学位論文要旨



No 119268
著者(漢字) 本田,貴宏
著者(英字)
著者(カナ) ホンダ,タカヒロ
標題(和) 妊娠中毒症に関連する子宮内胎児発育遅延におけるVEGFシステムの関与の解析
標題(洋) Involvement of VEGF system in intrauterine growth retardation (IUGR) associated with pre-eclampsia
報告番号 119268
報告番号 甲19268
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2242号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清木,元治
 東京大学 教授 中内,啓光
 東京大学 助教授 仁木,利郎
 東京大学 助教授 仙波,憲太郎
 東京大学 助教授 渡邊,すみ子
内容要旨 要旨を表示する

背景

血管内皮増殖因子 (vascular endothelial growth factor: VEGF) は、血管内皮細胞を特異的に増殖させる因子として見出された。VEGFには、VEGF受容体1(VEGFR-1, Flt-1)、VEGF受容体2(VEGFR-2, Flk-1/KDR)、VEGF受容体3(VEGFR-3, Flt-4) と3つのチロシンキナーゼ型受容体がある。VEGFはVEGFR-1とVEGFR-2を介して作用を発揮するが、両者は大きく異なっている。VEGFR-1はVEGFと高親和性(解離定数Kd=1~10pM)に結合するが、自己リン酸化のレベルは非常に弱く、VEGF刺激下での細胞増殖を殆ど示さない。対して、VEGFR-2はVEGFに対する親和性は、VEGFR-1と比して10分の1以下(解離定数Kd=75~125pM)であるが、自己リン酸化レベルは高くVEGF刺激下の細胞増殖も認められている。これらの結果より、VEGFの生物学的活性は主にVEGFR-2を介していると考えられる。

VEGF-VEGFRシステムは、胎生初期から発現し胎児における正常な血管と血球形成を調節する重要な因子であることが、ノックアウトマウスの解析により明らかにされた。VEGFは、ヘテロ接合体であっても、血管形成が強く障害され胎生約11日で致死となる。またVEGF受容体ホモ接合体は、いずれも胎生期に致死となる。VEGFR-1ノックアウトマウスは、分化した内皮細胞、血球成分が存在するにもかかわらず、内皮細胞が過増殖し無秩序な血管形成を示し胎生8.5〜9.5日で致死となる。VEGFR-2ノックアウトマウスは、卵黄嚢内の血島が形成されず、血管内皮細胞が欠如し、しかも血球成分の著明な低下を示し胎生約8.5日で致死となる。これらの事実より、個体の初期発生においてVEGF量の低下が血球、血管形成に重大な影響を与え、VEGFは厳密な量的制御を受けていることが示唆される。

近年、固形腫瘍の進展抑制においてVEGF-VEGFRシステムの生物活性を阻止するいくつかの試みがなされている。VEGFを標的としたものとして中和抗体、VEGF受容体を標的としたものとして dominant negative 受容体、可溶型受容体がある。ほかにVEGFR-1及びVEGFR-2キナーゼのリン酸化を、特異的に阻害する低分子化合物としてSU5416がある。SU5416は、VEGF刺激下におけるヒト臍帯静脈由来血管内皮細胞 (HUVEC) の増殖を強力かつ即効的に抑制し、単回投与後72時間以上にも及ぶ長い持続作用性を持つとされている。

妊娠中毒症は全妊娠の約5〜15%で発生し、母体の血圧上昇、蛋白尿、浮腫を主徴とした原因不明の疾患で、高頻度に子宮内胎児発育遅延 (IUGR) を伴い、組織学的には、胎盤の浮腫様変化とフィブリン沈着を認める。また最近、妊娠中毒症患者における血中可溶型VEGFR-1は、正常妊婦に比べ有意な上昇を認めることや、妊娠ラットに可溶型VEGFR-1を投与すると、胎盤における組織学的変化は認めないものの、血圧上昇、蛋白尿、腎臓血管内皮細胞障害など妊娠中毒様症状を生ずるという報告がなされ、VEGF-VEGFRシステムと妊娠中毒症は密接に関与していることが示された。ほかにも妊娠中期〜後期マウスにVEGFを反復投与する実験で、胎児血管に富むラビリンス層(胎盤の胎児側)に、浮腫様変化とフィブリン沈着を主とする妊娠中毒症類似様組織学的変化を引き起こし、胎児体重の有意な減少を認めるという知見が示されたが、経時的、量的変化に関しては依然として充分な解析が行なわれていない。

これらの背景を基に本研究では、妊娠中期〜後期においてVEGF-VEGFRシステムが胎盤と胎児側にどのように作用するかを探る目的で、VEGF投与により妊娠マウスに発生する変化の詳細を検討した。さらに具体的な治療法の検討も併せて行なった。

方法と結果

妊娠中期〜後期のVEGF連続投与による生物学的作用の検討

方法:Jcl:ICR妊娠マウスにrhVEGF 1.5ugをE10からE17まで連日腹腔内投与し、E18に全採血後、胎盤検体を得て胎児体重の計測を行った。VEGF阻害剤投与群はVEGF連日投与に加えE12、E15にVEGFR阻害剤である100n molのSU5416も同時に腹腔内投与を行った。コントロール群としてPBSの腹腔内投与を行った。

結果:(1)コントロール群(母体数:N=5)、(2)VEGF投与群 (N=5) 、(3)VEGF+SU5416投与群 (N=6) より得られた胎児体重を計測し、統計学的解析を行なった結果、(1)群1.679±0.013g、(2)群1.488±0.013gで有意に減少 (p<0.0001) した。そして(3)群1.671±0.021gと(2)群に比べ有意な増加 (p<0.0001) が確認された。(1)群と(3)群の間では有意差を認めなかった (p=0.766)。VEGFR-2の発現をウエスタンブロット法で確認したが各群の発現に変化は認めなかった。胎盤におけるVEGFR-1、可溶型VEGFR-1、VEGFR-2のmRNA発現は、半定量的RT-PCRにおいて(2)群で可溶型VEGFR-1の若干の発現低下を認めた。血中可溶型VEGFR-1の発現(ELISA法)は有意差を認めなかった。

妊娠後期の短期間VEGF投与による生物学的作用の検討

方法:E15のJcl:ICR妊娠マウスにrhVEGF1.5ugを4時間の間隔で2回腹腔内投与し2回目の投与から1時間後の胎盤検体を採取した。VEGF阻害剤投与群はVEGF初回投与の3時間前に100n molのSU5416を腹腔内投与し、他は同時期にPBSを投与した。胎盤組織のHE染色を行ない弱拡大下 (×40) で浮腫様変化を示す部位の直線最大径を計測、数値化し統計学的解析を行なった。

結果:(1)コントロール群(胎盤数:N=9)、(2)VEGF投与群 (N=9) 、(3)VEGF+SU5416投与群(N=10)を比較検討したところ、(1)群11.33±2.50、(2)群23.77±4.52と有意な増加(p=0.033)を認めた。(3)群14.3±2.19となり(2)群と比べ減少(p=0.084)した。(1)群と(3)群の比較ではp=0.386となり有意差は認めなかった。

妊娠後期の単回VEGF投与による生物学的作用の経時的変化の検討

方法:E13のJcl:ICR妊娠マウス尾静脈よりrhVEGF 1ugの血管内投与を行ない20分後、1時間後、6時間後、12時間後、24時間後の胎盤検体を採取し観察した。結果:VEGF血管内投与20分後、1時間後のマウス胎盤のHE染色でフィブリン沈着を伴った著明な鬱血像が認められた。6時間後の胎盤のHE染色においても高度な鬱血像が認められた。以降の胎盤では軽度な像のみ散発的に認められた。

妊娠中期〜後期におけるVEGF阻害剤投与による肺成熟への影響

背景と方法:妊娠中毒症で問題となるのは高頻度にて体重発育遅延を合併する早産である。早産児では胎児体重と胎児肺成熟が生命予後や将来的な後遺症を決定する重要な因子となる。最近HIF-2αノックアウトマウスにおけるVEGF発現低下によって、胎児の肺サーファクタント産生低下が生じ呼吸不全を生じる事が報告された。1.で胎盤を採取した際に同時に胎児の肺も採取し、免疫組織化学染色を行ない、サーファクタント陽性肺胞細胞の数をランダムに強拡大下で観察し統計学的解析を行なった。

結果:強拡大下での観察の結果、すべての群でサーファクタント陽性細胞数の統計学的な有意差は認められなかった。

考察

本研究においてVEGF投与による胎児体重の減少には、VEGF-VEGF受容体システムが強く関与していることが確認された。胎盤内においてラビリンス層の血管内皮には、VEGFR-2(in situ hybridization 法、および免疫組織学的方法)が発現し、Spongiotrophoblast(胎盤の母胎側)ではVEGFR-1とその変異体である可溶型VEGFR-1の発現することが報告されている。また胎児側血管内皮細胞であるHUVECをVEGF刺激するとHUVECへ粘着する血小板が2.5倍増加するという in vitro での報告が近年されたが、本研究でもVEGFの腹腔内投与で胎盤のラビリンス層にコントロールと比べ有意な程度の浮腫様変化をきたし、さらにVEGFを血管内投与すると短時間で発症し数時間続く著明なラビリンス層の鬱血とフィブリン沈着を生じることが確認された。これらにより母体へのVEGF投与は胎盤の胎児側に血流循環不全と浮腫による拡散障害を引き起こすことが推測される。これらに引き続き生じる母体胎児間のガス交換と栄養分などの物質移動の低下を主徴とする胎盤機能低下が胎児体重の減少の原因と考えられる。VEGF投与による胎児体重の減少は、低分子化合物の母体投与によるVEGF受容体の自己リン酸化を抑制することにより改善されることが確認された。母体血圧上昇、蛋白尿、胎盤へのフィブリン沈着などの妊娠中毒症所見を示すP57kip2ノックアウトマウスで胎盤VEGFの発現上昇が報告されている。本研究により妊娠中毒症における胎児側異常は、胎児側での内因性VEGF過剰によって生じ、妊娠中毒症に特徴的な組織学的所見である胎盤の浮腫様変化とフィブリン沈着も改善する可能性が示された。妊娠中毒症の母体より出生した胎児予後の重大な決定因子は生下時体重であることは明らかであり、高頻度に合併する子宮内胎児発育遅延の治療に有効な手段は依然として存在しない。VEGF受容体阻害剤の適切な量の投与により胎児体重減少の改善が期待されることを本研究は初めて示した。最近報告された母体側における妊娠中毒症の所見発生のメカニズムと、本研究で得られた知見の複合的な更なる探求は、子宮内胎児治療(Intrauterine fetal treatment : IUFT)の樹立という臨床応用にも発展が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、胎生初期から発現し胎児における正常な血管と血球形成を調節する事により胎児初期発生に重要な役割を果たすことが知られているVEGF-VEGFRシステムについて、まず始めに胎生中期から後期の胎児と胎盤に於ける生物学的な関与の解析を試みた。次にこれらの解析を行うことにより妊娠中毒症に高頻度に伴い依然として効果的で有効な治療法が存在しない子宮内胎児発育遅延 (IUGR; intra-uterine growth retardation) に対する新たな治療概念である子宮内胎児治療 (IUFT; intra-uterine fetal treatment) の樹立という臨床応用について考察を行った。さらに文献的考察より本治療概念の臨床応用を行う際に考慮すべき副作用発症の有無についての生物学的な解析も併せて試みたものであり、下記に示す結果が得られている。

妊娠中期より後期の妊娠マウスの腹腔内へのrhVEGFの反復投与によるVEGF-VEGFRシステムの活性亢進は胎児体重の減少を引き起こすことが示された。この事をより明確にするためにrhVEGF投与期間中に胎盤を容易に通過すると考えられるVEGFR阻害剤の2回投与を行ない、VEGFR阻害剤投与群はコントロール群に匹敵する程度への胎児体重の回復を認めたことも示された。解剖時に得られた胎盤におけるVEGFR-1,可溶型VEGFR-1, VEGFR-2のmRNA発現を半定量的RT-PCR法で確認したところ、特に妊娠中毒症で発現が上昇し母体血圧上昇と母体腎病変を引き起こすと考えられている可溶型VEGFR-1はVEGFR阻害剤投与群で上昇しないことが示された。

妊娠後期の短期間rhVEGFの反復投与によるVEGF-VEGFRシステムの活性亢進により胎盤の浮腫様変化が生じることが示された。VEGFR阻害剤併用投与群はコントロール群に近い程度にまで浮腫様変化が改善することが示された。

妊娠後期の単回rhVEGF母体血管内投与によるVEGF-VEGFRシステムの活性亢進により胎盤において非常に広範囲なフィブリン沈着を伴った高度な鬱血を発症することが示された。この変化はrhVEGF投与後短時間で出現し時間経過によって減少することも併せて提示された。この結果により1、2の実験時に得られた胎盤での各薬剤投与群間におけるフィブリン沈着の相違が有意に認められなかった原因が血液凝固に引き続き生じる線溶のためである可能性が示唆されたとの説明がなされた。さらに胎盤における低酸素誘導などによるVEGF発現上昇が胎盤の胎児側での血流循環不全と胎盤の浮腫による母児間の拡散障害を主徴とした胎盤機能不全を引き起こし、結果として胎児体重の減少すなわち子宮内胎児発育遅延の原因となりうることの説明がされた。

マウス胎児に於けるVEGF発現低下と引き続く肺成熟の低下の関連が既に報告されている。VEGF-VEGFRシステム活性亢進の阻害系における胎児肺成熟への影響をするためVEGF-VEGFRシステムの活性亢進の実験時に用いた同量のVEGFR阻害剤を単独で投与した。免疫組織化学染色切片の強拡大下観察の結果、肺サーファクタント陽性の肺胞細胞数はコントロール群との間に有意な差が認められなかったことが示された。

以上に示された結果から、本研究は今まで未知に等しく且つ有効な治療法が存在しない妊娠中毒症に高頻度に伴う胎児側異常である胎盤へのフィブリン沈着亢進や子宮内胎児発育遅延に対する治療を目的とする臨床応用への可能性を、VEGF-VEGFRシステム活性の詳細な解析により初めて提言したものである。文献的考察も加えて胎児側と母体側の双方における妊娠中毒症発症のメカニズムとそれに関連する治療概念についての考察が含まれており、さらに同治療概念の主作用と共に副作用発症可能性についても生物学的解析により言及されているものである。妊娠中毒症発症の解明および新しい治療概念の確立に大きく貢献したと考えられ、博士の学位の授与に値するものと考えられる。

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