学位論文要旨



No 119245
著者(漢字) 高,應圭
著者(英字)
著者(カナ) コウ,オウンギュ
標題(和) DNAメチル転移酵素発現のエピジェネティクス制御に関する研究
標題(洋) Studies on epigenetic control of DNA methyltransferase expression
報告番号 119245
報告番号 甲19245
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第2796号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 助教授 高橋,伸一郎
 東京大学 助教授 山内,啓太郎
 東京大学 助教授 田中,智
内容要旨 要旨を表示する

緒言

ほ乳類のゲノムDNAでは、シトシンとグアニンが並んだ配列(CpG配列)のシトシンがメチル化修飾を受けることが知られている。一般に、ゲノムDNAのある領域がメチル化されると、近傍に位置する遺伝子の転写が抑制される。また、DNAメチル化はゲノミックインプリンティングやX染色体の不活性化、クロマチン構造の変化などの中心的機構でもある。DNAメチル化の異常はガン細胞やクローン個体で見つかっており、これらにおける異常の根幹である可能性が示唆されている。

発生過程で組織・時期特異的なゲノムDNAメチル化パターンが形成されることで、組織・時期特異的な遺伝子発現パターンが規定されると考えられる。一方、個々の遺伝子座に関する研究からは、必ずしもすべての遺伝子座がゲノム全体のメチル化量と同様の挙動を示すわけでは無いことも判明しているが、いずれにしても、形成されたゲノムDNAメチル化パターンはクロマチン構造と密接に関係し、その結果遺伝子発現様式が細胞分裂を繰り返しても失われることなく継承される。DNAメチル化パターンの変化を担う酵素として、これまでに5種類のDNAメチル化酵素(Dnmt1、2、3a、3b、3l)が同定されている。このうち、Dnmt1とDnmt3bそれぞれの欠損マウスは胚性致死を起こし、胚発生にDNAメチル化が必須であることが示されている。

Dnmt1には、第一エキソンの使い分けにより作り出される3種類のアイソフォームが存在する。それらは、卵母細胞特異的に発現するDnmt1o、pachytene期精母細胞特異的なDnmt1p、そして体細胞に広く見られるDnmt1sである。本論文では、これらのDnmt1アイソフォームの発現もまたDNAメチル化によって制御されている可能性を検証するため、各アイソフォーム転写開始点上流域のDNAメチル化状態を、卵子・精子形成過程および着床前初期胚発生過程で解析した。

Dnmt1sと1pの転写開始点はごく近傍に存在するが、それらを含む約600塩基長の領域は、CpG配列の出現頻度がゲノムの他の領域に比べて非常に高い、いわゆるCpGアイランドと呼ばれる領域を形成している。この領域のCpG配列は、C57BL/6(B6)系統マウスの肝臓、腎臓、精子、卵子および初期胚において常に脱メチル化状態にあった。一方、Dnmt1o上流域にはCpGアイランドは存在しないが、卵子において特異的に脱メチル化状態にあるいくつかのCpG配列の存在が確認された。これらに注目し初期発生の各ステージにおけるメチル化状態を詳細に解析した結果、これらのCpG配列を含む領域は、発生過程でも変化する領域、すなわちT-DMR(tissue-dependently, differentially methylated region)であることが明らかとなった。ここで注目すべき点は、Dnmt1o T-DMRは、Dnmt1oの発現が認められる1細胞期胚、2細胞期胚、および桑実胚では低メチル化状態にある一方で、その他の時期およびES細胞を含む体細胞系列や精子では高メチル化状態にあること、さらに、解析した初期胚の各ステージで互いに異なるメチル化パターンを呈したことである。これは、Dnmt1o遺伝子の発現がその上流域のメチル化によって制御されていること、および、そのメチル化パターンは初期胚の各ステージでは能動的なメチル化・脱メチル化により形成されていることを示唆しており興味深い。

マウス初期胚では、Dnmt1タンパク質は細胞質中に存在し、8細胞期にのみ一時的に核に移行する。一方、Dnmt3aと3bの細胞内局在を免疫染色で見ると、Dnmt3a、3b共に、あるいはそのどちらかが初期胚では常に核内に存在していた。また、Dnmt欠損ES細胞を用いた解析では、Dnmt1、3a、3bそれぞれの欠損ES細胞において異なるパターンでDnmt1o T-DMRの低メチル化が認められた。さらに、Dnmt3a、3bの両方を欠損したES細胞ではこの領域のほぼ完全な脱メチル化が観察された。これらの結果から、Dnmt1、3a、3bのそれぞれがDnmt1o T-DMRのメチル化の維持に働き、また、Dnmt3a、3bはこの領域のde novoメチル化においても協調的に働いていることが明らかになった。

前章の研究の過程で、卵子と初期胚においては、Dnmt1o T-DMR中のCpG配列以外(non-CpG)のシトシンにもメチル化修飾が施されるという、予期せぬ発見があった。本章では、このnon-CpGのメチル化について述べる。

まず初期胚の各ステージにおけるnon-CpGとCpG配列のメチル化状態を比較すると、non-CpGのメチル化の変動がCpG配列のメチル化の変化に常に先立って起こることが明らかになった。すなわち、初期胚のあるステージでnon-CpGのメチル化が増加すると、次のステージでCpG配列のメチル化が増加し、逆にnon-CpGのメチル化が減少すると、次のステージでCpG配列のメチル化が減少していた。これは、CpG配列のde novoメチル化がnon-CpGのメチル化状態に依存している可能性を示唆し、非常に興味深い。non-CpGのメチル化にはまた、生じやすい領域のあることも見出された。すなわち、Dnmt1o T-DMRをCpG配列出現頻度の低い領域と高い領域に便宜上区分すると、前者ではnon-CpGのメチル化が高頻度で起こっているのに対し、後者ではほとんど見られない。Non-CpGのなかでも近年転写抑制に機能し得るとの報告があるCC(A/T)GG配列のメチル化も同様で、CpG配列の少ない領域でより高頻度のメチル化が見られた。このようなnon-CpGのメチル化を担うDnmtが何かを明らかにするため、前章同様に各Dnmt欠損ES細胞におけるnon-CpGのメチル化を解析したところ、Dnmt3a欠損ES細胞を除くDnmt欠損ES細胞ではCpAおよびCpT配列のメチル化が依然として生じやすい傾向にあることが判明した。このことから、Dnmt1o T-DMRのnon-CpGメチル化では、Dnmt3aが中心的役割を担っていることが示唆される。

本章ではまた、第1章で解析したB6系統マウスにおけるDnmt1o T-DMRのメチル化パターンと他の系統マウス(ICR、Balb/c、C3H、DBA/2)におけるそれとの比較を行った。おもしろいことに、B6系統マウスのCpGメチル化状態は着床前の各ステージ間で大きく変化するのに対し、ICR系統マウスではその変化は限られていた。また、CC(A/T)GG配列を含むnon-CpG配列のメチル化パターンにも系統間で差が見られた。これらは、Dnmt1o T-DMRのメチル化状態と遺伝子発現が、遺伝的背景依存的な機構により制御されていることを示している。一方、CC(A/T)GG配列のメチル化がCpG配列の少ない領域において優先的に起こる点は各系統で共通であり、CC(A/T)GG配列のメチル化制御に遺伝的背景によらない普遍的な分子機構が存在する可能性が推測される。

本章では、マイクロダイセクション法と微量DNAメチル化解析法を駆使し、精子形成過程および卵形成過程にある生殖細胞におけるDnmt1o T-DMRおよびDnmt1s/1p上流域のメチル化を解析した。成熟卵母細胞ではDnmt1o T-DMRは脱メチル化状態にあるが、発達段階にある卵母細胞(卵祖細胞、第1次卵母細胞、第2次卵母細胞)ではその一部がメチル化されていた。これとは対照的に、精子のDnmt1o T-DMR中のCpG配列はほぼ完全にメチル化されている一方で、精子形成時期の精母細胞では脱メチル化状態にあるCpG配列が存在し、各ステージ特異的なメチル化パターンを呈した。また、精祖細胞と卵祖細胞におけるメチル化パターンはほぼ同一であった。

本章ではまた、前章で述べたnon-CpGのメチル化頻度が、精子形成過程の精母細胞において一時的に上昇することを発見した。第1次および第2次卵母細胞では逆にnon-CpGメチル化の頻度は低い。すなわち、精子・卵子形成過程ではCpG配列のメチル化とnon-CpGのメチル化パターンに負の相関が認められた。また、ここでもnon-CpGのメチル化はCpG配列の少ない領域において優先的に起こっていた。これらのことから、non-CpGのメチル化は、CpG配列の欠損またはメチル化CpGの欠乏によって誘起される可能性が示唆された。

総括

本研究により、Dnmt1s/1p転写開始点近傍にはT-DMRが存在しないが、Dnmt1oは上流域に存在するT-DMRのメチル化によってその発現が制御される可能性が強く示唆された。特に、Dnmt1o T-DMRの卵母細胞や初期胚におけるメチル化は発生ステージ依存的であり、また、遺伝的背景依存的でもある。興味深いことに、Dnmt1o T-DMRではCpG配列以外のシトシンにもメチル化が起こることを発見した。Non-CpGのメチル化もまた発生過程においてダイナミックに変動し、初期発生過程ではCpG配列のメチル化の変化に先立って変化していた。non-CpGのメチル化がCpG配列の出現頻度が低い領域において優先的に起こっていることや、生殖細胞においてはCpGがより低メチル化状態にある時期に起こっていることなどから、CpG配列の欠損またはメチル化CpGの欠乏によってnon-CpGのメチル化が誘起される可能性が示唆された。Dnmt欠損ES細胞を用いた解析により、このようなDnmt1o T-DMRのメチル化パターンの形成ではDnmt3aと3bが協調的に働き、non-CpGのメチル化では特にDnmt3aが中心的役割を担っていることが明らかになった。以上、DNAメチル化に中心的役割を果たす酵素の遺伝子自身がDNAメチル化によるエピジェネティック制御を受けていることが明らかになった。

審査要旨 要旨を表示する

ほ乳類のゲノムDNAでは、シトシンとグアニンが並んだ配列(CpG配列)のシトシンがメチル化修飾を受けることが知られている。DNAのメチル化は転写因子の有無に関係なく遺伝子の不活性化を誘導することが知られており、発生や細胞の分化過程でDNAメチル化パターンが形成されることで、細胞特異的な遺伝子発現パターンが固定されると考えられる。形成されたゲノムDNAメチル化パターンはクロマチン構造と密接に関係し、細胞分裂を繰り返しても失われることなく継承される。DNAメチル化を担う酵素として5種類のDNAメチル転移酵素(Dnmt1、2、3a、3b、3l)が報告されている。Dnmt1には、第1エクソンの異なった3種類のアイソフォームが存在する。それらは、卵母細胞に特異的なDnmt1o、パキテン期精母細胞に特異的なDnmt1p、そして体細胞に広く見られるDnmt1sである。本論文はマウスのDnmt1アイソフォーム遺伝子のDNAメチル化によるエピジェネティック制御について研究したもので以下の3章から構成されている。

第1章では、マウス(C57BL/6系統マウス)ゲノムを解析し、Dnmt1o上流域には細胞・組織特異的にメチル化される領域(T-DMR、tissue-dependently, differentially methylated region)が存在することを発見している。Dnmt1oのT-DMRは卵子では非メチル化状態にあり、体細胞では高度にメチル化されていた。初期発生の各ステージにおけるT-DMRメチル化状態を解析した結果、Dnmt1oの発現が認められる1細胞期胚、2細胞期胚、および桑実胚では低メチル化状態にある一方で、その他の時期およびES細胞を含む体細胞系列や精子では高メチル化状態にあること、さらに、解析した初期胚の各ステージで互いに異なるメチル化パターンを呈していることが明らかになった。これは、Dnmt1o遺伝子の発現がその上流域のメチル化によって制御されていること、および、そのメチル化パターンは初期胚の各ステージでは能動的なメチル化・脱メチル化により形成されていることを示唆しており興味深い。一方、Dnmt1sとDnmt1pの5'上流域は細胞・発生時期を問わず、まったくメチル化されていなかった。免疫組織化学的手法による観察と各Dnmt欠損ES細胞株を用いた解析より、Dnmt3aあるいはDnmt3bがDnmt1と協調的にDnmt1o T-DMRのメチル化の維持に働くこと、このときDnmt3aと3bはある程度互いに相補的に働いていることが明らかになった。

第2章では、卵子と初期胚において、Dnmt1o T-DMRではCpG配列以外(non-CpG)の配列でもシトシンがメチル化されていることが発見された。初期胚の各ステージにおけるnon-CpGとCpG配列のメチル化状態を比較すると、non-CpGのメチル化の変動がCpG配列のメチル化の変化に常に先立って起こることが明らかになった。Dnmt1o T-DMRをCpG配列出現頻度の低い領域と高い領域に便宜上区分すると、前者ではnon-CpGのメチル化が高頻度で起こっているのに対し、後者ではほとんど見られない。また、各Dnmt欠損ES細胞の解析で、non-CpGのメチル化ではDnmt3aが中心的役割を担っていることが示された。本章ではまた、C57BL/6マウスのCpGメチル化状態は着床前の各ステージ間で大きく変化するのに対し、ICR系マウスではその変化は限られていることも明らかにされた。CC(A/T)GG配列を含むnon-CpG配列のメチル化パターンにも系統間で差が見られ、Dnmt1o T-DMRのメチル化状態と遺伝子発現が、遺伝的背景により制御されていることを示唆している。

第3章では、マイクロダイセクション法と微量DNAメチル化解析法を駆使し、精子形成過程および卵形成過程におけるDnmt1o のT-DMRのメチル化状況が解析された。その結果、成熟卵母細胞ではDnmt1o T-DMRは非メチル化状態にあるが、卵祖細胞、第1次卵母細胞および第2次卵母細胞では部分的なメチル化があることが明らかになった。また、成熟精子ではDnmt1o T-DMR中のCpG配列はほぼ完全にメチル化されていたのに対し、精母細胞では脱メチル化状態にあるCpG配列が存在した。non-CpGのメチル化は精母細胞期に一時的に上昇し、第1次および第2次卵母細胞では逆にnon-CpGメチル化の頻度は低いことも発見している。すなわち、精子・卵子形成過程ではCpG配列のメチル化とnon-CpGのメチル化パターンに負の相関が認められた。

本研究により、Dnmt1oは上流域に存在するT-DMRのメチル化によってその発現が制御されていることが明らかにされた。Dnmt1o のT-DMRのメチル化は卵形成および初期発生の各時期にそれぞれ特異的なパターンを形成することも判明した。興味深いことに、Dnmt1o T-DMRではNon-CpG配列のメチル化も高頻度に起こること、Non-CpGのメチル化もまた発生過程においてダイナミックに変動し、初期発生過程ではCpG配列のメチル化の変化に先立って変化していることも発見している。このように、DNAメチル化に中心的役割を果たす酵素自身が、DNAメチル化によるエピジェネティック制御を受けていることが明らかになった。これらの結果は、哺乳類の個体発生や生殖細胞形成機構に新たな概念を提供するもので、畜産領域や再生医療分野にも影響を与える発見である。以上、本論文は基礎獣医学、および、応用動物科学に貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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