学位論文要旨



No 119297
著者(漢字) 古和,久朋
著者(英字)
著者(カナ) コワ,ヒサトモ
標題(和) アルツハイマー脳老人斑アミロイド結合分子CLACの病理学的研究
標題(洋)
報告番号 119297
報告番号 甲19297
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2271号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 教授 深山,正久
 東京大学 助教授 郭,伸
 東京大学 助教授 中田,隆夫
 東京大学 講師 森島,真帆
内容要旨 要旨を表示する

アルツハイマー病(AD)患者脳に特徴的な老人斑アミロイドの主要な構成蛋白質はAβペプチドである.AβはAPP(amyloid precursor protein)より産生され,そのC末端の切断箇所の違いから,42アミノ酸からなるAβ42と40アミノ酸のAβ40があり,前者は後者に比して凝集性が高く優先的に蓄積する.老人斑アミロイドは補体C1q,アポリポ蛋白E,ヘパラン硫酸プロテオグリカンなどのAβ以外の構成蛋白質を結合していることが知られている.これらの非Aβ成分もADの発症や老人斑形成に重要な役割を果たす.たとえばアポリポ蛋白E遺伝子の多型のひとつであるε4アレルの存在はAD発症の遺伝的危険因子となると同時に,アポEε4蛋白はβアミロイドの凝集をin vivoで促進する.このように老人斑アミロイド構成成分の解析はADの病態を考える上で重要である.

CLAC(Collagen-like Alzheimer amyloid component)は,申請者らがAD脳アミロイド画分を抗原として作成したモノクローナル抗体(mAb)9D2の抗原蛋白として同定した新規の老人斑アミロイド構成蛋白質である.mAb 9D2を用いてAD脳大脳皮質を免疫染色すると,主として原始老人斑や典型老人斑の周辺部のアミロイド成分が顆粒状ないし棍棒状の形態で強く染色された.一方,びまん性老人斑やアミロイドコア,脳血管アミロイドは陰性を示した.大脳新皮質でCLACはAβと共存し,全Aβ陽性面積中約60%の領域がCLAC陽性を示した.CLACの前駆体蛋白質として同定したCLAC-P(CLAC precursor protein;collagen type XXV)は1回膜貫通型の膜結合コラーゲンであり,その細胞外領域はfurinにより切断され,可溶性CLACとして分泌される.またin vitroの検討からCLACは線維化Aβと結合するが可溶性Aβとは結合しないこと,CLACはAβ凝集を抑制することも示されつつある.しかし,CLACがAD脳内において一部の老人斑に特異的な分布を示す理由,あるいは老人斑形成過程においてCLACの結合が果たす役割は不明のままであった.そこで私は免疫組織化学的手法を駆使し,CLACのAD脳における蓄積形態の詳細な解析を通じて,これらの問題点に洞察を加えることを目的として本研究を行った.

まず各種抗CLAC抗体による免疫染色を通常のホルマリン固定剖検脳パラフィン切片において可能とするために,各種の前処理方法を検討し,クエン酸緩衝液(pH 6.0)中でマイクロウェブ処理後100μg/ml proteinase Kで10分間処理することにより良好な免疫染色性が得られることが分かった.

AD脳では大脳新皮質以外にも各種の部位に様々な形態の老人斑が出現する.これらの皮質下部位におけるCLACの蓄積を検討した.視床下部と視床前核の老人斑はCLAC陽性を示したが,小脳,線条体,視床前核を除く視床,脳幹の老人斑はCLAC陰性であった.大脳皮質と同様,びまん性老人斑あるいはアミロイドコア状の形態をとる老人斑にはCLACは蓄積しないことが判明した.

次にPS1,PS2あるいはAPP遺伝子変異によりAβの産生・蓄積が亢進すると考えられる家族性アルツハイマー病(FAD)脳について検討した.FAD大脳皮質の老人斑は孤発性ADと同様のCLAC蓄積パターンを示した.FAD脳に特異的な老人斑のうち,PS1変異FADの一部に認められたcotton wool plaqueはCLAC陰性であったが,Arctic型APP変異(E693G)例の大脳皮質に広汎に出現した輪状・顆粒状の老人斑はCLAC強陽性を示した.

続いて老人斑において初期から蓄積するAβ42,晩期に蓄積するAβ40とCLAC蓄積の関係について検討した.連続切片あるいは二重蛍光染色を用いた検討において,全CLAC陽性領域の約80%以上がAβ42陽性を示した.一方,Aβ40については全CLAC陽性面積の約20%以下で共存するにとどまり,両者の相補的分布が明らかになった.

さらにβアミロイドの物理化学的性状とCLAC蓄積の関係を知るため,β-sheet構造を特異的に認識する蛍光色素thioflavin S (thioS)の反応性とCLACの関係を検討した.thioS陽性領域とCLAC陽性領域は,びまん性老人斑を除くAβ陽性部分においてほぼ完全な相補的分布を示した.ThioS陽性部分はほぼ例外なくAβ40陽性を示し,Aβ40陽性領域の中でCLAC陰性領域の一部分のみがthioS陽性を示した.Β-sheet構造の密度が高いと考えられるthioS陽性βアミロイド線維に対しCLACは結合しにくいものと考えられた.

CLAC陽性・陰性βアミロイド線維の微細構造を比較するために,剖検後迅速に中性ホルマリンで短時間固定したAD大脳皮質浮遊切片について,1nm金コロイド銀増感を用いたpre-embedding法でCLACを,オスミウム固定・エポン包埋後のpost-embedding法でAβ40をラベルし,免疫電顕法により検討した.CLAC陽性部分には,アミロイド線維が存在するが,線維密度は疎で間隙が目立ち,電子染色性も低かった.一方CLAC陰性・Aβ40陽性部位はアミロイド線維の密度が高く,線維径も太く電子染色性が高く,両者の構造には相違が見られることが明らかになった.

CLACの老人斑における蓄積の継時的変化を明らかにする目的で,9歳から71歳の各年齢で死亡したダウン症(DS)患者脳30例の大脳新皮質にAβ42,Aβ40,CLAC免疫染色とthioS染色を行い,陽性面積比率を評価した.Aβ蓄積の最初期形態は,30歳台前半にAβ42単独陽性を示す純粋なびまん性老人斑であったが,これらはCLAC陰性であった.30歳台後半からCLACは主に原始老人斑に蓄積を開始し,40歳台にはAβ42蓄積の増加とともにCLAC蓄積も増加し,つねに後者は前者の約50%を占めた.Aβ40の蓄積は40歳台まではごく少量であり10%以下にとどまった.一方50歳を過ぎるとAβ40陽性面積比率が急激に増加したが,Aβ42,CLACはそれ以前と同等のレベルを保持した.AD脳と同様,CLACとAβ40及びthioS陽性部位には相補性が観察された.

コラーゲンは通常のプロテアーゼに対して抵抗性を示すことから,CLAC陽性老人斑のプロテアーゼ抵抗性について切片上で検討した.中性緩衝ホルマリンで24時間固定したAD脳パラフィン切片をギ酸処理し,100μg/ml proteinase Kで0〜8時間処理後,各種の抗Aβ抗体により免疫染色を行った.いずれのAβ抗体でも処理時間が延長するに従い免疫反応性は低下する傾向を示したが,一部の老人斑は相対的に免疫反応性が保たれる傾向を示した.Aβ40強陽性を示す大型の老人斑ではAβ免疫染色性はむしろ迅速かつ高度に低下した.プロテアーゼ抵抗性を示した老人斑を,CLAC免疫染色のパターンと比較すると,Aβ免疫反応性が保持された領域の多くがCLAC陽性部位と一致すること,プロテアーゼ処理後のAβ染色像はドット状のパターンに変化し,CLACの染色パターンに類似することが判明した.免疫染色強度の変化を画像計測により評価すると,CLAC陽性斑では陰性斑に比べてPK処理後もAβ免疫反応性がより保たれる傾向が明らかになった.

以上の結果から,CLACの老人斑形成における役割について以下のように考察した.老人斑の最初期形態であるびまん性老人斑にCLACは蓄積しないが,この状態における凝集したAβの構造がCLACの結合に適さないものと考えられる.その後Aβ(主にAβ42)の蓄積が進行し,原始老人斑の出現とともにCLACが蓄積を開始する.CLAC陽性アミロイドはthioS,Aβ40陰性であること,電顕的にも線維の形態に違いがあり,密度が疎であるなどの特徴を示す.またDS脳で観察されたAD病理変化の時系列上,50歳台以降で蓄積量の増加が停止し,CLAC陰性斑がAβ40,thioS陽性を示し始めること,さらにCLACがAβ凝集を抑制するというin vitroの実験結果を考え合わせると,CLACの結合により老人斑アミロイドはそれ以上のAβ蓄積を免れている可能性も考えられる.一方,CLAC陽性老人斑は組織標本上でプロテアーゼ抵抗性を示すことから,in vivoにおいてもグリア細胞等による分解・除去を受けにくい可能性も推測される.このようにCLACの蓄積はリモデリングを受けにくい,“静的”な性質を老人斑に与える可能性を仮想している.一方CLACの結合を免れた老人斑は,Aβ蓄積の閾値が低下し,Aβ42に比してアミロイド形成性は高くないが,脳内で大量に産生されるAβ40の蓄積を許容し,β-sheet構造の密な老人斑を形成するものと考えた.

本研究を通じて私は,老人斑におけるCLACの蓄積がAβ42の蓄積に引き続いて早期に生じ,大量のAβ40の流入を阻害するなどして,老人斑をstabilizeする可能性を考えた.しかしこの仮説を検証するためには,CLAC-Pを脳で発現するトランスジェニックマウスを作出し,βアミロイド蓄積を生じるAPPトランスジェニックマウスと交配するなどのin vivo実験が必要である.またCLACの結合がβアミロイドの神経細胞障害性に影響を与えるものか否かについても,in vivoの検討から明らかにしてゆきたい.

審査要旨 要旨を表示する

本研究はアルツハイマー脳老人斑アミロイドの新規構成蛋白であるCLAC(collagen-like Alzheimer amyloid plaque component)の老人斑への蓄積の意義につき明らかにするため,主にヒト剖検脳組織を対象として免疫組織化学的手法を用いた種々の検討を行い,下記の結果を得ている.

CLACはアルツハイマー病(Alzheimer's disease;AD)大脳皮質の弱固定ビブラトーム厚切り切片における免疫染色により,原始老人斑や典型老人斑の周囲に蓄積し,顆粒状ないし糸屑状の染色パターンを示した.この染色パターンを通常のホルマリン固定パラフィン切片で再現するため,各種前処理方法につき検討し,10mMクエン酸バッファー(pH 6)中での550W10分間のマイクロウェーブ処理に加え10分間の100μg/ml proteinase K処理が最も適切であることを見出した.

孤発性AD(sAD)および家族性AD(FAD)の多数症例につき脳各部位のパラフィン連続切片を用いてCLACと老人斑の主要構成タンパクであるAβ42ならびにAβ40との蓄積形式につき比較検討した.その結果大脳皮質および皮質下において,CLAC蓄積部位のほとんどはAβ42陽性であった.一方,Aβ40とはしばしば一致せず陰性であった.この知見は蛍光二重染色を用いた定量的評価によっても確認された.FAD脳老人斑においてもCLACはsADでみられた特徴を再現していた.一部の例外としてAPP Arctic変異例にみられるring plaqueではCLAC強陽性であり,またPS1の一部の変異に見られるcotton-wool plaqueはCLAC陰性であった.

CLAC陽性老人斑と陰性老人斑での相違を明らかにする目的でβ-シート構造を特異的に認識するとされる蛍光色素thioflavin S(thioS)陽性部位とCLAC蓄積部位との関連を検討した.その結果,CLAC陽性部位はthioS反応性が低く,両者とも陽性を示す部位はCLAC陽性部位の5%を占めるに過ぎないことがわかった.この結果を受けて微細形態学的にCLAC陽性部位と陰性部位との間に相違があるかを検討するため,pre-embedding法によりCLACを,post-embedding法によりAβ42,40を免疫染色し,電顕レベルでの観察を行った.この結果,CLAC陽性蓄積物は線維構造をとるが,CLAC陰性かつAβ40陽性,すなわちthioS陽性部位に相当すると考えられる部位に比べその線維密度が低く,アミロイド線維径も細い傾向が定性的・定量的に示された.

CLACの老人斑への蓄積過程を明らかにする自的で,加齢とともにアルツハイマー病の進行過程を再現すると考えられるダウン症(DS)脳(死亡年齢9〜71歳全29例)を用いた検討を行った.その結果Aβ蓄積の最初期形態は,30歳台前半にAβ42単独陽性を示す純粋なびまん性老人斑であったが,これらはCLAC陰性であった.30歳台後半になりCLACは主に原始老人斑に蓄積を開始し,40歳台にはAβ42蓄積の増加とともにCLAC蓄積も増加し,後者は前者の約50%を占めた.Aβ40の蓄積は40歳台まではごく少量であり10%以下にとどまったが,50歳を過ぎるとAβ40陽性面積比率が急激に増加し,同部位の多くでthioS陽性を示した.この時期のAβ42,CLACはそれ以前と同等のレベルを保持し,CLACとAβ40及びthioS陽性部位には相補性も保たれていた.さらにAD脳と同様脳内のAβ斑を多発するFAD変異をもつヒトAPPおよびヒトPS1を過剰発現させたダブルトランスジェニックマウスを用いた検討では,Aβ40強陽性のコア状斑が先行して出現し,後にAβ42単独陽性斑が加わる点はDSでの結果と異なっていたが,内因性マウス型CLACはヒト老人斑と同様Aβ42陽性斑に蓄積し,Aβ40,thioSと相補的分布を示した.

CLACがコラーゲン構造を持つこと,コラーゲンは一般的なプロテアーゼに対して耐性を持つことから,CLACが蓄積したβアミロイドにプロテアーゼ抵抗性を与える可能性を考え,4μm連続切片上でギ酸処理後に100μg/ml proteinase Kを2〜10時間処理した後各抗Aβ抗体,抗CLAC抗体で免疫染色を行い,染色像の変化およびCLAC陽性部位との比較・検討した.その結果,PK処理後のAβ免疫反応性はCLAC陽性部位に一致して相対的に保たれており,残存する染色像もCLACのそれに類似していた.またアミロイドコアなどCLAC陰性でAβ40陽性のβ-シート密度の高い部位のAβ免疫反応性はPK処理により速やかに消失した.

以上,本論文は新規老人斑構成蛋白であるCLACのAD脳やDS脳への蓄積形態を詳細に解析した結果,CLACは老人斑へ蓄積することにより,さらなるAβ蓄積を抑制しβ-シート構造の豊富なthioS陽性老人斑への成長を阻害する一方で,同部位のAβにプロテアーゼ抵抗性を与えることで,老人斑を安定化している可能性を指摘した.さらに本研究は,元来凝集性の高いAβ42がAβ40に先行して蓄積した部位がその後thioS陽性のアミロイド密度の高い老人斑へ発達しないという長年未解決であった問題に対してCLAC分子の蓄積により説明できる可能性を示した.このように本研究はADにおける老人斑の形成過程とその意義の解明に重要な貢献をなすと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる.

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