学位論文要旨



No 119302
著者(漢字) 武笠,晃丈
著者(英字)
著者(カナ) ムカサ,アキタケ
標題(和) オリゴデンドログリオーマの遺伝子発現プロファイル解析
標題(洋)
報告番号 119302
報告番号 甲19302
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2276号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 教授 深山,正久
 東京大学 教授 名川,弘一
 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 助教授 郭,伸
内容要旨 要旨を表示する

グリオーマは、原発性脳腫瘍の3分の1を占める主要な悪性脳腫瘍であり、その浸潤性の性質のため根治困難な場合が多い。患者の予後は、治療抵抗性や増殖速度などの腫瘍細胞の生物学的性質により基本的には決定されるが、このような予測は、おもに腫瘍の形態学的特徴に基づいた組織診断に基本をおいてきた。そしてその診断は、アストロサイト・オリゴデンドロサイトといった腫瘍の発生母地と思われる細胞に関連づけて行われている。しかしながら、組織学的診断による腫瘍の分別は必ずしも容易でなく、組織診断を補助するような、より客観的で明快な診断基準が必要と思われる。

オリゴデンドログリオーマは主要なタイプのグリオーマの一つである。近年、オリゴデンドログリオーマのサブグループ(60-80%)が化学療法(PCV療法)に著明な感受性を示し予後が良いことが知られるようになった。さらに分子遺伝学的研究により、この治療反応性がオリゴデンドログリオーマの約60-80%に認められる染色体1pの欠損(しばしば染色体19qの欠損を伴う)と高い相関を示すことが明らかになった。現在では、染色体1pの欠損は、オリゴデンドログリオーマを生物学的性質の異なる2群に分けるマーカーであると認められるようになったが、この相違のもとになっている分子機構はいまだ明らかになっておらず、染色体1p,19q上にあると想定される癌抑制遺伝子も未だに同定されていない。

上述のようなグリオーマにおける種々の問題を研究するため、今回の研究に主に用いたのがDNAチップである。DNAチップは多数の遺伝子を、比較的網羅的に一度に解析する方法として近年急速に普及している。またこれは、単に研究目的のみならず病理診断を補助し、新たな診断マーカーの同定にも有用であることが示されている。当研究では、その中でも特にオリゴデンドログリオーマに焦点をあて、遺伝子プロファイル解析を出発点としてその分子生物学的性質を明らかにすることを試みた。

本研究ではまず、オリゴデンドログリオーマの1p欠損の有無による、この腫瘍の遺伝子発現の相違を明らかにするため、高密度オリゴヌクレオチドアレイである GeneChip(Affymetrix 社)Human U95A アレイを用いて最大約12600種類の遺伝子発現の網羅的解析を行った。症例は、染色体1p欠損を認める6例、認めない5例の、合計11例のオリゴデンドログリオーマに、市販正常脳RNA2例を加えたものを対象とした。その結果、1pの欠損の有無が異なる二つのオリゴデンドログリオーマのサブグループ間では、遺伝子発現にも統計学的に有意な差があることが示された。発現量に差がある遺伝子として1p欠損のある群で発現の高い86遺伝子、発現の低い123遺伝子の、合計209遺伝子を選びだしたが、これらの遺伝子は化学療法感受性や予後の相違と何らかの関連を持つものと思われる。注目すべき点として、染色体1pの欠損を認めるオリゴデンドログリオーマで有意に発現が減少していた123遺伝子の多くが、染色体1番(50%)あるいは19番(10%)上にあった。また、その発現量の減少を、1p欠損を認めない腫瘍での発現量との比でみたときに、片方の染色体の欠損を反映するかの如く、約50%(0.54+/-0.13)であった。このような染色体1p上の多くの遺伝子発現量がおよそ半分になっていることが、haplo-insufficiency と呼ばれるような現象を介して腫瘍形成や生物学的性質の原因となっているかは、今後のさらなる検討が必要である。さらに技術的な観点からいうと、オリゴヌクレオチドアレイが、遺伝子発現が2分の1になったことを検出するだけの十分な定量性があることを観察しえたことは重要であろう。

次に、先に使用したオリゴデンドログリオーマと正常脳のデータに、新たにアストロサイトーマ6例、グリオブラストーマ5例の GeneChip による遺伝子発現データを追加し、Significant Analysis of Microarray(SAM) 法を用いて主要な4つのグリオーマサブセットそれぞれで特徴的な遺伝子の発現パターンの検出を試みた。これにより染色体1pの欠損を認めるオリゴデンドログリオーマで発現の有意に高い29遺伝子が同定された。特に特徴的であった点は、染色体1pの欠損を認めるオリゴデンドログリオーマで特異的に発現の高い遺伝子の多くは、正常脳組織でもまた高発現を示しており、神経細胞(ニューロン)に関連した機能を持つと考えられたことである。これらの遺伝子に含まれるものとしては、MYT1L、INA、RIMS2、SNAP91、SNCB などが挙げられる。また、この神経細胞との類似性は、各サブセットを代表する20遺伝子ずつの合計80遺伝子を使用して、様々な部位の正常脳組織の遺伝子発現と比較解析することによっても確認することが出来た。MYT1L遺伝子は、正常の神経細胞に豊富に発現している遺伝子であるが、その組織学的検討を行ったところ、この遺伝子は確かにオリゴデンドログリオーマの腫瘍細胞に発現していることが分かった。この結果は、オリゴデンドログリオーマのうち、特に染色体1pの欠損があるものは、多少なりとも神経細胞に関連した性質を持っていることが特徴であることを示唆している。この点は、オリゴデンドログリオーマが一般的にはグリア系列の細胞に由来していると考えられ、組織学的にもグリア系列の腫瘍に分類されていることを考えても興味深く、分子学的な腫瘍の再分類に寄与しうるデータであると考える。さらなる病理学的な研究は不可欠であるが、このような神経細胞に関連した機能をもつ遺伝子が、予後の良いオリゴデンドログリオーマの良い診断マーカーとなることも期待された。

(まとめ)オリゴデンドログリオーマを中心としたグリオーマの遺伝子発現プロファイル解析により、癌抑制遺伝子や化学療法感受性に関連する遺伝子が存在すると考えられる染色体1p上で、遺伝子発現に変化のある多数の遺伝子を抽出することができた。また、染色体1pの欠損のあるオリゴデンドログリオーマでは、神経細胞に関連した機能を持つと考えられる遺伝子の高発現が特徴的であり、そのうちのいくつかは良い診断マーカーとなりうると考えられた。発現プロファイル解析は、分子生物学的見地からの脳腫瘍の再分類にも有用な手段のひとつであると思われる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は脳腫瘍(グリオーマ)の臨床検体に対してDNAマイクロアレイ(GeneChipTM)を用いた網羅的遺伝子発現解析を行うことにより、特に染色体1pにヘテロ接合性の喪失(LOH)を認めるオリゴデンドログリオーマの臨床的、分子病理学的な特徴を規定する遺伝子の同定を行い、さらに脳腫瘍に関連する新規診断マーカーの同定を試みたものであり、下記の結果を得ている。

染色体1pのヘテロ接合性の喪失を有するオリゴデンドログリオーマにて特徴的に発現の上昇および低下している遺伝子の同定

オリゴデンドログリーマの染色体1pのヘテロ接合性の喪失(LOH)を認める6例、認めない5例より得られた約128626遺伝子の発現データ(GeneChip U95A)を用いて、両者の比較解析を行った。その結果、この両者の遺伝子発現レベルは random permutation test により統計的に有意な相違があることが示された。

この遺伝子発現データを用いて、染色体1pの有無により発現の異なる遺伝子の抽出を行った。シグナル・ノイズ比を基にした Prediction value による遺伝子の選出を行い、染色体1pのLOHを認めるグリオーマで発現の上昇している86遺伝子、低下している123遺伝子を同定した。さらに、これら合計209遺伝子を使用して、正常脳組織での発現レベルとクラスタリング解析を用いて比較解析したところ、染色体1pLOHを認めるオリゴデンドログリオーマに正常脳組織と共通の性質を有することが示された。

染色体1pのLOHを有するオリゴデンドログリオーマで発現の低下している遺伝子の多くは、染色体1pか19q上に遺伝子座を有するものであった。発現が著明に低下しているような癌抑制遺伝子の候補遺伝子は、残念ながら同定出来ていないが、多くの遺伝子の発現が半分程度に減少していることが判明した。オリゴデンドログリオーマの癌化の機構と染色体の欠損の関連に関しては、haplo-insufficeincy の可能性も示唆された。またこれは、GeneChip が遺伝子発現の半分の減少も十部に検出しうる感度を持っていることを示すものでもある。

グリオーマのサブグループ、特に染色体1pのヘテロ接合性の喪失を有するオリゴデンドログリオーマに特徴的な発現を認める遺伝子の同定

オリゴデンドログリオーマ11例に加えて、アストロサイトーマ5例、グリオブラストーマ6例に対し同様の遺伝子発現プロファイル解析を行い、比較検討した。Significant Analysis of Microarray(SAM) 法を用いることでグリオーマ各サブグループを特徴づける遺伝子セットが同定された。

染色体1pのLOHを認めるオリゴデンドログリオーマを特徴づける遺伝子として、発現が有意に上昇している29遺伝子が同定された。そしてこれらは、MYT1L,INA,RIMS2,SNAP91,SNCBなどの神経細胞に関連した機能を持つと推定される遺伝子群であった。また、この神経組織との類似性は、各サブセットを代表する20遺伝子ずつの合計80遺伝子を使用して、様々な部位の正常脳組織と比較解析することによっても、確認することが出来た。

同定したいくつかの遺伝子は、GeneChip にて解析しなかったその他の臨床グリオーマ検体に対しても同様の結果が得られることを、定量的RT-PCRにて確認した。神経細胞に特異的な転写因子だと考えられる Myelin transcription factor 1-like(MYT1L) に関して組織学的な解析を行った結果、神経細胞に発現を認めるこの遺伝子の、染色体1pLOHを有するオリゴデンドログリオーマの腫瘍組織における発現上昇が確認された。このような遺伝子は、化学療法感受性が高く予後が良好なグリオーマを鑑別する際の、良い分子マーカーとして役立つことが期待された。

以上、本論文は脳腫瘍の臨床検体に対してDNAマイクロアレイによる網羅的な遺伝子発現解析を行うことによって、染色体1pのヘテロ接合性の喪失を有するオリゴデンドログリオーマが、他のグリオーマと明らかに異なる遺伝子発現のパターンをもち、神経細胞の機能に関連する遺伝子が多数発現亢進していることが分かった。個々の遺伝子に関しては、免疫染色や多症例の予後のデータとの相関など今後も詳細な解析を継続する必要があるが、病理学的分類や、診断マーカーとして今後臨床に貢献することが期待される。このように、オリゴデンドログリオーマの分子病理学的な特徴に関して新規の知見をもたらしたものであり、学位の授与に値すると考えられる。

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