学位論文要旨



No 119285
著者(漢字) 尹,洪蘭
著者(英字) YIN,HONG LAN
著者(カナ) イン,フンラン
標題(和) 哺乳類及びニワトリ培養細胞における温熱、放射線併用効果の分子メカニズムに関する研究
標題(洋)
報告番号 119285
報告番号 甲19285
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2259号
研究科 医学系研究科
専攻 生体物理医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井街,宏
 東京大学 教授 名川,弘一
 東京大学 助教授 中川,恵一
 東京大学 助教授 小野木,雄三
 東京大学 講師 柴田,政廣
内容要旨 要旨を表示する

背景と目的

温熱は古くからしばしば放射線との組み合わせで癌治療に用いられてきた。温熱と放射線を組み合わせる生物学的根拠としては、放射線感受性が低いS期細胞や低酸素性細胞が温熱処理に対し高感受性であることと、温熱が放射線によって生じたDNA傷害の修復を抑制することが挙げられるが、分子メカニズムは明らかになっていない。放射線によって生じる様々なDNA傷害の中でも、DNA二重鎖切断は最も致命的なものと考えられている。近年の研究から、哺乳類を含む高等真核細胞においては、DNA二重鎖切断は主に2つの経路で修復されると考えられている。1つはKu70、Ku86とDNA-PKcsから成るDNA-PK複合体と、XRCC4-DNA ligaseIV複合体などが関わる非相同末端再結合経路(NHEJ)であり、もう一方はRad51/Rad52複合体、Rad50/Mre11/Nbs1複合体などが関わる相同組み換え経路(HR)である。

本研究室では数年前に、ヒト白血病細胞MOLT-4から精製したDNA-PKが温熱処理によって活性を著しく失うこと、DNA-PKcsではなくKuが温熱不安定性の原因であることを見出し、温熱による放射線増感のメカニズムの1つの仮説として提示した。この仮説に関係して、いくつかのグループがKu86あるいはDNA-PKcsを欠損する細胞で温熱による放射線増感が見られるかどうか検討しているが、結論は一致していない。

本研究では温熱による放射線増感作用のメカニズムを探ることを目的とし、Ku及び他のDNA修復関連分子を欠損する哺乳類、ニワトリ細胞を用いて検討を行った。

また、DNA-PKcsやKu86欠損細胞が温熱感受性であること、一方、XRCC4欠損細胞が若干温熱抵抗性であることなど、NHEJが温熱単独の感受性に関与することを示唆する報告もある。そこで、本研究ではこれらの細胞の温熱単独処理に対する感受性もあわせて検討した。

材料と方法

本研究で用いた細胞を以下に示す。

・チャイニーズハムスター卵巣細胞CHO-K1、及びそれに由来するKu86欠損細胞xrs5

・チャイニーズハムスター肺繊維芽細胞V79、及びそれに由来するKu86欠損細胞XR-V15B

・マウス白血病細胞L5178Y由来のXRCC4欠損細胞M10にコントロールベクターあるいは正常ヒトXRCC4 cDNAを導入した細胞(それぞれM10+Vector、M10+wtXRCC4)

・ニワトリBリンパ球細胞DT40及びそのKU70、DNA-PKcs、RAD54破壊株とKU70とRAD54二重破壊株(それぞれKU70-/-、DNA-PKcs-/-/-、RAD54-/-、KU70-/-/RAD54-/-細胞)

温熱処理は44.0〜48.0℃に設定した電子制御恒温水槽(精度±0.05℃以内)中に培養フラスコを沈めることにより行い、X線照射は、Shimadzu-Pantak社製X線発生装置HF-350(通常出力200kV-20mA、1.4〜2Gy/min)を用いて行った。

細胞生存率はコロニー形成法により求めた。付着細胞はプラスチック製培養皿上に、浮遊細胞はアガロース中にコロニーを形成させた。細胞の生存曲線はLQモデル式SF=exp(-αD-βD2)にあてはめ、10%生存率を与える線量D10を求めた。TER(thermal enhancement ratio)は温熱処理していない細胞のD10を温熱処理した細胞のD10で割ることによって求めた。

DNA-PKの活性はDNA-pull-down法によって測定した。

結果と考察

NHEJ欠損細胞の温熱感受性と温熱による放射線増感

xrs5細胞の温熱感受性はコントロールのCHO-K1細胞に比べほとんど変わらなかったが、XR-V15B細胞はコントロールのV79細胞に比べて若干温熱感受性を示した。また、xrs5細胞ではCHO-K1細胞に比べTER値が小さい傾向が見られたが、XR-V15B細胞ではV79細胞とほとんど違いが見られなかった。M10+Vector細胞はM10+wtXRCC4細胞に比べ、わずかながら温熱抵抗性を示した。TER値は両細胞の間でほぼ同じであった。以上の結果から、温熱による放射線増感作用は少なくともNHEJの阻害だけては説明できず、HR、あるいは他のメカニズムが関与する可能性があると考えられる。

DT40とその修復欠損細胞の温熱感受性と温熱による放射線増感

ニワトリBリンパ球DT40細胞からは、二つのDNA二重鎖切断修復経路の種々の遺伝子の欠損細胞が作製されており、温熱の放射線増感効果のメカニズム研究に有用な材料であると考えた。まず、DT40及び変異株の温熱単独処理に対する感受性を調べたところ、DT40は哺乳類細胞に比べて著しく温熱抵抗性であることが分かった。また、KU70-/-とDNA-PKcs-/-/-は野生型DT40とほぼ同等の温熱感受性を示した。RAD54-/-は若干温熱感受性を示したが、KU70-/-/RAD54-/-細胞の感受性は野生型とほとんど変わらなかったため、HRが温熱感受性に重要な役割を果たすかどうかについては、今後の更なる検討が必要である。

次に野生型細胞を46℃温熱処理した後、DNA-PK活性と放射線感受性を調べた。DT40細胞においても温熱処理によるDNA-PK活性の低下は見られたが、その程度は小さく、また、放射線増感の程度とも一致しなかった。さらに、温熱による放射線増感がKU70-/-及びDNA-PKcs-/-/-細胞でも見られた。これらのことから、DT40においてDNA-PKの活性低下は温熱による放射線増感の主因ではないと考えられた。

KU70-/-及びDNA-PKcs-/-/-細胞の放射線に対する生存率曲線は2相性を示した。70〜80%を占める放射線感受性の画分はG1期およびS期初期の細胞で、残りの放射線抵抗性の画分はS期後期からG2期の細胞と考えられている。これは、G1期及びS期初期の細胞に生じたDNA二重鎖切断はNHEJで修復しなければならないが、S期後期からG2期の細胞に生じた切断はHRによって修復可能であるためと説明されている。KU70-/-及びDNA-PKcs-/-/-細胞の温熱処理後の放射線感受性を詳細に解析すると、放射線感受性画分の感受性はほとんどあるいは全く変化せず、放射線抵抗性画分の感受性のみが顕著に促進されていることが分かった。この結果から、温熱がS期後期からG2期におけるHR経路を介したDNA二重鎖切断の修復を抑制している可能性が考えられた。

温熱による放射線増感はHRに欠陥を持つRAD54-/-及びKU70-/-/RAD54-/-細胞でも見られた。この結果から温熱による放射線増感はHRとNHEJによるものだけでないという解釈も可能であるが、これらの細胞ではHRが完全に欠損してはいないことを示す状況証拠もある。また、上述のようにKU70-/-やDNA-PKcs-/-/-細胞のG1期からS期初期の集団の放射線感受性は温熱処理しても変化しなかったという結果は、NHEJもHRもできない状況では温熱による放射線増感が起こらない可能性を示している。従って、これらの細胞で見られた温熱による放射線増感はRAD54非存在下で残存するHR活性の阻害によるもので、温熱はRAD54以外のHR分子の機能を阻害しているのであろうという解釈が現時点では最も妥当と考えられた。

まとめと今後の展望

本研究では、温熱と放射線の併用効果の分子メカニズムを明らかにするために、DNA-PKcs、KuをはじめとするDNA二重鎖切断修復関連分子を欠損する哺乳類及びニワトリ由来培養細胞を用いた検討を行った。

温熱による放射線増感においてDNA-PK、Kuの失活が主要な役割を担うことを示す結果は得られなかった。しかし、DT40のKU70-/-及びDNA-PKcs-/-/-細胞のG1期からS期初期の集団では温熱による放射線増感がほとんど見られないという結果からは、HRを行うことができないこの時期においてNHEJが温熱による放射線増感作用の担い手となっている可能性も考えられる。今後、細胞周期の同調を行い、野生型細胞がこの時期において増感されるかどうか調べることにより、この点を明らかにできると思われる。

また、これらのNHEJ欠損細胞の感受性解析から、もう一方のHRによるDNA二重鎖切断修復が抑制されていることを示唆する結果が得られた。このメカニズムは現時点では明らかでないが、DT40からは多くのHR関連遺伝子の変異株が作製されており、この問題の解明に有用なツールとなることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、癌治療に用いられる放射線と温熱の併用効果の分子メカニズムに関するものである。放射線照射で生じる種々のDNA損傷の修復が、温熱処理によって阻害されるという報告が以前から多数なされているが、分子レベルでのメカニズムは明らかになっていない。DNA二重鎖切断は放射線によって生じるDNA損傷の中で最も深く細胞の生死に関わると考えられている。近年、真核細胞においてDNA二重鎖切断は、主として2つの機構、即ち非相同末端再結合(NHEJ)経路、相同組換え(HR)経路によって修復されること、また、それぞれの機構の中心となる分子群が次第に明らかになっている。本研究は、NHEJ、HRあるいはその両方を欠損する哺乳類およびトリ培養細胞を用いて、温熱による放射線増感のメカニズム、特にこれら2つの主要なDNA二重鎖切断修復機構との関係を明らかにすることを試みたものであり、下記の結果を得ている。

チャイニーズハムスターCHO-K1とV79を44℃で20,40,60分処理した後、DNA-pull-down法によりDNA-PK活性を測定し、また、コロニー形成法により放射線感受性を調べた。DNA-PK活性は20分ではほとんど変化せず、40、60分処理で徐々に低下したのに対し、放射線増感は20分処理の場合にも認められた。また、これらの細胞に由来し、Kuタンパク質の86kDaサブユニット(Ku86)を欠損する変異株xrs5およびXR-V15Bにおいても、温熱による放射線増感は認められた。その程度についても、xrs5では親株CHO-K1に比べて若干小さい傾向が見られたものの、XR-V15Bにおいては特にそのような傾向は認められなかった。これらの結果から、温熱による放射線増感は少なくともKuの温熱感受性だけでは説明できないと結論された。

更に、DNA ligase IVと複合体を形成し、NHEJ経路の最終段階、即ちDNA鎖の結合反応に関わると考えられるXRCC4を欠損するマウスM10細胞でも、そこにXRCC4 cDNAを導入した細胞と同等の温熱による放射線増感が見られた。これらの結果から、少なくともNHEJに対する影響だけでは温熱による放射線増感を説明することはできないと結論された。

ニワトリDT40細胞およびそれに由来するNHEJ、HR、あるいは両方の欠損細胞、計5種類の細胞を用いて検討を行った。温熱単独処置に対する感受性の基礎的検討から、DT40細胞は哺乳類細胞に比べて著しく温熱抵抗性であることが分かったため、46℃、20、40分処置後のDNA-PK活性と放射線感受性を調べた。哺乳類細胞の場合と同様に、温熱処理後のDNA-PK活性の低下が認められたが、その程度は小さく、また、放射線感受性の変化とも一致しなかった。

温熱による放射線増感は、全ての細胞で認められた。また、NHEJとHR両方を欠損する細胞においても増感の程度は20分処理後で正常細胞と同等、40分処理後ではむしろ大きかった。このことから、NHEJに加えて、HR、更にはNHEJとHR両方に対する作用を考えても、それだけでは温熱による放射線増感を説明することはできないと結論された。

以上、本研究は、温熱による放射線増感の機構として、少なくともこれまでに考えられていたNHEJあるいはHR阻害だけでは説明不可能で、それ以外の要因があることを明確に示した点に大きな意義がある。本研究は、これまで未知の部分が多かった温熱による放射線増感効果の分子メカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものであると考えられる。

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