学位論文要旨



No 119289
著者(漢字) 竹内,隆正
著者(英字)
著者(カナ) タケウチ,タカマサ
標題(和) 癌の遺伝子治療を目的とするRNAi誘導ウイルスベクターの作製
標題(洋)
報告番号 119289
報告番号 甲19289
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2263号
研究科 医学系研究科
専攻 生体物理医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安藤,譲二
 東京大学 教授 山崎,力
 東京大学 助教授 矢野,哲
 東京大学 助教授 渡邉,聡明
 東京大学 助教授 細井,義夫
内容要旨 要旨を表示する

これまでの癌の遺伝子治療では、癌細胞特異的な殺細胞効果を期待してp53遺伝子の導入等の戦略が取られてきた。一定の成果を上げてはいるものの治療効果は満足できるものになっていない。本研究では、癌の遺伝子治療への応用を念頭に、癌の普遍的な性質である「増殖性」に注目し、分裂細胞にのみ普遍的かつ特異的に細胞毒性を発揮するウイルスベクター作製の基礎となる実験を行った。増殖性に基づいて癌細胞を選択的に傷害する戦略は、基本的に放射線治療・化学療法と共通のものであるが、遺伝子治療では標的部位を狙ってベクターを感染させることができるうえ、プロモーターの選択等で正常細胞への影響を低減することもできる。また治療の継続・高用量化に伴う副作用防止の観点からは、異なる作用機序を持つ治療法が増えること自体に意義がある。

p53に代表される癌抑制遺伝子の導入とは逆に、癌細胞の増殖に必須の遺伝子(癌遺伝子を含む)の機能を抑制することでも癌細胞を死滅させうるはずである。発現抑制の対象として、特定の種類の癌細胞にのみ発現している癌蛋白質ではなく、正常・異常を問わずあらゆる細胞の分裂・増殖にとって必須の蛋白質で、しかも寿命が長く細胞分裂に一致して合成されるものを選択すれば、増殖状態にある癌細胞を傷害するものの非分裂細胞には影響を与えないことになり、癌治療が可能になるかもしれない。そこで核の構造蛋白質であり、核内膜の裏打ち構造の核ラミナを形成する中間径フィラメントのラミンB1に着目した。ラミンB1は全ての細胞に必須の蛋白質であり、分裂細胞におけるラミンB1の新規合成が抑制されれば、ゲノムDNA複製に伴う核の膨張が抑制され細胞周期の乱れを生じる可能性や細胞分裂後の核再構成に障害を来す可能性が予想される。一方、既存の蛋白質の機能阻害が起こるわけではないので、非分裂細胞に対する影響は最小限に止まると推測される。

ラミンB1の発現抑制には、近年非常に大きな注目を集めている新しい配列特異的遺伝子発現抑制現象であるRNA干渉(RNA interference (RNAi))を利用した。RNAiとは二本鎖RNA(dsRNA)の細胞内導入に引き続いて、それと相同な配列を持つRNAが切断されることにより遺伝子発現が抑制される現象である。哺乳動物細胞でRNAiを誘導するには短いdsRNA(short interfering RNA (siRNA)と呼ぶ)の細胞内導入が必要であるが、DNAからの転写によってshort hairpin RNA(shRNA)を発現させ、それが細胞内でsiRNAに変換されRNAiを誘導する系が見出されたことで、RNAiを遺伝子治療に応用する道が開けた。

RNAiは非常に配列特異性が高いため、標的の塩基配列に変異が存在していては「普遍性」が達成できない虞がある。ラミンB1遺伝子はデータベース上、一塩基多型が蛋白質コード領域内に一箇所しかない。また動物界で非常に広く保存されている蛋白質であり、遺伝子座が一つしかなく、腫瘍内での変異の可能性も低いと考えられることから、RNAiによる発現抑制の対象としてふさわしいと考えられた。

まずラミンB1を標的とする様々なshRNA発現カセットを作製して、それらのノックダウン効率を比較した。RNAiの効率は標的配列によって大きく異なることが知られているので、配列解析サービスなどから得られた標的候補7種の中から効率の高いもの2種を選んだ。一方陰性対照用に、細胞内に相同性の高いRNAが存在しない配列を標的とするshRNA発現カセットを作製した。

ラミンB1ノックダウンあるいは陰性対照のshRNA発現カセットをレンチウイルスベクターとアデノ随伴ウイルス2型(AAV)ベクターに組込んだ。レンチウイルスベクターはHIV-1に基づくものであり、休止状態にある細胞にも遺伝子導入できる特徴がある。AAVベクターは、AAV自体にヒトに対する病原性が知られておらず安全性が高いうえ、物理化学的安定生が高く感染価を保ったまま精製・濃縮できる特徴がある。

安全性・副作用の観点から問題となるのは、ラミンB1ノックダウン戦略の休止状態にある細胞への影響である。休止状態にある正常細胞のモデルとしてヒト二倍体細胞であるARPE19細胞を接触阻止がかかった状態にして、ベクター感染実験を行った。休止状態のARPE19細胞に対しAAVベクターでは遺伝子導入が殆ど起こらなかったが、レンチウイルスベクターでは十分な遺伝子導入が起こり、細胞毒性に関する評価を行うことができた。ラミンB1ノックダウンshRNA発現ベクターないし陰性対照shRNA発現ベクターの感染後、3日目以降で遺伝子導入を示す蛍光蛋白質hrGFPの発現が観察された。この発現は約3週間にわたり、全体としては、むしろ増強することはあっても低下はせず、3週間後のhrGFP陽生細胞数は両者の間で有意な差はなかった。これらのベクターの遺伝子導入効率に差がないことから、ラミンB1ノックダウンshRNAの発現は非分裂細胞に対して毒性が無いことが示唆された。

それに対して、増殖状態にあるHeLa S3細胞(子宮頸癌由来細胞株)は、ラミンB1ノックダウンshRNAの発現で増殖が抑制された。shRNA発現カセットに加えて薬剤耐性遺伝子を持つレンチウイルスベクターを感染させたHeLa S3細胞のコロニー形成試験では、ラミンB1ノックダウンshRNA発現カセットの導入により、薬剤耐性コロニー数が約1/2に減少した。ラミンB1ノックダウンshRNA発現AAVベクターを増殖状態にあるHeLa S3細胞に感染させると、細胞増殖試験で最大50%弱の増殖抑制効果を認めた。この実験では有効な細胞傷害には多重感染が必要であることが推察され、ベクターの感染効率上昇及び(或いは)ラミンB1ノックダウン効率上昇によって、より顕著な効果が期待できると考えられた。

以上の成績は、ラミンB1を標的とするRNAi誘導ウイルスベクターが、癌の遺遺伝子治療に応用できる可能性を示している。今回作製したウイルスベクターに期待したもう一つの特性である普遍性の確認は今後の課題である。その際に、ラミンB1ノックダウンshRNA発現単独ではなく、癌抑制遺伝子発現カセットと組み合わせたり放射線・抗癌剤と併用した場合の治療効果をみる実験を行うこと及び動物実験による生体内での抗腫瘍効果及び正常組織への毒性の有無の確認も必要となろう。

AAVベクターは臨床応用には好適な性質を多く持つ一方で、癌の遺伝子治療への応用では欠点を持つことも示された。感染後エピソームとして存在するベクターゲノムが細胞分裂とともに失われていくため、盛んに分裂している細胞に対する遺伝子送達手段としては最適ではないのかもしれない。これはAAVベクターの感染様式そのものに関連することであり、ベクター側の改良を要する問題である。

また新しい技術としてRNAi誘導ウイルスベクターに関する知見を蓄えることができ、本研究で構築したshRNA発現カセット作製からウイルスベクターの効果判定まで一貫して行うことができる系は癌治療以外に様々な応用が可能なものである。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は癌の集学的治療の一翼を担うものとしての遺伝子治療における新たな戦略を模索する中で、細胞の分裂・増殖に必須の核構造蛋白質であるラミンB1の発現抑制によって、非分裂細胞と分裂細胞を弁別して細胞毒性を発揮させることを試みたものであり、下記の結果を得ている。

PCRによるRNAi誘導カセットの構築から、同カセットを持つアデノ随伴ウイルスベクターおよびレンチウイルスベクターの作製、さらに培養細胞におけるノックダウンの確認までが一貫して行える汎用性のある実験系が構築された。

PCR産物およびウイルスベクターによるRNAi誘導によりHeLa S3細胞においてラミンB1のノックダウンが可能であることを、RNAレベルでは定量的RT-PCRを用いて、蛋白質レベルでは免疫細胞化学を用いて示した。またノックダウン効率が標的配列により異なることを示した。

正常ヒト網膜色素上皮由来二倍体細胞ARPE19細胞を接触阻止のかかった状態にして、ラミンB1を標的とするRNAiを誘導するレンチウイルスベクターを感染させると、感染後約3週間の時点で、マーカー遺伝子である緑色蛍光蛋白質を発現している細胞数は陰性対照レンチウイルスベクターを感染させた場合と差がなく、非分裂細胞では細胞死に至るほどの細胞毒性は見られなかった。

増殖状態にあるヒト子宮頚癌由来HeLa S3細胞にラミンB1を標的とするRNAiを誘導するレンチウイルスベクターを感染させ、プラストシジンSにより遺伝子導入細胞を選択したところ、感染後2週間の時点でのコロニー数は陰性対照レンチウイルスベクターを感染させた場合の約半数に減少していた。また高力価のアデノ随伴ウイルスベクターにより約90%の細胞が遺伝子導入される状況で、感染後の細胞増殖をWST-1を用いて評価したところ、感染後3日目において非感染細胞あるいは陰性対照アデノ随伴ウイルスベクター感染細胞と比較して約50%の増殖抑制が見られた。この増殖抑制は統計学的に有意なものであった。

RNAi誘導アデノ随伴ウイルスベクター感染後の細胞増殖およびラミンB1減少を経時的に観察すると感染後3日目以降は細胞の脱落は見られず、ラミンB1減少細胞の割合が減少していた。また感染効率が低い場合にはラミンB1減少細胞が出現しても培養全体での増殖抑制は見られないことからウイルスベクターの多重感染によるノックダウン効率の上昇が増殖抑制には必要であると考えられた。同時にアデノ随伴ウイルスベクターのエピソームとして存在する感染様式が、癌の遺伝子治療においては不利であると考えられた。

以上、本論文はラミンB1に対するRNAi誘導戦略が癌治療への応用が可能であることを示し、具体的なウイルスベクターに関する検討も加えたものである。本研究では新しい技術であるRNAiを応用した新規の癌遺伝子治療戦略が提示され、今後の発展が期待されるものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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