No | 119237 | |
著者(漢字) | 根岸,隆之 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ネギシ,タカユキ | |
標題(和) | 内分泌攪乱化学物質が哺乳類中枢神経系発達に与える影響の検索 | |
標題(洋) | Impact of endocrine disrupting chemicals on mammalian central nervous system development | |
報告番号 | 119237 | |
報告番号 | 甲19237 | |
学位授与日 | 2004.03.25 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(獣医学) | |
学位記番号 | 博農第2788号 | |
研究科 | 農学生命科学研究科 | |
専攻 | 獣医学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 環境中の化学物質の中にはヒト生体内でホルモン様あるいは抗ホルモン様作用を発現するものがある(内分泌攪乱化学物質)。一方、正常な中枢神経系の発達は厳密にステロイド系ホルモンおよび甲状腺ホルモンにより制御を受けている。この発達が外因性の内分泌攪乱化学物質による干渉をうければ神経系発達は何らかの形で障害を受け、最終的に精神活動ないし学習能力等に影響をもたらすと考えるのは妥当である。 本研究は実験動物の中でもヒトに近いと考えられるサルと毒性学分野で汎用されるラットを用いて、神経系発達に対する影響のエンドポイントとして行動発達を評価し、さらにそのメカニズムを細胞生物学的に明らかにするため培養細胞を用いた評価系を確立することを目的とする。 被験物質としては2,3,7,8-四塩素化ジベンゾダイオキシン(TCDD)、ビスフェノールA (BPA)、およびノニルフェノール (NP)を選択した。 本論文は以下の3つのChapterから成り立ち、Chapter1では神経系発達期における内分泌攪乱化学物質の暴露が行動発達に与える影響を、Chapter2ではそのメカニズムを推察する目的で内分泌攪乱化学物質の神経細胞死への影響を検討した。さらにChapter3ではヒトへのリスクを霊長類と齧歯類との種差から考えることを目的としてカニクイザル胎仔の神経細胞培養系を確立し、さらに内分泌攪乱化学物質の影響の評価に適した系に発展させた。 内分泌攪乱化学物質の周産期暴露が行動発達に与える影響の検証 アカゲザルにおいて周産期ダイオキシン暴露が次世代個体の行動発達に与える影響を評価した。妊娠アカゲザル(妊娠20日目)に対し、ダイオキシンを0、30、300ng/kgで皮下投与した後、1ヶ月毎に5%の追加投与により体内ダイオキシン濃度を維持した。同世代個体との出会わせテストでは、暴露個体は出会わせテスト用特別ケージという新奇場面における恐怖心が薄く、他個体に対してより多く接触を試みたものの、この傾向は年齢を経るにつれ減少した。本実験によりダイオキシン暴露による社会的行動発達の異常が明らかとなった。 F344ラットに対し、妊娠10日目から離乳時までBPAを4、40、400 mg/kg/dayで母ラットに経口投与を行い次世代の生後行動発達を評価した。連続3日間の能動的忌避学習能力試験(8週齢)では試験初日において4mg/kg/day群のみが他群に比較し有意に低忌避率を示した。オープンフィールド試験(8週齢)においては4mg/kg/day群のオスでグルーミング行動の有意な上昇がみられた。BPAは電気刺激や新奇場面といった恐怖刺激に対する反応性を変化させることが明らかとなった。 F344ラットにおいて妊娠3日目から離乳時まで低濃度BPA (0.1mg/kg/day)、およびNP(0.1および10 mg/kg/day)を経口投与し、経胎盤および経乳による周産期暴露が次世代オスの行動発達におよぼす影響を検討した。BPAおよびNP暴露は次世代オスの夜間自発運動量(12週齢)、オープンフィールド試験(8週齢)および高架式十字迷路試験(14週齢)において明らかな影響を与えなかった。受動的忌避学習能力試験(13週齢)ではBPAおよびNP暴露群は対照群に比べ電気刺激を忌避する傾向がみられた。連続4日間の能動的忌避学習能力試験(15週齢)ではNP (0.1 mg/kg/day)暴露群は試験初日のみではあるが有意に条件刺激(音)による忌避率の低下がみられた一方、BPA暴露群については試験4日目を除き条件刺激による忌避率の低下がみられた。またBPA暴露群では試験を通しての非条件刺激(電気刺激)からの回避(移動)の失敗の増加がみられた。さらに22週齢時においてモノアミンオキシダーゼ阻害剤であるTranylcypromine によるモノアミン誘発性の活動上昇反応を評価した結果、対照群では有意な移動行動の上昇がみられたのに対し、BPAおよびNP (0.1 mg/kg/day)群ではその反応が消失した。これらの結果より、周産期低濃度BPAおよび低濃度NP暴露により、電気刺激という痛みを伴う恐怖条件に対し過敏になること、さらにモノアミン系の発達異常が生じる可能性が示唆された。 最近、ヒトにおいて内分泌攪乱化学物質の中でもPCBを含む甲状腺ホルモン作用を攪乱する物質の中枢神経系発達、その後の精神活動に与える影響が懸念され、特に注意欠陥多動性障害(ADHD)の危険因子としての可能性が指摘されている。本実験では抗甲状腺剤プロピオチオウラシル(PTU)による実験的周産期甲状腺機能低下状態がADHD様の行動発達異常をもたらす可能性について検証した。オープンフィールド試験においてPTU投与群では対照群で見られる慣れによる時間依存的移動行動の減少が消失した。またグルーミング行動も少なかった。受動的忌避学習能力試験においてPTU投与群は電気刺激による学習効果が顕著に低かった。能動的忌避学習能力試験においてPTU投与群は対照群に比し忌避率は低く、試行間の部屋の移動を頻繁に行った。夜間自発運動量をフーリエ解析した結果、PTU投与群は対照群でみられる約3時間周期の遅い波が消失し短い周期の波を繰り返す傾向がみられた。以上の結果は周産期甲状腺機能低下による記憶学習能力の低下、新奇場面における恐怖心の欠如、電気刺激に対する恐怖心の低下、無刺激下での活動周期の変調を意味し、言い換えると学習障害、注意力低下および静止行動を嫌う多動性といったADHD様の行動学的特質をもたらしたと考えられる。 内分泌攪乱化学物質による中枢神経系発達障害のメカニズムの推測 内分泌攪乱化学物質のプログラム細胞死への影響を評価するため、BPAおよびNPの暴露がStaurosporine (ST)誘発神経細胞死に与える影響を検索した。胎齢18日ラット海馬、大脳皮質神経細胞において、培養4日目にBPA (10μM)、NP (10μM)を24時間暴露したのち、ST (100nM)により神経細胞死を誘発し24時間後の培養上清中LDHを測定することにより神経細胞死を定量化した。海馬および大脳皮質由来神経細胞においてBPA (10μM)は有意な細胞死抑制効果を示し、NP (10μM)も若干の抑制効果を示した。また神経細胞死誘発後6時間におけるCaspase-3の活性を定量した結果、海馬および大脳皮質神経細胞ではBPA (10μM)およびNP (10μM)暴露は有意にCaspase-3活性上昇を抑制した。さらに低濃度BPA (10nM)も同様に有意にCaspase-3の活性上昇を抑制した。低濃度NP (10nM)も抑制傾向がみられた。BPAおよびNPはSTによる神経細胞死に対しCaspase-3の活性上昇の阻害を伴う細胞死抑制効果を示した。発達期のBPAおよびNP暴露による行動発達異常の一因としてプログラム細胞死の阻害が考えられる。 ヒト中枢神経系発達に対するリスク評価のためのサル由来神経系細胞初代培養系の確立 カニクイザル胎仔由来大脳神経細胞の初代培養を作成するために胎齢80, 93, 102日齢の胎仔の大脳を液体窒素にて長期保存した。それぞれの胎齢の神経細胞を血清含有培養液で培養した結果、材料としては組織重量あたりの得られる細胞数および培養後の生存率の点で80日齢胎仔が最良と考えられた。さらに機能的シナプスを形成させ、神経活動を観察することに成功した。 カニクイザル胎仔由来神経細胞、アストログリアおよびミクログリアの無血清培養液中選択培養法の確立を試みた。神経細胞はDNA合成阻害剤の添加によるグリア系細胞の増殖阻止によって無血清培養液中で高純度に生存させる事に成功した。アストログリアは血清添加培養液中での高い増殖能を利用し継代を3回程度繰り返し、無血清培養液中で維持した。ミクログリアは他の細胞に比べ接着性が弱いため浮遊して存在することを利用し血清添加混合培養系の弱接着性細胞を培養液撹拌により回収し、再度まき直して無血清培養液中で維持した。化学的に限定された無血清培養液中での神経系細胞の選択的培養は微量の化学物質の影響を神経系異種細胞間の相互作用を排して評価することが可能であり、内分泌攪乱化学物質の影響評価に非常に有用である。 本研究で得られた評価系は今後、新規の内分泌攪乱化学物質の中枢神経系発達への影響を評価する際に、種差の検討も含め非常に効果的な評価系であると考えられる。その作用が複雑だとしても一連の行動学的試験により神経系への影響の「有無」が評価可能となり、さらに薬物負荷により神経伝達物質特異的に異常「経路」の存在を把握することができる。本研究では細胞レベルの評価系として大脳皮質および海馬におけるプログラム細胞死のin vitroモデルを提唱したが、さらに中脳や小脳の培養系でも同様の評価系を確立すれば、中枢神経系の中でも感受性の高い「場所」を推測することができる。将来的にはプログラム細胞死だけでなく神経幹細胞から成熟神経細胞への分化やそれに伴う移動、さらにシナプス形成をin vitroでモデル化すればこれらの物質の中枢神経系発達への影響の「妥当性」をたとえその影響が微少だとしてもより効率的にそして確実に評価できると考えられる。 | |
審査要旨 | 環境中の化学物質の中にはヒト生体内でホルモン様あるいは抗ホルモン様作用を発現するものがある(内分泌攪乱化学物質)。最近、正常な中枢神経系の発達が外因性の内分泌攪乱化学物質による干渉をうけることにより、最終的に精神活動ないし学習能力等に影響を与える可能性が指摘されている。本論文はサルとラットを用いて、被験物質の神経系発達に対する影響のエンドポイントとして行動発達を評価し、さらにそのメカニズムを推察するために培養細胞を用いた評価系を確立したものである。 第1章では内分泌攪乱化学物質の周産期暴露が行動発達に与える影響の検証をしている。 すなわち、アカゲザルにおいて周産期ダイオキシン暴露が次世代個体の行動発達に与える影響を評価した。ダイオキシン暴露個体は同世代個体との出会わせテストにおいて新奇場面における恐怖心が薄く、他個体に対してより多く接触を試みた。本実験によりダイオキシン暴露による社会的行動発達の異常が明らかとなった。 また、F344ラットにおいて、ビスフェノールA (BPA)を4、40、400 mg/kg/dayの濃度で母ラットに経口投与を行い次世代の生後行動発達を評価した結果、BPAは電気刺激や新奇場面といった恐怖刺激に対する反応性を変化させることが明らかとなった。 F344ラットにおいてBPA (0.1mg/kg/day)、およびNP(0.1および10 mg/kg/day)を母ラットに経口投与し次世代オスの行動発達におよぼす影響を検討した。一連の行動学的試験の結果より、周産期低濃度BPAおよび低濃度NP暴露により、電気刺激という痛みを伴う恐怖条件に対し過敏になること、さらにモノアミン系の発達異常が明らかとなった。 PCBを含む甲状腺ホルモン作用を攪乱する化学物質が注意欠陥多動性障害(ADHD)の危険因子の一つとして危惧されている。本実験では抗甲状腺剤プロピオチオウラシル(PTU)による実験的周産期甲状腺機能低下状態がADHD様の行動発達異常をもたらす可能性について検証した。一連の行動学的試験から、周産期甲状腺機能低下による学習障害、注意力低下および静止行動を嫌う多動性といったADHD様の行動学的特質が示された。 弟2章では内分泌攪乱化学物質による中枢神経系発達障害メカニズムの推測を行っている すなわち、内分泌攪乱化学物質のプログラム細胞死への影響を評価するため、BPAおよびNPの暴露がStaurosporine (ST)誘発神経細胞死に与える影響を評価した。ラット由来海馬、大脳皮質神経細胞において、培養4日目にBPA、NPを24時間暴露したのち、STにより神経細胞死を誘発し24時間後の神経細胞死または6時間後のCaspase-3の活性を定量化した。その結果、BPA およびNPは細胞死およびCaspase-3活性化に対し抑制効果を示した。これらの結果より発達期のBPAおよびNP暴露による行動発達異常の一因としてプログラム細胞死の阻害が考えられる。 第3章では、ヒト中枢神経系発達に対するリスク評価のためのサル由来神経系細胞初代培養系の確立について述べている。すなわちカニクイザル胎仔由来大脳神経細胞の初代培養系の確立を試みた。まずサル胎仔の大脳を凍結することにより長期保存を可能とし、その後の培養では多数の神経系細胞を得ることができた。さらに機能的シナプスを形成させ、神経活動を観察することに成功した。 また、カニクイザル胎仔由来神経細胞、アストログリアおよびミクログリアの無血清培養液中選択培養法を確立した。化学的に限定された無血清培養液中での神経系細胞の選択的培養は微量の化学物質の影響を神経系異種細胞間の相互作用を排して評価することが可能であり、内分泌攪乱化学物質の影響評価に非常に有用である。 以上の結果より本研究で用いた内分泌攪乱化学物質は一般毒性を示す濃度以下でも神経発達に影響を与えることが明らかとなった。また、本研究で得られた評価系は今後、新規の内分泌攪乱化学物質の中枢神経系発達への影響を評価する際に、種差の検討も含め非常に効果的な評価系であると考えられる。このように本論文は内分泌攪乱化学物質の神経発達に対する影響を総合的に評価した研究であり、ヒトへの影響の外挿を含め、獣医学領域での貢献が多大である。よって審査委員一同は、本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。 | |
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