学位論文要旨



No 119259
著者(漢字) 永山,晋
著者(英字)
著者(カナ) ナガヤマ,シン
標題(和) ラット嗅球「匂い地図」における僧帽細胞と房飾細胞の匂い応答特性の違い
標題(洋) Mitral cells and tufted cells differ in the manner of decoding the odor map in the rat olfactory bulb
報告番号 119259
報告番号 甲19259
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2233号
研究科 医学系研究科
専攻 機能生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,智幸
 東京大学 教授 御子柴,克彦
 東京大学 教授 真鍋,俊也
 東京大学 教授 宮下,保司
 東京大学 助教授 廣瀬,謙造
内容要旨 要旨を表示する

匂い情報処理は匂い分子が嗅細胞上の匂い分子受容体と結合する事から始まる。一つの嗅細胞は一種類の匂い分子受容体を発現しており,同じタイプの匂い分子受容体を発現している嗅細胞はその軸索を嗅球上の二つもしくは数個の糸球へ収束させている。そのため嗅球上では糸球を単位とする匂い分子受容体地図が形成されている。嗅球では二種類のProjection neurons (Mitral cell と Tufted cell) が存在し,それぞれ一つの糸球へ主樹状突起を伸ばしている。Mitral cellとTufted cellは細胞体の位置,樹状突起の形態,および嗅皮質への軸索投射パターンが異なっている(図1)。形態的な違いから,私はこの二種類のProjection neuronsが匂い情報の異なる側面をコードし,嗅覚系における異なる情報処理経路を形成しているのではないかと考え,これらの細胞の匂い応答特性の違いを調べた。

嗅球背側部のアルデヒド・脂肪酸応答クラスターのMitral cellとTufted cellより細胞外単一ユニット記録を行い,匂い応答を比較した。Lateral olfactory tract刺激により誘発される電場電位の波形を指標として,記録位置とMCLとの距離を測定した。本実験ではMCLでの記録をMCL unit(Mitral cell由来のシグナルと考えられる),EPLでの記録をEPL unit(大多数がMiddle tufted cell由来のシグナルと考えられる)として区分した。

MCL unitとEPL unitを比較した結果,匂い応答の発火頻度に違いがあることが分かった(図2)。MCL unitは最適匂い刺激により低頻度(100Hz以下)のスパイク応答を示すが,多くのEPL unitは最適匂い刺激により高頻度(100Hz以上)のスパイク応答を示した。この結果は,Mitral cellとTufted cellが異なる発火頻度帯を用いてシグナル伝達を行っていることを示している。

次に,異なる長さの炭素鎖を持つ同族アルデヒド類(もしくは同族脂肪酸類)を匂い刺激として用い,個々の細胞の匂い分子応答様式(Molecular receptive range, MRR)を測定した(図3)。その結果,MCL unitはシャープな興奮性MRRを持ち,非常に少数の匂い分子群に興奮性応答を示した。一方EPL unitは幅の広い興奮性MRRを持ち,比較的多くの匂い分子群に興奮性応答を示した。また,多くのMCL unitは抑制性MRRを持ち,興奮性匂い分子と構造が類似した匂い分子群に対し強い抑制性応答を示した(77%, n=26)。一方,ほとんどのEPL unitは抑制性MRRを持たないか,もしくは小さな抑制性MRRを示した(21%, n=24)。これらの結果は,Mitral cellは近隣の糸球への入力から強い側方抑制を受けているが,Tufted cellはこの側方抑制がほとんど見られない事を示唆している。

次に,アルデヒド・脂肪酸応答クラスターの隣接クラスターへの匂い刺激入力が,アルデヒド・脂肪酸応答クラスター内のMitral cellとTufted cellへ及ぼす影響を調べた。内在性信号の光学的測定法によりアルデヒド・脂肪酸応答クラスターのまわりの糸球はアルコール類,ケトン類,フェノール類,環状ケトン類によって活性化されることが分かり,それぞれの混合臭を刺激として用いた。その結果約半数のMCL unitがこれらの匂い刺激のいずれかに抑制性応答を示した(56%, n=16)。一方,抑制性応答を示したEPL unitは少数であった(18%, n=11)。

次に,最適匂い分子刺激に対する興奮性応答を記録し,最適匂い分子と他の多くの同族匂い分子との混合刺激に対する応答を比較した(図4)。多くのMCL unitでは最適匂い分子刺激に対する応答に比べて,混合刺激による興奮性応答は有意に減少した(86%, n=7)。一方,混合刺激による興奮性応答の減少を示すEPL unitは少数であった(16%, n=6)。この結果から,Mitral cellの出力は担当する糸球の活動と周りの糸球の活動とのコントラストを感知していると予想される。それに対して多くのTufted cellの出力は周りの糸球の活動とは無関係で,担当する糸球の活動を直接的に反映していると考えられる。

本研究によって,Mitral cell (MCL unit) とTufted cell (EPL unit) では匂い応答特性に大きな違いが存在することが明らかになった。この事は嗅球上の匂い地図から,この二種類の細胞群が匂い情報の異なる側面を読み,その情報を嗅皮質の異なる領域へ送っていることを示している。本研究の結果から,Mitral cellとTufted cellは,嗅覚系における二つの並列的な情報伝達神経経路を形成しているのではないかと予想される。

Mitral cellとTufted cellの形態 Mitral cell(青)は比較的大きな細胞体をMitral cell layer (MCL)に持ち,非常に長い副樹状突起をExternal plexiform layer (EPL)の深い部分に伸ばしている。Mitral cellは軸索を嗅皮質全体に投射している。Tufted cell(赤)は比較的小さな細胞体をEPLおよびGlomerular layer (GL)の深い部分に持ち,比較的短い副樹状突起をEPLの上層部に伸ばしている。Tufted cellは軸索を嗅皮質の吻側部に選択的に投射している。

記録unitの位置と発火頻度 縦軸は発火頻度を示し,横軸はMCLからの距離を示している。●は匂い応答時の最高発火頻度を示しており,□は自発発火の平均発火頻度を示している。MCL unitsは匂い刺激に対して低頻度で発火する(≦100Hz)。EPL unitsは匂い刺激に対して高頻度で発火する(>100Hz)。*は,短い潜時(約2msec)のAntidromic spikeが観察された細胞を示しており,Mitral cellの細胞体もしくは樹状突起からの記録と考えられる。

EPL unitとMCL unitのMRRの例 A1,B1では炭素鎖が3-9のアルデヒド刺激(3-9CHO)によるEPL unit, MCL unitの応答が示されており,それらの結果をグラフにまとめたのがA2,B2である。A1,B1はそれぞれの匂いごとに,上からスパイクヒストグラム,スパイク応答,呼吸リズムの順に並べられており,呼吸リズムの上向き応答は吸気に対応している。A2,B2の横軸は刺激に用いた匂い物質を示しており,縦軸は匂い刺激によるスパイク数の変化分が示されている。黒棒が抑制性応答を,白棒が興奮性応答を示している。

近くの糸球の活動によりMCL unitの発火パターンは変化するが,EPL unitは変化しない。AはMCL unit, BはEPL unitの匂い応答を示している。A1,B1は炭素鎖が7っの脂肪酸(7COOH)と無臭ミネラルオイルとの同時刺激に対する応答を示し,A2,B2は7COOHと他の同族脂肪酸との同時刺激に対する応答を示している。それぞれの細胞の応答をA3,B3にまとめた。***;P<0.0001

審査要旨 要旨を表示する

本研究は,匂い情報処理機構において重要な役割を演じていると考えられる嗅球上の「匂い地図」から,嗅球内の二種類の投射ニューロン(Mitral cellとTufted cell)がどの様に匂い情報を抽出し,嗅皮質へ送っているのかを調べるために,ラット嗅球背側部のアルデヒド・脂肪酸応答クラスターのMitral cellとTufted cellの匂い応答特性を比較検討し,下記の結果を得ている。

Mitral cellは最適匂い刺激に対して低頻度のスパイク応答(100Hz以下)を示した。それに対して,多くのTufted cellは高頻度応答(100Hz以上)を示した。

記録部位付近の糸球群を活性化させる,炭素鎖の長さが異なる同族アルデヒド・脂肪酸を用いて匂い分子応答様式(MRR)を測定した。その結果,Mitral cellは幅の狭い興奮性MRRと抑制性MRRの両方を持つのに対して,多くのTufted cellは比較的幅の広い興奮性MRRを持ち,抑制性MRRは観察されなかった。

近隣クラスターの糸球群を活性化させる,構造の異なる匂い分子群を用いた刺激に対しても,Mitral cellは抑制性MRRを示したが,多くのTufted cellは抑制性MRRを示さなかった。

最適匂い分子刺激に対する応答と,最適匂い分子と他の同族匂い分子の混合刺激に対する応答を比較すると,多くのMitral cellでは混合刺激に対する興奮性応答は有意に減弱した。一方多くのTufted cellでは混合刺激による興奮性応答の減弱は見られなかった。

これらの結果より,Mitral cellは周りの糸球群の活性と担当糸球の活性とのコントラストを感知して低頻度スパイク応答をするのに対して,Tufted cellは周りの糸球の活性とは関係なく,担当糸球の活性を直接的に反映した高頻度スパイク応答をする事が分かった。

以上,本論文はMitral cellとTufted cellが大きく異なった匂い分子応答様式を示すことを明らかにした。この結果はMitral cellとTufted cellが嗅球上で表現されている「勾い地図から,匂い情報の異なる側面を抽出し,高次の嗅皮質へ送っていることを示唆している。本論文は嗅覚系の並列的情報処理機構の解明に重要な基礎を与え,学位の授与に値するものと考えられる。

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