学位論文要旨



No 119287
著者(漢字) 池田(荻上),真理
著者(英字)
著者(カナ) イケダ(オギウエ),マリ
標題(和) 経頭蓋的磁気刺激のラット海馬に及ぼす影響に関する研究
標題(洋) The effects of transcranial magnetic stimulation on the rat hippocampus
報告番号 119287
報告番号 甲19287
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2261号
研究科 医学系研究科
専攻 生体物理医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 教授 江藤,文夫
 東京大学 教授 井街,宏
 東京大学 教授 名川,弘一
 東京大学 助教授 森田,明夫
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

経頭蓋的磁気刺激(Transcranial magnetic stimulation,TMS)は、非侵襲的で痛みを伴わない新しい脳神経疾患治療法として研究されている。最近では,高頻度磁気刺激(repetitive TMS,rTMS)による遺伝子発現の研究や各種神経系疾患・精神疾患の診断や治療を目的とした研究も進められている。しかしながら、磁気刺激の脳への作用メカニズムはいまだに解明されておらず、安全性についても十分に検討されていない。そこで本研究では、磁気刺激の有効性・安全性について検討するために、以下の2点について実験を行った。

海馬におけるシナプス伝達長期増強現象(Long-term potentiation,LTP)は、学習・記憶のメカニズムと深い関わりを持っている。そこで、様々な強度の磁気刺激がLTPに及ぼす影響を電気生理学的に検証した。また、シナプス伝達に深く関わっているとされているダリア細胞の一種アストロサイトの活性、および神経栄養因子の一種である脳由来神経栄養因子(BDNF)の発現の変化を、免疫組織染色法によって検証した。

海馬は虚血に対して脆弱であり、数分間の一過性脳虚血に対しても遅発性神経細胞死を引き起こす。そこで本研究では、磁気刺激による脳虚血耐性獲得について検証し、脳虚血治療法としての磁気刺激の有効性について検討した。

海馬における長期増強現象(LTP)に対する磁気刺激の影響

実験法

実験には、ウィスターラット(4週齢、オス)を使用した。4種類の刺激強度(0.50T,0.75T,1.00T,1.25T)を用い、25pulses/sec、1000pulses/dayで7日間(計7000pulses)磁気刺激を施した。磁気刺激のMotor thresholdは約0.93Tであった。Sham群は、磁気刺激以外の条件をすべて同じとした。最後の刺激から約15時間後にラットを断頭して海馬を取り出し、400μmのスライスを作成した。スライスを常温で1時間以上回復させた後、刺激用の灌流チャンバーに移し、CA1領域のシャッファー側枝に刺激電極を挿し、錐体細胞樹状突起に記録電極を挿した。20秒おきに刺激を入力し、細胞外シナプス後電位(fEPSP)を得た。fEPSPが20分以上安定したところでテタヌス刺激(100Hz,1秒間)を入力し、LTPを誘導した。テタヌス刺激後は60分間計測し、安定したfEPSPの増強が見られた場合にLHPとみなした。

組織染色に関しては、最後の刺激から約15時間後に、ラットを10%ホルマリンにて灌流固定し、全脳を取り出してパラフィン包埋した。海馬の横断面を含む位置で10μm厚のスライスを作成した。神経細胞の形態的変化を検証するためにニッスル染色を行い、さらにアストロサイトの主要骨格タンパクであるGFAP(glial fibrillary acidic protein)とBDNFの免疫組織染色を行った。

結果および考察

磁気刺激強度が0.50Tおよび1.00Tの場合は、LTPに変化は生じなかった。一方、0.75Tでは磁気刺激群のLTPがSham群に比べて有意に増強した(図1左)。つまり、0.75Tの磁気刺激では海馬の機能を活性化する作用があると考えられる。逆に1.25Tの磁気刺激では、磁気刺激群のLTPはSham群に比べて有意に抑制された(図1右)。1.25Tの磁気刺激は、Motor thresholdを超える強い刺激であるため、ストレスによって海馬の機能が低下したと考えられる。以上のことから、磁気刺激がラット海馬におけるLTPに及ぼす影響は、刺激強度に依存していると考えられる。

また、神経細胞の形態、アストロサイトの活性、およびBDNFの発現に関しては、いずれの磁気刺激強度においても変化が見られなかった。したがって、磁気刺激によるLTPの変化は、アストロサイトとBDNF以外の別のメカニズムによって引き起こされていると考えられる。

磁気刺激による脳虚血耐性の獲得

実験法

(1)の実験結果より、0.75Tの磁気刺激が海馬の機能活性に有効であると結論した。そこで脳虚血耐性の獲得に関する実験においては、0.75Tの刺激強度を用いた。実験には、ウィスターラット(4週齢、オス)を使用した。25pulses/sec、1000pulses/dayで7日間(計7000pulses)磁気刺激を施した。最後の刺激から約15時間後にラットを断頭して海馬を取り出し、400μmのスライスを作成した。スライスを常温で1時間以上回復させた後、刺激用の灌流チャンバーに移し、CA1領域のシャッファー側枝に刺激電極を挿し、錐体細胞樹状突起に記録電極を挿した。20秒おきに刺激を入力し、fEPSPを得た。fEPSPが20分以上安定したところで、灌流液を虚血負荷用灌流液(無酸素・無グルコース)に切り換え、様々な時間の虚血負荷(5,10,20,30,40,50min、長時間(>50min))をかけた。虚血負荷後(5,10,20,30,40,50min)は、通常の灌流液で再灌流した。再潅流後にfEPSPが回復しなかった場合は、計測を終了した。再潅流後にfEPSPが回復した場合にのみ、テタヌス刺激(100Hz,1秒間)を入力し、LTPを誘導した。テタヌス刺激後60分間計測を続け、安定したfEPSPの増強が見られた場合にLTPとみなした。

結果および考察

長時間の虚血負荷をかけた場合に、海馬スライスは虚血によるネクローシスを起こし、やがてfEPSPが得られなくなった。しかし、磁気刺激群の海馬スライスでは、fEPSPが得られなくなるまでの時間がSham群に比べて有意に延長した。つまり磁気刺激によって虚血性ネクローシスの誘導が遅延したと考えられる。また、短時間の虚血負荷では、再灌流後にfEPSPが回復したが、虚血負荷時間が長くなるにつれて、回復率は徐々に下がっていった(表1)。しかし磁気刺激群では、虚血後のfEPSP回復率がSham群に比べて高かった(表1)。また虚血負荷後のLTPは、両群とも虚血負荷なしの場合に比べて抑制されていたが、磁気刺激群がSham群に比べて有意に回復していた。特に10分間虚血においては、磁気刺激群とSham群でfEPSPの回復率に差が見られなかったにもかかわらず、LTPでは磁気刺激群が優位に回復していた(表1、図2)。以上のことから、0.75Tの磁気刺激によって、ラット海馬において虚血耐性が獲得された可能性があると考えられる。

まとめ

磁気刺激が海馬の機能に及ぼす影響は、その刺激強度に依存している。

適切な強度の磁気刺激を用いることにより、海馬において虚血耐性が獲得される可能性がある。

(左)0.75T磁気刺激におけるLTP。(右)1.25T磁気刺激におけるLTP。●:磁気刺激群、○:sham群。0.75Tの磁気刺激では、LTPが有意に増強されたが、1.25Tの磁気刺激では有意に抑制された。

虚血負荷後の回復率(%)

10分虚血後のLTP。●:虚血負荷なし・磁気刺激群、○虚血負荷なし・sham群、▲:10分虚血・磁気刺激群、△:10分虚血・sham群。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、様々な強度の経頭蓋的磁気刺激がラット海馬に及ぼす影響を検証し、さらに磁気刺激によるラット海馬における虚血耐性獲得の可能性を示すことを目的として行われたものであり、以下の結果を得ている。

MRI画像を用いてラット頭部をモデル化し、磁気刺激によってラットの脳内に誘導される渦電流密度を計算した。その結果、磁気刺激の強度が0.50T,0.75T,1.00T,1.25Tの場合には、脳内に誘導される最大渦電流密度は、それぞれ6,9,12,15A/m2であることがわかった。また磁気刺激のMotor thresholdを計測したところ、約0.93Tであった。

ラットに、4種類の刺激強度(0.50T,0.75T,1.00T,1.25T)で、25pulses/sec、1000pulses/dayで7日間(計7000pulses)磁気刺激を施した。最後の磁気刺激から約15時間後に海馬における長期増強現象(LTP)をin vitroで計測したところ、刺激強度が0.50Tと1.00Tの場合には、LTPに変化は生じなかった。一方、0.75Tでは磁気刺激群のLTPが有意に増強し、逆に1.25Tでは有意に抑制された。従って、磁気刺激が海馬おけるLTPに及ぼす影響は刺激強度に依存しており、0.75Tの磁気刺激によって海馬の機能が活性化されることが明らかになった。

ラットに、4種類の刺激強度(0.50T,0.75T,1.00T,1.25T)で、25pulses/sec、1000pulses/dayで7日間(計7000pulses)磁気刺激を施した。最後の磁気刺激から約15時間後に、海馬における神経細胞の形態学的変化、アストロサイトの活性変化、および脳由来神経栄養因子(BDNF)の発現変化を組織学的に検証した。その結果、どの刺激強度条件においても変化は見られなかった。従って、アストロサイトやBDNFは、磁気刺激によるLTPの変化には関与していないということが明らかになった。

ラットに、0.75T、25pulses/sec、1000pulses/dayで7日間(計7000pulses)磁気刺激を施した。最後の磁気刺激から約15時間後にin vitroで海馬スライスに様々な時間(5,10,20,30,40,50min、長時間(>50min))の虚血負荷をかけた。その結果、磁気刺激群では虚血性ネクローシスの誘導が遅延し、虚血負荷後の回復率が高かった。また、虚血負荷後のLTPが、磁気刺激群では有意に回復傾向が見られた。以上のことから、0.75Tの磁気刺激によって、海馬において虚血耐性が獲得された可能性があると考えられる。

以上、本論文は、経頭蓋的磁気刺激が海馬におけるLTPに及ぼす影響が、刺激強度に依存していることを明らかにした。また、適切な強度の磁気刺激を用いることにより、海馬において虚血耐性が獲得される可能性があることを示した。これらのことは経頭蓋的磁気刺激の臨床応用に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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