学位論文要旨



No 119300
著者(漢字) 河原,行郎
著者(英字)
著者(カナ) カワハラ,ユキオ
標題(和) 筋萎縮性側索硬化症脊髄運動ニューロンにおけるAMPA受容体サブユニットRNA編集異常
標題(洋)
報告番号 119300
報告番号 甲19300
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2274号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 教授 飯野,正光
 東京大学 教授 御子柴,克彦
 東京大学 助教授 尾藤,晴彦
 東京大学 講師 難波,吉雄
内容要旨 要旨を表示する

筋萎縮性側索硬化症(amyotrophic lateral sclerosis;以下ALS)は、大脳運動領皮質錐体細胞、脊髄前角運動ニューロンの変性脱落によって筋力低下が進行する致死性疾患で、その9割以上は孤発性である。

孤発性ALSの原因は未解明であるが、最も有力視されているのが、グルタミン酸経路の機能異常による興奮性神経細胞死仮説である。急性には神経細胞死を引き起こさないグルタミン酸濃度でも受容体が長期間持続的に興奮することで遅発性神経細胞死が起こることが明らかにされ、グルタミン酸受容体サブタイプであるAMPA受容体からのCa2+流入増加により細胞内Ca2+濃度が上昇することによって起こると考えられている。特に脊髄運動ニューロンは、他の神経細胞と比べ、遅発性興奮性細胞死に脆弱であることが示されてきたが、その理由は分かっていなかった。

AMPA受容体は、GluR1〜GluRの4つのサブユニットからなるヘテロメリックな4量体であるが、チャネルのCa2+透過性はGluR2サブユニットによって決定される。各サブユニットの第2膜ドメインにあるQ/R部位が、GluR2以外ではグルタミン(Q)が占めているのに対し、GluR2だけはアルギニン(R)が占めている。しかしゲノムレベルでは、GluR2もQをコードしており、RNA編集によってコドン置換が生じ、Rへと翻訳されるのである。編集型GluR2を1つ以上含む受容体はCa2+透過性が低いのに対し、未編集型GluR2を含む受容体や、GluR2を含まない受容体のCa2+透過性は高い。GluR2Q/R部位は、胎生期からほぼ100%編集されており、実験的に未編集型GluR2の発現を増やすと神経細胞死が起こることから、Q/R部位のRNA編集は、神経細胞の機能にとって非常に重要である。

したがって、ALS運動ニューロンにおいて、GluR2発現量が他のサブユニットに比べ相対的に減少したり、Q/R部位の編集率が低下し、未編集型GluR2の発現量が相対的に増加すると、AMPA受容体のCa2+透過性が亢進し、神経細胞死に至ると考察される。しかしこれまで、ALSや正常なヒト脊髄運動ニューロンにおけるGluRサブユニットの定量的発現プロファイルは無いに等しかった。一方、ALS脊髄前角組織でGluR2編集率が疾患特異的、部位特異的に低下していることが報告されているが、これが個々の運動ニューロンの編集率低下を反映したものであるかどうかは分かっていなかった。

目的:単一細胞組織レベルで、ALS脊髄運動ニューロンに興奮性細胞死を引き起こしうるAMPA受容体サブユニットの分子変化が生じているかどうかを明らかにする。

方法:ヒト脳脊髄組織と、レーザーマイクロダイセクターで切り出した単一神経細胞を用いて、1)定量RT-PCR法によってmRNA発現量を定量し、正常ヒト脳脊髄の部位別・神経細胞別のGluRサブユニットの定量的発現プロファイルを作成、2)ALS脊髄前角組織と運動ニューロン組織のGluR2 mRNA発現量・発現比率を正常対照と比較、3)Q/R部位を含んだPCR産物を制限酵素BbvIで消化し、編集型と未編集型GluR2の切断パターンが異なることから、ALS運動ニューロンのGluR2 Q/R部位編集率を定量し、正常対照と比較する。

結果:1)部位別に見ると、脊髄前角のGluR2 mRNA発現量は、小脳皮質、大脳皮質、脊髄後角など他の灰白質組織に比べ有意に少なく、白質組織と同程度であった。すべてのGluRサブユニットに占めるGluR2発現比率は、どの部位でも80%以上を占め、脊髄前角で最小であったが、他の部位と同程度であった。神経細胞別に見ると、運動ニューロンのGluR2 mRNA発現量は、小脳プルキンエ細胞、大脳錐体細胞、脊髄後角膠様質小径細胞、小脳穎粒細胞と比較し有意に少なかった。GluR2発現比率も、運動ニューロンで77.8±2.0%と最低で、他の細胞と比較し有意に小さかった。2)ALS脊髄前角組織と運動ニューロンのGluR2 mRNA発現量・発現比率は、正常対照と有意差はなかった。3)正常運動ニューロンのGluR2編集率はすべて100%であったのに対し、ALSでは0%から100%まで大きくばらつき、平均値は有意に低下していた。

考察:mRNAレベルでのGluR2サブユニットを含んだAMPA受容体密度は、脊髄運動ニューロンで最も低く、このため他の神経細胞と比べ、遅発性興奮性細胞死に脆弱であると考察される。またALS運動ニューロンにおいては、密度自体に変化はないが、GluR2編集率が低下しており、Ca2+透過性AMPA受容体の密度は相対的に増加しているものと考えられ、これが神経細胞死を促進すると推測される。実際、GluR2のRNA編集を阻止したマウスは、出生後すぐに死に至り、編集異常が神経細胞死の直接的原因となることを示している。さらにQ/R部位をアスパラギン(N)に置換したminigeneを遺伝子導入したマウスは、遅発性脊髄運動ニューロン変性を生じ、RNA編集率低下に対して、特に運動ニューロンが脆弱であることを示唆している。

では何故ALS運動ニューロンでは、GluR2編集率が低下しているのであろうか。RNA編集はadenosine deaminases acting on RNA(ADARs)と呼ばれる酵素によって触媒される。哺乳類ではADAR1〜ADAR3の3種類が知られているが、ADAR3は既知の編集活性は知られていない。一方ADAR1とADAR2は基質によって両者による編集活性は異なり、GluR2 Q/R部位はADAR2によってしか編集されないが、カイニン酸受容体サブユニットであるGluR5やGluR6のQ/R部位には、ADAR1とADAR2が同程度の編集活性を持っている。各基質の編集率は、成長期や部位によって異なっており、GluR5,GluR6 Q/R部位の白質組織における編集率は、灰白質組織と比較し有意に低いことが知られている。対照的に、GluR2 Q/R部位の編集率は、動物脳では、成長期や部位を問わずほぼ完全に編集されているが、ヒト脳では部位によって編集率が異なるという意見もあった。さらに、成長期や部位による編集率の違いが、どのような因子によって規定されているのかは不明である。

目的:ALS脊髄運動ニューロンにおけるGluR2編集異常は、何らかの理由で編集酵素の活性が低いためと考えられる。そのメカニズムには、様々なものが考えられるが、酵素の発現レベルとの関連を調べることを目的とする。このため、3種の編集酵素ADARについて、これまで知られていなかったヒト脳における分布を明らかにし、RNA編集率との関連を編集酵素の発現レベルの面から検討する。

方法:正常ヒト脳脊髄組織における、1)GluR2,GluR5,GluR6 Q/R部位の編集率を部位別に定量、2)基質GluR2,GluR5,GluR6 mRNAと、酵素(ADARs)のmRNA発現量を部位別に定量する。3)ALS脊髄組織を前角、後角、白質に分けて、GluR2編集率とADARs mRNA発現量を定量し、正常脊髄組織と比較する。

結果

1)小脳皮質、大脳皮質など灰白質組織ではGluR2は完全に編集されていたが、小脳、大脳、脊髄のいずれの白質組織においても、編集率は64〜99%と有意に低下していた。GluR5,GluR6も、編集率は灰白質で高く白質で低いというパターンを示したが、その差はサブユニットによって異なっていた。

2)基質の発現量は、部位を問わずGluR2>GluR6>GluR5の順に多く、またいずれの発現量も灰白質組織の方が、白質組織よりも有意に多かった。一方ADAR1,ADAR2の発現量は、有意に灰白質組織で多かったのに対し、ADAR3は白質組織に多かった。酵素のGluR2 mRNAに対する発現比率で見ると、ADAR1, ADAR3は白質組織で有意に高く、ADAR2だけが白質組織で有意に低かった。またADAR2の発現比率が20×10-3以下になると、編集率が100%未満になる傾向があった。

3)ALS脊髄では、前角だけで、編集率低下とADAR2 mRNA発現量低下を認めた。

考察:これまで白質組織やその主要成分であるオリゴデンドロサイトにはGluR2サブユニットが発現しているかどうかすら一致した結果が得られていなかったが、今回すべてのヒト白質組織にGluR2は発現しており、またその一部が未編集型であることをはじめて明らかにした。また、白質組織ではGluR2 mRNAに対するADAR2 mRNAの発現比率が有意に低く、編集酵素の発現量によって編集率が決定されている可能性が示唆された。このような関係は、GluR5,GluR6 mRNA編集率との間には認められなかった。これは、GluR2 Q/R部位に編集活性を持つのはADAR2だけであるが、GluR5,GluR6に対しては、ADAR1とADAR2の両方が編集活性を持つという事実と合致する。

ALS脊髄前角においても、部位特異的にGluR2編集率低下と、ADAR2 mRNA発現量の低下を認めた。したがって、編集酵素発現量の調節メカニズムの異常が、ALS運動ニューロンのGluR2編集率低下を招き、細胞死を引き起こしている可能性が示唆される。実際、ADAR2ノックアウトマウスは、生後20日以内に死に至るが、GluR2 Q/R部位だけをゲノムレベルでRを発現するよう操作すると、表現型が正常化する。したがって、このマウスは、GluR2 Q/R部位の編集阻止によってAMPA受容体のCa2+透過性が亢進し、これによって死に至ると考えられる。しかし、編集活性低下を招く要因は他にも複数考えられるので、今後の検討課題である。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、孤発性筋萎縮性側索硬化症(ALS)脊髄運動ニューロンにおける選択的神経細胞死のメカニズムを解明するため、興奮性神経細胞死仮説に基づき、単一細胞レベルで、イオンチャネル型グルタミン酸受容体サブタイプであるAMPA受容体の分子変化について解析し、さらにその変化のコントロールメカニズムについて追求したものであり、下記の結果を得ている。

前半では、凍結剖検ヒト脳脊髄組織や、そこからレーザーマイクロダイセクターを使って切り出した単一神経細胞を用いて、定量RT-PCR法によってmRNA発現量を定量し、部位別・神経細胞別のAMPA受容体サブユニットの定量的発現プロファイルを作成した。この結果から、mRNAレベルにおけるGluR2サブユニットを含んだAMPA受容体密度は、脊髄運動ニューロンで最も低いことが示され、このため他の神経細胞と比べ、遅発性興奮性細胞死に脆弱であると考えられた。

またALS脊髄運動ニューロンにおいては、GluR2サブユニットを含んだAMPA受容体密度自体は、正常対照群と比較して変化はないが、GluR2 Q/R部位のRNA編集率が、疾患特異的・細胞選択的に低下していることを示し、Ca2+透過性AMPA受容体の密度が相対的に増加することによって神経細胞死を促進するものと考えられた。

後半では、ALS脊髄運動ニューロンにおけるGluR2編集低下のメカニズムを解明するため、編集率と編集酵素ADARsの発現レベルとの関連を解析した。

まず、正常ヒト脳脊髄組織において、様々な部位におけるGluR2 Q/R部位の編集率を、GluR5,GluR6 Q/R部位と共に定量し、同時にADARs mRNAの定量的発現プロファイルを作成し、両者を比較検討した。この結果、灰白質組織と比較し、白質組織におけるGluR2編集率は、GluR5,GluR6編集率と同様に、有意に低いことを示した。

またGluR2 Q/R部位に編集活性を示すADAR2 mRNAの発現量や、GluR2 mRNAに対する発現比率も、白質で有意に低いことが示され、RNA編集効率は、編集酵素と基質との発現比率によって規定されている可能性が考えられた。

さらにALS脊髄前角におけるADAR2 mRNAの発現量は、正常対照群と比較して部位特異的に低下しており、またGluR2 mRNAに対する発現比率も低下傾向にあることが示された。したがって、ALS脊髄運動ニューロンにおけるGluR2 Q/R部位の編集異常は、編集酵素発現量の調節メカニズムの異常によって生じている可能性が考えられた。

以上、本論文は、原因不明の難病ALSの脊髄運動ニューロンに、疾患特異的・細胞選択的に、AMPA受容体サブユニットRNA編集異常が生じていることをはじめて明らかにし、その原因として編集酵素の発現調節メカニズムの異常が生じている可能性を示した。特に前半部分は、ALSの病態解明に向けて重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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