学位論文要旨



No 119253
著者(漢字) 臼田,雅幸
著者(英字)
著者(カナ) ウスダ,マサユキ
標題(和) ポリコームグループ遺伝子eedのES細胞における機能解析
標題(洋)
報告番号 119253
報告番号 甲19253
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2227号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 栗原,裕基
 東京大学 教授 吉田,進昭
 東京大学 教授 伊庭,英夫
 東京大学 助教授 神野,茂樹
 東京大学 助教授 西中村,隆一
内容要旨 要旨を表示する

マウス胚性幹細胞(ES細胞)は発生過程における胚盤胞の内部細胞塊より樹立された未分化な細胞株であり、生殖細胞を含むあらゆる細胞系列に分化できる能力を持つ。ES細胞を未分化状態のままで培養するにはサイトカインleukemia inhibitory factor(LIF)が必要であることが明らかになっている。LIFの受容体は、interleukin-6(IL-6)レセプターファミリーに共通のgp130とLIF受容体(LIFR)のヘテロダイマーであり、LIF下流のシグナル伝達経路としては主に、SHP2を介したMAPキナーゼ経路と、signal transducer and activator of transcription 3 (STAT3)の経路が存在する。これまでの解析により、これらのシグナル伝達経路のうちSTAT3経路のみでES細胞の未分化状態を維持できることが判明している。

本研究では、STAT3とエストロゲン受容体(ER)の融合タンパク質(STAT3ER)を発現させているために、ERのリガンドである4-hydroxytamoxifen(4HT)の添加によりSTAT3経路を活性化できるSTAT3ER発現ES細胞を用いて、STAT3下流に存在するES細胞の未分化状態維持に関わる因子の探索を試みた。この系を用いることで、LIF下流に存在するシグナルのうち、MAPキナーゼ経路等の未分化状態維持に不要なシグナル伝達経路の影響を排除できる利点がある。STAT3ER発現ES細胞を4HT添加により未分化状態を保たせた細胞と、4HTを除去して分化誘導させた細胞の間でcDNA microarray法を行い、未分化状態特異的に発現する遺伝子としてeed(embryonic ectoderm development)を見出した。

そこでまず、ES細胞分化に伴うeed mRNAの発現量の経時的変化をNorthern blotで確認した。LIF除去による分化誘導2日目でeedの発現はbasalのレベルに低下し、5日目までその発現量を維持していた。また、LIF除去後2日目の時点でLIF刺激を行うと、刺激後2〜4時間後にはeedの発現量が未分化状態とほぼ同量にまで回復した。このことから、eedがES細胞においてLIFシグナルの下流にあることが判明した。次に、eedがSTAT3の下流遺伝子であるかどうかを確認した。ES細胞にドミナントネガティブSTAT3を発現させた細胞とempty vectorもしくは野生型STAT3を発現させたコントロールの細胞からRNAを回収しRT-PCRを行ったところ、ドミナントネガティブSTAT3を発現させたES細胞でコントロールES細胞に比べてeedの発現量が著しく低下することが判明した。また、STAT3ER発現ES細胞において4HTによりeedの発現が維持されることが確認された。これらの結果からeedはSTAT3下流遺伝子であることが明らかになった。

ES細胞の未分化状態の維持に必要な因子としてSTAT3の他に転写因子Oct-3/4が知られている。そこで、eedがOct-3/4によっても制御される可能性を調べた。テトラサイクリンの添加によってOct-3/4の発現量が調節可能なES細胞株ZHBTc4を用いて、Oct-3/4 mRNAの発現変動に伴うeed mRNAの発現量の変化をRT-PCR法により調べたところ、テトラサイクリンの添加によってOct-3/4 mRNAの発現を停止させると、速やかにeed mRNAの発現も低下した。その後テトラサイクリンの除去によりOct-3/4 mRNAの発現を回復させるとeed mRNAの発現も回復した。このことから、Oct-3/4の下流にeedが存在することが判明した。以上の実験からeedはSTAT3とOct-3/4という二つの未分化状態維持に重要な役割を持つ因子の下流に存在することが明らかになった。

eedはポリコームグループ遺伝子であり、タンパク質同士の結合に使われるWDドメインを有する。eedは様々なタンパク質と結合することが確認されているが、主にEnhancer of zeste homolog 2 (Ezh2)、histone deacetylase (HDAC)、Yin Yang 1(YY1)と複合体(Eed-Ezh2複合体)を形成している。これらの因子のうちYY1については、未分化状態ES細胞において特異的に発現しており、Oct-3/4の下流遺伝子として知られているRex-1とzinc finger領域において75%程度のホモロジーを有することが知られている。そこで、Eed、HDAC1、HDAC2とRex-1の結合の可能性を共免疫沈降法を用いて調べた。その結果、EedとRex-1、HDAC1とRex-1、HDAC2とRex-1の間に結合が確認された。YY1とRex-1の両方の因子が未分化状態のES細胞に発現していることから、未分化状態ES細胞においてはEed-YY1-HDACs-Ezh2複合体とEed-Rex-1-HDACs-Ezh2複合体の2種類が存在することが示唆された。

eedはhistone deacetylase(HDAC)を介してHox遺伝子等の遺伝子発現を抑制していると考えられている。そこで、HDAC阻害剤として知られているtrichostatin A(TSA)を培地中に添加しES細胞の形態を経時的に観察した。TSA添加2日後の時点で、未分化状態ES細胞に特有なコンパクトコロニー状の形態が崩れ、形態的な分化が観察された。そこで次に、TSA添加による遺伝子レベルでの発現変化をRT-PCR法により調べた。まず、未分化マーカーとして知られているOct-3/4とRex-1 mRNAの発現をみたところ、TSA添加によってこれらの未分化マーカーの発現量は減少しなかった。このことは、TSAが未分化状態を破綻させることにより形態的な分化が観察されたわけではないことを示す。一方、ES細胞の分化開始因子として知られている転写因子GATA-4とGATA-6 mRNAの発現を調べたところ、いずれの遺伝子もTSA添加によって発現が上昇することが判明した。つまり、未分化状態のES細胞において、Eed-Ezh2複合体がHDACを介して直接もしくは間接的に分化開始因子としてのGATA-4、GATA-6遺伝子の発現を抑制している可能性が示唆された。次に、eedの下流にGATA-4とGATA-6が存在することを証明するために、eedを強制発現させたES細胞の培地中からLIFを除去し、5日目の時点でRNA回収を行い、RT-PCRにより遺伝子発現の変化を調べた。コントロールES細胞におけるGATA-4とGATA-6の発現量に比べて、eed強制発現ES細胞では明らかにこれらの遺伝子の発現が低下していることが判明した。この結果より、eedがGATA-4とGATA-6の発現を抑制できることが判明した。

ところで、GATA-4とGATA-6は発生過程の心筋に発現しており、心筋特異的遺伝子発現を制御していることが知られている。そこで、eed強制発現ES細胞とコントロールES細胞から胚様体を形成させて分化誘導を行ったところ、eed強制発現群の方が心筋様の拍動するコロニーの割合が少なかった。また、心筋特異的マーカー遺伝子であるNkx2.5の発現もeed発現群で低下していた。

以上の結果より、未分化状態ES細胞においてはSTAT3とOct-3/4によりeedの発現が維持されており、一旦eedの発現が低下すると、その下流に存在するGATA-4やGATA-6といった分化開始因子の発現が上昇し、心筋方向への分化が始まるというモデルが考えられる(下図参照)。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、未分化状態マウス胚性幹細胞(ES細胞)に高発現しており、ES細胞の分化制御に重要な役割を果たす因子のクローニングおよびその因子の機能解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

未分化状態ES細胞と分化誘導したES細胞の間でcDNAマイクロアレイ法を試み、およそ80種類の未分化状態ES細胞高発現遺伝子を同定した。これらの遺伝子の中に本研究において解析を行ったポリコームグループ遺伝子embryonic ectoderm development(eed)が含まれていた。Northern blot解析によりeedの発現量変化を調べたところ、ES細胞の分化に伴ってeedの発現量が低下し、逆にES細胞の未分化状態維持に必須のサイトカインであるLIFを添加することで発現量が回復した。さらに、LIF下流のシグナルのうちSTAT3の活性化が未分化状態の維持に必須であるが、ドミナントネガティブSTAT3をES細胞に発現させるとeedの発現量が低下することが示された。また、STAT3のみを活性化してもeedは高発現を維持していた。これらの結果より、eed遺伝子はSTAT3の制御下にあることが示された。

ES細胞の未分化状態維持に必要な因子としてOct-3/4が知られている。そこでテトラサイクリンによりOct-3/4の発現調節が可能なES細胞株を用いてeedの発現量変化を調べたところ、Oct-3/4の発現量低下に伴ってeedの発現量が低下し、Oct-3/4の発現量が回復するとeedの発現量も回復することがRT-PCR法により示された。このことから、eedはOct-3/4によってもその発現量が制御されていることが判明した。

EedはYY1、Ezh2、HDACと複合体を形成していることが知られているが、YY1はRex-1(Oct-3/4の下流遺伝子の一つ)とzinc finger領域において75%程度のホモロジーを有することが知られている。そこで、eedとRex-1、HDACとRex-1の結合を共免疫沈降法により調べたところ、これらの結合が確認された。また、Eedを含む複合体の個々の構成因子のES細胞分化に伴う発現量の変化をnorthern blot法により調べたところ分化に伴い発現が低下したのはEedの他にはRex-1のみであり、他の遺伝子は分化に伴う発現量の変化は認められなかった。これらのことから、未分化状態ES細胞においてはEed-Ezh2-YY1-HDACsとEed-Ezh2-Rex-1-HDACsの二つの複合体が存在し、分化に伴うEed、Rex-1の発現量の減少がこれらの複合体の機能を制限する要因である可能性が示された。

DNAチップアッセイによりeed下流遺伝子を探索したところ、ES細胞分化誘導因子であるGATA-4およびGATA-6がeedによって抑制されることが判明した。また、HDAC阻害剤であるトリコスタチンAを培地中に添加するとES細胞が分化形態を示した。このとき、未分化マーカーの発現量に変化はなかったが、GATA-4とGATA-6の発現量が上昇することがRT-PCR法により示された。

eed強制発現ES細胞を分化誘導すると、野生型ES細胞に比べて、拍動する心筋様のコロニー数が減少し、心筋マーカーであるnkx2.5の発現も低下することが判明した。

eed遺伝子のgene targetingを行ったところ、eed-/-ES細胞の樹立は不可能であった。

以上、本論文はマウス未分化ES細胞においてeedが高発現することを示し、そのシグナル伝達経路およびES細胞における機能を明らかにした。本研究はこれまで明らかにされていなかった、ポリコームグループ遺伝子のES細胞における機能の解析に重要な貢献をなすものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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