学位論文要旨



No 119272
著者(漢字) 平野,稚子
著者(英字)
著者(カナ) ヒラノ,ワカコ
標題(和) 膜型マトリックスメタロプロテアーゼ1(MT1-MMP)の細胞内領域に結合するタンパク質MTCBP-1のaci-reductone dioxygenase (ARD) ホモログとしての同定と機能の解析
標題(洋)
報告番号 119272
報告番号 甲19272
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2246号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井上,純一郎
 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 教授 渋谷,正史
 東京大学 助教授 大海,忍
 東京大学 助教授 仙波,憲太郎
内容要旨 要旨を表示する

[背景]

マトリックスメタロプロテアーゼ(matrix metalloproteinases, MMPs)は細胞外基質(extracellular matrix, ECM)を分解する金属要求性タンパク質分解酵素であり、分泌型MMPと膜型MMP (membrane-type MMP, MT-MMP)に分類される。分泌型MMPは細胞外に分泌され、組織内の比較的広範囲において作用する一方、細胞膜上に発現するMT-MMPは細胞周辺のECMを分解することで発現細胞の微小環境を調節すると考えられている。MT-MMPは現在までに6種類が同定され、特にMT1-MMPは腫瘍細胞の悪性化に伴いその発現が亢進する例が多く報告されていることから、癌細胞の浸潤や転移に重要な役割を果たしていると考えられている。MT1-MMPを含む4つのMT-MMPは細胞外領域と膜貫通領域に加え、20アミノ酸からなる細胞質領域を持つ。細胞質領域は他のMMPには存在しないため、これらのMT-MMP特異的な制御を仲介する可能性が考えられる。当研究室ではMT1-MMPの細胞質領域に結合する因子の探索を行い、新規因子MT1-MMP cytoplasmic tail binding protein-1 (MTCBP-1) を同定した。MTCBP-1は推定179アミノ酸からなる機能未知のタンパク質であり、これまでに当研究室においてMT1-MMPの細胞質領域に直接結合し、細胞内でも複合体を形成することが示されている。またMTCBP-1の過剰発現がMT1-MMP依存的な細胞の運動や浸潤を抑制したが、現在その作用機序は不明である。

一方MTCBP-1はグラム陰性菌Klebsiella pneumoniaeにおいてメチオニン代謝系のMTA経路で働くaci-reductone dioxygenase (ARD)とアミノ酸配列において高い相同性を示した。メチオニン代謝過程の中間代謝物であるメチルチオアデノシン(MTA)の蓄積はメチル基転移反応などを阻害するため、細胞内のMTAは速やかに代謝され最終的にメチオニンに再生される。この経路をメチオニン再生経路と呼び、細菌からヒトまで存在することが知られている。また、ARDは最近新たに分類されたcupinスーパーファミリーに属している。このファミリーは立体構造の相同性をもとにグループ化されており、そのメンバーはcupinドメインが形成する2つのβ鎖(βstrand)が折りたたまれたコンパクトな、たる (cupin) 状の立体構造を持っている。しかし、構造は類似ながらもメンバーには酵素・非酵素タンパク質両方が含まれ、その生化学的機能も多種多様である。MTCBP-1にもcupinドメインが認められ、ドメイン内に保存されている金属イオン結合モチーフも完全に一致するため、cupinファミリーに属すると考えられる。よって、MTCBP-1はARDホモログである可能性が予測されるが、多様な機能因子を含むファミリーであることから、アミノ酸配列の相同性だけではARDホモログと断定できず、またMTCBP-1がメチオニン再生経路で機能する因子であるかも不明である。実際、酵母2ハイブリッドシステムによる網羅的タンパク質間相互作用データベースではMTCBP-1の出芽酵母ホモログをコードすると思われる遺伝子 (YMR009w) との結合因子としてpre-mRNAスプライシング調節因子SNP1が報告されていることから、MTCBP-1が核内でスプライシング機構に関連した何らかの役割を果たしていることも予想される。さらにヒトでは、作用機序は現在のところ不明であるが、MTCBP-1の1-63アミノ酸が欠失した遺伝子産物がC型肝炎ウィルス (HCV) の複製を促進する因子SipLとしても同定されている。以上の知見から、MTCBP-1が様々な機能を持ち、それらを異なる細胞内領域で発揮している事が推察された。

本研究では未だ機能未知であるMTCBP-1が多機能性因子である可能性に着目し、これまでに予想された機能に関し、出芽酵母を用いて検討することを計画した。

[方法と結果]

本研究では遺伝子欠損株の作製が容易に可能な出芽酵母実験系を用いてMTCBP-1の生理機能を検討した。MTCBP-1の出芽酵母ホモログと考えられるYMR009wの遺伝子ターゲッティングコンストラクトをPCR法により作製して酵母細胞に導入し、遺伝子相同組み換えによってYMR009w欠損株を得た。YMR009w欠損株は栄養に富んだ通常の培養条件では野生型と比べ顕著な表現型が見られなかったが、メチオニンの供給がメチオニン再生経路依存的な培養条件下では増殖不全を示した。この欠損株にYMR009w及びMTCBP-1のcDNAを導入すると増殖不全が回復した。またYMR009w遺伝子産物 (Ymr009p) の触媒部位を形成すると推定されるグルタミン酸をアラニンに置換した変異体はYMR009w欠損株の増殖不全を回復できなかった。

MTCBP-1及びYmr009pはARD活性を持つ他に、N末端側のアミノ酸配列に依存して細胞内での局在が制御されている可能性が考えられた。Ymr009pのアミノ酸1-85番目部分の連続欠損変異体を作製、YMR009w欠損株に導入し、この可能性を検証した。細胞分画を行い、各Ymr009p変異体の細胞内局在を検討した。野生型、及びN-末端から20残基まで欠損させた変異体は細胞質画分と粗核画分の両方に検出されたが、30残基以上欠損させた変異体は粗核画分のみに検出された。次にこの局在がYMR009w欠損株の表現型相補に影響をあたえるかどうかを検討した。メチオニン再生経路依存的な環境下においてN-末端から20残基欠損した変異体は野生型と同程度の回復活性を示したが、30残基以上欠損した変異体ではYMR009w欠損株の増殖不全を回復させることが出来なかった。Ito、Fromont-Racine らが酵母2-ハイブリッドシステムを用いて行った、出芽酵母のタンパク質間相互作用を網羅的に同定する試みの中でYmr009pに親和性を示した因子が4つ同定されていた。その内3つは機能未知の因子であり、1つはpre-mRNAスプライシングの調節因子SNP1であった。Snp1タンパク質 (Snp1p) との関係を検討した結果、Ymr009pとSnp1pは酵母2-ハイブリッドアッセイにおいて結合が再現され、さらにSnp1pの欠失変異体を用いた解析からYmr009pはSnp1pのRNA認識領域より上流のN-末端側領域で必要かつ十分に結合することが明らかになった。

[結論]

MTCBP-1はMT1-MMPの細胞内領域結合因子として見出された。多細胞においてはMT1-MMPと結合して細胞膜周辺に存在し、細胞運動に関わることが示唆されている一方で、細胞質や核にも局在することが示されている。本研究によって、真核生物単細胞の出芽酵母ではMTCBP-1ホモログであるYMR009wがARDホモログ(yARD)として酵母のMTA経路で機能していることが明らかとなった。さらにMTCBP-1もyArdタンパク質 (yArdp) と同等の活性を持つヒトARDであることが示された。また出芽酵母の系ではyArdpを細胞質-核間で相互輸送させるような制御の存在が予想された。yArdpはpre-mRNAスプライシング調節因子SNP1のN末端側領域で結合することが示され、核における役割りとしてmRNAスプライシング機構に関与する可能性が示唆された。

ARDは原核生物ではメチオニン代謝酵素として報告されているが、類似の立体構造によって多様な機能を担いうるcupinファミリーのメンバーでもある。本研究の結果から、MTCBP-1、及び出芽酵母ホモログYMR009wはARD活性を持つことが明らかとなると共に、これらが原核生物から真核、多細胞生物への進化の過程で多様な機能を獲得し、それらを異なる細胞内区画で発揮する因子である可能性が示唆された。また、これまで真核生物ホモログのARD活性が示された報告はなく、本研究の結果はYMR009w及びMTCBP-1が真核生物ARDであることを初めて報告するものである。

審査要旨 要旨を表示する

膜型マトリックスメタロプロテアーゼ1 (MT1-MMP) の細胞内領域に結合する新規因子MTCBP-1は、原核生物のメチオニン再生経路の酵素 aciredoctone oxygenase (ARD) と相同性を持つことから、この分子は進化上MT1-MMPに対する機能制御因子としての役割を獲得する以前の機能を持つことが考えられた。本研究は新規因子MTCBP-1の機能解析を出芽酵母を用いて試みたものであり、下記の結果を得ている。

出芽酵母ゲノムより、MTCBP-1出芽酵母ホモログYMR009wを同定した。ゲノム中には他に類似の遺伝子は存在しなかった。相同組み換えを用いてYMR009w遺伝子欠損株 (ymr009Δ) を作製した。メチオニン再生経路依存的な培養条件を設定してymr009Δの増殖を検討したところ、ymr009Δは増殖不全の表現型を示し、YMR009wがメチオニン再生経路で機能することが示唆された。

ymr009Δの増殖不全はYMR009wの導入により回復したが、ARDの活性中心を形成するグルタミン酸に相当するYMR009wタンパク質 (Ymr009p) のグルタミン酸 (91Glu) のアラニン置換変異体は増殖不全を回復出来なかったことから、ymr009Δ株の表現型の相補にはYmr009pのARDとしての活性が必要である事が示された。

ymr009Δの増殖不全はMTCBP-1の導入によっても回復がみられたことからMTCBP-1もYMR009wと同様の活性を持つことが示唆された。ARDの立体構造を基にMTCBP-1の立体構造をモデリングした結果、ともにARDと全体の構造がかなり類似しており、特にARDの活性中心が含まれる cupin ドメイン部分の構造はアミノ酸配列の相同性から予想される以上の近似を示した。以上の結果からYMR009w、MTCBP-1はそれぞれ出芽酵母、ヒトのARDホモログであると結論し、YMR009wを出芽酵母ARD (yARD) と命名した。

ARDとしての酵素活性を担うと考えられるyARDのcupinドメインよりN-末端側の連続欠損変異体をyardΔへ導入し、細胞分画を行ったところ、N-末端側から21から30残基の領域がyARDタンパク質細胞質へ局在させるために重要であることが示唆された。この領域を持たないyArd変異体はyARD遺伝子欠損の表現型を相補しなかったことから、yArdの機能発揮には細胞内での局在が重要である可能性が示唆された。yArdはpre-mRNAスプライシング調節因子SNP1との結合が示唆されており、本研究において実際に検討したところ両者の結合が確認され、またSNP1の機能に必要であると報告されている領域と結合したことから、yARDはメチオニン再生経路の酵素であるだけでなく、pre-mRNAのスプライシングにも関与する、多機能性因子である可能性が考えられた。

以上、本論文は出芽酵母を用いてヒト新規因子MTCBP-1、及び出芽酵母ホモログYMR009wがメチオニン再生経路において機能する酵素ARDの相同遺伝子であることを明らかにし、この分子が細胞内局在制御を受けている可能性を示唆した。ヒトMTCBP-1はMT1-MMPの機能制御に関与する可能性があること、酵母ARDはSNPと相互作用し、pre-mRNAスプライシングに関与する可能性があることから、ARDタンパク質は進化の過程で複数の機能を獲得してきた可能性が示唆された。本研究はこれまで機能未知であったYMR009w及びMTCBP-1が真核生物ARDであることを初めて報告するものである。また、これまで殆ど情報のなかったMTCBP-1の機能について先駆的な知見をもたらしたと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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