以上のような背景から本研究では、Dplの過剰発現がないPrnp-/-不死化神経細胞を開発し、プリオン蛋白質とニューロンの生存・分化との関係解明を目的として研究を行った。

Type-1 Prnp-/-不死化神経細胞株の樹立、及びPrPの細胞死抑制効果についての解析

本研究では、レトロウイルスベクターを用い、SV40largeT抗原をType-1 Prnp-/- mouse由来の標的細胞に導入する方法により、Dpl非発現型であるType-1 Prnp-/-不死化神経細胞株Npl1, Npl2 (MAP-2陽性、NF陽性、GFAP陰性)を樹立した。また、同様の手法を用い、Type-1 Prnp-/-不死化グリア細胞株Gpl1, Gpl2 (MAP-2陰性、GFAP陽性)を樹立した。これらの細胞株からPrPおよびDplの産生は確認されず、目的の細胞株を得ることに成功した。これらの細胞株は、無血清培養により、アポトーシス細胞死をおこす。そこで、神経細胞株Npl2にPrP遺伝子および、Dpl遺伝子をそれぞれ導入し、無血清培養下でのアポトーシス細胞死に与える影響について解析をおこなった。その結果、PrP遺伝子導入はアポトーシス細胞死を抑制した。一方、Dpl遺伝子導入によるアポトーシス細胞死への影響は認められなかった。これにより、PrPCは、無血清培養によるアポトーシス細胞死を抑制し、その効果はDpl遺伝子の発現とは無関係であることが示唆された。また、グリア細胞株についても同様の効果が確認されたことから、PrPCのアポトーシス抑制効果は、特定の細胞種によらないことが明らかとなった。また、PrP遺伝子再導入によって、SOD様活性の上昇と、血清除去による細胞内のH2O2の上昇の抑制が観察された。PrPCの細胞胞死抑制のメカニズムとして、細胞内におけるreactive oxygen species (ROS) に対する防御反応が考えられた。更に、PrPC発現グリア細胞株とNpl2を共培養したところ、PrPC非発現グリア細胞株との共培養よりも、無血清培養による細胞死を強く抑えた。これらのことから、細胞膜上タンパク質であるPrPCは、細胞外においても酸化ストレスを減弱させる働きを有することが考えられた。

銅によるPrPCの細胞死抑制効果

第2章では、PrPCが神経細胞の生存に関与するかについて、をよりin vivoに近い系で検討するため、Type-1型(ZrchI)およびType-2型(Rikn) Prnp -/- マウスの初代培養神経細胞を用いて調べた。Type-1及び、Type-2のプリオン遺伝子欠損マウス(Prnp -/- mouse)由来の初代培養小脳顆粒神経細胞は、野生型マウス由来の初代培養小脳顆粒神経細胞と比べ、酸化ストレスの中で、銅に対して特に感受性が高く、有為に多い死細胞が観察された。そこで、Prnp-/-神経細胞における銅感受性の特異性の原因について検討した。銅はフェントン反応と呼ばれる強力なフリーラジカル(OH-)を精製する反応の触媒となる。そこで、その前駆物質であるH2O2の変動をFlowcytometryにより調べた。その結果、銅の添加により、Prnp-/-神経細胞では細胞内H2O2が野生型神経細胞にくらべ急激に減少することがわかった。Prnp-/-神経細胞でみられたこの現象は、金属の中では銅に特異的であった。それに伴い、野生型神経細胞より強く、Prnp-/-神経細胞においてcaspase-9、caspase-3の活性化からアポトーシス細胞死を誘導することがわかった。また、野生型神経細胞に銅を添加すると、細胞膜上PrPCの発現が減少する。これらのことから、PrPCと銅との相互作用は、銅がFenton反応の触媒として利用されることを抑制していると考えられる。特に細胞内H2O2濃度が高い状態の細胞に銅を添加すると、Prnp-/-神経細胞ではさらに急激なH2O2の消費と、細胞死が観察された。PrP発現を欠いた神経細胞への高H2O2条件下での銅毒性が、プリオン病の神経変性の一因ではないかと推測される。

神経分化とPrPの関係解明

PrPC発現と神経細胞分化に相関があるかどうかについて検討した。野生型神経細胞株NB3-2は、無血清培養、およびdcAMPの添加により、神経突起の伸展が認められ、それに伴い、PrPCの発現が増加した。NB3-2への銅添加は、突起形成の抑制効果をしめし、それに伴い、PrPCの細胞膜表面からの発現の減少が確認された。突起伸展がPrPCの働きによるものであるかどうかを調べるため、Prnp-/-不死化神経細胞株Npl2に、PrP遺伝子を導入した細胞株と、ベクターのみ導入した細胞株の比較検討をおこなった。その結果、dcAMPの添加によらず、PrP遺伝子を再導入した細胞株において、強い突起伸展が認められた。また、銅添加によって、PrP遺伝子を導入した細胞株において突起伸展が強く阻害された。これらの結果は、PrPCが神経分化のシグナル伝達系に関与していることを示唆している。血清除去は、細胞内の活性型cAMPを上昇させ、銅添加は、それを抑制することが知られている。銅結合蛋白質であるPrPCは、銅との結合を介して、細胞内のcAMPの活性化を調節し、神経突起の伸展を正負に調節している可能性が考えられた。

まとめ

本研究において、PrPCが酸化ストレスや銅の刺激を受容し、神経細胞の生存や分化に機能していることが明らかとなった。銅は生体に必須な微少金属であり、様々な生体反応の活性化に関係する。銅結合蛋白質であるPrPCは、その全てに機能的に関わる可能性を含んでいる。その中で、新たに作製されたPrnp-/-神経細胞株、グリア細胞株と、そこから得られた新たな知見は、PrPCのそのような機能や、神経グリアの相互作用におけるPrPCの機能を明らかにできる有用な実験系である。今後の解析によって、それらの詳細な解明が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

プリオン病は、宿主の正常型プリオン蛋白質(PrPC)が、異常型プリオン蛋白質(PrPSc)へと変換することで発症する神経変性疾患である。正常型プリオン蛋白質は、正常宿主タンパク質であり、おもに脳神経系、免疫担当細胞等で高い発現が見られる。プリオン蛋白質の生理的役割としては、プリオン蛋白質のオクタリピート領域が銅と結合するため、特に銅結合性に関連した代謝機能、細胞接着、情報伝達が考えられている。ほかにも、様々な蛋白質がプリオン蛋白質に結合することが報告されているが、これらの相互作用のうち、どれが生理的に重要であるかは現在でも不明なままである。その解明は、プリオン病における重要な問題のひとつである神経変性のメカニズムを明らかとすることにつながる。

ZrchI型ノックアウトマウス、そして、Edinburg型ノックアウトマウスは正常に発達する。一方で、PrP遺伝子(Prnp)を広範囲に欠損させたNask型、Rcm0型、そして、Rikn型ノックアウトマウスではプリオン様蛋白質であるDoppel蛋白質(Dpl)の脳での異所発現、およびそれに伴う小脳失調とプルキンエ細胞の脱落が生じる。我々は、Dpl異所発現型のPrnp-/- mouseの脳細胞より、不死化Prnp-/-脳細胞株HpL3-4を樹立した。この細胞株は無血清培地下でアポトーシス細胞死をおこして死ぬが、PrPの遺伝子を再導入すると、アポトーシス細胞死が抑制された。この結果より、PrPCが、アポトーシス細胞死を抑制する機能を有することを示した。この実験系は、PrPCの欠損のphenotypeをもつ細胞株として高く評価されているが、一方でDpl蛋白質の異所発現型の細胞株であるため、その影響が懸念されている。以上のような背景から本研究では、Dplの過剰発現がないPrnp-/-不死化神経細胞を開発し、プリオン蛋白質とニューロンの生存・分化との関係解明を目的として研究が行われた。

第1章では、レトロウイルスベクターを用い、SV40largeT抗原をType-1 Prnp-/- mouse由来の標的細胞に導入する方法により、Dpl非発現型であるType-1 Prnp-/-不死化神経細胞株Npl1, Npl2 (MAP-2陽性、NF陽性、GFAP陰性)を樹立した。また、同様の手法を用い、Type-1 Prnp-/-不死化グリア細胞株Gpl1, Gpl2 (MAP-2陰性、GFAP陽性)を樹立した。これらの細胞株からPrPおよびDplの産生は確認されず、目的の細胞株を得ることに成功した。これらの細胞株は、無血清培養により、アポトーシス細胞死をおこす。そこで、神経細胞株Npl2にPrP遺伝子および、Dpl遺伝子をそれぞれ導入し、無血清培養下でのアポトーシス細胞死に与える影響について解析をおこなった。その結果、PrP遺伝子導入はアポトーシス細胞死を抑制した。一方、Dpl遺伝子導入によるアポトーシス細胞死への影響は認められなかった。これにより、PrPCは、無血清培養によるアポトーシス細胞死を抑制し、その効果はDpl遺伝子の発現とは無関係であることが示唆された。また、グリア細胞株についても同様の効果が確認されたことから、PrPCのアポトーシス抑制効果は、特定の細胞種によらないことが明らかとなった。PrPCの細胞胞死抑制のメカニズムとして、細胞内におけるreactive oxygen species (ROS) に対する防御反応が考えられた。更に、PrPC発現グリア細胞株とNpl2を共培養したところ、PrPC非発現グリア細胞株との共培養よりも、無血清培養による細胞死を強く抑えた。これらのことから、細胞膜上タンパク質であるPrPCは、細胞外においても酸化ストレスを減弱させる働きを有することが考えられた。

第2章では、PrPCが神経細胞の生存に関与するかについて、をよりin vivoに近い系で検討するため、Type-1型(ZrchI)およびType-2型(Rikn) Prnp -/- マウスの初代培養神経細胞を用いて調べた。Type-1及び、Type-2のプリオン遺伝子欠損マウス(Prnp -/- mouse)由来の初代培養小脳顆粒神経細胞は、野生型マウス由来の初代培養小脳顆粒神経細胞と比べ、酸化ストレスの中で、銅に対して特に感受性が高く、有為に多い死細胞が観察された。そこで、Prnp-/-神経細胞における銅感受性の特異性の原因について検討した。銅はフェントン反応と呼ばれる強力なフリーラジカル(OH-)を精製する反応の触媒となる。そこで、その前駆物質であるH2O2の変動をFlowcytometryにより調べた。その結果、銅の添加により、Prnp-/-神経細胞では細胞内H2O2が野生型神経細胞にくらべ急激に減少することがわかった。Prnp-/-神経細胞でみられたこの現象は、金属の中では銅に特異的であった。それに伴い、野生型神経細胞より強く、Prnp-/-神経細胞においてcaspase-9、caspase-3の活性化からアポトーシス細胞死を誘導することがわかった。また、野生型神経細胞に銅を添加すると、細胞膜上PrPCの発現が減少する。これらのことから、PrPCと銅との相互作用は、銅がFenton反応の触媒として利用されることを抑制していると考えられる。特に細胞内H2O2濃度が高い状態の細胞に銅を添加すると、Prnp-/-神経細胞ではさらに急激なH2O2の消費と、細胞死が観察された。PrP発現を欠いた神経細胞への高H2O2条件下での銅毒性が、プリオン病の神経変性の一因ではないかと推測される。

第3章ではPrPC発現と神経細胞分化に相関があるかどうかについて検討した。野生型神経細胞株Npl2はPrP遺伝子導入により、神経突起の伸展が認められ、それに伴い、活性型PKAの量が増加した。また、銅添加によって、PrP遺伝子を導入した細胞株において突起伸展および、活性型PKAの量が強く抑制された。これらの結果は、PrPCがcAMP/PKA経路を介した神経分化のシグナル伝達系に関与していることを示唆している。銅結合蛋白質であるPrPCは、銅との結合を介して、細胞内のcAMPの量および、神経突起の伸展を調節している可能性がる。

本研究において、PrPCが酸化ストレスや銅の刺激を受容し、神経細胞の生存や分化に機能していることが明らかとなった。銅は生体に必須な微少金属であり、様々な生体反応の活性化に関係する。銅結合蛋白質であるPrPCは、その全てに機能的に関わる可能性を含んでいる。その中で、新たに作製されたPrnp-/-神経細胞株、グリア細胞株と、そこから得られた新たな知見は、PrPCのそのような機能や、神経グリアの相互作用におけるPrPCの機能を明らかにできる有用な実験系であると考えられる。

従って、審査員一同は、当論文内容が博士(獣医学)の資格を有するとの結論に達した。

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