学位論文要旨



No 119301
著者(漢字) 朱,立東
著者(英字) Zhu,Lidong
著者(カナ) シュ,リットウ
標題(和) 虚血耐性下における脳梗塞の進展様式 : MRIによる長期的観察を中心に
標題(洋)
報告番号 119301
報告番号 甲19301
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2275号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大友,邦
 東京大学 教授 深山,正久
 東京大学 教授 辻,省次
 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 助教授 高山,吉弘
内容要旨 要旨を表示する

背景と目的

近年、虚血耐性という現象が脳虚血分野において注目を浴びている。これは種々の非致死的なストレスを負荷しておくと、ある一定時間後に加わる本来致死的な虚血侵襲に対して一時的に抵抗性が得られる現象である。非致死的な虚血負荷により脳細胞にはHSP70をはじめとする保護因子が誘導される。虚血耐性はこのような細胞レベルでの内因性防御機構の活性化によって発現するものと考えられている。

局所脳虚血後の虚血耐性現象に関する多くの実験では、虚血後24時間に耐性が発現し、その結果脳梗塞の体積が縮小するとされている。しかし、耐性によって縮小した脳梗塞のその後の進展様式および長期転帰については明確にされていない。また、非致死的な虚血侵襲によって誘導される虚血耐性は局所脳血流の改善効果に依るものではないと報告されているが、虚血負荷以外の刺激による虚血耐性獲得の場合には、脳血流の関与の解析はいまだ充分になされていない。従って、虚血耐性の作用機序のなかで脳血流が関与する可能性は完全に否定できないのが現状である。

本研究の目的の一つは、長期的観察を通じて、虚血耐性下における脳梗塞進展様式及び虚血耐性による脳保護作用の長期的効果を明らかにすることである。その経過と結果を客観的に示すため、本研究では細菌性リポ多糖類(LPS)前処置による局所脳虚血耐性モデルを用い、MRIの所見に基づき、虚血耐性下における脳梗塞の進展様式を最長3ヶ月の期間で経時的に観察するとともに、虚血耐性の脳保護作用の長期効果について検討した。

また、虚血耐性における脳血流の関与を明らかにするため、本研究では永久局所脳虚血モデルを作成し、LPSの前処置が梗塞周辺部の脳血流にどのような影響を及ぼすのかを観察し、特に超急性期のみならず虚血後14日目までにおける変化についても検討した。さらに、局所脳虚血時に生じる脳浮腫が局所の循環に悪影響を及ぼし、虚血性脳損傷を増悪させる可能性について検討した。すなわち、LPS前投与が虚血性脳浮腫を軽減するか否かについて、永久局所脳虚血における脳水分含量の時間経過を検討することとした。

今回の実験では、LPSの前投与により、虚血周辺部での脳血流の低下が有意に抑制されていることが明らかとなったため、本研究ではLPSの前投与がeNOSの発現を介して脳血流を温存し、神経細胞保護作用を果たしているのではないかと考え、eNOSの経時的な発現も検討することとした。また、虚血耐性獲得機構に内因性防御機構の関与を検討するため、HSP70の蛋白発現も経時的に観察した。

方法と結果

自然発症高血圧ラット(SHR)にLPS(0.9 mg/kg)を経静脈的に投与し72時間後に左中大脳動脈完全閉塞を行った。対照として生理食塩水を静脈内に投与したSHRを用いた。虚血後24時間にTTC染色にて梗塞体積を測定した。その結果、コントロール群では186.6±24.6mm3、LPS群では134.3±19.4mm3(p<0.01)であり、今回の方法による中大脳動脈閉塞では大脳皮質に限局する均一な脳梗塞を再現性よく作成できること、そしてLPSが虚血耐性誘導効果を持つことがわかった。このモデル系にて7.05テスラの動物用MRIを用い脳梗塞後6、24時間、4、7、14日目および1ヶ月、3ヶ月目に拡散強調画像(DWI)およびT2強調画像(T2WI)を撮影した。虚血より6時間後から、各観察時点における梗塞体積及び%梗塞体積は、LPS群はコントロール群に比してすべて有意に減少を示し、虚血14日後ではコントロール群160.1±17.4mm3、LPS群102.7±13.5mm3(p<0.01)であり、虚血3ヶ月後ではコントロール群155.5±20.9mm3、LPS群101.7±19.3mm3(p<0.0l)であった。MRIの撮影を終えた14日目及び3ヶ月に、脳の摘出とニッスル染色を行い、組織学的な脳梗塞体積とT2WIによる脳梗塞体積を比較した結果、MRIでの病変部位の体積と組織学的な梗塞体積とはほぼ一致した。虚血後4日目まではコントロール群での梗塞拡大が著明である一方、LPS群では6時間以降の変化は明らかではなく、乾燥重量法による脳水分含量の測定並びにADC、T2値の解析結果から、この差はコントロール群での水分含量の有意な上昇によるものと思われた。レーザードップラー血流計による局所脳血流(rCBF)の測定結果では、梗塞周辺部(peri-infarcted area)のrCBFにおいて、LPS群では虚血30分後からも段階的に部分回復する傾向を示したが、コントロール群では虚血6時間後までも減少し続け、虚血後14日間にわたりLPS群で有意なrCBFの増加が認められた。

ウエスタンブロット解析では、eNOSは虚血後6時間から、HSP70は虚血後24時間から、それぞれの発現がLPS群においてコントロール群より明らかに亢進していたことが分かった。また、LPS単独投与後24、48、72時間におけるeNOS、HSP70発現の経時的変化を検討したところ、eNOSの発現量は投与後24時間から時間の経過とともに増大していたのに対し、LPSの投与によるHSP70の発現量の変化は観察されなかった。

考察

本研究では、LPS前投与により虚血耐性が誘導され、永久中大脳動脈閉塞による梗塞体積が有意に縮小することを示した。その梗塞巣の縮小効果は虚血後6時間の時点で明らかとなり、3ヵ月後の慢性期まで有意であることが明らかとなった。LPSの前投与による虚血耐性は、脳梗塞の増大を一時的に抑制するものではなく、最終的に脳梗塞体積を減らすことが判明した。

本研究では、LPS前投与によって虚血性脳浮腫が抑制されることが明らかとなったため、虚血後24時間から7日目までに観察された2群間の梗塞体積差の拡大は、2群における虚血性脳浮腫の発生・進行の違いによるものと考えられた。虚血性脳浮腫は血液脳関門(BBB)の機能障害による脳血管の透過性亢進などが原因であり、さらにBBBの機能障害にはフリーラジカルの関与が指摘されている。LPS投与後脳組織中の抗酸化酵素Mn-SODの活性は増加し,耐性誘導発現の時間経過と一致していることが報告されており、LPS前投与による脳浮腫抑制の機序についてはMn-SODの活性増加によりフリーラジカルが消去されるのではないかと推定している。

本研究では、LPS前投与により梗塞周辺部の血流がコントロールより有意に保たれていることが見出され、神経保護作用に寄与していると考えられた。eNOS由来のNOは、血管拡張作用、抗血小板作用、白血球の内皮接着抑制作用により、主に抗虚血作用を示す。今回の実験では、LPS投与後72時間の耐性誘導期ではeNOSの誘導が平行してみられ、また、脳虚血後14日目まで発現の亢進が持続し、かつその発現量変化の時間経過は本研究での局所脳血流測定結果とほぼ合致していることがわかった。従って、LPS前投与は、eNOS発現の誘導を介して微小循環を改善させ、ペナンブラにおける残存脳血流を維持させることによって、脳虚血障害の進展を抑制していると考えられた。

今回のウエスタンブロットによる結果では、虚血後24時間から14日目までの観察期間で、LPS前投与群のHSP70蛋白は非投与群より圧倒的に多く発現することが認められた。分子シャペロン作用以外、HSP70の抗アポトーシス作用も明らかにされつつあることから、LPS前投与により誘導されたHSP70蛋白は障害細胞に重要な保護作用を果たし、神経保護効果に関与すると思われた。

以上、本実験ではLPSによる脳虚血耐性が脳梗塞の進展を早期から抑制し、最終的に脳梗塞の体積を減らしたことを示した。耐性を獲得した脳では、虚血性脳浮腫や残存脳血流の低下が抑制されて障害が軽減されることが確認された。また、虚血耐性下における虚血後HSP70蛋白発現の上昇が、内因性保護因子を賦活化することによって虚血侵襲に対する抵抗性を増大させるものと考えられた。虚血耐性現象に対する研究は、未知の内因性保護機構の共通的な経路を発見することにもつながる可能性があり、新規の薬剤などにより耐性誘導が可能となれば、新しい治療法へと発展するのではないかと考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究では虚血耐性下における脳梗塞進展様式及び虚血耐性による脳保護作用の長期的効果を明らかにするため、細菌性リポ多糖類(LPS)前処置による局所脳虚血耐性モデルを用い、MRIの所見に基づき、虚血耐性下における脳梗塞の進展様式を長期的観察するとともに、虚血耐性の脳保護作用の長期効果について検討し、以下の結果を得ている。

LPS前投与により虚血耐性が誘導され、脳梗塞体積が有意に縮小した。MRIを用いた経時的な観察では、その脳梗塞の縮小効果は虚血後6時間の時点で明らかとなり、3ヶ月後まで続くことが明らかとなった。LPS前投与により、脳梗塞の増大は早期から抑制され、脳梗塞体積の減少効果が慢性期まで持続することが判明した。

ADCとT2緩和時間にての検討に加え、虚血後脳含水量の経時的測定の結果から、LPS前投与により虚血後脳浮腫が抑制され、二次的に生じる神経細胞傷害を軽減する可能性が示唆された。また24時間から4日目までの2群間の梗塞体積差の一時的な拡大は、2群における虚血性脳浮腫の発生・進行の違いによるものと考えられた。

LPS前投与により梗塞周辺部の血流が虚血後早期から回復し、虚血後14日目まで有意に保たれていた。LPS前投与による虚血耐性の神経保護効果に、虚血負荷による虚血耐性と異なり、血管性機構が関与していることが明らかとなった。また耐性誘導期間にeNOSの誘導が平行してみられ、その発現の亢進は虚血後14日目まで持続していたことから、eNOSの発現亢進は虚血耐性現象の血管性機序の一因であると考えられた。

虚血後24時間から14日目まで、LPS前投与群ではHSP70蛋白の発現が亢進していた。細胞レベルの保護機序として、虚血負荷による虚血耐性と同様、交叉耐性の発現機序にも、内因性保護因子であるストレス蛋白質が関与していることが示唆された。

以上、本研究においては虚血耐性による神経保護作用が一時的なものではなく、永続的であることを示せた。耐性を獲得した脳では、虚血性脳浮腫や残存脳血流の低下が抑制されて障害が軽減されることが確認された。また、虚血耐性下における虚血後HSP70蛋白発現の上昇が、内因性保護因子を賦活化することによって虚血侵襲に対する抵抗性を増大させるものと考えられた。これらの問題を明確にしたことは、虚血耐性現象の臨床応用へ向けて重要な意義を有するものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる

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