学位論文要旨



No 119269
著者(漢字) 増渕,和博
著者(英字)
著者(カナ) マスブチ,カズヒロ
標題(和) ヒト良性血管腫組織由来細胞株AG1の樹立とその内皮細胞との類似性の検討
標題(洋)
報告番号 119269
報告番号 甲19269
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2243号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清野,宏
 東京大学 教授 清木,元治
 東京大学 助教授 渡邉,俊樹
 東京大学 助教授 辻,浩一郎
 東京大学 講師 角田,卓也
内容要旨 要旨を表示する

<背景>

血管新生は、胎生期初期から循環器系の形成や組織の栄養血管として組織構築に関与し、重要な役割を果たしている。成熟個体の雌においては、性周期に伴う黄体形成・子宮内膜の増生・胎盤形成に関与する。病的血管新生としては、炎症・創傷治癒過程・糖尿病性網膜症・さらには腫瘍増殖時における血管新生が挙げられる。また、リンパ管新生も、胎生期初期からのリンパ管形成に加えて、腫瘍の転移・組織老廃物の運搬や浮腫の形成に関与し、血管新生と同様に重要な役割を果たしている。

以上のような重要性にも関わらず、血管新生・リンパ管新生の研究が遅延していた理由が大きく二つ挙げられる。一つは、血管・リンパ管新生に特異的に関与する分子群が長い間不明であったためである。近年、血管内皮細胞増殖因子VEGF (vascular endothelial growth factor) ファミリーとその受容体であるVEGFR(VEGF receptor)ファミリーが発見された。成熟個体においてVEGFR1(Flt-1)・VEGFR2 (KDR) は主として血管内皮細胞に、VEGFR3 (Flt-4) は主としてリンパ管内皮細胞に発現している。また、VE-Cadherin (Cadherin-5)・Tie2のような血管内皮細胞特異的なマーカー分子、LYVE-1・podoplaninのようなリンパ管内皮細胞特異的なマーカー分子や、血管・リンパ管内皮細胞両方に発現するCD31が報告されている。もう一つの理由は、内皮細胞由来の細胞株の樹立が非常に困難であったためである。成熟個体内のほとんどの内皮細胞は増殖が停止した状態で機能しており、株化後にはその本来の特徴が喪失されてしまうため、細胞株で有用なものはほとんど存在しない。過去の報告の例でも、VEGF-VEGFR系に言及していないものがほとんどであり、血管内皮の特徴を十分に保持しているとは言い難い。

培養や実験への応用が簡便であり、均一なサンプルを大量にかつ容易に得ることが出来る細胞株の存在が、分子生物学・細胞生物学の研究に大きく寄与してきたことは言うまでもなく、血管新生・リンパ管新生の研究にも有用な細胞株の樹立は大きな意義があり、現在も急務とされている。我々が内皮細胞由来の細胞株を樹立するに当たり、血管の機能を保ちつつ数十年かけてわずかに体積を増すヒトの良性血管腫組織に注目した。ヒト良性血管腫組織から樹立したこの細胞株をAG1と命名した。また、AG1からのシングルクローンとしてそれぞれF4・F5・G1・G2クローンを樹立した。以上の細胞株を解析し、ヒト臍帯静脈内皮細胞HUVEC (human umbilical vein endothelial cell)との類似性を検討した。

<結果>

ヒト良性血管腫組織を患者から切除後、速やかにミンスし培養を開始した。この際光顕上ではブラスト系の細胞は一切見られなかった。シャーレ上でコンフルエントになった組織細胞は増殖が停止してしまったため、SV40のT抗原を用いて不死化させた。AG1シリーズすべての細胞株で、T抗原タンパクの発現が確認された。

はじめに、AG1シリーズの染色体を解析した。平均染色体数は、AG1で61.5本、F5クローンで104.1本、G1クローンで60.1本であった。また、染色体検査も行ったが、血管・リンパ管特異的な遺伝子群の転位・転座は見られなかった。次に、AG1シリーズの倍加成長時間を測定した。シャーレに1.0x104個細胞を蒔いて10日間測定したところ、AG1で31.3時間、F4クローンで29.8時間、F5クローンで49.6時間、G1クローンで28.7時間、G2クローンで34.2時間であった。VEGFを添加した培養液中でのAG1の倍加成長時間は33.8時間であり、非添加群との差は見られなかった。

AG1シリーズにおいて、血管内皮細胞の特徴として古くから知られているアセチルLDL (low density lipoprotein)の細胞内への取り込みが蛍光顕微鏡で確認された。また、血管内皮のマーカー分子であるVE-Cadherinタンパクの発現がAG1シリーズにおいて確認され、上皮のマーカー分子であるE-Cadherinタンパクの発現は確認されなかった。

AG1シリーズにおいて、VEGFR1、VEGFR2、VEGFR3の発現がRT-PCRによって確認された。また、いくつかのクローンにおいて、血管内皮マーカーであるvWF (von Willebrand factor)、CD31、Tie2の発現がRT-PCRによって確認された。その他の血管内皮マーカーとして、Tie1、Neuropilin-1、EphB4の発現がすべてのクローンにおいてRT-PCRで確認された。さらに、胎生期の血管形成・リンパ管形成に関わるホメオボックス転写因子であり、リンパ管特異的なマーカーであるProx1の発現がG1クローンにおいてRT-PCRで確認された。リンパ内皮細胞の表面マーカーであるpodoplanin、LYVE-1の発現はAG1シリーズにおいて確認されなかった。

AG1シリーズにおいてRT-PCRで発現が確認されたVEGFR1、VEGFR2は、ウェスタンブロット法では発現が確認されず、VEGF-A刺激によるリン酸化も確認されなかった。また、RT-PCRで発現が確認されたVEGFR3は、ウェスタンブロット法において発現が確認されたが、VEGF-C刺激によるリン酸化は確認されなかった。さらに、VEGF-A、VEGF-C刺激によるMAPK (mitogen-activated protein kinase) のリン酸化も確認されなかった。

AG1シリーズは、ラミニン・フィブロネクチン・コラーゲンIVなどの基底膜成分を含むMATRIGEL上で培養すると、HUVECと同様の蜂の巣状のネットワークを形成した。HUVECの形成したネットワークは72時間後には崩壊しているにも関わらず、AG1シリーズの形成したネットワークは72時間以降も継続され、かつネットワークが増強された。

ヒト繊維芽細胞単層培養上においてHUVECは、増殖因子存在下で細胞同士が細長い管腔を形成することが確認されている。同様に、ヒト繊維芽細胞単層培養上で、HUVECとAG1シリーズを共培養すると、HUVECが形成する管腔の近辺に極めて多くのAG1シリーズ細胞が確認された。

<考察>

血管内皮の機能を保持しつつ、よく増殖する細胞株の樹立を目標に置いて、由来組織としてヒト良性血管腫に注目したが、作成初期において増殖は停止してしまった。そのため、慣習的なSV40 T抗原での不死化を試みたところ、倍加成長時間が30時間前後の実用的な細胞株が得られた。また、古くから報告されている血管内皮由来細胞株の特徴である、平面培養時における敷石状の外観・アセチルLDLの細胞内への取り込み・vWFの発現・MATRIGEL上でのネットワーク形成が確認された。

一部のクローンにおいて、vWF及びCD31の発現がRT-PCRによって確認されたが、免疫染色では発現が確認されなかった。同様に、VEGFR1・VEGFR2・VEGFR3の発現がRT-PCRで確認されたが、VEGFR1及びVEGFR2タンパクの発現はウェスタンブロットでは確認されなかった。以上のことは、株化に際して血管内皮の性質が幾ばくか喪失され、発現が低下したことを示唆している。VEGFR3タンパクの発現は確認されたが、VEGF-C刺激によるリン酸化は確認されなかった。VEGF-A・VEGF-C刺激に際して、血清非添加培養液で12時間前培養したが、それでもMAPKのリン酸化レベルは高く、AG1シリーズにおいてはリガンド刺激による影響を評価しにくい可能性が示唆された。

AG1シリーズにおいて、血管内皮の細胞表面マーカーであるVE-Cadherinタンパクの発現が確認された。この結果は、AG1細胞同士の細胞接着が強固であることを示唆し、また、MATRIGEL上でのネットワーク形成が長時間持続することとの関連も示唆される。また、HUVEC、ヒト繊維芽細胞との共培養系において、AG1シリーズの細胞がHUVECの極めて近位で存在していることが確認された。これは、VE-Cadherinタンパクの発現は強いものの血管内皮の機能が幾ばくか喪失されてしまったため、HUVECとの管腔形成に参加できないでいる可能性が示唆される。あるいは、成人においてはリンパ管内皮細胞に発現が限局しているVEGFR3タンパクの発現や、G1クローンにおけるリンパ管内皮の転写因子Prox1の発現など、血管内皮だけではなくリンパ管内皮様の特徴も示していることから、むしろ血管内皮とはネットワーク形成にあえて参加しなかった可能性も示唆される。

AG1シリーズの各クローンにおける血管内皮・リンパ管内皮マーカーの発現の強弱・有無から判断して、血管腫組織はマルチクローナルに形成されたことが示唆される。また、AG1シリーズが血管内皮だけではなくリンパ管内皮の特徴も示す傾向があることは非常に興味深く、血管腫の発生機序の解析も含めて議論・利用されるべきことが少なくない。以上のように、AG1シリーズは慣習的な血管内皮細胞の特徴を保持していることに加えて、血管とリンパ管の相同性・相違性・分化などの研究に有用な細胞株であることが示唆される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は生体において重要なプロセスである血管新生・リンパ管新生の分子生物学・細胞生物学的解析に当たり、ヒト良性血管腫組織から有用な新規内皮細胞株の樹立を試みたものであり、下記の結果を得ている。

樹立した細胞株の倍加成長時間は30時間程度であり、研究において実用的である。また、ヌードマウスとSCIDマウスにおいて造腫瘍性は確認されなかった。さらに、慣習的な血管内皮細胞の特徴である、アセチルLDL (low density lipoprotein) の細胞内への取り込み、vWF (von Willebrand factor)・CD31 (PECAM-1 ; Platelet Endothelial Cell Adhesion Molecule-1) の発現、敷石状の外観、ラミニン・フィブロネクチン・コラーゲンIVなどの基底膜成分を含むMATRIGEL上でのネットワーク形成が確認され、現在定義されている血管内皮の特徴を保持していることが示された。

樹立した細胞株において、VEGFR (Vascular Endothelial Growth Factor Receptor) 1/VEGFR2の発現がRT-PCRで確認されたが、タンパクレベルでは確認されなかった。また、VEGFR3の発現がRT-PCR及びタンパクレベルで確認されたが、リガンドであるVEGF-C刺激に対するVEGFR3の自己リン酸化及びMAPK (Mitogen Activated Protein Kinase) のリン酸化は確認されなかった。以上の様に、株化に際して、VEGFRの本来の発現と機能が低下していることが示され、株化におけるレセプター発現制御の変化という問題を提起した。

樹立した細胞株のクローンにおいて、リンパ管内皮特異的な転写因子であるProx1の発現がRT-PCRで確認された。また、ヒト繊維芽細胞単層上でのHUVEC (Human Umbilical Vascular Endothelial Cell) との共培養において、HUVECが形成する管腔の近位に樹立した細胞株が極めて多数確認され、樹立した細胞株とHUVECとの間に相互作用があることが確認された。リンパ管内皮細胞に選択的に発現していると言われているVEGFR3が、今回樹立した細胞株において発現していることから、樹立した細胞株は、血管内皮・リンパ管内皮両方の性質を持っている可能性が示唆された。

以上、本論文において、ヒト良性血管腫組織から樹立された新規の内皮様細胞株が、血管内皮細胞の特徴を十分保持すると共に、一部リンパ管内皮細胞の特徴を有し、かつ実用的な増殖能を持つユニークな細胞株であることが示された。本研究は血管新生・リンパ管新生の研究において期待されている内皮様細胞株として有用であると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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