学位論文要旨



No 119295
著者(漢字) 池田,琢朗
著者(英字)
著者(カナ) イケダ,タクロウ
標題(和) 報酬に依存したサル上丘神経細胞活動の変化
標題(洋)
報告番号 119295
報告番号 甲19295
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2269号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮下,保司
 東京大学 教授 森,憲作
 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 教授 真鍋,俊也
 東京大学 教授 加藤,進昌
内容要旨 要旨を表示する

上丘(superior colliculus;SC)は外界に関する感覚情報の入力を受け、眼球制御を始めとする運動出力を発している。こうした事実から上丘は感覚情報から運動情報への変換機能を持ち定位反応などの運動の制御に極めて重要な役割を果たしていると考えられる。しかしながら、これらの運動制御は画一的なものではなく、外界からの刺激の種類や強度、あるいは刺激にまつわる過去の経験や経験に由来する類推などの要因によって変化するものである。こうした様々な変化は大脳皮質や大脳基底核といった高次の脳領域の活動によって可能になるものであると考えられている。特に近年、大脳基底核が報酬に関連する情報と特に関係していることを示唆する実験結果が報告されており、こうした情報が大脳基底核で処理されて運動に影響を与えていることが予想される。しかしながら、実際に報酬と関連した情報がどのように運動に関連しているのかは未だ不明であり、本研究では感覚情報と運動情報を繋ぐ役割を担っている上丘において報酬に関連した情報がどのように神経活動に影響するかを調べることによって、行動の制御において報酬の果たしている役割を明らかにし、上丘が運動の制御においてどのような機能を持っているかを検証することを目的としている。

本研究では報酬と行動の関係を調べるために非対称な報酬条件を使用した記憶誘導性サッケード課題(1DR:one-direction rewarded version of memory guided saccade task)を用いてニホンザルの上丘の神経細胞活動を調べた。この課題は基本的には記憶誘導性サッケード課題であり、頭部を固定したサルの周辺視野に刺激を瞬間的に呈示し、一定の遅延期間後に記憶している先の刺激定時位置に眼球運動を行うというものである。通常サルに課題を行わせるためには試行に成功するごとに一定の報酬を与えるものであるが、この課題においては毎施行後ではなく、特定の条件でサルに報酬を与えた。すなわち、特定位置への呈示刺激とそれに対する正確な眼球運動に対しては報酬を与え、それ以外の呈示刺激はそれに対して正確に眼球運動を行っても報酬を与えないのである。どの位置の呈示刺激が報酬と関連しているかは数十回の試行を通して一定であり、この課題に対して十分な訓練を受けたサルは教えられなくとも数回の試行を行うことにより報酬が与えられる条件を理解する。報酬を与えられない試行であっても、これを失敗した場合には再度同じ試行が繰り返されるため、報酬がないとわかっていながらもサルは試行を正しく行わなければならない。2頭のサルを訓練し、この課題を正しく遂行できるようにした結果、どちらのサルもおよそ90%の成功率を示した。一方報酬が与えられる試行と報酬が与えられない試行に分けて成功率を集計した場合、どちらのサルにおいても報酬が与えられる課題の時の方が有意に成功率は高くなった。このことからサルは報酬条件を正しく理解しており、報酬が与えられる時にはより正確に反応していることが明らかになった。

更に1DR課題遂行中のサルの上丘における単一神経細胞の活動を記録し、これを解析した。上丘の神経細胞は外界の特定位置に対して視覚性または運動性の反応を示すが(視覚性と運動性の両方の反応を示すものもある)、まず始めに視覚性の反応に焦点をあてて解析を行った。視覚性の反応を報酬がある条件下とない条件下で比べたところ、約35%の神経細胞で報酬がある条件下でない条件下よりも強い反応がみられた。これらの神経細胞の活動を詳細に解析した結果、報酬期待による視覚性反応の変化は一様ではなく、複数の種類に分類できることが明らかになった。一つ自の種類は刺激呈示後の視覚性反応それ自体が変化するものであり、これらをgain typeと名付けた。二つ目の種類は刺激呈示前からその時点での報酬条件に依存して活動が変化するものであり、この結果として刺激呈示後の視覚性反応が変化して観測されるものである。これらは刺激呈示前の神経活動の変化が刺激呈示後の反応を増強していることからbias typeと名付けた。三つ目の種類はgain typeとbias typeの両方の特徴を兼ね備えているものであり、つまり刺激呈示前から既に報酬期待による神経活動の変化があり、更に刺激呈示後の視覚性反応それ自体も変化しているタイプである。これらをgain and bias typeと名付けた。これら報酬に関連した活動の変化を見せる神経細胞は上丘の中間層に多く存在している。上丘の中間層は大脳基底核や大脳皮質といった高次の脳領域からの入力を受けており、同時に眼球を制御する運動性の出力を送っている。これらの知見から上丘の報酬期待による神経活動の変化は高次の脳領域での情報処理を反映して実際の運動を修飾する働きを持っていると考えられる。事実、bias typeの神経活動のパターンは大脳基底核の尾状核(caudate;CD)や黒質網様部(sabstantia nigra pars reticulata;SNr)における神経活動のパターンとよく似ており、報酬に関連した情報が大脳基底核-上丘経路において処理されていることを示唆している。一方、上丘における刺激呈示後の視覚性反応の反応時間は大脳基底核の各部のそれよりも短いことから、gain typeの神経活動の変化が大脳基底核からの入力だけによるものとは言い難い。Gain typeの変化は前頭眼野(Frontal Eye Field;FEF)を始めとする大脳皮質からの入力による影響が大きいものと考えられる。こうした結果から上丘における視覚性の反応は大脳皮質や大脳基底核といった高次の脳領域における情報処理の結果を反映したものであり、上丘が運動性出力を決定する前段階において情報を統合していることが示唆される。

上丘の中間層の神経細胞からは運動性の活動も記録されており、続いてこれら運動に関連する神経活動の解析も行った。この結果、報酬に関連した活動を示す神経細胞(reward neuron)と眼球運動の速度と相関を示す神経細胞(velocity neuron)の2種類の神経細胞があることが明らかになった。Reward neuronは報酬が期待される時に活動が強く、また多くの場合、報酬期待による活動の変化は遅延期間と眼球運動時の両方の期間で見られた。一方でvelocity neuronは眼球運動時の神経活動と眼球運動の速度との間に正の相関を示した。この相関関係は眼球運動の開始前後の極めて短い時間に限局されており、遅延期間など他の時間には見られなかった。また、報酬に関連した活動を示す神経細胞は、多くの場合視覚性の反応時においても報酬期待と関連した反応の変化を見せ、更にそのほとんどはbias typeあるいはgain and biasタイプであり、刺激呈示前から報酬に関連した神経活動の変化を見せるものであった。これに対し眼球運動の速度と関連を示す神経細胞の半数以上は視覚性の反応時においては報酬期待との関連を見せなかった。以上の結果から、上丘の神経細胞の一部は刺激呈示前から報酬期待に関連した神経活動の変化を見せ、実際に眼球運動が起こるまで報酬の情報を保持しており、一方眼球運動の速度に関連した運動を制御する情報はこれとは別の神経細胞の一群によって生み出されることが示唆される。前者の神経細胞は大脳基底核を中心とした高次の脳領域からの入力を受けており、後者の神経細胞は運動性の出力に極めて近いものであると予想されるが、このことに関しては更なる実験が必要であると考えている。

本研究によって、上丘は今まで考えられていたような単純な視覚情報から運動情報への変換機能のみでなく、脳の他の領域からの入力によるより複雑な情報を反映した活動をしていることが明らかになった。また本研究の結果は、上丘の神経細胞活動の変化が報酬に関連した動物の行動の変化に寄与していることも示唆しており、上丘が報酬や動機付けといった内面的な情報を実際の行動に反映させるために重要な部位であることを示している。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は報酬の期待という内面的な情報が、脳の中でどのように処理され、行動に影響を及ぼしているかを調べるために、サルを用いた行動実験を行い、報酬条件を操作された課題遂行中のサル上丘における神経細胞活動を記録、解析したものであり、下記の結果を得ている。

視覚刺激に対して反応する上丘神経細胞の活動が報酬の期待によってどのように影響を受けるかを調べた。この結果、36%の神経細胞において報酬が期待される試行において視覚刺激に対する反応が増強されることがわかった。これらの神経細胞の活動を解析した結果、こうした報酬期待による神経活動の増強には更に3つのタイプに分類することができた。1つ目はgain typeと名付けたタイプであり、呈示された視覚刺激が報酬を期待させるものであった場合に神経活動が増強されるものである。2つ目はbias typeと名付けたタイプであり、神経細胞の受容野が報酬と関係している場合に視覚刺激の呈示前から報酬を期待するかのように神経活動が観察されるものである。3つ目はgain and bias typeと名付けたタイプであり、gain typeとbias typeの両方の特徴を共に示すものであった。これらの結果は上丘において報酬期待の情報が処理されていることを示すものである。

これらの神経細胞は主に上丘中間層に存在しており、大脳皮質や大脳基底核といった高次の脳領域からの入力を反映していることが考えられる。特に過去の実験報告から、大脳基底核においてbias typeとよく似た神経活動の変化が明らかになっており、bias typeの神経活動の変化が大脳基底核-上丘経路における報酬情報の流れを反映していることが示唆される。

次に上丘の神経活動が眼球運動の制御にどのように働いているかを調べた。眼球運動の開始前後の神経活動を解析した結果、上丘の神経細胞活動と報酬条件、そして眼球運動の速度の間には関係があることが明らかになった。眼球運動に関連した活動を示す神経細胞には眼球運動の速度とは無関係に報酬条件によって活動が変化するものと、眼球運動の速度それ自体との相関を示すものが多く見られた。この結果は上丘が眼球運動を制御する出力を行っていることを明らかにする一方で、上丘内で処理された報酬情報がこうした出力に対して影響を与えている可能性を示唆している。

眼球運動に関連した神経細胞は主に上丘の中間層に分布しており、視覚刺激に対する反応において報酬の影響を受ける神経細胞の分布と重なっている。両者の関係を調べた結果、眼球運動に関連した神経活動を示し、報酬条件との相関を示す神経細胞は、視覚刺激呈示前後においてbias typeやgain and bias typeに分類されるものが多いことがわかった。一方、眼球運動の速度との相関を示す神経細胞は、視覚刺激呈示後に報酬による変化を示さないものが多かった。

以上、本論文はサル上丘において、報酬の情報が処理されていることを明らかにし、また上丘からの出力が眼球運動の制御に重要な役割を果たしていることを確認している。同時に報酬の情報が上丘内で運動の制御に影響を与えている可能性も示唆している。上丘は従来感覚情報を運動情報に変換する役割を担っていると考えられてきたが、本研究は上丘が報酬期待の情報といった、より複雑な情報の処理に関与していることを示しており、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク