学位論文要旨



No 119261
著者(漢字) 冨田,太一郎
著者(英字)
著者(カナ) トミダ,タイチロウ
標題(和) NFATによるカルシウムオシレーションのデコーディング機構
標題(洋) Decoding of Ca2+ oscillation by NFAT
報告番号 119261
報告番号 甲19261
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2235号
研究科 医学系研究科
専攻 機能生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 栗原,裕基
 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 講師 山口,正洋
内容要旨 要旨を表示する

細胞内カルシウムは生体内で多様な生理現象を制御するセカンドメッセンジャーとして働く。細胞内カルシウム濃度は時間的・空間的に多様な変動パターンを示し、そのパターンに依存して細胞分化、増殖、収縮、分泌、遺伝子発現などの多様な細胞機能が制御されている。カルシウムオシレーションは典型的なカルシウム濃度上昇パターンの一つであるが、近年、カルシウムオシレーションの頻度に依存して活性化される転写因子や、発現する遺伝子セットが変わるという現象が報告された。カルシウムオシレーションによる遺伝子発現制御は、特に免疫系、循環器系、中枢神経系などで重要視されているものの、カルシウムシグナルのパターンを認識して遺伝子転写制御を行う分子機構は未だ解明されていない。

本論文では、転写因子NFATを介する遺伝子発現がカルシウムオシレーションの頻度依存的に活性化されることに着目し、NFATがカルシウムオシレーションシグナルを認識して遺伝子発現を引き起こす分子機構を明らかにすることを自的とした。

背景

NFATは、T細胞活性化に重要なIL-2の発現を引き起こす転写因子として発見された。現在までにNFAT1〜5のサブタイプが報告されており、これらは免疫系のみならず、循環器系、中枢神経系など生体の広範囲に発現している。このうち、NFAT1〜4がカルシウム依存的に活性化され、遺伝子転写を引き起こす。カルシウム濃度依存的に活性化されるNFATは、その分子内に核移行シグナルをもつ。この核移行シグナルはNFATのリン酸化状態によって活性が制御されていると考えられており、細胞内カルシウム濃度が低い静止時にはNFATは不活性なリン酸化型として細胞質に存在する。カルシウム濃度上昇に伴い、カルシウム依存性の脱リン酸化酵素カルシニューリンによって脱リン酸化を受けると、この核移行シグナルが活性化され、NFATは核内へと移行して遺伝子転写を引き起こす。そして、カルシウム濃度が下がるとNFATは再びリン酸化されて核外へと排出される。

転写因子の活性化を測定する方法としては、従来レポーター遺伝子等を用いた実験系がよく使われている。しかしながら、従来の方法は最終的な遺伝子転写産物の発現を定量する系であるため、カルシウム濃度上昇に対する転写因子の応答をリアルタイムで評価することはできなかった。また、アゴニスト刺激に伴う細胞質へのカルシウム動員経路として、細胞膜上のチャネルを介したカルシウム流入と細胞内カルシウムストアからのカルシウム放出が知られているが、これらは複雑なシグナル伝達経路により制御されているため、カルシウム濃度上昇パターンを人為的に厳密に制御することは難しい。それゆえ、カルシウム濃度上昇パターンによる細胞機能制御機構を定量的に解析することは困難であった。

本文

本研究では細胞内カルシウムとGFPとの同時イメージングの手法に細胞内カルシウム濃度制御法を組み合わせることによって、従来困難であったカルシウム依存的な転写因子の活性化をリアルタイムに観察する実験系を作成し、これを用いてカルシウムオシレーションによるNFAT核移行の分子制御機構を解析した。

カルシウム依存的なNFAT核移行動態の解析

カルシウム上昇に対するNFATの応答性を解析するために、NFATを蛍光タンパクGFPとの融合タンパク質として細胞に発現させ、さらに、カルシウム蛍光指示薬を用いて同時にカルシウム濃度を測定し、カルシウム濃度上昇依存的なNFAT動態をリアルタイムに観察する実験系を構築した。また、細胞内カルシウム濃度は、カルシウムストア作動性カルシウム流入機構を活性化させた状態で、細胞外カルシウム濃度を調節することにより制御した。

カルシウム依存的なNFATの活性化は、その核移行を定量することにより解析した。GFP-NFATは静止時には細胞質にのみ存在していたが、カルシウム濃度上昇により核内へと移行し、またカルシウム濃度が下がると再び核外へと排出された。この時間経過を解析すると、NFATの核内移行はカルシウム濃度変化に比べて遅れて始まり、またその核移行速度も非常に遅かった。そのため、NFAT核移行のピーク値は、カルシウム濃度上昇の持続時間に依存して増大した。

非常に興味深いことに、2〜3分程度の短時間のカルシウム濃度上昇を惹起させた場合には、NFATはカルシウム濃度が下がってからも核移行を続けるという現象が観察された。このことは、NFATが「カルシウム濃度が上昇した」という情報を何らかの形で一時的に記憶できることを示している。

NFAT脱リン酸化と核移行

NFATはカルシニューリンによる脱リン酸化を受けて核内へと移行する。そこで、カルシウム濃度上昇に伴うNFAT脱リン酸化の時間経過を、生化学的手法を用いて解析した。すると、カルシウム濃度上昇の後、NFATの脱リン酸化は数分以内に速やかに生じるのに対し、その後の核内移行は著明に遅れることがわかった。つまり、細胞内カルシウム濃度が上昇すると、まず細胞質に活性化型NFATがいったん蓄積し、それが徐々に核内へと移行するという機構が明らかになった。このとき、カルシウム濃度が静止時レベルに下がってからもNFATはしばらく脱リン酸化型のまま細胞質に維持されていた。つまり、NFATは「カルシウム濃度が上昇した」という情報を細胞質内脱リン酸化NFATの蓄積という形で記憶し、これがいわば「working memory」として機能することが明らかになった。

モデルによるカルシウム依存的NFAT核移行の解析

任意のカルシウム濃度上昇パターンによるNFATの活性化状態を定量的に解析するために、1.および2.で得られた結果に基づいてこの系のモデル化を試みた。NFATは、細胞質内リン酸化型(不活性型)、細胞質内脱リン酸化型(活性型)、および核内型の三状態のいずれかであると仮定する最も単純なモデルを立てた。各状態間の遷移速度定数は、イメージングで測定したGFP-NFAT核移行の時間経過データを基に決定した。モデルから予測されたNFAT核移行の時間経過は、イメージングで得られた実測値と良く一致していた。さらに、このモデルを用いて細胞質内脱リン酸化型(活性型)の時間経過を予想すると、これは2.で行ったリン酸化測定実験の結果にも良く一致し、カルシウム依存的なNFAT活性化動態を非常に良く再現していた。

そこで、このモデルを用いて頻度の異なるカルシウムオシレーションによるNFAT活性化動態を予測した。その結果、高頻度カルシウムオシレーションでは、細胞質でいったん脱リン酸化されたNFATが、再リン酸化および核移行によって消失する前に次のカルシウム刺激を受けるために、細胞質に脱リン酸化型NFATが蓄積して常に高濃度に保たれており、それゆえNFATが核内へと移行することが示された。一方、低頻度カルシウムオシレーションでは、細胞質脱リン酸化型NFATは蓄積せず、そのため核にはほとんど移行しなかった。つまり、「working memory」が存在する間は、カルシウム濃度が下がっていても核移行を続けられるために、「working memory」が維持される頻度であれば、カルシウムオシレーションによってもNFATは核内に移行することが予測された。

カルシウムオシレーションによるNFATの核移行

実際にGFP-NFATを発現する細胞を用いてカルシウムオシレーション刺激を行い、シミュレーション結果を検証した。その結果、予測と一致してオシレーション頻度依存的にNFATは核内に移行した。つまり、NFATがカルシウムオシレーションの頻度をその核移行レベルへと変換していることが、初めて直接的に明らかになった。定常状態での核移行レベルは、定量的にもシミュレーションの結果と非常に良く一致していた。

このとき、カルシウムオシレーションと持続的なカルシウム上昇の間でシグナル伝達効率を比較すると、カルシウムオシレーションのほうが効率良くNFAT核移行を引き起こすことが明らかになった。つまり、「working memory」である脱リン酸化型NFATが細胞質に残っている間はカルシウム濃度が下がっていても核移行するため、非常に短い時間のカルシウム上昇によっても、適切な頻度のオシレーションでうまく「working memory」を使えば十分に核移行することができ、その結果として、持続的なカルシウム濃度上昇よりもオシレーションのほうがカルシウムシグナルの伝達効率が増大すると考えられた。

結語

本研究により、NFATがカルシウムシグナルをそのリン酸化状態の変化として記憶しながら核移行するという分子機構が明らかになった。この「working memory」の機構によって、NFATはカルシウムオシレーションの頻度依存的に核移行し、さらにカルシウムオシレーションのシグナルが効率良く核内NFAT濃度へと変換されることが明らかになった。

審査要旨 要旨を表示する

本研究では、転写因子NFATがカルシウムオシレーションシグナルを認識して遺伝子発現を引き起こす分子機構を明らかにするため、細胞内カルシウムとカルシウム依存的な転写因子の活性化をリアルタイムに観察する実験系を作成し、これを用いてカルシウムオシレーションによるNFAT制御の分子機構の解析を試み、下記の結果を得ている。

GFP-NFATを発現させたBHK細胞を用いて、細胞内カルシウムとカルシウム依存的なNFATの核移行を同時にイメージングした結果、NFATの核移行はカルシウム濃度変化に遅れて始まり、またその速度も非常に遅いことが示された。また、短時間のカルシウム濃度上昇時には、NFATは細胞内カルシウム濃度が静止時のレベルに戻った後もしばらく引き続いて核内に移行し続けることが示された。

カルシウム濃度上昇に伴うNFAT脱リン酸化と核移行の時間経過を生化学的な手法を用いて解析すると、カルシウム濃度上昇の後、NFATの脱リン酸化は数分以内に速やかに生じるのに対し、その後の核内移行は著明に遅れることが示された。この結果より、細胞内カルシウム濃度が上昇すると、まず細胞質に活性化型NFATがいったん蓄積し、それが徐々に核内へと移行するという機構が明らかになった。また、途中でカルシウムを除去すると、この細胞質-脱リン酸化型は半減期約7分程度で消失することが示された。

NFAT核移行の時間経過を基に、カルシウム依存的なNFATの脱リン酸化と核移行を定量的に予測するモデルを構築し、シミュレーション実験によってカルシウムオシレーション時のNFATの脱リン酸化および核移行を解析した。その結果、高頻度カルシウムオシレーションでは、細胞質でいったん脱リン酸化されたNFATが再リン酸化あるいは核移行で消失する前に次のカルシウム刺激を受けるために、細胞質に脱リン酸化型NFATが蓄積して常に高濃度に保たれており、それ故、核内NFATが高くなることが示された。一方、低頻度カルシウムオシレーションでは、細胞質脱リン酸化型NFATは蓄積せず、そのため核にはほとんど移行しない。したがって、NFATはカルシウムオシレーションの頻度依存的に核内に移行することが予測された。

GFP-NFATを発現する細胞にカルシウムオシレーション刺激を行い、シミュレーション結果を検証したところ、予測と一致して、カルシウムオシレーションのシグナルは、その頻度依存的に核内NFAT濃度へと変換されることが示された。

単位時間あたりのカルシウム濃度上昇がNFAT核移行を引き起こす効率をオシレーションの場合と持続的なカルシウム上昇の場合で比較したところ、カルシウムオシレーションのほうが効率良くNFAT核移行を引き起こすことが示された。脱リン酸化型NFATが細胞質に残っている間はカルシウム濃度が下がっていても核移行するため、適切な頻度であればオシレーションによっても十分に核移行することができ、その結果として、持続的なカルシウム濃度上昇よりもオシレーションのほうがカルシウムシグナルの伝達効率が増大すると考えられた。

Jurkat T細胞にカルシウム濃度上昇刺激を行い、内在性のNFATの脱リン酸化、および核移行の時間経過を解析した結果、脱リン酸化は速く、一方、核移行は非常に遅いことが示された。従って、GFP-NFATを発現させた細胞で観察された細胞質-脱リン酸化型の蓄積は内在性NFATの性質を反映したものであると考えられた。

以上、本研究により、NFATはカルシウムシグナルをそのリン酸化状態の変化として記憶しながら核移行するという分子機構が明らかになり、さらに、この機構によってNFATがカルシウムオシレーションの頻度依存的に核移行すること、また、カルシウムオシレーションのシグナルが効率良く核内NFAT濃度へと変換されることを示した。本研究は、これまでほとんど未知に等しかったカルシウムオシレーションによる遺伝子発現制御の分子機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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