学位論文要旨



No 119313
著者(漢字) 柳内,綾子
著者(英字)
著者(カナ) ヤナイ,アヤコ
標題(和) Helicobacter pylori 感染による抗アポトーシス機構の解析
標題(洋)
報告番号 119313
報告番号 甲19313
学位授与日 2004.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第2287号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上西,紀夫
 東京大学 教授 山本,一彦
 東京大学 教授 松島,綱治
 東京大学 教授 小池,和彦
 東京大学 助教授 真船,健一
内容要旨 要旨を表示する

[研究の背景および目的]

Helicobacter pylori (H. pylori) は慢性活動性胃炎や、胃十二指腸潰瘍の原因となる病原因子である。また胃MALTリンパ腫や、胃癌との関係も報告され、WHO/IARCによりDefinite carcinogenに定義づけられている。しかし、H. pylori感染による発癌メカニズムについては、いまだに解明されていない。これまで、胃発癌機構に関与する因子として、H. pylori感染による炎症の持続や、過剰な細胞増殖などが考えられており、これらのメカニズムについては徐々に解明されつつある。例えば、持続する炎症についてはNF-κB活性化に続く炎症性サイトカイン産生、過剰な細胞増殖についてはERK/MAPKカスケードを介したcyclin D1、Elk-1、c-fosの活性化などが報告されている。

一方、発癌メカニズムの一つとして、抗アポトーシス作用が知られている。アポトーシス機構の破綻による過剰な細胞増殖、DNAダメージをうけた異常細胞の残存が、種々の発癌に関与するであろうという理論である。一般に抗アポトーシス作用は抗アポトーシス遺伝子の発現によって調節されていると言われ、実際、一部の悪性腫瘍において抗アポトーシス遺伝子の過剰発現が報告されていることは、抗アポトーシス作用が発癌メカニズムの一端を担うことを示唆する現象と考えられる。そして今回検討したcellular inhibitor of apoptosis protein 2 (c-IAP2) は、Caspase-3、-7、-8、-9を阻害することによって、抗アポトーシス作用をもたらすと考えられている。

これまでに、H. pyloriによる抗アポトーシスの報告はほとんどない。そこで今回の検討では、発癌の一因と考えられている抗アポトーシス作用に着目し、H. pyloriによる抗アポトーシス作用のメカニズムについて、その機序を含めた検討を行なった。さらに、当院においてインフォームドコンセントのもと、上部消化管内視鏡検査を施行された症例の胃生検検体を用い、H. pylori除菌前・後におけるc-IAP2遺伝子の発現を比較した。

[方法]

細胞は、胃癌細胞株MKN45を、H. pyloriはcagPAI陽性のTN2株と、そのノックアウト株 (TN2-ΔcagPAI、TN2-ΔcagE) を用いた。H. pylori感染で発現が増加する遺伝子は、96種類のアポトーシス関連遺伝子のアポトーシスアレイを用いて網羅的に検討し、c-IAP1、2についてRT-PCR、リアルタイムPCRで発現を確認・比較した。

H. pyloriによるc-IAP2プロモーター領域への影響は、c-IAP2プロモーターを含むレポータープラスミド (-247Luc) および-247Lucの5'側欠失プラスミド (-200Luc、-93Luc)、プロモーター領域の3つのNF-κB結合配列に変異を挿入した変異プラスミド (κBm1-Luc、κBm2-Luc、κBm3-Luc) を用いて検討した。これらを MKN45細胞ヘトランスフェクションし、24時間後よりH. pyloriを共培養し、8時間後のルシフェラーゼ活性を測定した。NF-κB経路の阻害には、ドミナントネガティブ型IκBαのトランスフェクション、もしくはNF-κB核内移行阻害剤caffeic acid phenethyl ester (CAPE) を用いた。

アポトーシスの検討は、TUNEL法を用いた。H. pyloriによるアポトーシスに対するc-IAP2の影響は、アンチセンス法とc-IAP2の細胞内強制発現(免疫染色)で検討した。

生検検体は、胃前庭部大彎から3点生検により採取した。RNA抽出後、RT-PCRによりc-IAP2の発現を検討した。

[結果]

アポトーシスアレイを用いた検討では、抗アポトーシス遺伝子であるc-IAP1、c-IAP2の発現が9倍と、最も増加していた。RT-PCR、リアルタイムPCRを用いた両遺伝子の発現量の比較では、c-IAP1の発現が2倍であったのに対し、c-IAP2の発現は14倍と著明に増加していた。そこでアンチセンス法を用いてc-IAP2を特異的に抑制したところ、H. pylori共培養によるMKN45細胞のアポトーシスは、4.4%から8.9%へ増加した。

c-IAP2プロモーター活性についてレポーターアッセイで検討したところ、H. pylori共培養により-247Lucは約10倍に活性化した。しかしcagPAIノックアウト株の共培養では、活性化は約50%に抑制された。欠失プラスミド-200Luc、-93Lucを用いた検討では、プロモーター活性は-247Lucの66%、31%に抑制され、NF-κB結合配列変異プラスミドを用いた検討では、プロモーター活性は-247Lucの24% (κBm1)、58%(κBm2)、41%(κBm3)に抑制された。さらにドミナントネガティブ型IκBαのトランスフェクションおよびCAPEの添加では、H. pyloriによるプロモーター活性化は、いずれも-247Lucの10%以下に抑制された。

H. pylori共培養8時間後では、アポトーシス細胞は、全体の約4%であったが、CAPEでNF-κBを阻害すると、アポトーシス細胞は10%に増加した。H. pyloriとCAPEによるアポトーシス増加がc-IAP2に影響されるか検討するために、外来性にc-IAP2を強制発現させたところ、コントロール細胞におけるアポトーシスが23%であったのに対し、c-IAP2を強制発現した細胞では、アポトーシスはわずか2%であった。

胃生検検体における検討では、H. pylori除菌治療をおこなった10例7例において、除菌後にc-IAP2の発現低下を認めた。

[考察]

今回の検討では、H. pyloriにより、NF-κBの活性化を介してc-IAP2の発現が増加することが示された。さらに、H. pyloriがc-IAP2を介して抗アポトーシス作用を起こすことが明らかとなった。

アポトーシスアレイ、PCRを用いた検討では、H. pyloriによりc-IAP2の発現が促進することが示され、アンチセンス法では、H. pyloriによる抗アポトーシス作用がc-IAP2依存性であることが示された。また、c-IAP2の欠失・変異プラスミドを用いた検討では、c-IAP2プロモーター領域の-247から-93までの領域に存在する NF-κB結合配列が、H. pyloriによるc-IAP2プロモーター活性化に必要であることが示唆され、NF-κB経路の阻害による検討では、H. pyloriがNF-κBの系を介してc-IAP2を発現することが明らかとなった。CAPE添加による検討では、H. pyloriの抗アポトーシス作用がNF-κB依存性であることが示された。またc-IAP2強制発現により、外来性のc-IAP2もH. pyloriによるアポトーシスを抑制することが示された。

これまでの報告では、H. pyloriは、Fas-Fasリガンドシグナル伝達系や、Smad5の発現を介する系、ミトコンドリア-シトクロームcを介する系など複数の系を介して胃上皮細胞にアポトーシスを誘導すると考えられている。ところが、H. pyloriの抗アポトーシス作用についての報告はほとんどない。これまでの臨床的検討においては、種々の癌で抗アポトーシス遺伝子の過剰発現が報告されており、急性骨髄性白血病においてはXIAP、食道扁平上皮癌においてはc-IAP1が過剰に発現している。これに今回の実験結果を加えて考察すると、おそらくH. pyloriはアポトーシスも抗アポトーシスも起こすことが可能であり、胃粘膜へ感染することによって、それまで維持されていたアポトーシスと抗アポトーシスのバランスを崩すと考えられる。そして抗アポトーシスが優位に立って、DNAダメージを受けた異常細胞の淘汰ができなくなった時、癌へ進展する可能性がでてくるものと推測される。実際、今回の検討で、培養細胞のみならずH. pylori感染者の胃生検検体においても抗アポトーシス遺伝子の発現増加を認めたことは、H. pyloriの胃発癌機構への関与を示唆する現象と考えられた。

今回の検討では、H. pylori感染によるc-IAP2の発現がNF-κB依存性であることを示したが、一方、c-IAP2がNF-κBを活性化するという報告もある。それをふまえると、ひとたびH. pyloriに感染してc-IAP2の発現が誘導されると、c-IAP2-NF-κB間の正のフィードバック機構が促進し、抗アポトーシス作用がさらに増強する可能性が示唆される。このようなH. pyloriの病原性を考慮すると、近年、消化性潰瘍のみに保険適応となったH. pylori除菌療法も、潰瘍症例のみならず、全てのH. pylori感染者に適応を拡大する必要があるかもしれない。

今回の検討で、H. pyloriによる、c-IAP2の発現を介した抗アポトーシス作用が明らかとなった。NF-κB活性化を介したこのような抗アポトーシス作用の持続が、胃発癌をはじめとするH. pylori関連疾患の一因となる可能性が示唆された。

[結語]

H. pyloriによる、胃癌細胞株におけるc-IAP2発現を介した抗アポトーシス作用を明らかにした。c-IAP2発現増加には、NF-κBの活性化が不可欠であった。一方、胃生検検体を用いた検討では、H.pylori陽性症例においてc-IAP2発現は増加し、除菌後に7割の症例でc-IAP2の発現が低下した。これらの結果から、長期間のH. pylori感染にもとづく抗アポトーシス作用の持続が、胃癌をはじめとするH. pylori関連疾患の一因となりうることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

Helicobacter pylori(以下H. pylori)感染は胃炎や消化性潰瘍のみならず、胃発癌にも強く相関すると報告されているが、発癌へ至るメカニズムは不明である。一方、発癌機構の一つとして「抗アポトーシス作用」が知られているが、H. pyloriによる「抗アポトーシス作用」を検討した報告はない。本研究は、H. pyloriによる抗アポトーシス作用を明らかにするために、H. pylori感染による抗アポトーシス遺伝子の発現や制御のメカニズム、およびアポトーシスに対する影響について解析しており、下記の結果を得ている。

H. pyloriを培養細胞に感染させ、抗アポトーシス遺伝子の発現が増加することを、アポトーシスアレイを用いた検討によって明らかにした。さらにRT-PCR、リアルタイムPCR法を用い、cellular inhibitor of apoptosis protein 2 (c-IAP2) の発現が最も増加することを明らかにした。

H. pyloriが、c-IAP2を介した抗アポトーシス作用を起こすことを、アンチセンス法を用いて明らかにした。

レポーターアッセイにより、H. pyloriによるc-IAP2プロモーター活性化には、c-IAP2のNF-κB結合配列、およびH. pyloriの病原因子cag pathogenicity island (cag PAI) が重要であることを明らかにした。

NF-κB経路の阻害による検討により、H. pyloriがNF-κB依存性に、c-IAP2プロモーター活性化や、抗アポトーシス作用を起こすことを明らかにした。

c-IAP2を培養細胞内に強制発現させ、外来性のc-IAP2もH. pyloriによるアポトーシスを抑制することを明らかにした。

H. pylori感染症例の胃生検検体を用いた検討により、除菌治療によって7割の症例でc-IAP2の発現が低下することを明らかにした。

以上、本論文はH. pyloriによる抗アポトーシス遺伝子の発現や制御、アポトーシスに対する影響を解析することにより、H. pyloriによる「抗アポトーシス作用」のメカニズムを詳細に検討した初めての論文であり、学位の授与に値すると考えられる。

尚、審査会時点から、論文の内容について以下の点が改訂された。

H. pyloriによるアポトーシスについて既報の事項を総括して述べ、今回の実験結果をふまえて考察を加えた。またH. pyloriによるc-IAP2を介した抗アポトーシス機構を図示し(図19)、図の解説を加えた。

胃生検検体を用いた実験結果に対し考察を加えた。また「除菌が推奨されるべき」のような断定的な記述を、「除菌の適応を拡大する必要があるかもしれない」という記述へ訂正した。

c-IAP2がアポトーシス経路に及ぼす影響を明確に示すために、図1を加えた。

当研究室の過去の報告について、報告者名を記載した。

「感染」「共培養」の区別を明確にする一方、類似の表現は統一した。全ての略語は綴りを記載し、表には本文との区別を明確にするため枠と罫線を記入した。

本文の最後に結語を記載した。

UTokyo Repositoryリンク