学位論文要旨



No 119307
著者(漢字) 原田,智浩
著者(英字)
著者(カナ) ハラダ,トモヒロ
標題(和) マルチプルリスクファクター症候群と血管機能障害 ; 遺伝子改変マウスおよびヒト遺伝子多型解析
標題(洋) Vascular Injury Related to Multiple Risk Factor Syndrome Knockout Mice Analysis and Human Genome-Association Studies
報告番号 119307
報告番号 甲19307
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2281号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学 講師 大西,真
 東京大学 講師 西松,寛明
内容要旨 要旨を表示する

動脈硬化は虚血性心疾患、脳疾患の基礎疾患として重要である。日本人のライフスタイルの変化とともに動脈硬化危険因子にさらされる機会が増加し、それを反映して脳・心筋梗塞の罹患率および死亡率が増加している。その背景として糖尿病、高血圧、高脂血症などの生活習慣病の増加が危険視され、なかでもインスリン抵抗性はマルチプルリスクファクター症候群を誘導し、動脈硬化を進展させる因子として注目されている。インスリンは正常状態では、血管内皮を刺激し血管を拡張させる。しかしインスリン抵抗性が生じた場合、代償性にインスリン分泌が亢進し、インスリンの動脈硬化促進作用のみが強調された状態にあるといわれる。インスリン抵抗性が動脈硬化を引き起こす分子生物学的機序については、いくつかの諸説が報告されているものの不明な点も多く解明にいたっていないのが現状である。そこで今回私は、遺伝子改変マウス解析およびヒト遺伝子多型解析を行うことによりその機序およびヒトの疾患への関与につき検討した。

まずインスリン作用の最初のステップとして重要なインスリン受容体基質 (IRS ; Insulin Receptor Substrate) に着目した。IRSはインスリン受容体の下流にある重要なタンパクであり、分子生物学的にはIRSタンパク量の減少、リン酸化障害およびシグナル伝達障害がインスリン抵抗性を誘導すると考えられている。今回ジーンターゲッティング (gene targeting) 法を応用して作製されたIRS欠損マウスを用い、糖脂質プロファイルおよび血管機能を解析した。

従来の報告ではIRS1欠損マウスは骨格筋レベルでインスリンへの反応性が低下し、インスリン抵抗性をきたすとされている。Abeらはこのマウスは高血圧を呈し、血管内皮機能障害を伴うと報告している。又IRS2欠損マウスは肝臓レベルでインスリンへの反応が低下し、10週齢以降高血糖、高インスリン血症をきたすといわれている。このマウスに経口10%糖負荷を行ったところ、野生型マウスに比し、持続的高血糖と高インスリン状態が維持されていることが判明した。又0.75U/kgの経腹腔内インスリン投与を行うと、野生型マウスでは十分な血糖低下作用が得られたのに対し、IRS2欠損マウスでは高血糖が維持されていた。一方脂質は、野生型に比し、IRS2欠損マウスでは高コレステロール血症が認められた。したがって、このマウスはインスリン抵抗性を伴う糖尿病およびマルチプルリスクファクター症候群のモデル動物といえる。

次に血圧を測定すると、IRS2欠損マウスでは野生型に比し有意な上昇が認められた(収縮期血圧;IRS2欠損マウスvs野生型マウス,120±4.6 vs 92.6±3.9 mmHg p<0.01)。続いてNOS阻害剤投与であるL-NAME (NG-Nitro-L-arginine methyl ester hydrochloride) を投与すると、野生型の血圧が有意に上昇し、IRS2欠損マウスの血圧に近似した。すなわちIRS2欠損マウスの上昇には血管内皮由来一酸化窒素 (NO) の低下が関与することが示唆された。さらに大動脈ストリップを作製し、これに血管内皮非依存性に作用するニトロプルシドを負荷し血管張力を測定したところIRS2欠損マウス、野生型マウスともに十分な血管弛緩反応が得られたが、血管内皮依存性に作用するアセチルコリンを負荷するとIRS2欠損マウスでは野生型マウスに比し弛緩反応が低下しており、血管内皮細胞障害の存在が示唆された。IRS1欠損マウスが高血圧と血管内皮機能障害を呈することを考え併せると、血管系細胞ではIRSは内皮依存性NO産生と関与し、その低下は高血圧と血管内皮機能障害を惹起し動脈硬化を促進させる可能性が示唆された。

次に循環器内科にて構築した臨床データベースを用い、生活習慣病と関連すると考えられる遺伝子群の肥満、代謝異常および動脈硬化性疾患への感受性を検討した。現在生活習慣病の発症には多数の遺伝子がその発症に関係し、特に遺伝子多型 (SNP; Single Nucleotide Polymorphism) によりもたらされると考えられるためそれらの解析が有用である。これはヒトでは臓器を直接採取することが不可能であり、遺伝子の影響を検討することが困難であり、SNP解析と疾患感受性を検討する手法が大きな研究戦略となる。解析には患者の同意に基づいた検体の採取や臨床情報を蓄積することも必要であり、当科では心臓カテーテル検査を施行した患者の末梢血より遺伝子解析用検体を採取保存し、同時に患者の臨床データをデータベースとして構築している。私もこのデータベースの構築に従事してきた。

今回私はSNP解析をIRS1、IRS2、peroxisome proliferator-activated receptor-gamma 2 (PPARγ2)、ATP-binding cassette transporter-1 (ABCA1) に対し行い、疾患・病態との関連研究を行った。対象は当院循環器内科に入院し冠動脈造影検査を施行した410人の患者「平均年齢65.4±9.9歳、男性83.9%、糖尿病患者33.9%(治療中の患者22.0%)、高脂血症患者72.4%(治療中の患者64.6%)」である。糖尿病、肥満、脂質プロファイルとの関連性の検討のほか、冠動脈疾患発症(冠動脈造影検査上、冠動脈病変を有する患者は273人、冠動脈病変を有さない患者137人)との association study を行った。遺伝子のタイピングは主として蛍光プローブを用いて解離温度の差異を検出する melting curve analysis 法にて行った。

まずIRS1のSNPとしてイントロン内C/T変異について検討したところ、C変異のアリル頻度は0.239であった。糖尿病群では、C変異のアリル頻度は0.248、非糖尿群では0.225と有意差を認めなかった。さらに BMI(Body Mass Index)>26.5kg/m2の患者を肥満群として各遺伝型間で比較を行ったが、肥満患者ではC変異のアリル頻度は0.261、非肥満患者では0.231であり有意差を認めなかった。IRS2のSNPとしてイントロン内C/T変異について検討したところC変異のアリル頻度は0.224であった。糖尿病群では、C変異のアリル頻度は0.226、非糖尿群では0.217と有意差を認めなかった。又肥満患者ではC変異のアリル頻度は0.206、非肥満患者では0.230であり有意差を認めなかった。

又PPARγ2のSNPとして、コドン12プロリン/アラニン変異多型 (P/A 12)、コドン115プロリン/グルタミン変異多型(P/Q 115) を検討した。これらのSNPは白人人種(コーカシアン)では、糖尿病発症との関連が報告されている変異である。私の検討した母集団では糖尿病・肥満との関連性は認められなかったが、その理由としてA12、Q115ともに遺伝型頻度が1.0%と低かったことが一因と考えられる。これは疾患感受性との統計学的検討を行うにあたり更なる母集団数が必要と考えられた。

次に脂質代謝に関連する遺伝子に焦点を絞り、私はABCA1に着目した。ABCA1は脂質代謝に関わる細胞膜タンパクである。末梢細胞からコレステロールエステルを引き抜き、高密度リポプロテインコレステロール (HDL-C ; High-Density Lipoprotein Cholesterol) を形成させる過程に中心的な働きをする。このABCA1タンパクの機能不全が脂質代謝異常を惹起し、マルチプルリスクファクター症候群と関連する。最近コーカシアンで、このタンパクをコードするABCA1遺伝子多型(コドン823イソロイシン/メチオニン変異多型 (I/M 823)、コドン219アルギニン/リジン変異多型 (R/K 219) が、動脈硬化の危険因子の発生や冠動脈疾患発症に関与することが報告された。SNPは人種間にて異なる表現型を示すことがあり、モンゴリアンである日本人において同SNPを検討することは有用である。私の検討した母集団ではI/M 823やR/K219変異は糖尿病の発症や肥満と相関関係を確認できなかった。しかしI/M 823変異は血中HDL-C値の上昇と有意な相関を認め (I/I vs I/M+M/M ; 44.9±11.5 vs 49.0±15.1mg/dL, P<0.05)、さらに重回帰分析行ってみると、M823は他因子と独立してHDL-C値の上昇と有意に関連し(p<0.001)、HDL-C濃度の決定因子の一つとして作用することが示唆された。一方、R/K219遺伝子変異はHDL-C濃度と相関関係が認められなかった。

今回検討した集団において、冠動脈疾患と糖尿病の発症とは相関関係が、冠動脈疾患とHDL-C濃度とは逆相関が確認されたが、M823の冠動脈疾患への感受性は統計的有意性を確認できなかった。HDL-C値を決定する因子にはI/M823以外の多因子が関連していることが推察され、今後有用なマーカーを検索すべく更なる検討が必要である。

以上、本研究により、私はインスリン抵抗性形成および高血圧、血管内皮機能障害にはIRSの機能低下が関与していることを示した。また遺伝子多型研究においてはABCA1遺伝子多型がHDL濃度を規定する一遺伝的因子であり、動脈硬化発症への関与が考えられることを示した。

現在私は「インスリン抵抗性が血管障害の原因か」、或いは「血管機能障害が先行して耐糖能異常(インスリン抵抗性)が生じるのか」という根源的問題を解決すべく、Tie2遺伝子プロモータを利用し、IRS遺伝子を血管内皮細胞選択的に発現誘導させたマウスを樹立している。これによりIRS欠損マウスを用いて血管内皮細胞特異的にIRS遺伝子を誘導し、血管におけるインスリン感受性を回復させる研究を行い、インスリン抵抗性に基づく血管障害の機序や内皮細胞の糖尿病発症抑制に果たす役割を検討する予定である。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、マルチプルリスクファクター(多因子重責)症候群発症に関与する遺伝子に着目し、遺伝子改変マウス解析およびヒト遺伝子多型解析を行うことによりその機序およびヒトの疾患への関与につき検討したものである。インスリン受容体基質 (IRS) は、インスリン刺激を伝達する際に働く重要な基質であり、糖代謝・インスリン抵抗性に関与する遺伝子として注目されている。又ABCA1は脂質代謝異常と関与する遺伝子として近年着目され、本研究により下記の結果を得ている。

インスリン受容体基質 (IRS) 2が欠損したマウスに糖負荷、インスリン負荷を行ったところ、持続的高血糖と高インスリン状態が判明した。また欠損マウスでは高コレステロール血症が認められた。このマウスはインスリン抵抗性を伴う糖尿病およびマルチプルリスクファクター症候群のモデル動物であることが判明した。

IRS2欠損マウスの血圧を測定したところ高血圧が示された。NOS阻害剤であるL-NAMEを投与すると、野生型マウスの血圧が有意に上昇し、欠損マウスのそれに近似したことから、血圧の上昇には血管内皮由来一酸化窒素 (NO) の低下が関与することが示された。さらに大動脈ストリップを作製し、血管張力を測定したところ欠損マウスでは血管内皮依存性弛緩反応が低下しており、血管内皮細胞障害のが示唆された。血管系細胞ではIRSは内皮依存性NO産生と関与し、その低下は高血圧と血管内皮機能障害を惹起し動脈硬化を促進させる可能性が示唆された。

Tie2遺伝子プロモータを利用し、IRS遺伝子を血管内皮細胞選択的に発現誘導させたマウスを樹立した。今後このマウスとIRS欠損マウスを交配させることで、血管内皮細胞特異的にIRS遺伝子を回復し、血管におけるインスリン感受性を回復させる研究を行う。これによりインスリン抵抗性に基づく血管障害の機序や内皮細胞の糖尿病発症抑制に果たす役割を検討する。

当院循環器内科に入院し冠動脈造影検査を施行した410人を対象とし、疾患・病態との関連研究を行った。マルチプルリスクファクター関連遺伝子として、糖尿病の発症に関与する遺伝子多型であるIRS1、IRS2、PPARγ2多型、脂質代謝関連遺伝子多型であるABCA1多型の疾患感受性を検討した。IRS1//2多型(イントロンC/T変異)では、肥満や糖尿病発症との間に有意な相関関係は認められなかった。又PPARγ2多型 (P/A12, P/Q115) では、検討した母集団において極めて低いアレル頻度であり、疾患感受性を検討できなかった。

ABCA1遺伝子多型 (I/M823, R/K219) のHDL-C濃度への影響を検討したところ、I/M823多型はHDL-C濃度上昇と有意な相関関係が示された。これは多変量分析においても独立性が示された。しかしR/K219多型はHDL-C濃度との間に有意な相関関係は示されなかった。

以上、本論文ではマルチプルリスクファクター症候群発症に関与する遺伝子に着目し、遺伝子改変マウス解析ではIRS2の異常がインスリン抵抗性のみならず、高血圧や血管内皮機能異常発症とも関連すること、患者対照群比較検討では、ABCA1多型 (I/M823) がHDL-C濃度と相関することを示している。さらにこの結果を背景として、Tie2遺伝子プロモータを利用した新しいモデル動物の開発を行った。これはマルチプルリスクファクター症候群発症に基づく血管障害の機序や内皮細胞の果たす役割を検討する上で、今後の応用が期待できるものである。したがって本研究は、臨床的価値の高い論文であり、学位の授与に値するものと考えられる。

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