学位論文要旨



No 119244
著者(漢字) 金,侖宣
著者(英字)
著者(カナ) キム,ユンソン
標題(和) 妊娠に伴う子宮平滑筋収縮機構の変化に関する比較生物学的研究
標題(洋) Comparative studies on the changes in contractile system in uterine smooth muscle during pregnancy
報告番号 119244
報告番号 甲19244
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2795号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 尾崎,博
 東京大学 教授 西原,真杉
 東京大学 教授 局,一博
 東京大学 助教授 山内,啓太郎
 東京大学 助教授 桑原,正貴
内容要旨 要旨を表示する

近年、欧米はもちろんのこと日本においてもヒト組織の医学研究への積極的な利用が重要視されている。医薬品開発の過程において、前臨床試験では実験動物を用いて薬効や安全性を調べているが、臨床試験の段階でヒトに無効であったり、副作用が見つかったりして、開発が中止される事例が多数多くある。この様な事例は実験動物とヒトの種差に起因することが多く、種差による反応性の相違を前臨床試験の早期に見いだすために、ヒト組織やヒト組織由来の細胞を用いた実験系を新薬開発に積極的に取り入れる努力が必要である。また最近では、ヒト組織の様々な生理機能を集積し、世界レベルでデータバンクを作ることが重要と考えられ、具体的な作業が進められている。

平滑筋臓器である子宮筋は、妊娠の一定期間、胎児を受容するために静的状態を維持し、妊娠期の末期に近づくと徐々に活動を始め、分娩時には強力な収縮張力を発生して胎児を分娩する。それゆえに、妊娠維持及び分娩に関連される疾病の理解及び管理のためには子宮筋の収縮弛緩機構と妊娠による子宮筋の機能変化に関する知見が必要だと思われる。また子宮平滑筋の収縮抑制機構の解明は、早産および安全な分娩誘発・促進を行う観点から産婦人科臨床にとっても重要な研究テーマである。

これまで、実験動物特にラットを用いた子宮平滑筋の収縮機構に関する報告は多い。しかし、ヒトの子宮平滑筋の収縮機構に関する知見は断片的であり、ラットとヒトの子宮収縮機構の相違点と類似点に着目した研究は少ない。本研究では、実験動物として利用されるラットとヒトの子宮平滑筋組織を用いて妊娠に伴う子宮筋の収縮蛋白系の機構変化について解明することを目的とした。

Protein Kinase CとCPI-17

PKCは、その分子クローニングにより、現在11種類のアイソザイムの存在が知られており、また制御ドメインの一次構造の違いから、cPKC (conventional PKC;α,β,γ)、nPKC (novel PKC;δ, ε, η, θ)、aPKC (atypical PKC;ζ, ι/λ)の3種に分類される。これら11種類のアイソザイム間で活性化機構や、組織分布、細胞内分布が異なることから、各アイソザイムは、生体内では異なった生理機能を持つものと予想されている。

PKCの活性化は血管や気管平滑筋を収縮させるが、腸管系では収縮および弛緩の二つの相反する機能を示す。子宮筋においてもPKCの存在が報告され、ラットの子宮筋では弛緩作用を示すことか知られている。一方、CPI-17は主に平滑筋に特異的に発現しており、PKCによってThr38がリン酸化される。リン酸化されたCPI-17は ミオシン脱リン酸化酵素活性を抑制し、収縮制御系のCa2+感受性増加する。

本研究でラットとヒト子宮筋におけるPKCアイソザイムの役割と、妊娠の経過によるPKCとCPI-17の発現および機能変化について比較検討した。

ラット子宮筋におけるPKCの役割

ラットの子宮筋においてホルボールエステル(DPB)投与により高濃度K収縮は抑制され、その作用は妊娠子宮筋で大きかった。cPKC特異的活性薬THXもDPBと同様の成績を示した。ウエスタンブロット分析により、子宮筋ではcPKCのうちPKCαが主に発現することを確認した。妊娠のステージが進むにつれて、PKCαの蛋白質発現は増加(up-regulation)し、妊娠末期21日に最大に達した。一方、PKC ε, ζ は妊娠のステージを追うことに発現が減少することが見出された。長時間THXを処理するとPKCα量は減少し(down-regulation)、DPBによる収縮抑制作用が有意に弱められることが観察された。cPKC 特異的阻害薬Go6976を投与するとTHXおよびDPBによる収縮抑制作用は著明に減弱した。さらに、妊娠子宮筋にDPBを投与するとPKCαが細胞質から細胞膜にトランスロケーションすることが観察された。以上のことからラットの子宮筋ではPKCの活性化は収縮抑制に働き、その収縮抑制にはcPKCが関与することが示唆された。

ヒトの子宮筋におけるPKCの役割

本項目では非妊娠ヒト29-54歳と妊娠37-40週のヒト26-39歳の子宮平滑筋を用いた。非妊娠および妊娠子宮筋にホルボールエステル(PDBu)を投与すると、どちらの筋においてもラットと異なり持続性収縮が発生したが、妊娠子宮筋における反応の方が有意に大きかった。また、この時のPDBu処理による収縮はSer19ミオシン軽鎖のリン酸化の増加に伴って起こることが明らかとなった。非妊娠子宮筋ではcPKC特異的阻害薬Go6976はPDBu収縮に影響を及ぼさなかったのに対し、妊娠子宮筋ではGo6976はPDBu収縮を抑制した。一方、PKCδ 特異的阻害薬RottlerinはPDBu収縮に対して無効であったが、PKCβ 特異的阻阻害薬LY333531は妊娠子宮筋でのみPDBu収縮を著明に抑制した。α-toxin処理スキンドファイバーを用いて非妊娠及び妊娠子宮筋の収縮制御系のCa2+感受性について検討したところ、非妊娠と妊娠子宮筋においてPDBuはCa2+依存性収縮を上昇させ、収縮制御系のCa2+感受性を増加させることが認められた。妊娠子宮筋ではcPKC α, β, γ、nPKC δ, ε, θ、aPKC ζ が発現することがウエスタンブロット法で確認した。aPKC ι/λ は観察されなかった。RT-PCRによりPKC α, β, γ mRNAの発現を調べたところ、PKC α, γ は非妊娠と妊娠の間に有意な差は見られなかったが、非妊娠と比べ妊娠子宮筋でPKCb mRNAの発現が増加し、これはReal-time PCR 分析でも確かめられた。またミオシン脱リン酸化酵素(MLCP)を阻害するシグナル分子でPKCの基質となる蛋白質として注目されているCPI-17のmRNAと蛋白質発現は、非妊娠と比べ妊娠子宮筋で発現が増加することが観察された。以上の結果から、ヒトの妊娠子宮筋においてはPKCβとPKCにより活性化されるCPI-17の発現が増加し、MLCPを抑制して収縮力を増加させる情報伝達経路を強化して分娩に備えていると考えられた。

Rho/Rhoキナーゼ系とRnd

平滑筋において、低分子量G蛋白質の1つであるRhoAの活性化により ROCKsが活性化され、ミオシン脱リン酸化酵素の一つのサブユニットであるmyosin binding subunit (MBS)をリン酸化することが明らかになっている。リン酸化されたMBSはミオシン脱リン酸化酵素の活性を阻害し、平滑筋の収縮が促進されることが知られている。

最近、新たなRho familyの一群としてRnd蛋白質が見いだされた。Rndは常に活性化状態で存在し、RhoAに拮抗してアクチンストレスファイバーや細胞接着斑の形成を抑制することが知られている。最近、Rnd蛋白質はRhoAのエフェクターキナゼーである ROCKIを抑制することやp190 RhoGAP活性を増加しRhoA活性化によるシグナルを抑制することが報告された。一方、平滑筋においてはRnd1が消化管に存在し、RhoAによる平滑筋Ca2+感受性の増加を抑制し、ステロイドホルモンがRnd1の発現を調節することが報告された。

ラットの子宮筋におけるRnd1の役割

本項目ではラット子宮平滑筋を用いて、妊娠に伴うCa2+感受性の変化におけるRnd1の役割を究明することを目的とした。発情期の非妊娠ラットの子宮平滑筋では収縮制御系のCa2+感受性の増加が認められたが、妊娠のステージを追うことにCa2+感受性の増加機構が減少し、妊娠21日目には完全に消滅することを見出した。この知見に基づきCa2+感受性増加機構に関与するRhoA、ROCKのmRNAの発現について検討したが、非妊娠と妊娠ラットの間でこれらの分子の発現量に差は認められなかった。しかし、内因性のRhoA制御蛋白質Rnd1のmRNAの発現が妊娠ステージに従って増加し、分娩直後では減少していることを見出した。さらにRnd1の発現上昇に従ってRhoAによる収縮のCa2+感受性増加機構は抑制されていた。Rnd1は、RhoAによるCa2+感受性の増加の制御を介して、出産時に子宮筋の収縮のネガテブフィードバック機構として働く可能性が考えられ、妊娠・分娩を理解する上で、きわめて重要な分子と考えられた。

妊娠に伴うラットとヒトの子宮筋におけるRnd蛋白質の発現の変化

本項目では実験動物であるラットとヒトの子宮平滑筋組織を用いて、妊娠に伴うRhoA/ROCKsとRnd (Rnd1、Rnd2、Rnd3) のmRNA発現の変化を比較検討した。RhoA、 ROCKI、ROCKIIのmRNAは非妊娠と妊娠ラット子宮筋で同様に発現していた。Rnd1、Rnd2、Rnd3のmRNA 発現は妊娠ラット子宮筋で有意に増加した。次に 卵巣摘出ラットでのRnd蛋白質の発現に対する、ステロイドホルモン、エストロゲンとプロゲステロンの効果を調べた。その結果、これらのステロイドホルモンが Rnd1、Rnd2、Rnd3のmRNA 発現を増加させることが分かった。これに対して、ヒト子宮筋においては、RhoA、ROCKI、Rnd2、Rnd3のmRNA 発現は非妊娠と妊娠の間で差は認められなかったが、ROCKIIとRnd1のmRNA 発現は非妊娠子宮筋より妊娠子宮筋で有意に増加した。

この様にRnd蛋白質は妊娠の維持に重要な分子であり、妊娠時、ステロイドホルモン上昇により増加した。ヒトの子宮筋では、妊娠に伴う収縮蛋白系の発現パターンはラットと子宮筋とは異なっていた。

まとめ

本研究では、子宮平滑筋収縮蛋白系のCa2+感受性に関わるミオシンた脱リン酸化酵素の制御系である、PKCと系Rho/Rhoキナーゼ系2つの経路について、妊娠経過に伴う変化を比較生物学的見地から検討した。その結果、前者ではPKCαがラット子宮筋で、PKCβがヒト子宮筋で重要な役割を果たしていることが明らかとなり、しかも収縮機能に関してはまったく逆の作用を示すことを明らかにした。特にヒト子宮筋に関してはPKC/CPI-17系の変化をはじめて明らかすることが出来た。一方、後者に関しては、特にRnds分子に着目して研究を進め、この分子がネガテェブフィードバック機構として機能していること、さらにこれに関してもラットとヒトにおいて種差があることを明らかにした。本研究により前臨床試験におけるヒト臓器利用の重要性が改めて認識された。

審査要旨 要旨を表示する

近年、欧米はもちろんのこと日本においてもヒト組織の医学研究への積極的な利用が重要視されている。医薬品開発の過程において、前臨床試験では実験動物を用いて薬効や安全性を調べているが、臨床試験の段階でヒトに無効であったり、副作用が見つかったりして、開発が中止される事例が多数ある。この様な事例は実験動物とヒトの種差に起因することが多く、種差による反応性の相違を前臨床試験の早期に見いだすために、ヒト組織やヒト組織由来の細胞を用いた実験系を新薬開発に積極的に取り入れる努力が必要である。

平滑筋臓器である子宮筋は、妊娠の一定期間、胎児を受容するために静的状態を維持し、妊娠期の末期に近づくと徐々に活動を始め、分娩時には強力な収縮張力を発生して胎児を分娩する。それゆえに、妊娠維持及び分娩に関連される疾病の理解及び管理のためには子宮筋の収縮弛緩機構と妊娠による子宮筋の機能変化に関する知見が必要だと思われる。

これまで、実験動物特にラットを用いた子宮平滑筋の収縮機構に関する報告は多い。しかし、ヒトの子宮平滑筋の収縮機構に関する知見は断片的であり、ラットとヒトの子宮収縮機構の相違点と類似点に着目した研究は少ない。本研究は、実験動物として利用されるラットとヒトの子宮平滑筋組織を用いて妊娠に伴う子宮筋の収縮蛋白系の機構変化について解明することを目的として行われた。

Protein Kinase CとCPI-17

ラット子宮筋におけるProtein Kinase C (PKC) の役割

ラットの子宮筋においてホルボールエステル(DPB)投与により高濃度K収縮は抑制され、その作用は妊娠子宮筋で大きかった。cPKC特異的活性薬THXもDPBと同様の成績を示した。ウエスタンブロット法により、子宮筋ではcPKCのうちPKCαが主に発現することを確認した。妊娠のステージが進むにつれて、PKCαの蛋白質発現は増加し、妊娠末期21日に最大に達した。一方、PKC ε, ζ?は妊娠のステージを追うごとに発現が減少することが見出された。長時間THXを処理するとPKCα量は減少し、DPBによる収縮抑制作用が有意に弱められることが観察された。cPKC 特異的阻害薬Go6976を投与するとTHXおよびDPBによる収縮抑制作用は著明に減弱した。以上のことからラットの子宮筋ではPKCの活性化は収縮抑制に働き、その収縮抑制にはcPKCが関与することが示唆された。

ヒトの子宮筋におけるPKCの役割

非妊娠および妊娠子宮筋にホルボールエステル(PDBu)を投与すると、どちらの筋においてもラットと異なり持続性収縮が発生したが、妊娠子宮筋における反応の方が有意に大きかった。また、この時のPDBu処理による収縮はSer19ミオシン軽鎖のリン酸化の増加に伴って起こることが明らかとなった。非妊娠子宮筋ではcPKC特異的阻害薬Go6976はPDBu収縮に影響を及ぼさなかったのに対し、妊娠子宮筋ではGo6976はPDBu収縮を抑制した。さらに、PKCβ特異的阻害薬LY333531も妊娠子宮筋でのみPDBu収縮を著明に抑制した。RT-PCRによりPKCα, β, γ mRNAの発現を調べたところ、PKCα, γは非妊娠と妊娠の間に有意な差は見られなかったが、非妊娠と比べ妊娠子宮筋でPKCβ mRNAの発現が増加した。またミオシンホスファターゼMLCPを阻害するシグナル分子でPKCの基質となるCPI-17のmRNAと蛋白質発現は、非妊娠と比べ妊娠子宮筋で発現が増加することが観察された。以上の結果から、ヒトの妊娠子宮筋においてはPKCβとPKCにより活性化されるCPI-17の発現が増加し、MLCPを抑制して収縮力を増加させる情報伝達経路を強化して分娩に備えていると考えられた。

Rho/ROCKs系とRnd

ラットの子宮筋におけるRnd1の役割

発情期の非妊娠ラットの子宮平滑筋では収縮制御系のCa感受性の増加が認められたが、妊娠のステージを追うことにCa感受性の増加機構が減少し、妊娠21日目には完全に消滅することを見出した。この知見に基づきCa感受性増加機構に関与するRhoA、ROCKのmRNAの発現について検討したが、非妊娠と妊娠ラットの間でこれらの分子の発現量に差は認められなかった。しかし、内因性のRhoA制御GTP結合蛋白質Rnd1のmRNAの発現が妊娠ステージに従って増加し、分娩直後では減少していることを見出した。Rnd1は、RhoAによるCa感受性の増加の制御を介して、出産時に子宮筋の収縮を制御する機構として働く可能性が考えられ、妊娠・分娩を理解する上で、きわめて重要な分子と考えられた。

妊娠に伴うラットとヒトの子宮筋におけるRnd蛋白質の発現の変化

RhoA、 ROCK1、ROCK2のmRNAは非妊娠と妊娠ラット子宮筋で同様に発現していた。Rnd1、Rnd2、Rnd3のmRNA 発現は妊娠ラット子宮筋で有意に増加した。次に 卵巣摘出ラットでのRnd蛋白質の発現に対する、ステロイドホルモン、エストロゲンとプロゲステロンの効果を調べた。その結果、これらのステロイドホルモンが Rnd1、Rnd2、Rnd3のmRNA 発現を増加させることが分かった。これに対して、ヒト子宮筋においては、RhoA、ROCK1、Rnd2、Rnd3のmRNA 発現は非妊娠と妊娠の間で差は認められなかったが、ROCK2とRnd1のmRNA 発現は非妊娠子宮筋より妊娠子宮筋で有意に増加した。

以上のように、本研究は子宮平滑筋収縮機構におけるPKCの役割を比較生物学的観点から総合的に検討したものであり、学術上寄与するところは少なくない。よって審査員一同は本論文が博士(獣医学)の学位に値するものと判断した。

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