学位論文要旨



No 119270
著者(漢字) 村上,雅人
著者(英字)
著者(カナ) ムラカミ,マサト
標題(和) 炎症性疾患における血管内皮増殖因子受容体1(VEGFR-1/Flt-1)の解析
標題(洋)
報告番号 119270
報告番号 甲19270
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2244号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清木,元治
 東京大学 助教授 仙波,憲太郎
 東京大学 助教授 渡邊,すみ子
 東京大学 助教授 仁木,利郎
 東京大学 助教授 三木,裕明
内容要旨 要旨を表示する

背景

血管内皮増殖因子 (vascular endothelial growth factor, VEGF) は、血管内皮細胞を特異的に増殖させる因子、そして血管の透過性をあげる因子として同定された。その後のノックアウトマウスの解析から、VEGFおよびその受容体であるVEGR受容体1 (VEGFR-1, Flt-1)とVEGF受容体2 (VEGFR-2,KDR/Flk-1)はいずれも胎生期の個体発生において必須であり、血管新生において中心的な役割を果たすことが示唆されている。一方VEGF-VEGFRシステムは正常な血管新生以外にも、リウマチ性関節炎などの炎症、糖尿病性網膜症、固形腫瘍などにみられる病理的血管新生に深く関わっていることが報告されている。VEGFR-2ノックアウトマウスは、卵黄嚢内の血島が形成されず、血管内皮細胞が欠如し、しかも血球成分が低下し胎生8.5〜9.5日で死亡する。これに対してVEGFR-1ノックアウトマウスでは、分化した内皮細胞あるいは血球成分が存在するにもかかわらず、内皮細胞は過増殖し、無秩序な血管形成を示し胎生約8.5日で死亡する。これら両者はVEGFの受容体として働いているにもかかわらず、異なった表現型を示すことは、その役割が異なっていることを示しており非常に興味深い。一方VEGFR-1のチロシンキナーゼドメインを欠失したマウス(VEGFR-1 TK ノックアウトマウス)では、VEGFで刺激した時の単球の遊走能が減弱しているものの、みかけ上正常に発育し、血管系も正常である。このことは、個体発生においてはVEGFR-1のチロシンキナーゼドメインは必須でないことを示しているが、成熟期における病的状態での役割についてはまだほとんど解明されていない。

慢性関節リウマチ (rheumatoid arthritis, RA) は、関節病変を主徴とする多発性、進行性の自己免疫性疾患で、その病因についてはいまだ不明である。慢性の経過を示し寛解と増悪を繰り返すが、進行すると関節の破壊・変形をきたし機能障害をもたらす。RA関節病変は増殖性滑膜炎の像を示す。病変の進行に伴い多数の慢性炎症細胞浸潤とともに滑膜組織が増生、関節腔内に絨毛状に増殖する。炎症細胞や増殖した滑膜組織の産生する種々の炎症性サイトカインにより関節の破壊がもたらされる。増殖した滑膜組織は血管成分に富み、その病変の進行には血管新生が重要な役割を担うと考えられている。

本研究では、病理的血管新生、とくに炎症性疾患である慢性関節リウマチにおけるVEGFR-1の役割を、関節炎モデルマウス、およびVEGFR-1 TKノックアウトマウスをそれぞれ交配し解析した。

関節炎モデルマウス

関節炎モデルマウスは、HTLV-1(Human T-cell Leukemia Virus-1)遺伝子のenv-pX領域を導入したトランスジェニックマウス(pXマウス)を東京大学・医科学研究所 岩倉教授 (Iwakura et al, Science Vol.233 p1026, 1991) より供与を受けた。本マウスはヒトの慢性関節リウマチ(RA)に類似した慢性関節炎を発症し、骨・軟骨の破壊、滑膜の増殖、炎症細胞の浸潤が認められる。関節炎は2ヶ月齢頃より発症し、その発生率はマウス系統によって異なる[3ヶ月齢での発症率:Balb/c(63 %)>C3H/He(25%)>C57BL/6(0%)]。また関節炎で種々の炎症性サイトカインの発現亢進があり、IL-1、IL-6を欠損させると発症が抑制されることが確認されている。

VEGFR-1 TKノックアウトマウス

当研究室で作製されたVEGFR-1 TKノックアウトマウス(VEGFR-1 TK (-/-) マウス)は、みかけ上正常に発育し、血管系も正常であるが、VEGFで刺激した時の単球・マクロファージの遊走能が減弱していることが知られている。また本マウスを用いた研究で、VEGFR-1チロシンキナーゼのシグナルが欠損している場合、腫瘍増殖、および肺転移が低下すること、即ち野生型VEGFR-1キナーゼはこれらを促進することが確認されている。

実験結果

Balb/cコンジェニックマウスの作成

本研究で用いた関節炎モデルマウスは、Balb/c遺伝的背景において優位に発症する。VEGFR-1 TK (-/-)マウスは、遺伝的背景がC57BL/6 : C129=1:1の系であったことから、Balb/cコンジェニックマウスを作成する必要があった。コンジェニックマウスの作成には、作成時間を短縮するためにスピードコンジェニック法を用いた。マウス常染色体に対して20cM毎に遺伝子多型マーカーを計60マーカー作成し、バッククロス毎に遺伝子多型マーカーに対して遺伝的背景をPCR法にて確認後、Balb/c多型により多く置換されたマウスを選択的に次世代のバッククロスに用いた。その結果、4世代目でドナー系統の遺伝子の残存率が3%以下となるコンジェニックマウスを作成することが出来た。Balb/cコンジェニックマウスの作製を確認するために、このマウスとpXマウスと交配し、出生したpXマウスの関節炎発症率を検討し、本来のBalb/c遺伝的背景マウスと同様であることを確認した(図1)。

VEGFR-1チロシンキナーゼシグナルの関節炎発症に関する役割の解析

最初に作製したVEGFR-1 TKヘテロマウス(以下、VEGFR-1 TK(+/-)マウス)(Balb/c遺伝的背景)とpX VEGFR-1 TK (+/-)マウスを交配し、関節炎の発症率を比較した(図1)。pXマウスに比べてpX VEGFR-1 TK(-/-)マウスの関節炎発症率は、解析した2ヶ月齢から6ヶ月齢に渡り顕著に減少した。またpX VEGFR-1 TK (+/-)マウスにおいても初期に発症率の低下が観察された。関節炎重症度においては、pXマウス、pX VEGFR-1 TK (+/-)マウス,VEGFR-1 TK(-/-)マウスの順序で症状の減弱がみられた。次に関節炎組織切片をそれぞれ作製し、滑膜過形成、炎症細胞浸潤、pannus(肉芽)形成、骨破壊を組織学的に検討した。これら全ての項員において、pX VEGFR-1 TK (-/-)マウスは、pXマウスと比較して優位に減少していた。また滑膜組織中にある血管密度も、軽度に減少していることが、統計的有意差は認められなかった。

単球・マクロファージ細胞からのIL-6分泌能の解析

次に、IL-6は関節炎形成に関して重要な役割を担っており、pXマウスでIL-6を欠損させると発症が抑制されるということ、関節炎炎症細胞のひとつである単球・マクロファージがVEGFR-1を発現していることが確認されており、これらの単球・マクロファージがIL-6を分泌するということ、(fmsエンハンサー/プロモーターの下流にtax遺伝子を結合したものを導入したトランスジェニックマウスの場合、2ヶ月齢で関節炎の発症率が100%ときわめて高くなるということ)などから、pX VEGFR-1 TK(-/-)マウスマクロファージのIL-6、ならびにVEGF分泌能を検討した。

野生型マウス、VEGFR-1 TK (-/-)マウス、pXマウス、pX VEGFR-1 TK (-/-)マウスそれぞれに4%チオグリコレートを腹腔内注射3日後に腹腔内マクロファージを回収し、Mac-1抗体ビーズで分離した。その後、VEGF刺激下でIL-6分泌能を検討した。VEGFR-1 TK(-/-)マウスは野生型マウスに比べて、VEGF刺激下でIL-6分泌量、およびVEGF分泌量が優位に低下していた。同様にpX VEGFR-1 TK(-/-)マウスもpXマウスに比べて同様に低下していた。

考察

本研究において、スピードコンジェニック法を用いてコンジェニックマウス作製に成功した。その結果得られたマウスより、VEGFR-1チロシンキナーゼシグナルは容量依存的に関節炎の発症に強く関与していると確認された。またVEGFR-1チロシンキナーゼドメインを欠損したマクロファージは、野生型のそれに比較してIL-6分泌能、VEGF分泌能が共に低下しており、これらの分泌にVEGFR-1が関与していると推測された。またこれら、およびマクロファージの遊走の低下が、関節炎症状軽減の主な原因であったことが考えられる。以上より、疾患モデルマウスのレベルではVEGFR-1のシグナルをブロックすることが関節炎の治療に有効であるという知見が本研究によって明らかにされた。今後、これらをブロックする治療実験についての解析を進める予定である。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は関節炎において重要な役割を演じるといわれている血管新生、血管新生因子受容体1 (VEGFR-1/Flt-1) の役割を明らかにするため、関節炎モデルマウス(pXトランスジェニックマウス,pXマウス)とVEGFR1チロシンキナーゼ欠損マウス(VEGFR-1 TK(-/-)マウス)を用いて解析し、以下の結果を得ている。

スピードコンジェニック法の有用性

本研究において、関節炎モデルマウスは遺伝的背景によって発症率が異なることから、VEGFR-1 TK(-/-)マウスコンジェニック系統の作製を要した。古典的コンジェニック法では、目的とする系統のマウスに何世代にも渡って戻し交配を行わなければならなが、遺伝子多型マーカーのタイピングを用いるスピードコンジェニック法により、大幅に目的となるコンジェニックマウス作製時間を短縮することが示された。実際にPCR法による遺伝子多型マーカータイピングにより第4世代でドナー系統アレルが1.7%まで低下した個体が得られ、その個体を用いた関節炎発症率の比較は本来のpXマウスと同等であったことよりコンジェニック系統作成を確認している。これらの結果からコンジェニックマウス作成においてスピードコンジェニック法が有用であることが示された。

関節炎におけるVEGFR-1チロシンキナーゼの役割

pX関節炎マウスとVEGFR-1 TKノックアウトマウスを交配し、炎症性疾患である関節炎においてVEGFR-1チロシンキナーゼシグナルの重要性を確認している。VEGFR-1チロシンキナーゼシグナルを欠損させると、関節炎の発症、重症度において症状が容量依存的に減弱している。また病理学的検討においても、VEGFR-1チロシンキナーゼシグナルを欠損させると滑膜過形成、炎症細胞浸潤、pannus(肉芽)形成、骨・軟骨破の減弱が確認された。以上より、関節炎においてVEGFR-1チロシンキナーゼシグナルは、容量依存的に症状を促進させる働きがあることが示された。

単球・マクロファージのサイトカイン分泌能

VEGFは血管新生作用・血管透過性亢進作用とともに単球走化性作用を有し、単球・マクロファージから産生されるサイトカインが、さらに病状を悪化させると考えられている。そこで単球・マクロファージからのサイトカイン分泌能を検討している。マクロファージからのIL-6分泌は、VEGF-A刺激に反応して分泌され、IL-6の分泌は部分的にVEGF-A-VEGFR-1シグナルに依存していることが示された。さらにVEGFR-1チロシンキナーゼドメインを欠損したVEGFR-1 TK(-/-)、pX VEGFR-1 TK(-/-)マクロファージは、野生型マウス、ならびにpXマウスのマクロファージに比較してIL-6分泌が低下する。以上よりVEGFR-1チロシンキナーゼドメイン欠損マクロファージは、VEGF-A刺激に対するIL-6分泌能そのものが低下していることが示された。同様にVEGF-A分泌能を検討している。VEGF-Aは非刺激下においても分泌がみられたもののVEGF-A刺激でさらに分泌量が増し、それらはIL-6と同様にVEGFR-1チロシンキナーゼ欠損マクロファージで分泌能の低下がみられている。またTNF-alphaもVEGF-A刺激に反応して分泌されたがVEGFR-1チロシンキナーゼの有無による分泌量の差異は認められなかった。これらよりIL-6,VEGF-A,TNF-alphaの分泌は炎症細胞である単球・マクロファージより分泌されるVEGF-Aが密接に関与し、それらがさらに各サイトカインの分泌を促進していることが示された。

関節炎におけるマクロファージの役割

VEGFR-1チロシンキナーゼドメインを欠失したマウスにおける関節炎症状軽減の原因は、(1)関節局所への単球・マクロファージの遊走が減少し、関節での炎症反応全体を低下させたこと、(2)さらに単球・マクロファージ自身のIL-6、VEGF分泌が低下していたこと、これらふたつが主なものであることが示された。

以上、本論文では関節炎モデルマウス(pXマウス)とVEGFR1チロシンキナーゼ欠損マウス(VEGFR-1 TK(-/-)マウス)を用いて、関節炎におけるVEGFR-1チロシンキナーゼシグナルの重要性が示された。本研究により得られた成果は関節炎と血管新生についての理解を深めるものであり、将来的に臨床応用できることを強く示唆している。これらの成果は学位の授与に値するものと考えられる。

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