学位論文要旨



No 119260
著者(漢字) 上田,泰己
著者(英字)
著者(カナ) ウエダ,ヒロキ
標題(和) 概日リズムのシステム生物学
標題(洋) Systems Biology on Circadian Rhythm
報告番号 119260
報告番号 甲19260
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2234号
研究科 医学系研究科
専攻 機能生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 宮下,保司
 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 教授 門脇,孝
内容要旨 要旨を表示する

2003年のヒトゲノムプロジェクトの完全解読に象徴されるように、大腸菌、出芽酵母、分裂酵母、線虫、ショウジョウバエ、シロイヌナズナ、イネ、マウス、ラット、ヒトなどの数多くのモデル生物のゲノム配列が次々と決定され、生命科学分野全般で分子からシステムへとパラダイムシフトが起きている。しかしながら、動的で複雑な生命現象を体系的に・効率的に解明していく手法・研究戦略は発展途上の段階である。本論文では動的で複雑な生命現象のシステム的理解を目的として、ゲノムスケールの情報・リソース・技術を用いたシステム同定戦略を構築し、動的で複雑な生命現象の一つである概日リズムをモデルとして同研究戦略を応用した。本論文では、ゲノムスケールの発現解析、ゲノムスケールのプロモータ解析、in vitro転写ダイナミクス解析、の一連の解析手法に組み合わせたシステム同定戦略の構築について概説し(Chapter I)、同アプローチを概日時計の転写ネットワークの同定へと応用した結果を詳述する(Chapter II)。またこれらの研究の過程で考案されたヒトの体内時刻を定量的に測定し、リズム障害を正確に診断する新規の方法について紹介する(Chapter III)。

ゲノムスケールの情報・リソース・技術を用いたシステム同定戦略の構築

概日リズムをモデル系とした(1)ゲノムスケールの発現解析、(2)ゲノムスケールのプロモータ解析、(3)in vitro転写ダイナミクス解析、の一連の解析手法に組み合わせたシステム同定戦略の構築について述べる。

ゲノムスケールの発現解析 概日時計のシステムダイナミクスを包括的に測定するためにAffymetrix社のGeneChipを用いて、ゲノムスケールの発現解析を行った。中枢および末梢の概日時計から全RNAを分離するために、マウスを明暗(12時間明:12時間暗)条件で2週間飼育した後、明暗条件・恒暗条件の二つの条件下でそれぞれ2日間にわたり4時間毎に視交叉上核(中枢)および肝臓(末梢)をサンプリングした。各ポイントで視交叉上核を50匹のマウスから採取し、肝臓を4匹のマウスから採取した。採取した臓器からビオチン標識cRNAを合成、マウス高密度オリゴヌクレオチドマイクロアレイ(GeneChip)にハイブリダイズさせて定量した。さらに統計処理を行い、明暗及び恒暗条件でともに有意に発現振動している遺伝子を視交叉上核で101遺伝子、肝臓で397遺伝子抽出した。

ゲノムスケールのプロモータ解析 次に、視交叉上核で100以上、肝臓で約400の概日振動遺伝子の発現情報とこれらの時計関連遺伝子のプロモータ情報から概日時計の転写制御機構を推定できると考え、視交叉上核と肝臓で新たに認められた概日振動遺伝子のプロモータ領域の解析を試みた。新規に同定された概日振動遺伝子の5'末端をオリゴキャップ法で求め、その結果をゲノムにマップすることで、これらの遺伝子の転写開始点を系統的に決定した。視交叉上核と肝臓それぞれで、45個と189個の概日振動遺伝子の転写開始部位を決定することができ、ゲノム上の転写開始部位の位置情報をもとにして、その近接配列を推定上のプロモータ領域と定義した。続いてプロモータ領域での既知の概日転写因子応答配列と概日発現振動との相関関係を検索した結果、Rev-ErbA/ROR応答配列をもつ概日振動遺伝子の視交叉上核における発現は主観的夜から明け方(CT=19.2±3.3、平均±標準偏差)に収斂していることを見出した。これらの遺伝子にはBmal1とE4bp4が含まれ、両方が視交叉上核と肝臓の双方でPer2の振動と逆位相の概日発現振動を示した。この結果からROR/Rev-ErbA転写因子の制御配列が視交叉上核における夜特異的な遺伝子発現に重要な役割を果たしていることが予測された。

In vitroダイナミクス解析 さらに概日時計の転写制御ネットワークを効率的に検証するために、概日時計制御配列をin vitro実験で決定するシステムを開発した。ホタルルシフェラーゼのC末端に分解促進配列を融合させた不安定化ルシフェラーゼ(dLuc)を作成した。このdLucレポータを、視交叉上核で昼に発現しているPer2遺伝子のプロモータと夜に発現しているBmal1遺伝子のプロモータにつなげたコンストラクトを作成した。それぞれのコンストラクトを線維芽細胞にトランスフェクションし、ステロイドホルモンであるデキサメサゾンで線維芽細胞を刺激した後、ルシフェリンを入れてレポータからの発光を測定した。Per2プロモータとBmal1プロモータからの発光は少なくとも4日間にわたる概日振動を示し、これらの振動の位相(発光のピーク)を互いに区別することが可能であった。このインビトロダイナミクス測定システムを用いてRev-ErbA/ROR応答配列がBmal1遺伝子と同位相、Per2遺伝子と逆位相の概日発現振動を引き起こすかどうかを検証した。野生型と変異体のRev-ErbA/ROR応答配列を含んだBmal1プロモータ断片を、概日振動しないSV-40プロモータとともにdLucレポータ遺伝子に連結させた。これらのコンストラクトを線維芽細胞にトランスフェクションし、デキサメサゾン刺激後、発光を計測した。野生型のRev-ErbA/ROR応答配列を導入した細胞の生物発光レベルは概日振動を示し、Bmal1プロモータからの発光とほぼ同じ位相であり、Per2プロモータからの発光とは逆位相であった。これに対し、変異 Rev-ErbA/ROR応答配列のプロモータからの発光は概日振動を示さず、SV-40プロモータ単独での発光パターンと同様であった。この結果からRev-ErbA/ROR応答配列が夜の発現に重要な役割を果たしていることが明らかになった。

システム同定戦略の概日時計転写ネットワークへの応用

哺乳類の概日時計は少なくとも16個の転写因子からなる動的で複雑な転写ネットワークからなると考えられている。本研究ではこのような複雑な転写ネットワークのシステム同定を目的として、以上に述べたシステム同定戦略を概日時計の転写ネットワークの解明へと応用した。

朝特異的な発現制御機構の解析 まず、ヒトとマウスの制御領域の比較ゲノムを行い、進化的に保存された時計制御配列を探索したところ、E-box (CACGTG)およびE-boxに似た配列(CACGTTここでは"E'-box"と呼ぶ)が、視交叉上核で朝から昼にかけて発現しているPer1、Per2、Dbp、RevErbAα、RevErbAβ、Dec1、Dec2遺伝子の制御領域に見つかった。E-boxおよびE'-boxからの転写を調べるために、in vitro転写ダイナミクス解析を行った。E-boxおよびE'-boxをタンデムに2-3回繰り返した配列を概日振動しないSV-40プロモータとともにdLucレポータ遺伝子に連結させた。これらのコンストラクトを線維芽細胞にトランスフェクションし、デキサメサゾン刺激後、発光を計測した。野生型のE-box・E'-boxからの転写は概日振動を示し、視交叉上核で朝に発現しているんPer2プロモータからの発光とほぼ同じ位相であり、視交叉上核で夜に発現しているBmal1プロモータからの発光とは逆位相であった。これに対し、変異E-bpx・E'-boxのプロモータからの発光は概日振動を示さず、SV-40プロモータのみの発光パターンと同様であった。この結果からE-box・E'-boxが朝における発現制御に重要な役割を果たしていることが明らかになった。

昼特異的な発現制御機構の解析 続いてヒトとマウスの制御領域の比較ゲノムを行ったところ保存されたDBP/E4BP4結合配列(TTA[T/C]GTAA、ここではD-boxと呼ぶ)が、視交叉上核で朝から昼にかけて発現しているPer1、Per2、Per3、RevErbAα、RevErbAβ、RORα、RORβ遺伝子の制御領域に見つかった。D-boxからの転写を調べるために、in vitro転写ダイナミクス解析を行った。D-boxをタンデムに3回繰り返した配列を概日振動しないSV-40プロモータとともにdLucレポータ遺伝子に連結させ、転写ダイナミクスを測定したところ、野生型のD-boxからの転写は概日振動を示し、昼に発現しているPer3プロモータからの発光と同じ位相であり、夜に発現しているBmal1プロモータからの発光とは逆位相であった。これよりD-boxが昼における発現制御に重要な役割を果たしていることが明らかになった。

夜特異的な発現制御機構の解析 さらに、ヒトとマウスの制御領域の比較ゲノムを行ったところ保存されたROR/RevErbA結合配列(([A/T]A[A/T]NT[A/G]GGTCA、ここではRREと呼ぶ)が、夜に発現しているBmal1、Npas2、E4bp4、Clock遺伝子の制御領域に見つかった。RREからの転写を調べるために、in vitro転写ダイナミクス解析を行った。RREをタンデムに3回繰り返した配列を概日振動しないSV-40プロモータとともにdLucレポータ遺伝子に連結させ、転写ダイナミクスを測定したところ、野生型のRREからの転写は概日振動を示し、夜に発現しているBmal1プロモータからの発光と同じ位相であり、朝に発現しているPer2プロモータからの発光とは逆位相であった。この結果からRREが夜における発現制御に重要な役割を果たしていることが明らかになった。

夕方特異的な発現制御機構の解析 面白いことに、視交叉上核で夕方に発現しているCry1遺伝子の比較ゲノムを行ったところ、進化的に保存されたE'-boxとRREの両方を有していることがわかった。また肝臓でCry1と同じ位相で発現しているRORY遺伝子の比較ゲノムを行ったところ同様に進化的に保存されたE-boxとRREが見つかった。これらのE-box・E'-boxおよびRREからの転写を調べるために、in vitro転写ダイナミクス解析を行った。E-box・E'-boxをタンデムに繰り返した配列を概日振動しないSV-40プロモータとともにdLucレポータ遺伝子に連結させ、転写ダイナミクスを測定したところ、野生型のE-box・E'-boxからの転写は概日振動を示し、視交叉上核で朝に発現しているPer2プロモータからの発光と同位相であった。一方、RREをタンデムに3回繰り返した配列を概日振動しないSV-40プロモータとともにdLucレポータ遺伝子に連結させ、転写ダイナミクスを測定したところ、野生型のRREからの転写は概日振動を示し、視交叉上核で夜に発現しているBmal1プロモータからの発光と同じ位相であった。この結果は、Cry1およびRORY遺伝子の転写が二つの位相のことなった転写制御機構によって作り出されていることを示唆した。

概日時計のネットワーク構造の解析 以上のように概日時計の働きに重要な役割を担っている転写因子のプロモータ解析を包括的に行うことによって、(1)朝特異的な発現制御機構、(2)昼特異的な発現制御機構、(3)夜特異的な発現制御機構、(4)夕方特異的な発現制御機構を明らかにした。またこれらの解析結果を統合することにより、16個の転写因子からなる概日時計の複雑な転写ネットワークの転写回路の全貌を解明し、概日時計の分子機構が、正と負のフィードバックループおよび数多くのフィードフォーワードループからなることを明らかにした。

分子時刻表を用いた体内時刻の測定法およびリズム障害の診断法

最後に哺乳類の遺伝子発現解析の副産物として発明した体内時刻の測定およびリズム障害の診断法について紹介する。これまで体内時刻の測定の診断に使われてきた方法は、数日間にわたる体温・ホルモン・行動量などの時系列データを取得し、数日前の体内時刻を推定するという方法であった。しかしながらこのようの方法ではリアルタイムに体内時刻を知ることは原理的に不可能である。そこで1つの指標の複数時点におけるデータを用いる旧来の方法と違って、複数の指標の一時点におけるデータを用いて体内時刻を推定する方法を構築した。

100を超える遺伝子の発現が約24時間周期で振動している。これらの遺伝子の発現データを用いて体内時刻を測定し、リズム障害を診断する方法を考案した。まず、概日周期で振動していて高振幅の発現変動を示す遺伝子を168個同定し、「時刻表示遺伝子」と名づけた。「時刻表示遺伝子」の発現データから平均・標準偏差・ピーク時刻(「分子時刻」)を計算し、それを表にして分子時刻表と名づけた。さらにこの分子時刻表と一時刻の発現データから体内時刻を推定し、リズム障害を診断する方法(「分子時刻法」)を考案した。同分子時刻法は、複数の時刻表示遺伝子の発現データから体内時刻あるいはリズム障害を推定する方法である。例えば、昼の時刻表示遺伝子の発現が高く、夜の時刻表示遺伝子の発現が低い場合にそのサンプルの体内時刻を昼と推定することができる。100個を超える時刻表示遺伝子遺伝子を用いることで一時点での発現データのみからかなりの実験ノイズが存在する条件下でも正確に体内時刻を推定し、リズム障害を検出することが可能となることを示した。本論文では、実際にマウスを用いた分子時刻法のFeasibility Studyを行い、定量的に体内時刻を推定可能であることを示した。また正確にリズム障害を診断することが可能であることを同じようにマウスの生体サンプルを用いて示した。また他のマウスのストレインでも同方法を応用することが可能であること、他の組織・他の生物種でも同方法が適用可能であることを示した。

結語

ゲノムスケールの発現解析、ゲノムスケールのプロモータ解析、in vitroダイナミクス解析、ゲノムスケールの制御因子解析、in vitro表現系解析、の一連の解析手法に組み合わせたシステム同定戦略を構築し、同アプローチを概日時計の転写ネットワークの同定へと応用した。システム同定で明らかになってきた概日時計の遺伝子ネットワークの構造をもとに、近い将来、概日時計の振る舞いの予測(システム解析)や概日時計の振る舞いの制御(システム解析)、概日時計の再構築(システム設計)が可能となると期待される。哺乳類概日時計をはじめとする動的で複雑な生命現象のシステム生物学研究はまだ始まったばかりだが、このようなアプローチは科学分野・実用分野の両分野で大きな可能性を秘めている。また、研究の過程で考案された分子時刻法は、体内時刻を定量的に正確に測定することを可能にし、リズム障害を正確に診断することを可能にする方法である。このような方法を用いて、将来的には個人のその時々の体内時刻にあわせて投薬をする最適医療が実現することが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

2003年のヒトゲノムプロジェクトの完全解読に象徴されるように、大腸菌、出芽酵母、分裂酵母、線虫、ショウジョウバエ、シロイヌナズナ、イネ、マウス、ラット、ヒトなどの数多くのモデル生物のゲノム配列が次々と決定され、生命科学分野全般で分子からシステムへとパラダイムシフトが起きている。しかしながら、動的で複雑な生命現象を体系的に・効率的に解明していく手法・研究戦略は発展途上の段階である。

本研究は動的で複雑な生命現象のシステム的理解を目的として、ゲノムスケールの情報・リソース・技術を用いたシステム同定戦略を構築し、動的で複雑な生命現象の一つである哺乳類概日リズムをモデル系として同研究戦略を応用したものである。

本研究では、ゲノムスケールの発現解析、ゲノムスケールのプロモータ解析、in vitro転写ダイナミクス解析、の一連の解析手法に組み合わせたシステム同定戦略の構築し、同アプローチを概日時計の転写ネットワークの同定へと応用し、最後にこれらの研究の過程で考案されたヒトの体内時刻を定量的に測定し、リズム障害を正確に診断する新規の方法を確立した。

ゲノムスケールの発現解析 概日時計のシステムダイナミクスを包括的に測定するためにAffymetrix社のGeneChipを用いて、ゲノムスケールの発現解析を行った。中枢および末梢の概日時計から全RNAを分離するために、マウスを明暗(12時間明:12時間暗)条件で2週間飼育した後、明暗条件・恒暗条件の二つの条件下でそれぞれ2日間にわたり4時間毎に視交叉上核(中枢)および肝臓(末梢)をサンプリングした。各ポイントで視交叉上核を50匹のマウスから採取し、肝臓を4匹のマウスから採取した。採取した臓器からビオチン標識cRNAを合成、マウス高密度オリゴヌクレオチドマイクロアレイ(GeneChip)にハイブリダイズさせて定量した。さらに統計処理を行い、明暗及び恒暗条件でともに有意に発現振動している遺伝子を視交叉上核で101遺伝子、肝臓で397遺伝子抽出した。

グノムスケールのプロモータ解析 次に、視交叉上核で100以上、肝臓で約400の概日振動遺伝子の発現情報とこれらの時計関連遺伝子のプロモータ情報から概日時計の転写制御機構を推定できると考え、視交叉上核と肝臓で新たに認められた概日振動遺伝子のプロモータ領域の解析を試みた。新規に同定された概日振動遺伝子の5'末端をオリゴキャップ法で求め、その結果をゲノムにマップすることで、これらの遺伝子の転写開始点を系統的に決定した。視交叉上核と肝臓それぞれで、45個と189個の概日振動遺伝子の転写開始部位を決定することができ、ゲノム上の転写開始部位の位置情報をもとにして、その近接配列を推定上のプロモータ領域と定義した。続いてプロモータ領域での既知の概日転写因子応答配列と概日発現振動との相関関係を検索した。この結果、朝・昼・夜・夕特異的な転写制御機構が予測された(下記参照)。

In vitroダイナミクス解析 予測された朝・昼・夜・夕特異的な転写制御機構を検証し、概日時計の転写制御ネットワークの全体像を明らかにするために、概日時計制御配列をin vitro実験で決定するシステムを開発した。ホタルルシフェラーゼのC末端に分解促進配列を融合させた不安定化ルシフェラーゼ(dLuc)を作成した。このdLucレポータを、視交叉上核で昼に発現しているPer2遺伝子のプロモータと夜に発現しているBmal1遺伝子のプロモータにつなげたコンストラクトを作成した。それぞれのコンストラクトを線維芽細胞にトランスフェクションし、ステロイドホルモンであるデキサメサゾンで線維芽細胞を刺激した後、ルシフェリンを入れてレポータからの発光を測定した。Per2プロモータとBmal1プロモータからの発光は少なくとも4日間にわたる概日振動を示し、これらの振動の位相(発光のピーク)を互いに区別することが可能であった。

朝特異的な発現制御機構の解析 ヒトとマウスの制御領域の比較ゲノムを行い、進化的に保存された時計制御配列を探索したところ、E-box (CACGTG)およびE-boxに似た配列(CACGTTここでは "E'-box"と呼ぶ)が、視交叉上核で朝から昼にかけて発現しているPer1、Per2、Dbp、RevErbAα、RevErbAβ、Dec1、Dec2遺伝子の制御領域に見つかった。E-boxおよびE'-boxからの転写を調べるために、in vitro転写ダイナミクス解析を行った。E-boxおよびE'-boxをタンデムに2-3回繰り返した配列を概日振動しないSV-40プロモータとともにdLucレポ一夕遺伝子に連結させた。これらのコンストラクトを線維芽細胞にトランスフェクションし、デキサメサゾン刺激後、発光を計測した。野生型のE-box・E'-boxからの転写は概日振動を示し、視交叉上核で朝に発現しているPer2プロモータからの発光とほぼ同じ位相であり、視交叉上核で夜に発現しているBmal1プロモータからの発光とは逆位相であった。これに対し、変異E-box・E'-boxのプロモータからの発光は概日振動を示さず、SV-40プロモータのみの発光パターンと同様であった。この結果からE-box・E'-boxが朝における発現制御に重要な役割を果たしていることが明らかになった。

昼特異的な発現制御機構の解析 続いてヒトとマウスの制御領域の比較ゲノムを行ったところ保存されたDBP/E4BP4結合配列(TTA[T/C]GTAA、ここではD-boxと呼ぶ)が、視交叉上核で朝から昼にかけて発現しているPer1、Per2、Per3、RevErbα、RevErbAβ、RORα、RORβ遺伝子の制御領域に見つかった。D-boxからの転写を調べるために、in vitro転写ダイナミクス解析を行った。D-boxをタンデムに3回繰り返した配列を概日振動しないSV-40プロモータとともにdLucレポータ遺伝子に連結させ、転写ダイナミクスを測定したところ、野生型のD-boxからの転写は概日振動を示し、昼に発現しているPer3プロモータからの発光と同じ位相であり、夜に発現しているBmal1プロモータからの発光とは逆位相であった。これよりD-boxが昼における発現制御に重要な役割を果たしていることが明らかになった。

夜特異的な発現制御機構の解析 さらに、ヒトとマウスの制御領域の比較ゲノムを行ったところ保存されたROR/RevErbA結合配列(([A/T]A[A/T]NT[A/G]GGTCA、ここではRREと呼ぶ)が、夜に発現しているBmal1、Npas2、E4bp4、Clock遺伝子の制御領域に見つかった。RREからの転写を調べるために、in vitro転写ダイナミクス解析を行った。RREをタンデムに3回繰り返した配列を概日振動しないSV-40プロモータとともにdLucレポータ遺伝子に連結させ、転写ダイナミクスを測定したところ、野生型のRREからの転写は概日振動を示し、夜に発現しているBmal1プロモータからの発光と同じ位相であり、朝に発現しているPer2プロモータからの発光とは逆位相であった。この結果からRREが夜における発現制御に重要な役割を果たしていることが明らかになった。

夕方特異的な発現制御機構の解析 面白いことに、視交叉上核で夕方に発現しているCry1遺伝子の比較ゲノムを行ったところ、進化的に保存されたE'-boxとRREの両方を有していることがわかった。また肝臓でCry1と同じ位相で発現しているRORγ遺伝子の比較ゲノムを行ったところ同様に進化的に保存されたE-boxとRREが見つかった。これらのE-box・E'-boxおよびRREからの転写を調べるために、in vitro転写ダイナミクス解析を行った。E-box・E'-boxをタンデムに繰り返した配列を概日振動しないSV-40プロモータとともにdLucレポータ遺伝子に連結させ、転写ダイナミクスを測定したところ、野生型のE-box・E'-boxからの転写は概日振動を示し、視交叉上核で朝に発現しているPer2プロモータからの発光と同位相であった。一方、RREをタンデムに3回繰り返した配列を概日振動しないSV-40プロモータとともにdLucレポータ遺伝子に連結させ、転写ダイナミクスを測定したところ、野生型のRREからの転写は概日振動を示し、視交叉上核で夜に発現しているBmal1プロモータからの発光と同じ位相であった。この結果は、Cry1およびRORγ遺伝子の転写が二つの位相のことなった転写制御機構によって作り出されていることを示唆した。

概日時計のネットワーク構造の解析 以上のように概日時計の働きに重要な役割を担っている転写因子のプロモータ解析を包括的に行うことによって、(1)朝特異的な発現制御機構、(2)昼特異的な発現制御機構、(3)夜特異的な発現制御機構、(4)夕方特異的な発現制御機構を明らかにした。またこれらの解析結果を統合することにより、16個の転写因子からなる概日時計の複雑な転写ネットワークの転写回路の全貌を解明し、概日時計の分子機構が、正と負のフィードバックループおよび数多くのフィードフォーワードループからなることを明らかにした。

分子時刻表を用い落体内時刻の測定法およびリズム障害の診断法 最後に哺乳類の遺伝子発現解析の副産物として発明した体内時刻の測定およびリズム障害の診断法について紹介する。これまで体内時刻の測定の診断に使われてきた方法は、数日間にわたる体温・ホルモン・行動量などの時系列データを取得し、数日前の体内時刻を推定するという方法であった。しかしながらこのようの方法ではリアルタイムに体内時刻を知ることは原理的に不可能である。そこで1つの指標の複数時点におけるデータを用いる旧来の方法と違って、複数の指標の一時点におけるデータを用いて体内時刻を推定する方法を構築した。

100を超える遺伝子の発現が約24時間周期で振動している。これらの遺伝子の発現データを用いて体内時刻を測定し、リズム障害を診断する方法を考案した。まず、概日周期で振動していて高振幅の発現変動を示す遺伝子を168個同定し、「時刻表示遺伝子」と名づけた。「時刻表示遺伝子」の発現データから平均・標準偏差・ピーク時刻(「分子時刻」)を計算し、それを表にして分子時刻表と名づけた。さらにこの分子時刻表と一時刻の発現データから体内時刻を推定し、リズム障害を診断する方法(「分子時刻法」)を考案した。同分子時刻法は、複数の時刻表示遺伝子の発現データから体内時刻あるいはリズム障害を推定する方法である。例えば、昼の時刻表示遺伝子の発現が高く、夜の時刻表示遺伝子の発現が低い場合にそのサンプルの体内時刻を昼と推定することができる。100個を超える時刻表示遺伝子遺伝子を用いることで一時点での発現データのみからかなりの実験ノイズが存在する条件下でも正確に体内時刻を推定し、リズム障害を検出することが可能となることを示した。本論文では、実際にマウスを用いた分子時刻法のFeasibility Studyを行い、定量的に体内時刻を推定可能であることを示した。また正確にリズム障害を診断することが可能であることを同じようにマウスの生体サンプルを用いて示した。また他のマウスのストレインでも同方法を応用することが可能であること、他の組織・他の生物種でも同方法が適用可能であることを示した。

以上、本研究では、ゲノムスケールの発現解析、ゲノムスケールのプロモータ解析、in vitroダイナミクス解析等の一連の解析手法に組み合わせたシステム同定戦略を構築し、同アプローチを概日時計の転写ネットワークの同定へと応用した。システム同定で明らかになってきた概日時計の遺伝子ネットワークの構造をもとに、近い将来、概日時計の振る舞いの予測(システム解析)や概日時計の振る舞いの制御(システム解析)、概日時計の再構築(システム設計)が可能となると期待される。また、研究の過程で考案された分子時刻法は、体内時刻を定量的に正確に測定することを可能にし、リズム障害を正確に診断することを可能にする方法である。このような方法を用いて、将来的には個人のその時々の体内時刻にあわせて投薬をする最適医療が実現することが期待される。以上より、これからの生命科学・医学に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク